ホンのつまみぐい

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永遠の少女マンガ〜名物編集長が語る少女マンガ史〜第3回ゲスト美内すずえ&笹生那実

■少女マンガの歴史を、当事者の言葉から振り返る全3回の講義「永遠の少女マンガ~名物編集長が語る少女マンガ史」。最終回となった第3回のゲストは『ガラスの仮面』絶賛連載中の美内すずえさんと、笹生那実さんです。過去2回はインタビュー形式で進んできた講座ですが、第3回では『少女マンガの世界Ⅰ』『少女マンガの世界Ⅱ』(別冊太陽)を参照しながら、少女マンガの歴史をなぞる形で進みました。

■第1部

小長井 今日は美内すずえ先生と笹生那実さんがいらしてくださいました。また、一昨年亡くなられた和田慎二さん、三原順さん。どうしても私の気持ちに残っているお二人の追悼も含めてお話したいと思います。だから、ぼくとしてはゲストがもう二人来ているような感じです。見えないけど、二人ともどこかにいるんじゃないかなと(笑)

少女マンガの世界 1 昭和20年~37年 (別冊太陽)

少女マンガの世界 1 昭和20年~37年 (別冊太陽)

  • 発売日: 1991/07/01
  • メディア: 大型本
少女マンガの世界 2 昭和38年~64年 (別冊太陽)

少女マンガの世界 2 昭和38年~64年 (別冊太陽)

  • 発売日: 1991/10/01
  • メディア: ムック


小長井 『凸凹黒兵衛』には、白うさぎの白ちゃんという少女がでてきます。うさぎだけれど、男の子と女の子が遊んでいる。ぼくはこれが日本で最初のボーイミーツマンガじゃないかと思っています。どちらもとてもかわいくて、家族のことなど、日常のこともでてくる。とてもいいマンガだと思います

―戦後、少女マンガは貸本・赤本からスタートします。露天で売られる赤本から、貸本屋が安価に借りられる貸本へ。ここで、実際に貸本掲載歴のある美内さんに話がふられます。

美内 私は16歳(1967年)の頃に集英社別冊マーガレットでデビューしたんですが、その前後に『ゆめ No.91』という雑誌で読み切りマンガを書いています。だから、今スクリーンに映される貸本漫画を見て『懐かしい』と思っていますが、みなさんは知らないでしょうね(笑)
笹生 美内先生は貸本でマンガの修行をされたんですよね
美内 最初に貸本に投稿したら、体の線を引く際のことなど、細かいことを指導してくれた添削が返ってきたんですよ。
そこで直して集英社に持ち込んだらデビューできました。だから、アイカワ先生とおっしゃったと思うんですが、その先生にはいまだに感謝していますね

※ちなみにここで話にあがった作品は「アイ・ラブ・アニキ」(1967年)。美内先生のデビューは公式には「山の月とこだぬきと」(1967年:別冊マーガレット10月号)ですが、本作収録の「ゆめ No.91」は同年10月発行。同時期に描かれたものではとのことです。

小長井 「あんみつ姫」(1949~1954年)。お菓子の名前の人物が当時どれだけ子どもたちにとって魅力的だったか。1953年は少女向けストーリーマンガの先駆と言われる「リボンの騎士」がスタートします。

リボンの騎士 上下巻セット [限定版]

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リボンの騎士(1) (手塚治虫文庫全集)

リボンの騎士(1) (手塚治虫文庫全集)

小長井 わたなべまさこさん、この方も少女マンガの功労者です。昭和4年(1929)生まれです。

笹生 わたなべ先生は怖いマンガもよく描かれました。

美内 一人の女の子が父親が緑の真珠を見つけた「みどりの真珠」(1958~1960)がありました。南西諸島まで少女が冒険に出かける話。私が少女の頃はそんなのがたくさんありました。小長井さんは私に怪奇ロマンを進められましたね。

小長井 また、美内先生は怖いのが好きなんです。ほんとに全力で怖いんですよ。たまには書いてくださいよ。

美内 「ガラスの仮面」が終わったら…。

小長井 これが終わらない(会場笑)。わたなべ先生の「ガラスの城」(1971)という作品ですが、これは原作を提供しました。菊池幽芳の「乳姉妹」(1904)。その乳姉妹というのも、バーサ・M・クレイの「ドラソーン」という作品の翻案です。明治時代には外国の小説を翻案するのが流行った。
わたなべ先生はそういう、いいお話を換骨奪胎するのがうまかった。一人でいくら話を考えたって、最初からできるはずない。そういうところから入っていく。当時の先生はすでに練達の士でしたけどね。それから、岡本綺堂の「玉藻の前」(1918)。これは昔から日本にあった伝説で、それをもとに「青いきつね火」(1966)が出来た。陰陽師ものの最初じゃないかな。

