ホンのつまみぐい

誤字脱字・事実誤認など遠慮なくご指摘ください。

化学反応とはこういうことだ、アイドルとヒップホップの融合の正解 /lyrical school MY DATE ON NOV.

音源が好きで、現場が楽しいのも知っていたけど、何となく行きそびれていて、3年ぶりになったlyrical school現場。

そして、自分が最後に観た頃のメンバーがminanちゃんしかいなくて、ライムベリーで観たきりだったhimeちゃんがいるlyrical school

リリスクはラップ×アイドルというコンセプトで7年前から活動していて、曲もライブも評価が高いグループだったけど、2017年2月にメンバーが3人卒業。前述の二人のみが残されるという大きな変化に見舞われていた。

だけど、4月に新メンバー3人を迎えてからのここ1・2ヶ月のライブはとにかく評判が良かったし、My dateというタイトルの3ヶ月連続対バンのブッキングも気が利いていた。

9月 Maison book girl×フィロソフィーのダンス
10月 Enjoy Music Club×アナ×思い出野郎Aチーム
11月  SUSHIBOYS×サイプレス上野とロベルト吉野×Young Hastle

そして、今やフロントマン的な存在感を見せるようになっていたhimeちゃんはヒップホップの現場に行きまくっていたし、自分が何に惹かれているのか、何を理想としているのかをどんどん率直に言葉にするようになっていた。

 

 

VISIONの場所がわかりづらくてSUSHIBOYSの途中から。当然リリスクのオタクが一番多いのだけど、フロアで踊りまくったり、後ろでのんびり観てたりと、立ち振る舞い見た感じヒップホップオタクっぽい人も少なくない印象。

SUSHIBOYS

PVがバズってweb販売EP500枚即完、ナード系ラッパーの新星になっているSUSHIBOYS。

今風のトラックにタイトなラップと、3人それぞれの立ち振る舞いの軽快さのバランスが心地よくて、ゆるいんだけど退屈させない。

歌ってることは段ボールがどうとかママチャリがどうとかなんだけど、合間のMCの「俺たちがここに赤道を運んでるんだよ-」「3人でスシハウスに住んでるんだけど」「タイヤに釘が刺さってた時の気持ちを歌にした」とか、キャラクター性の高いMCに、途中でぐるぐるまわったりするふざけたステージングがばっちりハマってる。

スチャダラパーとKICK THE KAN CREWを足して二で割って、ちょっとあざとく、でもさっぱりさせた感じ。衣装はおしゃれなスーパーマリオとも呼べるコミカルさで、たぶん誰でもとっつきやすい。

これは売れるなー。観た人みんな楽しくなっちゃうタイプのライブだし、NHKでも深夜のクラブでもフェスでも出て行けるタイプの世界観。

音を重ねすぎないトラックが多いのも、笑いながら聴くのにいいと思う。

思ったよりも

思ったよりも

  • SUSHIBOYS
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥200
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サイプレス上野とロベルト吉野

DJルーティーンからロベルト吉野からのシャウトでスタート。

アセ・ツラ・キツイスメル、ぶっかます、よっしゃっしゃす〆、サ上とロ吉というアゲ曲ルーティーンから、スクラッチで童謡演奏。ベイスターズタオルを掲げる客いじりに、ロベルト吉野の手打ちでのヒップホップクラシック演奏(新しい機材らしいけど、何という機材なのか聞き取れなかった)。レコードを差し替えまくって投げ捨てながら、そのトラックの上でフリースタイルと情報量が多い!

プリンス・オブ・ヨコハマはハードロックの上でシャウト。攻撃的なシャウトにVISIONの点滅照明が合わさって雷のようで、それまでのハッピーな空気が一転してフロアが完全に固まっていたのを、サイプレス上野が「なんか寂しくなっちゃってるね」と言ってたのがちょっと面白かった。

ライブ中盤にDJパフォーマンスを多めにとって、MCではちょいちょいヒップホップについて説明する教育的な内容。ただ、この構成だと曲間が切れてしまうので、個人的にはもっとがっつり曲をつなげて聴きたいし、音に乗っていきたい。

でも、上サイン(曲名です)の前に「ヒップホップでは自分の所属している場所を示すためにハンドサインを使うんだけど、このLAっていうハンドサインを俺たちはLAWSONって意味で使ってたのね」と楽しそうに話す姿からは、ヒップホップに対する愛情とそれを目の前に人と共有したいという感情がにじみでていて、そういう思想や生き様が反映された部分をあれこれ言えないよなとも思う。

最後の「WHAT’S GOOD調子はどう?」で少し空を見上げるところや、コーレスで「SUSHIBOYS WHAT’S GOOD」「lyricalSchool WHAT’S GOOD」「ヤンハス WHAT’S GOOD」と、その日の演者の名前をあげていたところに何だかグッときた。

WHAT'S GOOD

WHAT'S GOOD

  • provided courtesy of iTunes

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Young Hastle

ヤンハス、絶対アイドルオタクにめちゃくちゃ愛されるだろうな……と思っていたら、案の定というか思った以上。

名ガイドブック「このマンガがすごい! comics 日ポン語ラップの美ー子ちゃん (このマンガがすごい!Comics)」をものした服部昇大によると、Young Hastleの曲は「そのまんま言う」系ラップに分類される。

「酔ってる」
「バイトしない」
「飯はなるべく一緒に喰う」

「毎日仲間と酒呑んで遊ぶのが尊い」という歌、完全にアイドルオタクの思想。しかも、単純だからこそコーレスがめちゃくちゃ入れやすい。ばっちり盛りあがってたし、途中で出てきたK-YOの違和感も含めて猥雑さとコミカルさのブレンドが面白かった。

最後の方で「今日誕生日近い女の子いる?」と聞いてハッピーバースデーを歌ったり、Tシャツをその子に向かって投げて「ヤンハ臭がするよ~~」と言ってたのも、それを受け取った子が「いいにおい!ほんとに~!」と言ってたのも最高にばかばかしくてよかった。

ヤンハスはもっとアイドルオタクと絡んだ方が絶対いい。リリスクのオタクはちゃんとした人が多そうだから、もうちょっと頭のおかしいオタクがいる現場だともっと盛りあがりそう。

飯はなるべく一緒に食う (feat. KOWICHI & TY¥ SIGN)

飯はなるべく一緒に食う (feat. KOWICHI & TY¥ SIGN)

  • DJ TY-KOH & YOUNG HASTLE
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
Forever Living Young

Forever Living Young

 

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YOUNG HASTLE / Forever Living Young - Words & Sounds

始まる前は面白ラッパー対バンなのかなと思っていたけど、振り返ると「観てると笑顔になる」「コーレスが入れやすい」「サービス精神旺盛」という意味で、結果的にアイドル性の高いラッパーを組んだ感じ。

なるほどアイドル対バンだなーなんて思っていると、リリスクはサ上とロ吉のGET READYを出囃子にして登場。

lyrical school

ちょっと記憶があいまいなのだけど、最初は全員黒いジャージで登場して、途中からそれを脱いだり前を開けたりしていたのかな。Tシャツの子も言れば、ジャージを着たままの子、そして、ヘソ出しタンクトップの子もいて(himeちゃ~~ん!)いる。

