ホンのつまみぐい

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歌うシャイロック@池袋サンシャイン劇場

 ユダヤの金貸しを悪役に据えたシェイクスピアの『ヴェニスの商人』を下敷きに、差別され、故郷を追われる人々の悲哀を描く音楽劇。


 ちょっと知識のある人なら、金貸しシャイロック視点の物語というのが観る前から予想できるだろう。


 かつて劇団四季が台本を一切変えずにシャイロックの悲劇としてこの物語を演出したと聞いたことがあるが、今回はかなり物語に枝葉を加えている。

 

※以下ネタバレ


 シャイロックの娘のジェシカがキリスト教徒のロレンツォと駆け落ちするというのは原作にもあるようだが、2人の顛末を変えることで民族差別の可視化を試みている。


 シャイロックの財産を持ち出して遠い地で暮らそうとする2人だが、金を手にしたロレンツォはジェシカを虐げ、悲嘆に暮れたジェシカは発狂してしまう。


 気のふれたジェシカを見て、自分たちを虐げたキリスト教社会への復讐心を燃やすシャイロックだが、裁判によってヴェニスを追われ、ジェシカを荷車に背負いながら故郷を出立する。


 相思相愛の恋人同士だったはずのロレンツォが堕落し、勢いに任せてジェシカのことを「汚れたユダヤ人を救い出してやった」と罵倒する場面や、裁判の結果に怒るシャイロックが「祖父の代からこの土地に住み、働き、娘はいつか伴侶を持ち、またここで暮らしていく…」と、踏み躙られた過去と未来を語りながら慟哭する場面は差別の本質を突きつける細部と強度があってよかったが、全体的にはもう少しなんとかなったやろ!という出来だった。


 エンタメとしての不満点は音楽劇としての芯のなさ。いろいろなミュージカルのそれっぽい曲を集めて作ったという感じで、音楽に統一感がないし、印象に残る曲もなかった。これならストリートプレイのほうがよかったのでは。


 一幕の大げさなギャグがことごとく笑えなかったのも、民族差別がテーマなのにあからさまな“原住民”の意匠をギャグに使っていたのもキツかった。二幕からのギャグは違和感なく笑えたのだけど、役者のほうが何か変えてきていたのだろうか。


 「偽りの自信を得ると吃音が治るが、なくなると再びどもってしまう」というロレンツォの人物描写も危うかったと思う。古い物語の一部として描くならともかく、現代社会に課題を突きつける種類の物語にしていたので。どもりや高齢独身女性を笑う演出は作り手の差別心の反映というより差別者の可視化がねらいなのだろうけど、処理がうまくない。


 差別により捻じ曲げられる法というのがテーマのひとつなのに観客に説明しきれていなかったことが最大の不満点かもしれない。シャイロックの要求自体が無法なので、どうしてもポーシャの機転が輝かしいものに見えてしまう。裁判の過程にしっかり怒りや苦味を感じられる細部が欲しかった。


 ポーシャとジェシカに家父長制に縛られる苦しみを語らせているけど、その有害性を突き詰めて考えられていないところも、「悪い人じゃないけど、あんまりわかってないおじさん」と話している時のようなトホホ感があった。「いつか世界は変わる〜」みたいな呑気な歌はちょっとね……。

 

 アントーニオが同性愛者らしきふるまいをしていたり、メイドが女装男性で執事が男装女性だったり、多様な立場の他者に対する共感は感じるのだけど、詰めが甘いというか。


 でもまあ、先に挙げた岸谷五朗の場面とか、真琴つばさ福井晶一のコントとか、故郷を追われる人々の姿をウクライナ侵略戦争に重ねる演出とか、楽しい場面、グッとくる瞬間もあったし損した気分にはならなかった。この、「気に食わない部分はあるけど、とりあえずちゃんとお腹は膨れる」感じが商業演劇の強さなのだろうかとも思う。


 岸谷五朗の服装が完全に『じゃりン子チエ』のテツだったのがはるき悦巳ファンとしてうれしかった。顔も見事に四角いので、テツが実写になったらあんな感じだろうかと想像してニコニコしていた。