美内 面白いですよ。栃木県那須殺生石の伝説をもとにしています。ロマンあり恋愛あり。日本ならではのお話ですね。

玉藻の前:青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card480.html


小長井 次は上田トシコさん。少女マンガの大先輩です。終戦後に満州、今の中国東北で、OL、職業婦人として働いていた。苦労されて日本に帰られた後、中国の少女をモデルにした「フイチンさん」(1957~1962)を描かれました。満州の思い出が入っていたのでしょうね。歴史を元にした楽しい傑作です。


牧美也子さんとわたなべさんがロマンチックマンガの双璧でした。楽しい内容では今村洋子さんが強くて、御三家と呼ばれていた。その3人が少女マンガの突破口を開いたと言われてますね。当時はみんなが憧れたね。

笹生 牧さんは初代リカちゃん人形のイラストも描いていますね。

マキの口笛 完全復刻版

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小長井 それから水野英子さん。

美内 私がデビューした当時の大先輩です。当時の作家で影響を受けていない人はいないくらい。

小長井 この頃に、テーマもジャンルも一変したんですよ。それまでは母子物、いじめっ子、バレエものといったものが中心だった。

美内 水野さんはギリシャ神話や北欧神話から題材をとられていました。

小長井 外国映画からも新しく題材をとってましたね。

笹生 水野先生が活躍されてから、少女誌は外国マンガばかりになったんです。

美内 それ以前は、明るく元気な女の子の話が中心で、私たちはそれにあこがれて育ってきたんですよ。水野先生の出現でそれにさらにロマンスが加わって、うっとりしながら読んでいました。

小長井 高橋真琴。少女のお手本みたいな人ですね。

美内 とにかくカラーがすごく美しいです。みんながお手本にしましたね。

笹生 当時、美内さんのところに高橋さんのカラー原画が送られてきたとか。

美内 そう、私関西で描いていたので、描き方がわからなかったんですね。そしたらある日小長井さんが浦野千賀子とさんか、高橋真琴さんのカラーを送ってくださって、感激して影の付け方を勉強したり。

小長井 高橋さんはとにかく遅いんですよね。丁寧に書くから。だからカンヅメにしたりして。本人はごっつい方なんですけど。

あこがれ―高橋真琴画集 (fukkan.com)

あこがれ―高橋真琴画集 (fukkan.com)

小長井 次はちばてつや。このころは男性が少女マンガを描いていました。少年誌と少女誌を平行して描きます。

美内 ちば先生が描いた少女は、明るく元気な子なんですけど、非常にリアリティのある明るさでした。私もちば先生の熱心な読者で、リナという作品からとって姪にリナとつけました。そのくらい、当時の作品が影響を与えてくれたんですよ。

小長井 ちば先生のまんがは少年誌も少女誌も、主人公が魅力的でしたね。子供らしい子供だけど、子供の中の理想像でした。次は永島さん、つのださん、赤塚さん。永島さんは最初、うしおそうじさんのアシスタントだったんです。その当時うしおさんの担当として知り合いました。赤塚さんはギャグマンガですが、それ以前は少女マンガを描いていた。「ひみつのアッコちゃん」も人気がありましたね。

美内 私も大好きでした。

小長井 横山光輝さん。この人も少女マンガを描いていました。ストーリーがうまい人でしたね。石森章太郎。教祖的存在ですね。少女マンガ家志望者にとっては、手塚先生のような崇敬の対象でした。強いていうと器用すぎたという感じがしますね。巴里夫。日本に一年いたときに担当しました。五年ヒバリ組。学園マンガでしたね。

美内 身近な友情ものとかがすごくよかったですね。

小長井 男性作家が少女誌に描くケースが多かったですね。今はあまりありませんが…。

少女マリ

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魔法使いサリー (講談社漫画文庫)

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龍神沼 (シリーズ・昭和の名作マンガ)

