冬野梅子の絵
冬野梅子の絵はゆるい。
作者が生物学的に正しい絵を描くことに執着するタイプではないのは、『復讐が足りない』のシベリアンハスキーの絵を見ればわかる。犬好きじゃないのかな……。

でも、生きている人間のリアリティは出せる。そこがすごい。
個人的に冬野作品の絵で一番痺れたのはここ。
『スルーロマンス』の、かつて恋愛感情を抱いたアロマンティック男性の同居人から、同居解消を言い出されてショックを受ける緑ちゃんが風呂場で泣く場面。

風呂場の号泣は合理的。涙をいちいち拭かなくていい。
ページの中央に描かれるのは泣き顔ではなく背中。緑ちゃんの丸い背中を遠くから見るような絵。表情が見えないし、背中が小さく描かれていて距離を感じさせるから感情移入しにくい。滑稽さを強調する突き放した目線のようでもあるし、緑ちゃんの悲しみに安易に同調させないという表明のようにも思える。
決して精緻な絵ではないが、小太りの女性の四角い身体の輪郭が見事だし、演出がしっかりしていて、作品が表したいものがよくわかる。
『復讐が足りない』からは表情の引き出しがどんどん豊かになってきていて楽しい。
これは会議中に暴力的な身振りで自分の意見を押し通そうとする北広の表情。

高いパンが食べられるようになって嬉しい復田。

ちょっとした貯金ができた人間の贅沢としてはささやかすぎるが、この実感はよくわかる。この次のページの「払った分のもとを取れないと罪悪感で暗い気持ちになってそんなさもしい自分も大嫌いだった」というナレーションが刺さりすぎていた私。
一方で満たされていない人間の表情は最初からずっとうまい。
『まじめな会社員』のあみ子の無ではない無表情。こういう時って本当にこういう顔をしているし、こういう目で他者を見ている。