このスポーティーな、衣装とも言えないような服装が今のリリスクにとてもあっていた。

ダンスをやめて、それぞれが好き勝手にステージの上を動き回るようになったという話は聞いていたけど、そのおかげで小さくないVISIONのステージが広く使えている。

ステージ端でフロアに手を振ったり、中央でくるくる回ってポーズを決めたり、メンバーそれぞれが自分の好きなように、そして自分がかっこよく可愛く見えるように動いている。

縦横無尽に動くメンバーの中で、一人だけ肩の力を抜いて歩き回り、歌パートを決めていくminanちゃんが独特の存在感を放っていて、これは観たことないものを観ているぞという感じがハンパなかった。

himeちゃんがインタビューで名前を出していたKANDYTOWNのように、うろつき感はヒップホップ的なんだけど、好き勝手に動き回る女の子たちがもたらす可愛さの迫力をフロアが受け止めて返す感じはいい意味でアイドル的。

私はアイドルがヒップホップっぽいことをやることに特に価値を見いだしていなくて、むしろ「媚びる必要ないのに」と思う方だけど、今のリリスクのヒップホップぽさは正しい。「音楽にあわせて好き勝手に動くのは楽しい」というクラブミュージックの根幹を、演者が客にプレゼンできているからだ。

セカンドまではけっこう聴いていたのに知ってる曲が最後2曲しかかからなくて驚いたけど、被せと勘違いするくらいどの歌もちゃんと歌いこなせていて「ああ、もう完全に違うグループなんだ」と思う。

ノンMCで9曲やりきって終了。フロアはすっかりはしゃぎ疲れて汗だくのオタクでいっぱい。

最後の全員集合で、サイプレス上野が「同じラッパーとしてすばらしいと思った」。ヤンハスが「今度はfeatさせて」と言っていたけど社交辞令じゃない。このリリスクだからこそ、ラッパーと対バンすることに意味があったのだと思う。

それはそれとして、曲が「ヒップホップという枠の中のいい曲」になっている物足りさはあるのだけど……。補足:トラックがちょっと古いのと、歌詞に新鮮さがないのがもったいないなと。(tofubeatsとか、brand new dayにおけるLITTLEくらいいい詞があればOK)

ライムベリーワンマンのステージで「ラップに人生を捧げます」と語り、そのライムベリーを理不尽な形で脱退することになった時に、「ラップというよりライムベリーに一生を捧げていたんだと今になってすごく実感しています。」と書いていたhimeちゃん。

彼女がキーパーソンになって、自分が愛する音楽をアイドルというフィールドに落とし込んでライブを作っている姿はめちゃくちゃかっこよかった。化学反応とはこういうことだ。

つれてってよ/CALL ME TIGHT 【通常盤】

つれてってよ/CALL ME TIGHT 【通常盤】

 

 

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クワトロの柱も世界の一部に変えてはばたくamiinA Wonder Traveller!!! act.6 @渋谷CLUB QUATTRO

オタ卒しても絶対行きたいイベントWonder Traveller!!! のact.6。

しかし、会場は渋谷クラブクワトロ。個人的にあまりいい思い出のない箱だ。

クワトロ左手の大きな柱の邪魔くささについては多くの人が言及していると思うけど、万引き被害に悩まされた元書店員としては、ブックオフの上にあるというのも気持ちが乗らないポイント。すぐに日常に引き戻されてしまうのだ。

とはいえ、amiinAならクワトロも「いい思い出のある箱」にしてくれるかもしれないと、期待を持って会場へ。

この日もチケットはソールドアウト。ケータリングのカレーを食べながらフロアへ急ぐ。

中に入ると、あの忌々しい柱に白いネットと電飾が。なんと柱を白い巨木に見立てていたのだ。すばらしい。思わず拍手したくなるセンスの良さ。

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長丁場のイベントなので、ソールドとはいえさすがにフロアがパンパンとは言えないなか、一番手は3776。会場下手の隅に立って開演待ち。

毎度のナガセさんのナレーションから3776登場。

オープニングアクトは「3.11」(曲名です)1曲という攻めの選曲。

気合いの入ったちよのちゃんにテンションがあがるけど、音が悪くてそっちに驚く。どうやら下手側はちょうどスピーカーの横手に当たる部分で、音を期待してはいけない場所らしい。いや、こりゃダメだな。遠目で見ようと思ってたけどしゃあないと覚悟してフロアに降りる。
音はともかくちよのちゃんは元気いっぱいで、この日はロックっぽい歌い方が力強い。踊り終わりに、ふっと一瞬身体の緊張をほどき、力を抜く瞬間があったが、そのポージングがだらしなく見えず、むしろはかなく見えた。

LUCKY TAPES
金管・エレキ・キーボード・ドラム・男女ボーカルと、ゴージャスだけどいい意味で軽くて踊れる音。モテそうなビジュアルの人がモテそうな曲をやっているという感じで華やかだった。でも、軽い曲だけでなく、ドラムでガチッと閉める曲もあって楽しく聴けた。終わったあとに「あと一時間でも聴けるわ~」という人がいたけれど、わかる。

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ヤなことそっとミュート

運営の手際の良さをたびたび耳にする「ヤなことそっとミュート」。
最初はマイクの音量がオケに負けていて不安になったけれど、途中からあまり気にならなくなった。調節したのかな。
動くとマントのように見える白いポンチョに黒髪4人というビジュアルがアニメっぽい。シャープでナード受けするビジュアルにエモ寄りのロック。ダンスも揃っていて、なるほど人気出るのもわかる感じ。ただ、曲調がどれも似ていて、ちょっと耳が退屈だった。

フロアはモッシュ・圧縮発生しまくりで、一緒にはしゃげたら楽しそう。そういえばロックアイドルの現場ってこんなんだったわと再確認。

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BiS

復活BiSは3ヶ月前の新メンバー加入直後のリリイベぶり。こっちもモッシュ・圧縮・WOD発生で何だか懐かしい気分に。

ライブから受ける印象は「運動会」。振り付け自体は単純だけれど、とにかく7人が走り回ってポジショニングを変えていくことで迫力を出していく。なるほど、「全然面白くない」と「めっちゃアツい」という感想にわかれるのが理解できる。衣装をサーカスっぽくすることで、メンバーのガチャガチャ感を世界観として利用しているのもうまい。

「WACKは疲れるのでもういいや」という気持ちなので、びっくりするくらいフラットに見てしまったけど、プー・ルイとサキちゃんが楽しそうでよかった。BiS加入当初からずっと自分を模索し続けていたカミヤサキが、アイドルとしては異形といってもいい真っ黄色坊主頭で、あれだけいきいきと活動しているのは肯定せざるを得ない。

音楽性とフロアの空気が似ているグループを続けて観て、自分がロックではしゃぐ力をすっかり無くしていることを実感。My Ixxxも、昔は振り付け全部覚えてたのに身体が動かなかったな。いや、もともとBiSが好きだっただけで、ロックにはなじんでなかったのかな。

ロック×アイドルというのは共通しているけど、ヤナミューはアニソンっぽいと思ったのにBiSをそう感じることはなかったのが面白かった。何を持ってそう判断しているのか自分でもよくわからない。

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休憩時間の間にきゅうりを購入。しかし、靴があわなくて足がだいぶくたびれてきた。
Wonder Traveller!!!の休憩は1時間と長めに取ってあるけれど、これは単なるインターミッションではない。休憩時間にもフロアに少女が降り立つのだ。

 

過去2回は963が登場していたこの時間。この日のアクトは井手ちよの

かつての963と同じように、ステージではなくフロアに走り込むちよの姫。

小さな身体に、黒ベースのジャケットとミニスカートという、3776の時よりシャープな衣装。オン眉にさらっとした黒髪ロングという日本人形的な風情が美しい。

フロアを縦横に突っ切りながら歌い、集まったオタクの壁を割っていく。

クワトロはフロアが階段3段分くらい凹んでいて、左手、右手、中央にそれぞれフロアに降りる入り口がある。縦横無尽に走り回りながら、時折階段手前でポーズを取るちよのちゃんが美しすぎた。

バレエをやっているだけあって所作が優美なのはもちろんだけど、ポーズを取った瞬間にふっと表情も変わり、走り回っていた頃の子供らしさが消えて、精悍さが加わるのだ。

軽快でちょっとやり手のおばさんっぽいMCを始めるごと、フロア全体がかがむ様子も壮観で、前を通り過ぎるたびに心の底から井手ちよのに手を振ってしまった。

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NETWORKS

ある意味この日一番の感動だったNETWORKS!