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5年ひばり組傑作選

5年ひばり組傑作選

  • 作者:巴 里夫
  • 発売日: 2016/11/18
  • メディア: コミック

小長井 矢代まさこさん。この人も教祖的というか。

美内 矢代さんは大阪で「ようこ」シリーズというのを描いていて、私捜し出して会いに行きました。先生は「どうしたものか」と思ってらしたんですが、こっちは怖いもの知らずで、「絵を描いてください」なんて言う。そうしたら原稿用紙に「ようこ」を描いてくださった。でも、後でお会いした際に話したら、先生はその時のことをすっかり忘れていらっしゃいました(笑)。

笹生 少女マンガに本当にすごい影響を与えた方なんですよ。一般の人気と、少女マンガ家を目指した方との人気がまたちょっと違うかなと。

笹生 少女マンガ家に影響を与えたという点では谷口ひとみさんのエリノア(66年)も大きいですね。谷口さんはこの1作を遺してすぐ、若くして亡くなられた作家です。

美内 雑誌で初めて読んでからずっと、ショックだった作品です。ある日マンガ家の集まりで「エリノア」の話をしたら、みんな知っていて感動した経験があった。

人魚姫みたいなお話なんですけど、素直な内容で繊細な少女の気持ちがすっと入ってくる。

小長井 美内先生のデビュー作みたいにすっと話が入ってくる。最近読んで、ぼくが知ってたらすっとんでいったのにと思いました。

笹生 当時はまだ少女マンガに偏見があった時代でしたね。

美内 私は彼女の次回作をずっと楽しみにしていたのですが、しばらく訃報が載って。すごくショックでしたね。
www.fukkan.com

小長井 次はスポーツマンガです。東京オリンピックでの女子バレーチームを描いた実話的スポーツマンガ「泣かないでもういちど」(65年)。川崎のぼるには少年ブック時代に縁があったので、描いてもらいました。「りぼん」の付録で、福井忠さんが原作です。みなさん読まれたことあります?「アタックNo.1」(68年)は、当時スポ根をやろうということで、浦野さんをくどいたんです。その後、「スマッシュをきめろ」とか「エースをねらえ」とかがでてくる。

エースをねらえ!  1 (ホーム社漫画文庫)

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小長井 「おくさまは18歳」、本村三四子さん。大胆な題名だよね。当時としちゃ。別マでは軽い恋愛ものが受けた。これが別マの柱になったんだけど、週刊に持ってかれちゃってね。

このころ、週マの黄金時代というか。「ガラスの城」と「アタックNo.1」が連載されていた。ただ、少女マンガ週刊誌はなくなりましたね。話すと長くなるけど、やっぱり女の人が毎週描くのは無理なんですね。

小長井 池田理代子。説明不要というくらいですね。「ベルサイユのばら」の前にも、「桜京」とか、いいマンガを書いてましたね。
桜京

桜京

小長井 竹宮惠子。いわゆる24年組ですね。

美内 このあたりから少年愛というのがドンとでてきましたね。かつての文学少女がそれをマンガで表現するというのがはやりました。

小長井 今までの制限を越えて多くの作品が出てきた。「風と木の詩」はその突破口となった作品ですね。

「風と木の詩」厳選複製原画集 少年の詩

「風と木の詩」厳選複製原画集 少年の詩

美内 萩尾さんは、最初は一生懸命少女マンガを描こうとしていて、「ダメだ」と思って転向して成功されましたね。「11月のギムナジウム」を読んで、そのとき「これで少女マンガ界の流れが変わるな」と思いました。大きな影響を与えた作家さんの一人です。「すごいな、ほんとにすごいな」と思ってて。すぐにファンになっちゃったんですよ。そしたら、ある日竹宮さんと同じ旅館に缶詰になって時に、そこに萩尾さんがアシスタントで来ていると聞いて。コンコンとノックして入ってみると、ゴロンとまるまった布団があったんですよ。

竹宮さんが「萩尾さ~ん」と呼んでくださったら、ボサボサ頭の、スクリーントーンや消しくずにまみれた人が出てきて。「えっ、あの作者がこれ?と」。私、萩尾さんやささやさんは実は「日本人じゃない」とまで思っていたんですよ。だからショックでしたね(笑)。

小長井 人のこといえない(笑)。缶詰の時に行くもんじゃないよ(笑)。

11月のギムナジウム (1) (小学館文庫)