力弱い線で市井の「いそう」な人々を描くという意味では東海林さだおに通ずるのでは?と思ったが、どうだろう。
キャプチャを取っていて感じたけど、この人のマンガのキャラってめちゃくちゃ携帯を手に持っている。それもまたリアル。
lyrical school tour 2026 "GOODBYE"@LIQUIDROOM
思ったより泣いてしまったというのがリリスクラストライブの感想だった。泣くつもりはなかったのに。
アイドルライブが久々で「今日は誰か知り合いいるだろうか」なんて、解散の悲しみより、内輪の人間関係のことを考えながら会場のリキッドルームへ向かった。
歪んだ感覚だと思うけど、地下アイドル現場で育ったせいで、アイドルとオタクは伴走者同士であるという意識がある。私はリリスクの伴走者ではなかったから、悲しんだり惜しんだりするのは違うように思っていた。悲しむのなら、もっとしっかり伴走していればよかったろうと思うからだ。冷静に考えると別に伴走していなくても悲しんでいいし、自分以外の人が悲しんでいてもそれを煩わしくは思わないのだが、自分にとっては何となくそれがオタク的誠実さのように感じてしまう。
開演10分前くらいに着くと、ソールド公演だったので入場が押していた。まだ明るい照明の下、観客を見回す。多くの人が歴代のリリスクTシャツを身につけている。
古いTシャツを身につけた人は、久々に来た人なのか、ずっと来ていた人が、昔のTシャツを着てきたのか。歴史のあるグループだから、お客さんの歴史もついつい想像してしまう。
ちょうどAさんと会ったので、そのままおしゃべり。
「流石に時代が終わる気がしますね」という話をした。
インディーなアイドルがどんどん生まれて、その熱気に当てられた客がフロアで爆発していた2013年が、私のアイドルオタク1年目だった。過剰な熱気と期待にあふれて、新しい表現がどんどん生まれていたし、それを追いかける人の熱に圧倒されていた。熱が過剰すぎて時々迷惑だったけど、それも含めて人間らしかったし、相互監視的な息苦しさがあまりなかったからラクだった。
「あの頃」と今を比べて、今を腐すのは品がない。それはわかっているけれど、コロナ禍を経ていろいろなものが変わったという実感もたしかにある。
リリスクは13年前に出会ったアイドルの中で、数少ない、活動を続けていたグループだった。
ぎっしりと入ったリキッドルームの、開演1曲目はbrand new day。自分でもびっくりしたのだけど、もうそこで泣いてしまった。
なんで泣いたんだろう? 13年前、この曲のリリイベで、初めてリリスクを生で観た。好きな曲だけど、泣くような曲ではないのに。そこから畳みかけるように歌われていく各年代のリリスクの代表曲。男女混合になってからの曲には、いくつか初めて聴くものもあった。
そもそもアイドル現場に行かなくなっていたし、SNSでもアイドル情報をチェックしなくなったし、何よりかつて同じ現場で遊んでいた人々の多くが、アイドル情報を共有しなくなっていた。ラストライブなのに知らない曲があるなんてちょっと申し訳ないという気持ちもありつつ、そんなの関係なしに楽しませてくれるのがプロだよねとも思った。
ライブはどんどん力強く、明るく進んでいって、見事なくらいどの世代の曲でも盛り上がっていた。8人リリスク、ライブがうまい!
8人のお披露目ワンマンライブ以降、対バンでは何度か目にしていたけど、やっぱりワンマンの盛り上がりは全然違う。
そして、15年も続いているから、曲ごとにオタクのノリ方も違う。斜め前のオタクの人が、各年代のフロアのノリ方を完璧にマスターしていて、楽しみきっている様が爽快だった。でも、その人はリリスクTじゃなかったんだよな。どういう歴史を持ってるオタクだったんだろ。
FRESH!でのMIXや、photographで手を振るところには、急に「あの頃」を思い出してしまって、ちょっと切なくなった。
ライブが進むごとに、「私が好きだった頃のアイドル現場」の幻想と現在が、湿度を増して交互に膨らんでくる感触があり、何度も泣いてしまった。
泣けた理由として、もう一つ感じていたのは、リリスクというカルチャーが喪失する悲しさだった。