変拍子ミニマルというレッテルを貼られていたが、聴いてみるとミニマルという言葉の持つ単調さはなく、シンプルなのにめちゃくちゃ踊れる。

一定のテンポで繰り返される音に、だんだんと感情が乗っていって、最後にバーンと解放されるという構成の曲が多く、そのバーンッで、聴いているこちらも解放されたような気持ちになれてとても気持ちよかった。

MCでの「えー、一般的なことを言うと、CDはあります」というちょっとひょうひょうとした感じも、最後の曲で目をつぶりながら笑顔になるのをこらえきれない感じでドラムを力強く叩く様子も、とても魅力的だった。また別の現場で聴いてみたい。

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sora tob sakana

体力的な問題で集中力が切れていたので、この日のライブを語る資格はないかも……。

何となく物足りなく感じたのはなぜかと思ったら、VJのないオサカナは初めてだったからかもしれない。音もあまりよくなかったと思うし。

ただ、メンバーの気合いは表情から感じ取れていたので、フェアな感想はきちんと観ていた人にゆずりたいと思う。

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東京女子流

赤いロングドレスという大人っぽい衣装で登場。

ロック調のアイドルが中心のこの日、唯一のR&B、クラブミュージックツールのアイドルだ。ライブ始まってすぐに、女子流のダンスがほかのグループと違うのがわかる。女子流はゆっくりとした動きをきちんと魅せることが出来るのだ。

ポジションチェンジで走り回って疾走感を出そうとする他グループと違い、合間の動きも優美に魅せる。首を後ろにそらせる動作や振り向く動作がいちいち美しくて、黒髪がふわっとたなびく場面がとても映える。当然歌も安定していて、もっと腰を据えてゆっくり観たいと思えるライブ。

MCでの皆さん「〇〇(詳細忘れた)な恋をしてますか?」という振りから「〇〇な恋を私たちがトロピカルハウスとEDMで表現します!」という律儀なMCにちょっと笑ってしまった。そういえば、演者個人が思いっきり感情を表に出すことでエモーションにつなげることの多いライブアイドル界において、「楽曲の世界を表現する」ことをちゃんと意識しているグループって意外と少ないかも。

あと、中江ちゃんだけボブになっていて「中江ちゃーん!」と思った。(特に意味はないです)12月15日のサ上と中江復活観たかった……。(仕事の呑み……)

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amiinA

さて、満を持して登場のamiinAは新衣装。

透明ビニール素材にふわふわの毛皮がついた衣装は今までよりちょっぴりファンタジー調。amiちゃんはいつも通りの不敵な表情で、miyuちゃんは笑うと目がなくなるあの笑顔。

たった二人だけのステージだけど、手足を限界まで広げる力強いダンスが見事で、物足りなさを感じさせない。

MCでは「緊張すると衣装の毛皮のところをさわってしまうから、そのうちふわふわじゃなくなっちゃうかも」という話。何となくはしゃいでいる感じが伝わってほほえましい。

この日は久々にmonochromeを観ることが出来た。「鏡に映るこの姿『本当なの自分?』」という歌い出しのこの歌で、いったんステージが暗くなり、中央に立つ女の子ふたりにピンスポットが当たる。それまでの躍動感と違った緊張感の美しさ。

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amiちゃんとmiinaちゃんのコンビでの最後の披露の印象が強い曲だけれど、ちょっと大人っぽくなったamiちゃんとmiyuちゃんがやると、凜とした美しさが際立っていた。

MCでは、いつものほのぼのした会話に続いて、初ワンマンの告知。会場・日時は決まっていないらしいけれど、来年やることだけは間違いないそう。

「いや~、amiinAこの一年ほんっと大変だったね」と顔を見合わせて言う二人。

そして、「最初はamiにちゃんとものが言えなかったけど、言えるようになってから本当に仲良くなった」というmiyuちゃん。

そして、amiちゃんは「はっきりものを言い過ぎちゃうから学校で浮いてしまう。ここにいる時が一番生きている気がする」という話をしていた。「ここにいるみんなが大切」だとも。……がんばれ!

気づけば新曲披露も含めて1時間半のステージ。最後はCanvasの幸福な合唱で〆!

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しかし、ボリュームのあるイベントをいつもやっていたから気がつかなかったけど、そういえばワンマンはまだだったんだ。音楽に対するこだわりはどのアイドルにも、いや、どんな音楽家にも負けないamiinAチームが、初ワンマンでどれだけの挑戦をしてくるのだろうかと思うとわくわくする。

最後に出演者のサイン入りのポスターを景品に、わざわざアンケートを回収する周到さも、この現場の信頼感にしっかりつながっている。(地下でこれをやっているところ、amiinAしか知らない!)

この誠実さが実るところを見たいし、そういった物語を抜きしても間違いなく立ち会う価値のある時間になると思う。

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しかし、バンドはさほどでもなかったけれど、クワトロの音はなんだか全体的にいまいちで、やっぱり「出来れば行きたくない箱」という印象はぬぐい去れなかったのだった……。

 

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西島大介個展「トゥルーエンドを探して」がしみじみよかった@AWAJI Cafe & Gallery

初めて西島大介の名前を見たのは、大塚英志の定本・物語消費論の挿画兼年表の制作担当としてでした。「できる若者なので、仕事をあげてください」とあとがきで大塚に紹介されていたと思います。

 

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)

 

 

西島大介は間違いなく2000年代を代表するイラストレーターで、当時「気鋭の○○」と呼ばれた人たちの本を飾るアイコンとして、たびたび目にしました。また、2000年代半ばにはマンガ家としても多くの雑誌に登場しており、新しいマンガの担い手として高い期待を寄せられていたと思います。

 

 

メルヘンチックなのに上品で、ところどころSF的で、教養もありそうで……。

 

マンガ単行本も、マンガに強い出版社だけでなく、早川書房河出書房新社から刊行されるなど、ジャンルを横断する存在でした。

 

凹村戦争 (ハヤカワ文庫 JA ニ 2-1)

凹村戦争 (ハヤカワ文庫 JA ニ 2-1)

 

 

「マンガを読まない人がなんかおしゃれっぽいからと手に取ってしまうマンガ家」だったし、「文芸・人文に興味がない人に親しみを持たせる挿画が描けるイラストレーター」だったわけです。

 

ただ、彼のマンガの予告編が延々と繰り返されるような構成が私は理解できなくて、マンガ家としてはあまりいい印象を持っていませんでした。

 