11月のギムナジウム (1) (小学館文庫)

小長井 「日出処の天子」は、当時は大丈夫だろうかと思ったんですよ。非常に偉い人だから、戦前だったら無理だろうと。でも、編集者も非常にノっているし、やってみようと。そしたら大成功しちゃった。そして、これが新しい少女マンガになった。日本画の伝統を引き継いだとてもきれいな絵でした。

美内 木原さんは新人の頃、よく押し掛けて彼女の家で原稿描いたりしました。いい意味での文学少女なんですよ。彼女のネームはとても言葉の使い方がきれいです。この言葉の秘密はどこにあるのだろうと思っていたら、「これ、読めばいいよ」と梁塵秘抄を渡されました。

木原敏江 ─エレガンスの女王─

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  • 作者:木原敏江
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

大島弓子さんの作品もとてもせりふが美しくて、なぜかと思っていたらバイロンが好きと。大島さんの作品にもバイロンのようなせりふがありました。とても美しい言葉を使われていましたね。

小長井 このころからマンガは絵だけではなく、美しい凝ったせりふを使うようになっていました。マンガはふきだしだけに言葉を尽くさなくてはいけないから、とても言葉が大切で、お上品というわけではないけど、丁寧な言葉を入れなくてはいけない。少女マンガのふきだしは非常に大切なんです。

美内 「綿の国星」は画期的でしたね。猫耳もはやりましたねえ。「綿の国星」なんてタイトル、普通出てきませんよ。

小長井 この人は、編集がいじったりするより、まかしちゃったほうがいい。

美内 私は幸いあまりありませんでしたが、作家には編集側の意向で描きたいことが描けないこともある。大島さんはのびのびと描いて、すばらしい作品をたくさん発表されたという印象です。

綿の国星 1 (白泉社文庫)

綿の国星 1 (白泉社文庫)

小長井 坂田さんとか三原さんとかね。三原さんは、ほんとはちょっといじりたかったんだけどね(笑)。

坂田靖子 ふしぎの国のマンガ描き

坂田靖子 ふしぎの国のマンガ描き

  • 作者:坂田靖子
  • 発売日: 2016/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

笹生 大矢ちきさん。このあたりから、少女マンガは「ここまで描きこまなくちゃいけないのか」という感じになってきましたね。

美内 大矢さんはマンガを読んでるというより、絵をじっと見ているという感じでしたね。どんな名作もすばらしい絵もいろいろな作品をたどって生まれるんですよ。影響を栄養にしながら作っていく。そして、また私たちの作品を栄養にして作品が生まれていく。その変遷をたどってほしいなと思います。

回転木馬 (復刻漫画名作シリーズ)

回転木馬 (復刻漫画名作シリーズ)

  • 作者:大矢ちき
  • 発売日: 2011/03/03
  • メディア: 単行本

小長井 浮世絵にも子供絵という文化があるでしょう。外国の人は日本ほど子供がいきいきとしている世界はないという。また、歌舞伎や文学などの、大きな縦糸と横糸があって、マンガや文化が生まれてくる。そういうことをぜひ知ってほしいです。

美内 才能が生まれてきた時に、それを見い出してくれる編集者がいないと読者に届きません。

私は、うんと小さい頃から手塚先生のファンで、小学生の頃はマンガの内容が全部頭の中に入ってました。だから、ときたま自分の作品の中に手塚先生の芽を感じることがあるんです。

以前、田河水泡先生の記念パーティーがあって、そこで手塚先生が司会をされていました。驚いて先生にお話をうかがったら「ぼくなんかそういう立場だ」と。そして、「アトムのモデルはのらくろなんだ」と教えてくださったんですよ。

多くの作品は先人が作ってくださったものを受け継いでいます。そういった積み重ねの上に今の私たちがあることを考えると、本当に感謝の一途です。

第2部

小長井 今度は商売の話になります。ライバルの「少女フレンド」にぶつけるために、「花とゆめ」を急に月2回刊行にしました。そうしたら描いてくださるマンガ家さんが不足して「これはもはや美内と和田にがんばってもらうしかない!」となった。

1回50ページくらいの連載をぶつけようということで、1976年から月2回刊新年第1号がスタートします。そうしたら、「ガラスの仮面」も「スケバン刑事」も大成功という奇跡的なことになった。大変助かりました。和田先生はしかし一昨年急に亡くなられてしまった。とても残念です。

