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そりゃみんな好きになるわと思った女子プロレス観戦「STARDOM in KORAKUEN 2024 Feb.2」

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 やっと女子プロレスを観た。

 なぜやっとなのかというと、私がこれまで接してきたさまざまな文化が、しばしばプロレスと交差していたからだ。

 梶原一騎とプロレスは切り離せない深い縁があるし、ノンフィクションではプロレスは人気の題材だ。

 ももいろクローバーZアップアップガールズ(仮)もリングの上でライブをやらされていたし、ミスiD開催時に唯一写真を買った伊藤麻希は今東京女子プロレスで活躍している。(ももクロ、アプガそれぞれもっと濃い縁があると思いますが、あんまりくわしくないので言い切れる範囲で)

 で、この間アイドルオタクの人に「ドルオタ辞めた人たちは何のオタクをやってるんですか」と聞いたら、二人が「プロレスとか〇〇とか」と答えていた。

 ヒップホップの人たちもプロレス好きな人が多い印象だし、こういうまとめて「サブカル」という箱に入れられるような文化とプロレスの間には、きっと何か通ずるものがあるに違いない。

 で、観て思った。「そりゃみんな好きになるわ」と。

 今回の観戦のきっかけはストリップが縁で知り合ったMさんだった。女子プロレス団体スターダムに大はまり中のMさんが「アテンドしたい」と申し入れてくれたのだ。後楽園ホールにストリップ好きの女性が大勢集合。

 土曜日昼からの興行。タッグマッチとシングルマッチをあわせて16試合。

 まず驚いたのは、身体的負荷が想像以上に大きいことだ。映像では何度かプロレスを観ていたけれど、現場にいて驚くのはリングにたたきつけられる際の音の大きさ。ドーン!バーン!という音の大きさと振動が、全身のダメージを想像させる。

 跳び蹴りもガッツリ頭に当たるし、歯ぁ飛びません? ボクサーにおけるパンチドランカー的なものはないのか? いや、ないはずないな。サイプレス上野がよくプロレスラーに対して敬意の言葉を述べているけど、そりゃこんな技を受けて立ち上がるってだけでリスペクトの対象になりますわ。

 そして、少し見慣れてから驚くのがその複雑な快楽の構造だ。たとえば、柔道なら、快楽の終点は技が決まった瞬間だ。両者とも相手に技を決めさせないために全力を尽くし、自身が技をかけるために必死で相手を崩そうとする。技が決まるまでの攻防や緊張にはわかりやすい快楽はなく、技が決まった瞬間が快楽の頂点と言える。しかし、柔道では一度も華々しく技が決まらないまま、試合が終わることは珍しくない。

 対して、プロレスでは技が試合の間に何度も決まる。

 そもそも、プロレスの大技と言われるような、ポールの上から相手に飛びかかるような技や、抱え上げた相手を思い切りリングに叩きつけるような技は、相手の協力なくして成立しない。だから、試合中にしばしば「相手が技をかけるのを待つ時間」が生まれる。
 逃げればいいのに、なぜ技を受けるのか? 下手に逃げるとお互いがケガをするという面ももちろんあるけれど、基本的にはプロレスが興行であり、エンターテイメントだからだろう。プロレスでは予定調和の快楽を、戦う側も観ている側も求めている。
 しかし、一方で現場で強く感じたのは、ただ技が決まる姿をレスラーも観客も求めていないという事実だ。レスラーがやりたいのも観客が観たいのも稽古の再現ではない。皆が求めているのは過程の豊かさを経ての予定調和なのである。
 ここでヒールという存在の意義も同時に理解できた。
 ヒールはともすればシンプルな格闘の連続になりかねないリングに破調をもたらす。その破調は笑いの形を取ることもあるし、反則技を使っての逆転のこともある。
 会場と相手の空気を読み取り、アイデアと身体で試合の流れに破調を生み、過程の豊かさを演出する。あまりにも知的で大切。なるほど、ヒールとベビーフェイスという形式が固定化されるのもよくわかる。
 協働的な営みであるにも関わらず、勝者敗者の存在する戦いでもある。セッションであり、スポーツでもある。フリージャズのセッション、MCラップバトル、ストリートダンスバトル……。さまざまな分野で観てきたしのぎあいの姿を思い出した。

 また、違った意味で印象的だったのが試合後のマイクパフォーマンスだ。
 だいたい「○○と戦えてよかった」「今度はやってやるぜ」といったタンカを各人が叫んでいく。この極めて演出過剰な時間に、プロレスの強みがあるように思った。
 誰と誰が戦うかはドラマの想像において極めて重要な要素だが、ブッキングは基本的に運営の仕事であり、レスラーが直接介入する部分ではないだろう。運営に与えられたお膳立てを、どうやってドラマに還元していくかがレスラーの仕事で、そこでマイクパフォーマンスが極めて重要な役割を果たしている。
 マイクを一本挟むことで、過去の試合と今の試合が繋がり、次の試合への布石になる。文脈が幹のように太くなっていくから、たくさん観て、知っている人の方がひとつの試合にのめり込める。
 もちろんこうした文脈はありとあらゆるエンタメやスポーツに企まずして存在するものだが、それを人工的に作り上げていく手際に驚いた。
 そして、具体的に何を話していたかは若干ぼんやりしているのだが、観ていて強く感じたのは、このマイクパフォーマンスでの言葉がレスラーたちの自己像の形成と深く関わっているという点である。
 マイクパフォーマンスでレスラーたちは、自分を大きく見せる言葉を使いながら、自身の試合に対する向きあい方を大勢の前でプレゼンする。
 それらの言葉はあくまでリングの中のキャラクターのためのものだが、その言葉に説得力を与えるためには、中の人はキャラクターを支えるための強固な自己像を持たなくてはいけない。それは単純な身体的強さと、それを生み出すための日々の練習でもあるだろうし、魅力的なキャラクターを演じるための精神的強さでもあるだろう。
 思わずヒップホップのパンチラインが頭の中で流れた。

「役作りじゃなくてこれは生き様」BAD HOP / Kawasaki Drift

「言葉通り生きられないけれど、言葉に近づくよう生きなさいでしょう?」サイプレス上野とロベルト吉野 / マイク中毒 pt.3 逆 feat. STERUSS

 そうだよな。人前に立った時に発する言葉の責任に支えられて、自分の生き方や姿が形作られていくんだよな……。そして、観客はその言葉に追いつこうとする姿を見てぐっときたり励まされたりするんだよな。うん、アイドルでもさんざん見たな。これは、みんな好きになるに決まってるやつだ。
 しかし、これが毎試合の演出の中に組み込まれているという構造がヤバい。やる方は大変だけど、客にとっては中毒性がめちゃくちゃ高そう。
 ドルオタやラッパーにプロレス好きが多い理由がよくわかった。文脈とキャラクターと生き様の過剰投入。サブカルチャーにおける快楽の幕の内弁当みたいなもんだ。深く納得したし、単純に楽しかった。
 ほかには、口が悪くてもいいところが気持ちよかった。「ふざけんなよ」「クソ野郎」なんて言葉遣いで喜ばれる職業なかなかないのでうらやましい。あとは、衣装が派手なので、自分も派手な服を着たくなる。

 私も腹筋を割らなくてはいけない。

 

2024年2月17日 『STARDOM in KORAKUEN 2024 Feb.2』 – スターダム✪STARDOM (wwr-stardom.com)※公式の試合レポ

 

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 Mさんが推しのスターライト・キッドのために作ったスケッチブックを撮影させてもらいました。

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