イラストレーターが描くおしゃれで観念的なマンガというのがマンガ界には定期的に登場しますが、たいがいそのまま消えていきます。西島もそのうちの一人になるのかと思っていました。

 

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2000年代が終わり、ゼロ年代のアイコンだったことが古さの象徴となった今、改めて個展会場で観る西島大介の画はただただ作品としてびっくりとするくらいよかったです。

 

大型の油彩作品の丸みのある線の心地よさと、優しげな薄いクリーム色。そして、どこか不安を感じさせる目の点。

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さびしさや空虚さを抱えつつ、みんなのうたのアニメーションになってもおかしくない懐かしさもある。そして、ずっと眺めていられる穏やかさがありました。

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会場にはディエンビエンフーの原稿も展示されていました。西島のマンガは凹村戦争の表紙に代表されるような、口を少しだけ何か言いたげにあけたキャラクターか、ニヤッと舌を出して笑うキャラクターの印象が強くて、それはつまり弱弱しいか記号的かのどちらかしかない印象だったのですが、展示されている原稿には悔しさと悲しさで号泣しているらしいキャラクターもいて、内容が気になりました。

 

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原画を見て読んでみたいと思うことって実はあまりないのですが(キャプションも込みならわりとある)、今回は改めて西島大介のマンガを読んでみたいと思える展示だったし、そう思わせてくれたことに感謝です。

 

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ゼロ年代と呼ばれた、個人的にもあまりいい思い出のない時代が終わった後、その代表的アイコンであった人が打ち切りなどに見舞われながらも止まらずに作品を作り続け、変化し続けているということに、感傷的な気分になってしまいました。

 

 

ところで、私が本屋勤めだったころに印象に残っていた西島挿画の新刊があって、それが「ヒーローはいつだって君をがっかりさせる」でした。

 

挿画のインパクトはもちろんですが、帯の「たたっ壊せ(ナ~ナナ)たたっ壊せ(ナ~ナナ)」がタイトルと相まってとても不穏で、手には取らなかったもののそのブックデザインは何となく頭に残っていたのでした。

 

当時は音楽を主体的に聴く習慣がまったくなかったので、磯部涼という名を知るのはその後、日本語ラップを聴き始めてからになるのですが、「川崎」でハードなルポルタージュを書いている人と、あの本の著者が同じ人だと知ったときはちょっと意外なような納得のような気がしたのでした。

 

ヒーローはいつだって君をがっかりさせる

ヒーローはいつだって君をがっかりさせる

 

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森川ジョージの慇懃無礼が引き出したちばてつやの証言/梶原一騎絶筆30年~SO!一騎集会~

いやー、これは熱かった。行ってよかった。その時歴史が動いた

梶原一騎と言えば「あしたのジョー」「巨人の星」「タイガーマスク」と、マンガの歴史に残る作品の原作者でありながら、あまり研究の対象になっていません。

いわくの多い人だからわからなくはないのですが、それにしても語られなさすぎでは。

というわけで、私自身は「梶原作品全部めっちゃ好き!」「梶先生は神!」というタイプでもないのですが、何かしらイベントがある場合はなるべく行って記録に残すようにしていました。

ただ、日ごろからそんな扱いなので、周年でも記念に何かが出版されるわけでもなく、2016年の生誕80周年は、ファンサイト「一騎に読め!」の管理人BONさんが阿佐ヶ谷LOFTトークイベントを開催したくらい。

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その後も目立った動きはなかったのですが、明けて2017年の8月、A・Tプロダクツ主催イベント「梶原一騎絶筆30年~SO!一騎集会~」が開催されました。

A・Tプロダクツはご子息が運営する梶原一騎の版権管理の会社。後援に講談社集英社東映アニメーション株式会社、株式会社トムス・エンタテインメントが加わり、主催のご家族のほか、ちばてつや川崎のぼる森川ジョージが登壇するという豪華なイベントになりました。

同日のメテオナイトの鎮座DOPENESSおよびBUDDHA MAFIAとまるかぶりだったのですが、三原順の復刊運動の立役者・笹生那実さんも参加されるとのことで、渋谷から竹橋という現場回し。

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会場には平松伸二による力強い筆致の「梶原一騎 絶筆30年 ~SO!一騎集会~」の看板。没後でなく絶筆という言葉が劇画的。

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お客は当然ながらリアルタイム世代の50~60代男性が中心。席番が決まっていたので会場後方に腰かけて開始を待っていました。

開始を告げたのはアニメ「あしたのジョー」の曲。そして現れる白いロングドレスの女性。真樹日佐夫のご息女・高森緑さんだとか。

あしたのジョー巨人の星、愛と誠、タイガーマスク空手バカ一代の映像が流れ、主催者の高森家長男・高森城さんが登場。このイベントの開催の意図が語られます。

梶原一騎と聞いて何を思い浮かべますか。
スポーツ、野球、ボクシング、空手。あるいは、酒、女、暴力。
それは作品や事件報道で作られたイメージのひとつでしかありません。
多くの時代を共にした人の証言を通し、1人の人間としての梶原を発見し、作品を見た際に伝えようとしたものを新しく感じてほしい」

今では語られることも少なくなった父・梶原一騎について、改めて評価し直す機会を作りたいという強い気持ちを感じました。

そんなご子息が最初に語られたのは食事について。

「働いてない親と子供では食べるものが違った。米が父はコシヒカリで、子供は標準米。」という話。

といっても、そもそも梶原は自宅では質素な食事をしていて、子供が標準米なのは「人間はぜいたくをしたくてがんばる。小さい時からいいものを食べていると、そういう精神が得られない。」という理念からだったとか。

さらに、「プールで足のつかないところに投げられて泣いた。」「鬼の仮面をつけた梶原に追いかけられたのがすごく怖かった。」など、昭和だなという話が続きます。

緑さんも「私もプールには投げられました。当時の写真はみんな泣いてるか、ふてくされてるかです。でも、父は常に満面の笑みなんですよね……。」

城さんも「そうなんですよね……。」

……。あんまりイメージの刷新になってないような。

そんな城さんのもっともかっこいい父の記憶は、大病からの退院後、子供ふたりの腕を力強くつかんで廊下で歩行練習をし、ついに歩けるようになった時のことだとか。

その後に映像として映された梶原一騎宅でのインタビューでも、ぽつぽつと父親に対する畏敬の念を表に出していました。

「今やろうとしていることが父の意に沿っているかは実は不安。答えを聞いてみたい。聞いたら何甘えてるんだって言われるかもしれないけど。」

次に登場したのは梶原一騎実弟・高森日佐志さん。

梶原一騎美空ひばりファンで、ポケットにビスケットの歌(東京キッド)をよく歌ってたとか。

教務院であった女の子が梶原で、その名前をペンネームにしたそう。この話は「夕焼けを見ていた男」に出てきたかな。

「その女の子は梶原一騎が描いた似顔絵に似ていてね。梶原は絵を描くのが好きで、兵隊さんの絵をよく描いていたよ。親父が挿絵画家だったからその血を引いてるんじゃないかな。」という「梶原一騎は絵がうまかった」という話に。

これに城さんびっくり。

梶原一騎は絵が下手だから描いてないのかと思っていました。」というと、「家にあると思うから今度見せてあげるよ」いう返事。
いや、日佐志さんあっさり話してますけど、それめっちゃ大事な話では……。