ガラスの仮面 (第1巻) (白泉社文庫)

ガラスの仮面 (第1巻) (白泉社文庫)

小長井 これが第1回ですね。演劇大河ロマンとうたった作品はこれまでなかったと思います。

美内 なかったですね。

小長井 でも、演劇がテーマのものは高校の時に一度描いていたんですよね。

美内 高校生の時にデビューして、一度東京に来いと言われてました。父兄同伴ということで、兄がついてきて。30ページの長編を任されました。そこで、「あなたは根性がありそうだからスポ根をやりなさい」といわれる。でも、「スポ根かあ」と思って。

その後、石坂浩二主演の「マノン・レスコウ」というのを見て、すごく感激して、すぐに編集部で「演劇描きたいです」と言ったんです。もうカットが掲載されているのにね。でも、「好きにやりなさい」といってくださった。その作品は評判もよかったんですよ。

それから「花とゆめ」に行って、お琴のマンガを描きたいなと思っていたのですが「お琴なんかだめだよ。座りっぱなしでしょう」と。そこで、「じゃあ、演劇なんかどうですか。コスチュームプレイで」。

昭和48年(62年)に映画化された「王将」の阪田三吉をモデルにしたようなマンガを描きたかったんです。昭和36年(61年)に「王将」という歌が流行り、三国連太郎さん主演で「王将」(1962)の映画ができた。それを観て、のどがカラカラするような衝撃を受けました。勧善懲悪の映画ではなく、長屋からキラキラした世界にでていくおっちゃんがすごく印象的で。それをガラスの仮面を描く時に思い出したんですね。

王将 [DVD]

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  • 発売日: 2014/07/11
  • メディア: DVD

小長井 舞台はマンガとよく似ています。小説と違って会話で成立している。だから、うまくいけばすごいものができると思った。

菊田一夫北条秀司のことをテレビでやっていて、菊田一夫は「君の名は」「鐘の鳴る丘」の脚本家なんだけど、台湾へ帰るとき、何かの都合でその飛行機を乗るのをやめたら、その飛行機が途中で墜落した。そこから「これからは死んだつもりでいい芝居を作ろう」と決意した。そういうことで、やったらやはりぴったりだったね。とにかく第1回がおもしろかった。設定がよかったんですよ。第2回のつなぎもおもしろい。

スケバン刑事」は、当時は「スケバン」という言葉が流行っていて。意味としては真逆の「スケバン」と「刑事」があわさるとおもしろいかなと。

この二人のおかげで「花とゆめ」は急に売れ出しました。講談社はその後「フレンド」をやめてしまいました。「別冊フレンド」は残りましたが。

和田さんは早く死んじゃって。本当は、ぼく怒っているんだけど、しょうがないねえ。

この人はいろいろな作品ができる人なんだよね。最初はホームドラマ的なもの、家族の愛とか。しかし、それだけだと女の人にはかなわないんじゃないか。本来、サスペンスとかホラーとか嫌いな人じゃない。そういう読み切りを経て、スケバン刑事をやったわけです。いろいろなものが描ける人でしたねえ。

しかし、太ってたからね。ステーキとか食べるの大好きで、たばこも吸って、甘いものも好きで。そのくせ運動しない。もう少し体を大事にしてくれたらねえ。反対に三原さんは何にも食べない人なんですよね。

笹生 たばこと光合成で生きてるといわれてましたね。

小長井 マンガ家さんも体に気をつけなくちゃだめですよ。女の人は体に気をつければ長生きしますからね。100歳になっても120歳になってもやってほしいと思うんですけど。

美内 和田さんは20歳、大学生の頃に「別冊マーガレット」で長編を描いてデビューされました。彼とは興味が非常に似ているんです。

小長井さんは相手が興味のあることを察するのがすごくうまくて、こちらを誘導してくれる。小長井さんが「こんなのどう?」って渡してくれたのが「モンテクリスト伯」でした。これがおもしろいのなんのって!それで、19歳の時に「燃える虹」という復讐マンガを描きました。

そうしたら、和田さんにも「モンテクリスト伯」を渡していて、彼はそれを元に「銀色の髪の亜里沙」というのを描いている。和田さんと私の嗜好するものが非常に似ていたんですね。一方、木原さんには耽美主義の小説を渡してる。

モンテ・クリスト伯 (上) (岩波少年文庫 (503))

