ホンのつまみぐい

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よく見えることのよくない作用

『エルピス』を見始めたが、1話の長澤まさみの顔が美しすぎて、終始「美しい…」とつぶやいてしまった。

 女性の顔の良さにこんなにいちいち感動するのは生まれて初めてだ。

 この反応、長澤まさみの顔のよさは前提として、最近毎日ダイエットのために自撮りをしていることが影響していると思われる。

 写真に写った自分の顔と身体を凝視すると、その険が目に見える。「もう少し鼻が整っていれば」「あごが短くなれば」と、不満がいろいろと出てきてしまう。そして、長澤まさみにはこの険がない! 女優ってスゲー。

 とはいえ、私は人前に立つ職業ではないし、あまり身体に関するコンプレックスが強くないので、特にその不満を追求することはない。しかし、これが芸能関連の人や若い子だと大変だろうなとしみじみ思った。

 そもそも自分の若いころは今ほど自分の顔を鮮明に見る機会がなかった。鏡は携帯のカメラほど生々しくないし、映せる方向も限られている。

 しかし、カメラは身もふたもないくらい顔の「険」を映し、保存してしまう。それだけでなく、今はアプリで加工できる。「あごをもう少し削りたい」「目を大きくしたい」ができてしまうことが、よけいに顔に対する重圧をかさましているのではないか。

 『少女マンガのブサイク女子考』に、笹生那実さんが「昔は容姿にコンプレックスがあったとしても、そこまでそれをなんとかしようとしていなかった」ということを描いていた。笹生さんと私は20歳以上年齢が違うけど、私の世代でも今ほどの容姿に対する重圧はなかったと思う。

 「美しく、かわいくなりたい」と思うのは悪ではない。しかし、「美しく、かわいくなければいけない」と思いこまされているのなら、本当は思わせているほうを訊さなくてはいけないのに、実際はこちらばかりが苦労させられている。

 よく見えるようになることの弊害は自撮りだけでないだろう。

 例えば、Amazonの倉庫でバイトしていた人は「作業用のシール貼り機は、手が止まると報告がいく仕組みになっていた」と話していた。

 技術の進化で物事がよく見えるようになって、それは悪いことではないはずなのに、世の中が邪悪だとその邪悪さに利用されてしまう。

 これらの息苦しさに対してどのような対抗の方法があるのかということを、改めてぼんやり考えている。