その後も楽しげに兄の話を語り、「よく買ったばかりの本を持って歩く姿を見た」というエピソードを披露してくれました。

次はアニメ「タイガーマスクW」のプロデューサーのギャルマト・ボグダンさんの話。

実はタイガーマスクのリメイク企画はずっと存在していたけれど、なかなか実現しなかったとか。

「最初は朝の枠だったけれど、深夜になった。もう少し大人向けにしなくてはと、一旦シナリオを3本くらい捨てた」という話も。

ボグダンさんの口ぶりはちゃんと原作に対する愛情のある感じなのに、なんでアニメはあんなことになってしまったんだと思いながら聴講。

さて、イベントの目玉である森川ジョージの司会によるちばてつや川崎のぼるトークショー

とはいえ、川崎先生もちば先生も取材の機会の多い人なので、あまり新しい話などは期待しないつもりでしたが、これがかなりヤバかった。

森川先生、「ぼくは梶原作品と関係ないけど、マガジンつながりでちば先生、川崎先生に失礼な口を聞けるのは誰かということで呼ばれました。」というあいさつ。

その森川先生、最初に客席にいた丹下段平芸人のガンリキさんをひっぱりあげてアドリブで物まねをやらせたりと司会がうまい。それまでご親族が作っていた緊張感を断ち切り、いっきにロストプラスワンのような空気へ。

ちば先生、もともと「ハリスの旋風」終了後にボクシングマンガを描くつもりで、宮原照夫さんに資料集めを依頼していたのだとか。そこで、梶原先生の原作はどうかと勧められたけど、「ぼくは原作を変えちゃうから」と断っていたそうです。

そんなある日、宮原さんから「今、梶原さんと呑んでるから取材したら。」と言う電話があったとか。

「ちょうど行きづまってたから行ってみたら、サングラスに真っ白なマフラーの人が出てきて『よろしく』と。『あっ』と思って宮原さんを見たら、下むいて笑ってるんですよ。」など、軽快にお話ししてくれました。

とはいえ、先ほど書いたようにやはり既知の話が多く、
「大リーグボールの正体は明かされていない状態で原稿が来た」
「バーでトリプルクロスをどう描くかというのを二人で実演していたら、ケンカしていると思われて警察を呼ばれた」
など、「あ、それ読みました」という気持ちで話を聞いていました。

しかし、話も半ばになり、原作をいかにマンガ化するかについて話がおよんだ時に、この日一二を争う衝撃発言が。

川崎先生の「すごくイメージが湧いたので、そのイメージを膨らませて描いていました。編集は原作が面白いと思っているのだから、マンガがそれに負けちゃいけないと思っていた」という話から、ちば先生はわりと原作そのものを変えてしまうという話に。

ジョーの冒頭、原作は試合シーンから始まるんですよね。それなのに実際にはドヤ街からはじまっていて」という流れから、森川先生から出た言葉が

「ちばくんはどうして勝手に変えちゃうの?」

マジか。ジョージ失礼すぎる!

と、思わず脳内でジョージ呼び。森川先生……、いや、とりあえずしばらくジョージ表記で。ジョージすごいな、編集者やライターには絶対できないぶっこみ方。

一瞬ひるんだちば先生の口から出たのは、「導入があったほうが読者が入り込みやすいと思った」というこれまた何度も語られた話。

しかし、その後に続いたのが「梶原先生が原作を変えるのを許さないというのは聞いていたので、バーで会った時に『ぼくはマンガのために変えますよ』と言ったんですよ。そしたら、しばらく考え込んで『許す!』と言われたんです」

……!? ちば先生、その話するのたぶん初めてですよね?

いや、私もちば先生の動向を仔細に追っているわけではないので、どこかで話しているかもしれないですが……。

でも、これ初めての話ならマンガ研究的にめちゃくちゃ大事な話では。いやー、なんだこれ。立ち会った感あるな。

ていうか、そこで一言言質を取っておくちば先生、如才ないな。正しく大人。

その後は最終回についての話から、ちば・川崎でお互いの主人公を色紙に描くという企画に。

両先生がペンを走らせている間に、客席にいた平松伸二に声をかけ、登壇させる森川ジョージ

「年寄りだからね。時間かかっちゃいますからね。」という、また冷や冷やさせる森川ジョージのフリから、平松先生による梶原一騎話。

当時はあしたのジョー巨人の星男一匹ガキ大将が人気で、平松先生はデビューしやすそうだったジャンプに投稿したとか。

それを聞いてすかさず、「その3つの中でどれが一番好きだったの?」というツッコむジョージ。

「それをここで聞くの?!」という平松先生。会場の人間もみんなそう思いましたよ!

結局苦い顔で「うーん、ぼくの最初の投稿は野球マンガだったんですよ……。そこからお察しください」と答えるはめに。

その後も「何も見ないでタイガーマスクを描け」とジョージに命令されて色紙を描くも、まったく似てなくていじられるさらし者扱いの平松先生。

平松先生は10歳くらい年上なのに、ジョージすごいな……。

そんなジョージは、巨人の星終了後、川崎先生が梶原宅に行った際のエピソードを披露した際にも、いい合いの手を入れていました。

「『俺と連載していて、俺のうちにきてないのは川崎くんだけだよ。』と言われていて。手土産を持っていかなきゃと思って、飛雄馬の絵を描いて言ったら喜んでくれました。その時にいろんな話をしましたね。後から考えると愛と誠とか空手バカ一代の構想なんかも。」

「じゃあ、川崎先生が『愛と誠』や『空手バカ一代』を描いていたかもしれないと?」

「はい。でも、引き受けなくてよかったですね」(ほかの作家と組んで出来た作品がすばらしかったということでしょう)

おお、適切なツッコミ。さすがボクシングマンガ描いてるだけあって反射神経がある。

そんなこんなでトークも無事終了。各先生方のあいさつが終わり、イベントもつつがなく終了しました。

いやあ、しかし面白かった。何がって、新しい話がたくさん出てきたのが面白かった。

梶原一騎が絵を描いてた話とか、たぶん本当に初めて出てきた話ではないでしょうか。

ほかにも森川先生の危ない誘導によって出てきた話もスリリングで。

巨人の星は当時の人気アンケート1位しか取ってなかったと言われましたが、その後でジョーはやり辛くなかったですか?」とか、「ジョーが始まって川崎先生はどう思われました?」とかも、相手によってはけっこう危ない球。

お二人とも芯から人格者なのでお互いが「同じ雑誌で肩を並べられるのは嬉しかった」というようなお返事でしたが。
あとで楽屋で「ごめんなさい☆ボク、先生たちのこと大好きなので♪」みたいな感じで切り抜けるんだろうなー。もちろん、その言葉に嘘はないだろうけど。

しかし、これは本当に森川先生にしかできなかった仕事。正直なところ、今さら川崎先生、ちば先生からこんなに新しい話(のはず)を聞くことができるとは思いませんでした。

ほかに、川崎先生が語ってくれた、最晩年に銀座を歩いていたら、真樹・梶原が歩いてきて、梶原一騎が「川崎くんは俺の恩人なんだよ。じゃあな。」と言って去っていった話も泣けましたし、かの有名なあしたのジョーの最終回の変更について、直接ちば先生の口から聞けたのもよかった。

「原作は白木葉子のお屋敷のベランダに目がうつろなジョーが見ていて、白木葉子がそれを見ているというラストで。
それはそれで詩情があるけど、あの死闘を描いてきたリズムがある。
あのほんわかした感じだとぼく描けないよと言ったら、『今まで好き勝手描いてきてなんだよ。まかせるよ』と言われて電話を切られちゃった。」