6人だった頃のリリスクは、学生生活をちゃんと楽しんでいて、時には合コンにも行くような女の子6人が、拙いけれど清潔感のあるラップをするグループというイメージだった。私は合コンに誘われないタイプだったので、屈折したおじさんの内面世界を女の子に歌わせる、ライムベリーや校庭カメラガールにハマっていた。
だから、リリスクのイメージは「ちゃんと日常をやれる人たちが、その世界を明るく優しく表現して楽しませてくれるグループ」だった。
でも、8人のMCを聞いて、今のリリスクが新しい世界を作ろうとしていたことを今更知って、それが終わろうとしていることにいきなり悲しくなった。
その新しさをはっきり感じたのは、後半のMCだ。今の思いを一人ひとりが伝える場面で、メンバーそれぞれが極めて無防備に、まるで友達に語りかけるみたいに話していたのでびっくりしてしまった。
malikの「もったいない」という言葉も、tmrwの「自分で曲を作ったら人が作ったラップを歌えなくなった」という言葉も、sayoのみんなに伝えたいことがあるという話も。
いや、友達という表現は正確ではないか。「心理的安全性が保たれた場所で、ある程度の信頼関係を構築できている相手」と話す時みたいに、何かを恐れることも、置き去りにすることもなくフロアに語りかけていた。親密だけれど節度を保った、心を許した相手に対する語り方。「板の上にいる人が、フロアに対してそんなふうに話すことってあるの?」と驚いた。
8人は特別な親密さを保っていて、別れの時を本当に悲しんでいる。そこにグループ内の序列や諍いは見えず、ただ、お互いを助け合うチームとして機能している。
芸能という、業であり、自己表現でもある場で、こうした関係性のチームが作れるのかということに驚いた。
緊張感のある関係を保つことがプラスに作用するチームもあるので、どのあり方が正解ということもない。ただ、おそらく8人リリスクは、この関係性を作り上げたことを誇りに思っていたのではないかと思う。
そして、ステージの上のメンバーやスタッフはもちろん、ステージとフロアの関係もフラットで、敬意はあるが、上下関係はない。
これはある種のユートピアで、キムさんやminanちゃんが夢見ていたのはこれだったのかと思った。
ラストのリリスクが男女混合になったことの意味を、私は深く考えていなかった。でも、この日、確かにここに新しい意味があったのかもしれないと思った。
ヒップホップというプラットフォームは、セルフボースティングやアイデンティティの開陳を重要なものとしているけど、それが時に男らしさ、女らしさの枠を強化してしまうことがある。
でも、lyrical schoolというグループの中で、8人はいわゆる固定化されたアイドルや男女という役割を背負いすぎず、その人らしさを尊重することを当たり前に楽しめていたんじゃないかという気がしている。そういう関係性は、キムさんやminanちゃんの中にある理想であり、可能性でもあったんじゃないか。
初期のリリスクにおけるスクール。たぶん、ヒップホップを学ぶスクールという意味だったんじゃないか。それはそれで、アイドルからヒップホップに対するアプローチとして挑戦的ではあったけど、最後のリリスクにおけるスクールは、たぶんもっと広かった。
メンバーは仲間を尊重すること、自分らしくいることを学んでいた。単なる知識の詰め込みではなく、良く生きるためのスクール!
でも、それは終わってしまう。商業的な成果をあげられなかったこともあるだろうし、精神的な限界もあるだろうと思う。
だからこそ、最後のステージはダイレクトに演者やスタッフの悲しみが伝わってきて泣けてしまった。
これは夢が終わる時間なんだと思った。悲しい。でも、ここから何かを表現していく人たちもいるだろう。それが何か面白いものを見せてくれることを願うしかない。
前半が終わり、一旦メンバーがはけて、後半はセンチメンタルなGIZMOから。以降は切ない曲が続き、最後は8人リリスク最初のリリースだったNEW WORLDで終わり、メンバーがはけていった。フロアにはアンコールの声が響く。
このチームの美学から考えて、アンコールには応えないことを、フロアの声はたぶん知っていたと思う。しばらくすると電灯が付いて、キムさんが終演を伝え、退場を促す。それでも途切れないアンコールの声。再び終演の案内が繰り返される。

