ホンのつまみぐい

誤字脱字・事実誤認など遠慮なくご指摘ください。

でんぱ組.incが作った時代

 でんぱ組.incが解散する。

 アイドル文化にあまり興味がない人にとっては、いちグループの解散に過ぎないと思うけれど、2013年からアイドル文化を見ていたものとしては、ひとつの時代の終わりの印象がある。

 でんぱを知ったのは「でんでんぱっしょん」のリリース直前、メディアでは「W.W.D」の熱狂が大きく取り上げられていた頃だ。

www.youtube.com

 「いじめられ部屋に引きこもっていた」というストレートな歌詞から始まるその曲は、メンバーの過去と弱さを曲やMVに直接的に織り込む物語性の高い内容で、主体的に音楽を聴いてこなかった自分に強烈なインパクトを残した。

 「ファンクションキー足で押してた」という箇所のもがちゃんの異様さは忘れられない。

 当時はアイドルと言えばAKB48

 「高校の教室で人気の女の子」という印象のビジュアルは、自分とはまったく無関係なものに思えたし、直前に峯岸みなみが交際報道の謝罪で丸坊主になったのもあり、アイドルには忌避感があった。(この頃はすでにperfumeももいろクローバーZにふれていたが、アイドルと認識していなかった)

 しかし、凸凹バラバラでオタク趣味の女の子たちが、自分のマイナスをさらけ出す曲を歌い、自分を、そして周囲を鼓舞する姿は、心にまっすぐに入ってきた。

 彼女たちのアンバランスな向日性に夢中になり、速攻でインタビューやMVを漁ったことを覚えている。CDジャケットやビジュアルも鮮烈だったし、音楽を知らない自分からすると、曲にまつわる全ての話が新鮮だった。

www.youtube.com

 また、よく覚えているのが、初めて彼女たちを見た時に「アニメキャラみたい」と思ったことだ。

 メンバーカラーと体格に沿った明るく華やかな、しかしどこか非現実的な癖の強い衣装は、この瞬間のこの人たちにしか着こなせないと思わせた。既存のかわいい・かっこいいのコードに入り込めなかった自分にとって、女の子がおしゃれをすることを肯定的にとらえるきっかけになった。

 思い返すと、当時のでんぱ組.incは、クリエイターに新しいものを生み出させる触媒として見事に機能していた。ベテランも若手も、でんぱでのクリエイションを通して新しい表現の可能性に出会っていったと思う。

 それはでんぱが間違いなくオンリーワンで、かつ、これまでになかったものだったからだろう。誰と組んでもでんぱ組.incになるし、これまで見たことのないものになる。

 こうした求心力によって生まれる様々なクリエイティブを追うことまでが、私にとってでんぱ組.incを楽しむことだったと思う。

 また、前述した「W.W.D」に代表される、ネガティブな自分史を直接さらけ出し、活動に盛り込んでいくスタイルが地下アイドルカルチャーに与えた影響は図りしれない。

 それまでは「学校や会社で好かれる一般的な女の子の中で、一番かわいい子」がアイドルをやるイメージだったが、そうでない女の子たちがこんなに魅力的であるということが、ファンはもちろん多くのアイドルの可能性を開いていった。

 Twitterやブログといったアイドル側からの発信が容易になっていたのも、このムーブメントに寄与していたと思う。

 料理下手を隠さない未鈴ちゃんや、時折ファンと議論することもあるもがちゃんやねむきゅんの発信に親しみを感じていた。

 ただ、今「W.W.D」を聴くと、その危うさも目に付く。

 自身の過去を吐露する歌を叫ぶように歌うのはかなり精神力がいるだろうし、何より人はどんどん変わっていくから、歌に描いた人格と今この場で歌う人格は必ず乖離していく。

 ファンは提供された人格に沿い、アイドルたちの物語を作っていくが、そこに描かれたアイドルの人格と、実際のアイドルの人格は、当然ずれてくる。

 もし自分だったらそのギャップに耐えられないだろうと想像する。

www.youtube.com

 「W.W.D Ⅱ」はこうした葛藤をもとにしていたのかと今なら察せるが、そうしたメンタルのギャップを埋めるために曲を作るのというのも、だいぶ荒療治で、あまりよい方法とは思えない。