これ自体は有名な話ですが、「死闘を描いてきたリズムがあるから、あのほんわかした感じだと描けない」という表現で、より腑に落ちました。

改めて「語りというのはさまざまな方法で繰り返し行われる必要がある」と実感した次第です。

自宅や資料の保管など、ご家族のご苦労は尽きないと思いますが、今回のイベントに心からの感謝を申し述べたいと思います。

 

ちばてつやとジョーの 闘いと青春の 1954日

ちばてつやとジョーの 闘いと青春の 1954日

 

ちば先生が「許す」という言質を取ったエピソード、「この本なら書いてあるかな」と思って買ってみたやつ。
作品の時系列に沿ったインタビューに当時のアオリやイラストを並べたもの。内容的にはさほど目新しくないですが、紀子がジョーに真っ白な灰になる心境を語るエピソードを描いた時の心境というのがとてもよかった。

(前略)あれは僕自身の問いでもあったんです。毎日毎日締め切りに追われて漫画ばかり描いてきましたけど、これではたしてよかったんだろうかと?(中略)このシーンを描いた時、自分なりに答えを見つけて納得したんです。「俺はこういう一生でいいんだ」と吹っ切れた。自分は同じ年頃の若者が楽しんでいるゴーゴーは知らない。でも、日本中の若者が漫画を読んでくれている。「こんな充実した人生はないんじゃないか」と思ったんです。

いい話……!

マンガの深読み、大人読み (知恵の森文庫)

マンガの深読み、大人読み (知恵の森文庫)

 

梶原一騎のマンガ文化における功績を、夏目房之介がマンガ研究者の立場から非常にうまくまとめた論考が収録されています。名著。

 ※評伝「梶原一騎伝 夕焼けを見ていた男」が何故かこんなタイトルに……。いや、意図はわかるけど安易すぎるし、むしろ反発を買うのでは。いい本なのになあ。

しかし読み返すたびに、「ちゃんとマンガの仕事を続けてくれていたら」と思ってしまう。

 

ちばてつや--漫画家生活55周年記念号(文藝別冊)

ちばてつや--漫画家生活55周年記念号(文藝別冊)

 

 

 

↓笹生那実さんによるイベントの感想!

会場に展示してあった年表の写真などもあります。

笹生那実のブログ 『梶原一騎絶筆30年~SO!一騎集会~』その1

笹生那実のブログ 『梶原一騎絶筆30年~SO!一騎集会~』その2

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「月に吠えらんねえ」(清家雪子)読書会の記録(2017年8月13日)

8月13日に「月に吠えらんねえ」の読書会を行いました。

この企画は、もともと池田の友人の「『月吠え』好きの鳥井さん(俳句好きプログラマー)とかつらさん(15年来の清家雪子ファン)を会わせてみたら面白いのではないか」という動機から始まったものですが、ツイッターで参加者を募集したところ、歌人佐藤弓生さんと、作家の高原英理さんにご参加いただくことになりました。また、池田の親族の嘉納も参加し、計6名での実施となりました。

以下はその記録を書き起こしたものです。画像は引用の範囲で使用しています。

当然ですが、ネタバレあります。


佐藤 女性による復讐の話であるという意見を複数の方から聞きました。チューヤくんは彼女に去られるし、朔くんはあの通り。常に女性から、なんらかの形での告発があります。

鳥井 それが一番顕著だと思うのはチエコさんの話ですね。

佐藤 初めて読んだとき一番びっくりしたのは、チエコさんがかわいくないということでした。醜くはないけれど、美少女系のロボットにしていない。

かつら 笑顔じゃなくて、ラジコンみたいな存在で。

佐藤 そう、すごく皮肉がきついですよね。

高原 男性の作家にはまずないですね。精神が壊れていく様子の表現というなら、それがどんなにけなげでかわいらしいか、だけを男子は描く。

佐藤 「最終兵器彼女」みたいな感じ。

 それだ!

最終兵器彼女(1) (ビッグコミックス)
 

かつら 女性の書き方はたまにすごい嫌悪感を感じる時がありますよね。

鳥井 白さんに群がる女性たちとか。ミソジニーがあるってことですね。

かつら 清家さんの女性の描き方ってすごく不思議で、フェミニストの描き方じゃないですよね。女の子のキャラを描くと、昔からなんか雑になっちゃって。どこか蚊帳の外というか。でも、今回は朔くんが両性具有っていうか、女性も含んでいるから。皆さんはこの作品に出てくる女性キャラについてどう思いますか?

鳥井 名前のある女性と白さんガールズなどの「その他の女性」を描き分けていて、その対比を意識されてると思います。

かつら でも、ガールズも何かを目指そうとしていたガールズじゃないですか。ただの無名のガールじゃなくて、ものを描こうとしていたガール、夢破れたガールたちじゃないですか。

鳥井 あとは歌手だったりしますね。

かつら ただのその辺にいる人じゃないですよね。

嘉納 清家さんまじめだなと思ったのは、白さんガールズはあくまでそばで働いている人たちなんだって。あくまで出版業を構築する秘書として存在している。

鳥井 手紙を仕分けしたり、校閲みたいな事もしてましたよね。「これ、前に出てこなかったっけ」って。あと、白さんガールズの中にもヒエラルキーがあるって言う。

かつら 「ハァさん」って呼んでいいかとか(笑)
嘉納 ただ消費する人・される人じゃなくて、詩人として挫折していった人を職業婦人として描いている。だから、女工哀歌とかそのうち出てくるのかなと。職業として働いている理性的な存在である一方で、白さんが正気に戻ると弟子に追い出されちゃう。最初と後半で意味が変わっていくなって。何もしていない女性が出てこないですよね。

鳥井 ガールズではない街の女の子、最初の方で「ほかの街に移住しないか」って話をしていますよね。彼女たちはいわゆる消費するだけの存在かなと。思想街はめんどくさいとか小説街は甲斐性があるとか。

嘉納 経済街は頭からっぽで。
鳥井 美術街は裸にならなきゃいけない。

佐藤 白さんガールズはケンカしないですよね。溝口彰子さんの「BL進化論」という本の中に、腐女子の連帯はレズビアン的である、女の子同士でつながりながらBLを読んでいるという分析があるのですが、それに近い連帯を感じます。

BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

 

鳥井 そういう意味では私はジャニーズファンの仲いい人たちみたいな印象がありますね。

佐藤 仲がいいんですか?