思わず客が「お前が一言言えよー!」と叫んで、それにキムさんが「いい景色見せてもらいました!ありがとうございました!!」と返してやっとアンコールが収まった。
一部始終を見届けたAさんが、「これだけやりきって、この後特典会って変な文化ですよね」と笑う。
その後、KさんとHさんと合流し、渋谷の飲み屋で話をした。
Hさんは「POP YOURSの配信を見ていたけど、あそこに出てる人たちとリリスクの何が違うかわからない。lyrical schoolという名前にこだわらない方法もあったのでは」と話していた。わかるような気がするけど、それは難しかったんじゃないだろうか。
リリスクはキムさんのプロジェクトであり、表現だから……。
Aさんは「みんないい人すぎたのかなあ」とつぶやいた。
最後に飲み屋を出て、Kさんに「またー」と言われたので、思わず、「現場がなくなっちゃったから、もう二度と会えないかもしれないですよー」と叫んだ。最近は、そういうことがあるのが人生だとつくづく思う。
復讐が足りないの感想1
復讐が足りないを読んでいる。
今この瞬間に読むことに、こんなに価値のある作品はないと思う。
あまり描かれないことがたくさん描いてあるのいい。
冬野梅子作品に言いたいことがありすぎてまとめる力がなく、ずっとアプリのコメント欄に感想を書いていたが、最近『復讐が足りない』のコメント欄がぐちゃっとしているのでこっちに書くことにした。もちろんいわゆるネタバレがあるので気になる人は適当にしてね。
私は冬野梅子作品に共通のテーマに「自分の人生の主人公になるとはどういうことか」があると思ってる。
まじめな会社員は家族や世間から、自我を削り取られた女性が、「自分とは何か」を思い出すまでの道程の話。
スルーロマンスは恋愛と結婚とは何かを見つめながら、自分のままで生きるためにどのような生存戦略を取るかを選ぶ女性二人の話。
そして、復讐が足りないは、人を殺すことによって自分の輪郭を鋭利にしていく女性の話。
どれも好きだけど、私に一番似ているのはまじめな会社員のあみ子で、これは自分のことだと思う一方で、自分はあみ子よりはうまくやれていると思ったり、しかしそれは単に恵まれているだけではないかと思ったりしていた。
復讐が足りないの復田にはあまり共感できないけど、人殺しになったことで、自分一人で考えて自分一人で行動しなきゃならなくなった復田のこれからを楽しみにしている。
「ひとつにならない 発達障害者がセックスについて語ること」横道誠
発達障害者のセックスについて、当事者である横道誠が話を聞くというインタビュー集。
行為の内容等ではなく、恋愛やご本人の生活歴について聞き取るもので、登場する方々の生育歴の複雑さに圧倒されてしまう。
特にカルト宗教二世のぷるもさんの話は、宗教による人権侵害の壮絶さが伝わってきて具合が悪くなる。
個人的には数独さんと呼ばれるミソジニーの強い男性の思考と、それに呼応する横道が印象的だった。ものすごく自分勝手で迷惑な数独さんの発想に共感したり、時に否定したりするのが面白かった。
あと、横道は発達障害当事者としてピアグループを作っているらしいのだが、それゆえのギャグなのかマジなのかわからん断定にヒヤヒヤする。
こういう文↓がちょくちょく出てくる。
“青さんのじつに注意欠如・多動症者らしいところは、その冒険精神に依拠した暴走ぶりだ。“
“青さん(第二章)や了一さん(第四章)についての章でも書いたことだが、自閉スペクトラム症の男性には「非モテ」が多い。理由のひとつは、地球外知的生命体のような印象を与えて、気持ち悪がられるからだ。“
しかしそれは本当に障害の特性なのか。実はトラウマ由来ではないか。それとも周囲からの影響なのか。そもそも障害と断ずるほどではないことなのか……。個別に判断の必要なことを「これは発達障害の特性だ!」とか言う。注意書きを入れないと偏見の元になるのでは……。
それはそれとして、横道の直裁な言葉に安堵する人は多いだろうと思う。
以下は当事者が受けたDV被害について聞いた際の横道の反応だ。
“そのように聞いたとき、私はそのような暴力的な言動から、その人はいかにも定型発達者だなと考えてしまった。私は発達障害の当事者として、定型発達者の「エゲツなさ」をよく意識し、生きてきたからだ。多くの定型発達者が、私の人生では、私を迫害する人たちとして現れてきた、と私は感じている。“
私は日和って「いや、でも定型発達=エゲツないはエゲツなくない人に失礼だし」とか言うタイプだが、こういう実感を「言ってしまう」ことの価値も絶対あると思う。
また、以下は笑ってしまった。
“自閉スペクトラム症があると、発達性協調運動症(複数の部位を連動させる運動が難しい障害)を併発しやすく、運動音痴の人が多いが、それと対照的だ。私はまさに「運動音痴側」そのもので、「運動が得意な発達障害者」の話を聞くと、「反則だ!」と憤慨しそうになる。“
診断は受けてないけど、複数の部位を連動させる運動が難しくて体育の授業で置いてきぼりになっていたので、なんだか共感してしまう。
さとうららなりのラストワンマンライブ「Good Enough」
うーん、写真がいまいちすぎるぜ。
さておいて、去年の10月は本当に忙しくて唯一遊びに行けたのがこの日でした。
さとうららの引退イベント「Good Enough」。ららちゃんを観てからもう10年近く経っていたということにびっくり……。
彼女がこれまでの活動の中で出会った人たちが一堂に会し、明るく、時々さみしそうに歌う。ヒップホップパーティーのにぎやかさと、アイドルの引退ライブの感傷的な空気の両方を含んでいる独特の空気が面白かった。
あとは、最後の最後でまたディズニープリンセスみたいなカッコをしてきたのがあまりにもさとうららでそれも嬉しかった。誰がなんと言おうと自分のやりたいことをやるという強い気持ち。
校庭カメラガールの時は常に小指を立てながらマイクを持ち、語尾は「でしゅ」という不思議ちゃんキャラ。O'CHAWANZになってからは仕事と並行しながら作詞をこなし、ソロアルバムも完成させる。何人ものメンバーの卒業を見送って、精神的にも大変だった時期もあるはず。それでもキャラクターを崩さず、最後まで自分らしくやり切ったというその生き様がカッコよかった。
アイドルという枠の中で「ちょっと変なキャラクター」をやりつつ、曲では働く女性の日常を本人の言葉で歌ってくれるという不思議なアンバランスも含めて、オンリーワンの存在だったのではないかと思います。
私みたいにマメに通っていたわけではない人間があれこれ言うのも不遜な気はしつつ、彼女のようなアイドルに会えてよかったし、彼女のような人が己を制しながら、しかし好きなようにやってこれたと言うのも私たちの見ていた10〜20年代アイドルの魅力だったとしみじみ思います。
10年代中盤までは、まだインディー色の強いアイドルの商業的な夢を見れた時代で、音楽やカルチャー好きな人がプロデュースしたアイドルがちょっと目を引くことをやっていい音楽を作れば、そこから世界が広がっていった。大きなフェスに呼ばれたり、雑誌やWEBメディアに取り上げられたり、ZEPPくらいなら埋められたり。
そこから業界全体の停滞とコロナ禍があり、それまでのような夢を見るのが難しくなって以降、どのアイドルも新しい夢やアイデンティティ、そして商業的成功を見出すのに苦労していた気がします。
そんな中、商業的成功と一歩引いた場所で、寿々木ここねちゃんみたいに自己表現しつつアイドルの枠での活動を楽しむ人たちもいて、ららちゃんもその一人だったのかなと思います。
現場では常に不思議な浮遊感を漂わせていたけど、舞台を降りたら自分たちと似通った生活や日常があるのだろうと思わせるところがあり、そのバランスが好きでした。
しかし、最後のMCでの「私のファンってヤバい人がいないの〜〜」はちょっと笑っちゃいました。
働く女性の日常っぽいシンプルなデートソング「After the After Five」。
”今でも続けてるラップが私の息抜きかもしれない”













