ホンのつまみぐい

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3~4月に読んだ本・マンガ

 3月の記憶がない。4月はつらかった。本、読めなかったな~~。もうちょっと読んでたかもしれないけど、まったく覚えてない……。
 

  マンガに描かれるサラリーマン像の変化から、戦後の労働の歴史が見えてくる。個人的には『100億の男』が、新自由主義的生き方を強いられるサラリーマンの姿を描いた最初のヒット作という話が印象的だった。国友やすゆきエロマンガ枠の人だと思っていたので……。フリーターや社畜のマンガにおける位置づけなども整理されている。『サプリ』(おかざき真里)について「おかざき真里の描く花は本当に繊細で美しい」と書いていることに好感。そういう感性のある人が書いた本だと思うとぐっと信頼感が増す。名著。

 

 

 

  上3冊かなり面白くて、しかも共通する部分があるのであとでまとめて感想書きたい。

 

銀と金 1

銀と金 1

 

  久々に再読。めっちゃ面白かった。そして佐藤秀峰の言うとおりだよ。

 

 「カイジ」が始まった時は、実は「それより『銀と金』を描きましょうよ。あれを完結させないと作家としての純度が薄まる」と感じていました。

 note.com

 『銀と金』は主人公のひとりである森田が物語から離脱し、銀二が独り言ちる場面で終わるという唐突な終了を迎えている。打ち切りなどとささやかれたこの終わり方は、「『カイジ』を始めるにあたっての一時休載のつもりで、本来は再開の予定があったため」とされている。また「最終的には『銀二vs森田』が描かれるはずだった」というのも2008年の『オトナファミ』でのインタビューで明かされている。

 詳細が描かれなかった銀二の野望の正体も見たかったし、銀二から離れた森田がどのような形で裏社会に戻ってくるのかも知りたかった。

  作品としては『カイジ』がさまざまな意味で圧倒的に好きだし、愛着もあるのだけど、やはり『銀と金』をしっかり完結させた方がよかったのではないか。

 『銀と金』は福本作品の中では、数少ない「政治」が登場する作品だ。抽象化された悪に個人の哲学で立ち向かうのがカイジやアカギなら、銀二や森田が戦う悪はもっと社会の構造に組み込まれた悪で、だからこそ明快な対決に持ち込むのが難しい。それゆえ悪役の人物像も多彩で、登場する悪と現実との接点が色濃い。実際の事件や政治を参考に作られた悪の陰影は、そのまま社会の姿を浮き立たせている。その複雑な構造の中で生まれる結論が見たかった。

 これは作品とは関係ないが、佐藤秀峰の自伝的フィクション『佐藤まんが道』では、師匠・F先生によるアシスタントの酷使や傍若無人な振る舞いが事細かに書かれていてヒヤッとした。F先生、まるで兵藤。フィクションと銘打たれてはいるが…。F先生はほかのかつてのアシスタントの談話でも「ヤバい人」と言われているので、一概に佐藤のやっかみとも思えない。これがあんまりF先生ファンの間で語られていないのも含めて嫌な話である。

 

賭博堕天録 カイジ 24億脱出編 1

賭博堕天録 カイジ 24億脱出編 1

 

 

賭博堕天録カイジ 24億脱出編(11) (ヤンマガKCスペシャル)

賭博堕天録カイジ 24億脱出編(11) (ヤンマガKCスペシャル)

  • 作者:福本 伸行
  • 発売日: 2021/05/06
  • メディア: コミック
 

  24億脱出編がヤンマガWEBで期間限定無料公開中だったので読んだ。帝愛の追手から逃れるためにカイジとチャンとマリオがあれこれ手を尽くす。通りすがりの人たちの善意でなんとか逃げ切る展開が延々続くが、意外と楽しく読める。(無料で読んだからかもしれないけど)

 人々の善意に助けられてなんとなくうまくいく展開はカイジらしくないけど、世相がどんどん過酷になっていく今、疲弊した大人たちを楽しませるにはこのくらいがいい塩梅なのかもしれない。

 ただ、エロ本をめぐるエピソードは「さすがにいい加減にしてくれ」「講談社なんでこの原稿OKにした?」と思ったが……。キャンピングカーのエピソードくらいから完全に荻原天晴作のスピンオフの空気が持ち込まれていて、読者として戸惑う。