鳥井 ある程度理性的な人たちは……。ファンはアイドルと夢を支えるものという気持ちでまとまっています。

佐藤 ジャニオタはちょっとわからないけど、宝塚ファンとかはすごいヒエラルキーがあるって聞きますね。

鳥井 ヅカファンとかにも近いかもしれませんね。白さんもたまに宝塚の男役みたいだし。

佐藤 統制されたファンという感じでしょうか。

嘉納 だから朔くんはほかのファンに嫌われるんですよ。粘着するから。

鳥井 悪いファンだけど、才能があるから認められているっていう白さんガールズからすると一番嫌な存在ですよ。わかりやすくガールズと同じ扱いされてされてるのは、アッコさんの旦那さんの愛人・山川登美子、とみちゃん。才能のあるなしで立場がわかれてしまったというのは、ガールズと同じ主題を描こうとしていると思います。

佐藤 でも、登美子は本が残っているから名前もある。これは本が残っている人には名前がある世界なんですよね。

鳥井 けれど、□街にはいられないですよね。

佐藤 アッコさんの犠牲になった女として登場するから、□街では存在できない。ただ、あれはアッコさんの心の中のとみちゃんだから、実際の登美子とはまた違うかもしれない。登美子は「をみなにて又も来む世ぞ生れまし花もなつかし月もなつかし」という歌を残していて、自分が女に生まれたことを嫌がっていないし、そのことで誰かを強く恨んでいるようにも見えないですし。

山川登美子・増田雅子・與謝野晶子 恋衣 青空文庫

池田 男性と女性ということで言えば、アッコさんにしろ、チエコさんにしろ、ちゃんと関係性の居場所を作ってあげている気はするんですが、それがどこか割り切れてしまうと言うか、説明的な感じがしますね。朔くんとミヨシくんとか、朔くんと白さんみたいに感情で駆動してないというか。

かつら コマとして存在する女の子しか出てこない気はする。情緒はわざと朔くんと白さんに詰め込んでいるのかなと。

嘉納 白さんガールズも理性的ですよね。女性は皆理性的。
佐藤 チューヤくんの彼女も、あんなに自己分析できているっておかしいですからね。

かつら 清家さんのデビュー作の「孤陋(ころう)」(「まじめな時間」2巻に収録)は、とても理性的な女の子が草むらで拳銃を見つける話なんです。社会の規範を守っている理性的な女の子が、タブーである拳銃を手にする。ルールから逸脱することへの憧れがとても強いんだと思います。

まじめな時間(2) <完> (アフタヌーンKC)

まじめな時間(2) <完> (アフタヌーンKC)

 

佐藤 男性の行動に憧れる気持ちがある。同時に、同性への共感もすごくあると思うんです。一番理性で描かれていると思ったのがアッコさん。でも、とことん嫌な感じで描かれているキャラクターっていないですよね。乃我有くんですら。

池田 しかも乃我有くん人気投票10位だし。

かつら あれ謎ですよね!誰ですか、金田一先生にいっぱい入れてる人。
佐藤 金田一学会の人かな? 何が何でも番外編を書いてもらうっていう。(4位までに入賞した人物で番外編を書き下ろすという企画でした)

かつら 学会総出で!ちょっとしか出てこないのに。2位は誰だっけ?

池田 2位が朔で、1位がミヨシくん。

かつら で、川端康成が3位っていう。

鳥井 カワバタは顔の良さ勝ちなところあるんじゃないですかね?

池田 あの結果は「しょせん顔なんだな」って思っちゃったよ……。

鳥井 わたしはぐうるさんに入れましたよ!

佐藤 私も入れました。あとは大将。

池田 私は入れるなら犀かなと思いました。

かつら 犀は超すてきですよ~!

佐藤 あれは一番いい男ですよ。理想の彼氏です。

鳥井 でも、ああなってほしくなかった気持ちもわかります。昔の犀でいてほしかった……みたいな。

佐藤 「NHK短歌」の穂村弘さんとの対談で、川端康成が好きとおっしゃってましたね。それが本編に現れていて、いいキャラ立ちしてるんじゃないかなと。でも、太宰治を出す気はなさそう。

NHK 短歌 2017年5月号 [雑誌] (NHKテキスト)

NHK 短歌 2017年5月号 [雑誌] (NHKテキスト)

 

鳥井 時々それらしいのが死体っぽい感じで出て来ますよね。自殺した文学者っていうわりと雑な役で出てくる印象が。

佐藤 描きたくないみたいに見えますね。だから嫌悪があるとしたら描いてないんじゃないかな。ああいうムシのいい感じの、甘えてきそうな人。
鳥井 それなら、ミッチー、立原道造とかも。
高原 ミッチーは童貞だしね。川端康成ペドフィリアでしょ。現状況であんまり胸を張って主張できる立場とは言えない。世の中でまともと言われる安心から押しつけがましい態度を恥じない、というようなセクシュアリティの人はあんまりいない。何となく女の人が意識の底で嫌いそうなモノは描いていない気がしますね。

佐藤 たぶん、描くと作品がにごってしまう……。

高原 汚れたくないというのがあると思う。でも、汚したくない反面、意識することは禁じていない。

かつら 白さんを描くときに参考にしたという詩がありますよね。

佐藤 「桐の花」所収の「ふさぎの虫」ですね。

北原白秋 桐の花青空文庫

かつら 自分がすごい窮地に追い詰められてるのに、自分がモテであることをひけらかすでもなく、当然のことのように描いている。太宰もよく女関係のことをグチグチ描いていますけど、それよりももっとキラキラしていて、でも、ちょっと暗いというか……。女関係のことを書いて、こんなにかっこいい人いるんだなって。

鳥井 ちょっと自暴自棄入ってて。

かつら 髪乱れ系白さんですよね。

佐藤 刑務所に入ったことがあるからこそ好きって朔くんは言ってましたよね。

かつら 北原白秋ってどういう存在なんですか?うちは五歳の子供がいるんですけど、白秋の歌をすごく歌うんですよ。

鳥井 「揺籃のうた」、私子供に毎晩歌ってますよ。

かつら この前うちの子供が、お人形さん自分で抱えながら「ゆ~りかご~のう~たを」って歌ってる時、何だかすごい神々しくて……。世界がすごく美しく感じられるんですよね。

鳥井 「虹がかかる」みたいな。

かつら そうそう! メロディーもすごく美しいですけど、透明な……。透き通るようなきれいな気持ちになるんですよね。

鳥井 「揺籃のうた」、毎日歌ってるとわかるんですけれど、完璧な詩ですよね。歌い出しとか歌いやすい音にしてあるし、子供も覚えやすい。

かつら そう、同じ言葉の繰り返しが多いから、子供も全部歌えるんですよ。

鳥井 最後「ゆめ」で終わるじゃないですか。

かつら そ~~う! それがすごくきれいで。「これが白さん!」と思って。

鳥井 毎晩、「白さん天才だな」って思います。

一、
 揺籃のうたを カナリヤが歌うよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
二、
 揺籃のうえに 枇杷びわの実が揺れるよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
三、
 揺籃のつなを 木ねずみが揺するよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
四、
 揺籃のゆめに 黄色い月がかかるよ
 ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

かつら そう、本当にそんな感じなんですよね。雨降ると子供も「ぴっちぴっち ちゃぷちゃぷ」って歌いながら帰るし。

鳥井 「この道」の「この道はいつか来た道」とかもいいですよね。

かつら そう!この前テレビで流れてきたときにハッと「白さん!」って思いました。

日本児童文学館 9 トンボの眼玉

日本児童文学館 9 トンボの眼玉

 

佐藤 ……。今、とても貴重なお話を聞きました。白秋は今でも膾炙しているんですね。

高原 子供に歌われる歌を作る、子供の言葉が使えるということと、軍歌を作る……翼賛歌を作るのは同じことなんですよ。

かつら それはこの本の中でもよく批判されてますよね。からっぽだって。
高原 同じ時期にパンの会に加わっていた永井荷風は、一貫して戦争を憎んでいたし、日記には体制への憎悪しか書いていない。彼は詩の翻訳をやっていたし、実際に詩も書けた。だが他の多くの詩人とはそこに大きな違いがある。永井荷風は最初から大人でした。大人だと言うことは、あるイデオロギーを持ってしまうということで、戦争に関してはリベラリズムから一貫して反対することが出来る。しかし、子供には伝わらない。そういう現実が出てますね。白秋には何かの資格があるという風に読めます。