PUNPEE “Seasons Greetings’26”

友人に誘っていただいてPUNPPEのライブへ。
正直そんなに彼の曲に詳しく無かったし、テック系の若者っぽいイメージがあったので、ちょっと気持ちに距離があった。エリートっぽくてクールな感じ。
だけど、見てみたら曲もMCもライブの演出も「等身大のいいヤツ」という感じだったし、むしろそこがカッコよかった。
オープニングはお子さんの送り迎えの映像で始まる。ステージ上にはチャリに乗って登場して歌い出す。気負いのない雰囲気に思わず和む。
ステージの背景には、自分の顔をモチーフにした巨大な像と、ツタの巻きついたジャングルジムのある、一見どこにでもありそうな小さな公園が映される。公園の後方を時々恐竜や鳥が通り過ぎていく様子は、SF的なような懐かしいような不思議な雰囲気があった。
軽快で安定感のあるライブに、ラフなようでいてきっちり仕込まれた演出。かしこまりすぎないけど、リスペクトに嘘のないゲストとの距離感。うーん、洗練されてるぜ。しかし、嫌味がないし、気負いを見せない。そこがすごい。
7000人の客を前にして、自分を大きく見せようとしないでステージに立つなんて偉大すぎる。そして、普通であることは弱っちいことじゃないという気持ちにもさせてくれる。あれ?まさにパンピーなのかな。天才なのに。
途中のMCで、急に決まった暴力的な選挙について疑義を呈してくれたのも、HEROのあの歌詞を力を込めて歌ってくれたのにも励まされた。
あの芸術家達もあの戦争に行ってたら死んでたかも
あの戦争の犠牲者の中にも未来の芸術家が何人居たろう?
きっと彼らのアイディアは空気を伝って 僕らが形にしてるこぼさずに
灰色の世界にひらめきを 夢のような暇つぶしを つくりだそうぜ Hero
自分と政治的意見や感性が違うからといって相手やコミュニティを否定しないようにと最近は思ってはいるけど、それでも考え方がかぶると安心しちゃうっていうのがある。下はサイプレス上野のツイート。
期日前投票、ぶっかました!
— サイプレス上野 p.k.a.上千代the闇スナイパー (@resort_lover) 2026年2月5日
裏金も宗教も謎を含み、リウマチは病気なので仕方ないけど原因は自分の支持者からの握手が強いって半端無い言い訳からの即復活して地方で演説プチャヘンザ!大迫!半端無いって!を超える半端無いって!!痛みを伴う改革過ぎる…。… pic.twitter.com/aNowKxxHlI
最後のMCで、ステージに投影された自分の顔の像について「自分はあんな風に大きなものになれたかもしれないけれど、それは隣にあるジャングルジムのように、子育てに追われる中で朽ち果てている。だけど、そこから見える空や、飛ぶ鳥の姿も悪くなくて、ここから言える言葉もあると思って音楽を作っている」と話していた。

それにしてもオープニング映像に登場する団地は狭すぎて「本当にふたりの家なのか?!」と思った。
あと、当日の思い出として。後ろにいた若い男の子がなんでも「ヤバい!」という子で、BIMだったかがPUNPEEが乗ってきたチャリをステージ上で乗りまわしていた時も「ヤバい~」と言っていて面白かった。こどもか!