www.youtube.com

 また、こうした個人の物語に寄り、それをアイドルの成り上がりのためのロードマップを描くために利用するプロモーションも流行った。

 しかし、こうしたプロモーションは売れなかった場合、メンバー個人の傷や葛藤を不用意にさらけ出して傷つける可能性が出てくる。

 たとえばEspeciaの「We are Especia ~泣きながらダンシング~」。アーバンでどこか余裕のある曲調が魅力だったのに、この曲は頭でいきなり運営のパワハラをメンバーに語らせるところから始まる。当時の認識ではパワハラではなくしごきだったのだろうけど、口調が暗くて運営がメンバーをどう扱っているかについて、悪い想像をしてしまう。途中で各メンバーの泥臭い自分史を語らせるという構成も、グループにプラスに働いたとは思えない。BiSやStereo Tokyoの母体であったつばさレコーズの体質がよく表れている。

www.youtube.com

 芸能人とそのファンが当事者の人生や活動の中に物語を見出してしまうのは必然的なもので、それ自体が悪いわけではない。しかし、「W.W.D」のような形で物語を活動に入れ込む形式は、その後のアイドル市場の縮小に伴って廃れていった。

 この形式の衰退は、結果的にアイドルがより安全に活動することに貢献していると思うし、自分自身も過度な他者の人生の物語消費を肯定したくない。

 ただ、一方であの強引で乱暴な、しかし高い熱量を保有した「W.W.D」という曲を歌っていたグループと、それに付随した物語が自分自身を構成する一要素となっていることは間違いない。

 そういえば、一度だけだがディアステージにも行き、りさちーにはオーダーを取ってもらった。

 演者とファンの距離の近さも、でんぱの特徴で、ファンがSNSや現場で物語の登場人物のようにふるまう姿も印象的だった。こうした密な距離感は、おそらく今では好まれないだろう。

 「キラキラチューン」でのきれいにそろったコールや、「ORENGE RIUM」でのサイリウム(ペンライト)の鮮やかさに感動したことも忘れられない。

www.youtube.com

youtu.be

 今改めて「W.W.D」を聴くと、アイドルになりたかったわけではないメンバーばかりなのに、あれだけのところにたどり着き、今まで続いてきたことが本当に奇跡だと思う。

 オンリーワンを体現し、時代を作っていったのがでんぱ組.incだった。

 

 

追記:物語消費について、運営側だけの問題みたいな表現をしてしまったけれど、思い出すと「〇〇と〇〇仲悪そう」みたいな勝手な憶測も物語消費のひとつで、確実に自分もやってたことなので、今思い返すと申し訳ない……。物語消費は運営・演者・客のすべてが一時的な共犯者となることで成立する。責任の割合や質の悪さはグループごとに違うが、運営だけが悪いと思ってしまうと問題が見えにくくなる。

さらに追記:これは統計的でも調査的でもない肌感の話だけど、物語消費の衰退はアイドル市場の縮小により「成り上がり」の物語が成立しなくなったことが大きな要因のように思う。

 「武道館に立つ」は2010年代のポピュラーな目標のひとつだったが、よほどの条件がそろわない限り、どんなにいい曲を作っても、メンバーが死に物狂いで頑張っても、オタクがボロボロになるほどCDを買ってもその目標に達することはできない。

 オタクだって「〇〇の夢をかなえるため、山ほどCDを買ってライブに行き、握手に参加したが、それが達成されることなくグループ解散」を繰り返されると、物語に対して白けてくる。そうなってくると過剰な物語消費自体がグループが先細る原因になってしまうのだ。

 また、国全体の景気の悪化によって、がむしゃらにがんばれば目標に到達できるという物語に共感しにくくなってきたのもあるのではないか。

 でんぱの曲は今でも好きだが、仲間と前向きに進んでいくことに迷いのない世界観は2020年代向けではないとも思う。