 福本は堀江貴文Youtube番組に出た時に、「彼(萩原天晴)がこう描いているからおれも合わせなきゃと思って」とキャラクターの造形をスピンオフに寄せていることをさらっと話していて、かつてのような濃い展開やキャラクター、人生哲学を求めるのは難しいのだろうと悟った。

 子どもの頃、『浮浪雲』を読んで「大人はなんでこんな何も起こらないマンガにお金を払えるんだろうか。しかもこの作者、かつて過激なマンガを描いていたらしいのに」といぶかしんでいた。今の『カイジ』も若者に「おっさんはなんでこんな何も起こらないマンガにお金を払えるんだろう」と思われているのかもしれない。

 ところで、Amazonレビューを読んでいたらどんどん収録話数が減っていることを嘆いている読者がいた。たしかに、25年前とはいえ黙示録は本体533円(定価586)で11話収録なのに、最新刊は本体660円(定価726)で7話収録。1話単位で考えると倍近い値上げになっている。講談社の収益状況や原材料費の高騰など、さまざまな要素あってのことだと思うので、一概に責められないところではあるけど、マンガを身近で手軽な娯楽とするこれまでの感覚を、少し見直さなくてはいけないと思わされた。

追記:そういえば帝愛に7億の損害を与えた遠藤さんが何で職場復帰してるんだ……。

 

ムーン・ライティング (白泉社文庫)

ムーン・ライティング (白泉社文庫)

 

 

  再読していた。20年前は「もっと人間的に成長して深みが増せば、今わからないところも理解できるのだろうか?」と思っていたけど、あまり洞察が深まっていなくて自分が悲しい……。ドラッグに関する理解が深まったくらいか。あとは、ジュニアとケビンの境遇の痛々しさがより強く感じられるようになった。

 

  経営に困って偽札制作を請け負う印刷会社の印刷工と版下制作者が主人公という発想がすごい。BLなんだけど、受けと攻めが決められなかったのでゲームブック方式で読者が好きな方を選べるという発想もすごい。面白いことやってるなと思った。

 

  すげー好き。ねとらぼにレビューを書かせてもらったけどあんまり話題にならなくて非力を実感。本作は転売ひいては資本主義に疑義を呈しつつ、その中でどう生きるかを問う『ナニワ金融道』的な作品だと思うけど、せどりやってる人らに「金木みたいにお金儲けがんばる!」と素朴に読まれていて苦笑。あとでねとらぼに書ききれなかったことをブログで書きたい。

 

nlab.itmedia.co.jp

 

一度きりの大泉の話

一度きりの大泉の話

 

  その後の反応も含めていろいろありすぎ! 竹宮の妹の書きすぎてしまったブログも、萩尾の人格に対する誹謗中傷レベルの読者の言葉も読んで情緒が死んだ。一応↓のエントリが私の解。

 

hontuma4262.hatenablog.com

  ただ、上のエントリに書かなかったこともある。

 それは竹宮惠子は『少年の名はジルベール』にどこまで書くべき、あるいは書くべきでなかったかについてだ。

 萩尾のいない少女マンガ史はない。だから竹宮は萩尾のことを書いたのだろう。でも、すべては書かなかった。でも、萩尾望都は自分のことを書いてほしくないと伝えている。本人に相対して和解し、その上で許可を取ればよかったことは間違いない。しかし、これが竹宮の自伝であることを考えると、どこまで「書くな」と言えるかはかなり微妙な問題である。

 少し話がずれるが、私も取材や経験をもとに記事を書くことがある。しかし、そこで見聞きしたことすべて書くわけではなく、それが取材相手、ひいては社会にどのような影響を及ぼすかを考えて公開する。

 今のところ大きな判断を迫られたことはなく、取材者の合意の上で記事を作成できているが、いつか取材相手の希望より社会的影響を考えて記事を発表することもあるだろう。そうした判断を迫られた際に、何をもって正しいとするべきなのだろうか。そんなことも考えさせられた。

 また、証言の食い違いをここまで具体的に見せられてしまうと、人の語りというもののあいまいさを意識せざるを得ない。

 そういう観点から一番印象的だったのは小原篤の記事だ。朝日新聞の会員向けの記事だが、無料会員登録で読めるので気になる人はぜひ。

www.asahi.com