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燃える虹 (マーガレットコミックス)

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*スクリーンに四十九日に寄せた色紙が映される。

美内 和田さんの四十九日の際に、そこに集まったマンガ家さんで作った寄せ書きです。

和田さんの祭壇は私が全部セッティングしました。お坊さんをどうしようかなと思ったときに、お坊さんの資格を持ってらっしゃる小長井さんにお経を読んでもらいました。マンガ家さんは本当におもしろい人が多くてね、みんなマイワールドを持っているんですよ。私も和田さんも水野先生大好きで、お呼びしたんですが延々とこない。ふっと15時と伝えたことを思い出して、「これは5時と思ってるな」と(笑)。

小長井さんも参加してますね。ここに「地獄でもマンガの雑誌を作るぞ、その名は花と鬼」とある。そうやって和田さんをみんなで思い出しましたね。

美内 笹生さんは毎月ファンレターをくださっていて、いつもかわいい絵が入っていて、印象に残っていたんですよ。でも、2年くらいしたら「反応がないので最後のお手紙にします」と描いた手紙が来て。「ああ~、楽しみにしてるから止めないで」とあわてて反応したり(笑)。

小長井 笹生さん、何でマンガをやめちゃったのかね。今からでも遅くないよ。

笹生 マンガ家には絵を描く力、話を作る力、一定のスピードで描く力が必要なんです。でも、マンガスクールでは最初の二つしか見抜けなかったんですよね。

*笹生さんの作品も会場に映し出されました。かわいかった!

笹生 三原さんのことは投稿時代のカットから見ていて、「なんてかわいい絵だろう」と思って、いつデビューするのか待っていました。でも、小長井さんはなかなかデビューさせませんでしたね。寸評にもお話がひとりよがりと描いてあります。

小長井 うーん、お話はそうですね。でも、彼女は絵がすごくかわいかった。これが描けるなら読者が受け入れてくれるだろうと。

笹生 最初の設定ではマックスがお風呂嫌いだったらしくて、1年に一回くらいお風呂に入りなよっていっているという。

73年に三日月会にゲストとして三原さんが来たので、その当時は会うとよく絵を描いてもらっていました。はみだしっ子発表前の絵です。そのころ絵に描かれた4人組は成長した姿でした。幼い頃の話はそんなに考えていなかったけれど、雑誌で連載して人気が出て、どんどんストーリーが生まれていったそうです。

※三日月会
マンガ家鈴木光明さんが作った研究会。くらもちふさこ槇村さとる名香智子など後に活躍する作家を輩出する。ゲストの笹生さんも参加。鈴木さんが関東圏のめぼしい人に手紙を送って三日月会に勧誘していた。

笹生 小長井さん、「Die Energie 5.2☆11.8」というタイトルはどうですか?

小長井 いや、なんのマンガだかわからないよね。三原さんが原発のことにこんなに関心があったとは知らなかったけど。三原さんの考えを象徴するのは、60何ページの言葉。ここに彼女の信念、感情が出ているんですよね。主人公の青年が、子供の時の思い出を語るところです。


”人間とはそうした者たちなのだ--
世界を引き裂き自分の内に吸収し
その犠牲の上に生き 富み 成長する
世界を養い親として--”


人間の横暴さというか。三原さんは幼いもの、弱いものに対する限りない愛情というか、憐憫を強く持っている人でした。それが「はみだしっ子」にも出ています。それが原発問題に結びついたのだと思います。多くの日本人が外国のどっかの話としか思ってない頃だね。

笹生 チェルノブイリ以前、スリーマイルの事故の後ですね。

小長井 当時の識者や作家の中に、この問題について書いていたのかなあ。一マンガ家として、弱いもの、小さいものに対する気持ちをよく伝えている。

美内 今だから、やっとわかる作品ですよね。それを82年に描いたというのがすごい。時代を先取りしていたということですよね。

小長井 人類に対する警鐘ですよね。このままいけば、必ず自然からの復讐があると思いますよ。そういう特別な神経を持っていた人だと思いますね。

笹生 「私のアベルへ」これは今簡単に読めないんですよ。それからパース教室の説明。すごく緻密なパースを描いてらっしゃる。それを受け止めるアシスタントさんも、指示する三原さんもすごいです。

