異なる境遇にいる3人の母親とその息子たち。母親たちはそれぞれ異なる試練にさらされるうち、つい子供に手を上げそうになり……という展開の虐待をテーマにした小説。
親族の認知症、シングルマザーの貧困、家庭内の家事・育児分担の夫婦間ギャップなど、様々な社会課題が飛びだすが、そのどれもが真摯に扱われていない。
課題はどれも主人公である3人の母親の心理を描くためのギミックであり、最終的にはご都合主義的な解決をみるか、不穏で類型的なオチのために使われている。
ヤンキー気質な母親をヒステリックな女として描き、発達障害の子の母親を達観した人格者のように描く浅薄さはどう解釈したらよいものやら。シングルマザーの母親が工場とコンビニの仕事を掛け持ちしている描写があるが、さすがに過労死するだろう労働量であることも気になる。こうした過酷な状況を経験したことがなく、あまり取材もしていない人が書いているように見えてしまう。
しかし、作者を児童文学作家と認識していた自分がもっとも異様と感じたのは、子どもの描写だ。親に復讐しようとする少年と、物わかりの良いけなげな少年が出てくるのだが、わざとらしく現実味のない人物造形で、子どもを描こうという熱意のなさに驚いてしまう。熱のこもった母親たちの感情描写と対称的だ。
また、本作では父親は徹底して「家族に対して無責任な存在」として描かれていて、たびたび母親側と対立する。無責任な父親に対する批判の姿勢はいいのだが、怖いのはその裏側に「息子を独占したがる母親」の姿が透けて見えることだ。
上野千鶴子は解説で、本作に描かれている母と息子の間の「愛」が支配欲の裏返しであることを指摘している。男性たちの態度は当然大問題だが、それだけでなく、母親の支配欲も虐待という結果につながっていると指摘した上で、「本書は警世の書となるだろう」と書いている。しかし、男性に対する批判の意図は明白であるものの、椰月がどこまで支配欲に自覚的なのかは作品からはよくわからない。素で以下のような文章を書いているようにも思える。
昔から母は、正樹のことが大好きだった。もちろん、加奈も同じように育ててはくれたが、母親というのはなによりも息子が好きなのだ。勇を育てていると本当にそう思い、母の気持ちがよくわかる。
読書メーターなどを読むと、本書には多くの母親たちの共感の声が寄せられている。たしかに母親たちの生々しい感情の動きが描かれてはいるが、だからこそ物語の行き着く先が本書のようなものでよいのかと思わざるを得なかった。
教師や児童相談所の職員を悪者にしていないところはよかったが……。