三原順復刊運動について
現在は白泉社文庫でほぼ全作を読むことができる三原順作品ですが、亡くなってからしばらくは作品が手に入れづらくなっていたそうです。
そこで、笹生さんと有志の方々が「三原順作品刊行を求める会」を設立。復刊に向けて原画展や同人誌の発行、署名の提出など、草の根で活動を続けてくださったことが現在の状況に繋がっています。

笹生 きっかけは三原さんとつきあいのあった方と追悼誌「三原順さん追悼誌 M」を作ったことです。そうしたら、どっと通販申し込みの手紙が来た。その上、申し込みの手紙の中に便せん10枚にも渡る手紙が入っていたりするんです。これは私一人で抱えてはいけないと思い、原画展や復刊のための活動を始めました。COMITIA 46で原画展をやったり、ニフティーフォーラム「三原順会議室」で知り合った方と原画展をやったり。

総特集 三原順  少女マンガ界のはみだしっ子

総特集 三原順 少女マンガ界のはみだしっ子

  • 作者:三原 順
  • 発売日: 2015/04/08
  • メディア: 単行本
三原順傑作選 (’70s) (白泉社文庫)

三原順傑作選 (’70s) (白泉社文庫)

  • 作者:三原 順
  • 発売日: 1998/09/01
  • メディア: 文庫
三原順作品集 LAST PIECE (白泉社文庫 み 2-20)

三原順作品集 LAST PIECE (白泉社文庫 み 2-20)

  • 作者:三原順
  • 発売日: 2015/03/13
  • メディア: 文庫
「Die Energie 5.2☆11.8」は「三原順傑作選 '70S」。「私のアベルへ」は、このイベントからしばらくして発行された「三原順作品集 LAST PIECE」に収録されました。

質疑応答

Q 和田先生の「ピグマリオ」は、ほかの作品と並行して連載されていて、「ピグマリオ」の連載が止まることがあった。どうしてそうなったのでしょうか?

小長井 ほんとは両方描かせたいんですよね。でも、そうもいかなくて……。

美内 これはね、その当時彼から愚痴を聞いてたんですが、「ピグマリオ」私も好きで、彼もずっと描きたかったんです。でも、「これは人気投票とれない」っていわれてて、「よそで描いてくれ」といわれてたんです。で、「スケバン刑事」で当てて、描く機会を得た。「ピグマリオ」が当たらなかったら、引き替えに「スケバン刑事」の2を描くといったんですよ。でも、当たらなかった!そこで結局2を描いてましたけど。でも、「ピグマリオ」が大好きというひとがいっぱいいて、そういうお話を聞くと、「ガンさんよかったね~」と思います。

Q 今の少女漫画は表現の幅が狭まっているのではないかと思うのですが。

小長井 それはね、知りません。ぼくは広がっていってほしいですが、白泉社はぼくの私物じゃないからね。ぼくはいろんなテーマで描いてほしいと思うけど。でも、あまり狭いテーマというか、細かいところをほじくるような作品はどうかと思うなあ。

Q 三原さんはこれが直系というか、影響を受けた作家というのが浮かびずらいと思うのですが、影響を受けた作家などもしわかりましたら。

笹生 直系というのはわからないんですけど、投稿作は当時の少女漫画の絵ですよね。でも、雑誌は青年誌も少女誌も、少年誌もすべて読んでいるといっていました。

Q 編集者をやっていていちばんうれしかったことは?

小長井 ガラスの仮面スケバン刑事のヒットですね。

Q 一度和田先生と美内先生の合作がありました。これはどうやって描かれたのでしょうか。

美内
 (ちょっとここはメモがとれていないのですが、ほぼ和田先生が主導で描かれて、後で美内先生がキャラクターを入れる方法と取ったそうです。そうしたら、ラストで死刑になる犯人は美内先生モチーフで、「コノヤロ~~」と思ったとおっしゃっていました)
ガラスの仮面は最初50巻はいかないだろう、いっても42~43巻だろう、と思ってたんですが……。でもラストシーンは決まっているんですよ。

小長井 いよいよおもしろくなりましたね。みんな買ってちょうだいね(笑)
hontuma4262.hatenablog.com
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追記:笹生さんがアシスタント時代のことをマンガ化した書下ろしが発売されました!
かつて矢代まさこさんが仕事場に訪れた美内さんに優しく対応していたから、美内さんも笹生さんを優しく迎え入れたのかもしれませんね。

matogrosso.jp