佐藤 高原さんは白秋の方が好きでしょう?
高原 最近、「荷風にかかわる小説を書いてくれ」と依頼されて、その気で始めてみたらすごく嫌になって「白秋にかかわる小説」に変更させてもらったことがあるの。そこではおそらく自分も子供に近い受け取り方をしていて、荷風は正しいことを言うけれど、好きになれない。白秋は間違ったことを言うけれど、好きになってしまう。そういう向きがありますね。

鳥井 わりと最初の方からそういうテーマが出てきましたよね。犀が凍えて道を失いそうになるときに、「白さんの歌の方が遠くに届くから」って。最初に美しいイメージを出しておいて、後からその恐ろしさも描いていく。

かつら 子供の怖さ、童心の怖さなんかも描いていますよね。

嘉納 白秋の周りにだけは子供が出てくるんですよね。本来の姿に戻ると周りに子供が出てくる。

佐藤 白秋の詩で一番驚いたのが、「母さん、歸らぬ、さびしいな。/金魚を一匹突き殺す。」(金魚)……なんだ、この詩はと。

高原 翼賛歌は日本が戦争に負けたからけなされるけど、もし勝っていたらけなされませんね。背景によってしか価値が決まらない詩であるわけです。

鳥井 背景によってしか価値が決まらない時点で、限界のある詩であるようにも思えます。

高原 光太郎と白秋の詩は“そそのかす能力”がすごく高かったのでしょう。それは詩の力と思います。

かつら 斎藤茂吉はどうだったんですか? 息子さんが残していますよね。

高原 斎藤茂吉もそうですね。彼は本当に日本に戦争に勝ってほしかったんですよ。

佐藤 日米開戦時に大興奮していたって北杜夫が書いています。

齋藤茂吉 愛國歌小觀青空文庫

高原 当時、三島由紀夫のお父さんの平岡梓はことあるごとにナチスを賛美していた。それが当時の地位ある男性のスタンダードでした。そのにおいが茂吉にはある。白秋にはない。高村光太郎は道を誤ったアーティストなので、権力志向ではないけど、戦争に反対はしなかった。

かつら 高村光太郎のことを考えると悲しくなるんですよね。戦後、めちゃめちゃ反省してましたよね。人里離れたところで暮らして。奥さんのことでも失敗してるし。

高原 ちょっと今の左翼リベラルの過ちを感じさせるような人ですね。ブルジョワだから、ブルジョワ基準で自分に最善と思える意見を言うけれど、それで裕福でない周りの人を皆不幸にするというような。今の内田樹とかによく似ている。

佐藤 「月吠え」の中でも、女性と対等に生きたい、みたいなコタローの発言がありますね。

これは今でもそうなんですが、詩人と歌人俳人って、社会がちょっと違うんです。詩はひとりひとりが形式を構築していかなくてはいけない、個人主義の強い世界で、自分が自分の世界の神様なんです。でも、短歌・俳句は結社などの仲間活動がある。

たとえば、「おすすめの詩を教えて」と言われて自分の詩を挙げる人はときどきいるけど、「おすすめの短歌を教えて」と言われて自分の短歌を挙げる人はほとんどいない。謙遜しているというより、先達の作品なり、さかのぼって茂吉なりを挙げるのが当然という感じで、短歌は仲間に共通の神がいる社会なんです。それも白秋と光太郎の違いに関係しているかな。白秋は結社を作るじゃないですか。仲間が好きなんですよね。

池田 そういえば、作中でも定型詩のコミュニティは会議をしてますもんね。

かつら 光太郎は美術の人でもありますね。

鳥井 光太郎と智恵子は、小説街の描かれ方では自分たちの世界に閉じこもってしまう印象も。

佐藤 私は80年代に学生だったので、光太郎は智恵子をダメにした男として語るのが流行っていました。

鳥井 私の母親もそう言ってましたよ。「ほんとにね、智恵子は光太郎にダメにされてね」みたいな。
佐藤 そう、智恵子をいじめたやつという印象ですね。

高原 光太郎は長らく左翼の男性に蛇蝎のように嫌われていました。それが70年代。80年代にフェミニズムが浸透してくると、今度は智恵子の件で嫌われる。

佐藤 「月吠え」では、きちんと資料にあたった上で描かれていて、今までの読みに対して反省したんですけど。

高原 でも、機械のチエコさんが壊れると「ラジコンだし」っていう。そのあたりもよくわかってるというか。

佐藤 チエコさん生きてたら今……。

高原 チエコさんはいろんな意味で不利だから……。

高村光太郎 智恵子抄青空文庫

高村光太郎 智恵子の紙絵青空文庫

高村光太郎 智恵子の半生青空文庫

恋文―画集・智恵子抄 (アートルピナス)

恋文―画集・智恵子抄 (アートルピナス)

 

鳥井 文豪が現代社会に生きている設定の野梨原花南の小説があって、そこでは智恵子はすごく現代らしい選択をしていましたね。「妖怪と小説家」という作品です。これは太宰がメイン主人公なんですけれど。

妖怪と小説家 (富士見L文庫)

妖怪と小説家 (富士見L文庫)

 

佐藤 穂村弘さんが啄木になりかわって作中短歌を担当したという、高橋源一郎さんの「日本文学盛衰史」もありましたね。

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

 

池田 啄木もヘタレ男子の印象がスタンダードだったけれど、主義者として書かれているのが意外でした。清家さんは、自分で調べた上で一人一人を書いているんだなと。

高原 「時代閉塞の現状」という批評を書いた啄木の方をクローズアップしてますね。

石川啄木 時代閉塞の現状 (強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)青空文庫

佐藤 長らく“借金とエロ日記の人”だったのにねえ。本人はとにかく小説家になりたくて、新聞小説も書いてたんですけど、打ち切られてしまったんです。

石川啄木 一握の砂青空文庫

啄木・ローマ字日記 (岩波文庫 緑 54-4)

啄木・ローマ字日記 (岩波文庫 緑 54-4)

 

かつら 啄木は若くして死んでいますけど、その中にすごくいろんなことがいっぱいある印象です。ぐうるさんはどうして毎日死ぬんですか?

鳥井 詩の中で蛙が食べられたり、ひからびたり、飢え死にしたり、いろんな死に方をするんです。だいたい生と死がテーマなんですよ。

草野心平詩集 (ハルキ文庫)

草野心平詩集 (ハルキ文庫)

 

佐藤 草野心平著作権が切れていないから引用しない方針ということで、残念です。連載中ラッキーだったのは2015年に三好達治著作権が切れて、引用がしやすくなったことですね。でも初の引用が蛍狩の次の回だったと思うけど、いきなり翼賛詩で、清家さんひどい。なんでもっと素敵な詩から引用してくれないの。

かつら 私、三好達治は初めてこれを読んで知ったという感じですね。この中で一番変な人だなって。

佐藤 ふふ、そうですよ~。

かつら ある意味白さんとか朔くんの方が健全だなって。

鳥井 妹さんとの話がまずヤバいですもんね。

かつら ボコボコにしたとか……。一年で破局ってのがリアルだなって。それまで15年待ったのに。

佐藤 しかもわざわざ現在の嫁を離縁してまで結婚するっていう。

かつら でも、作品でそういうのは出てこない感じなんですか?

佐藤 そうですね。とてもきれいな内容で。三好達治もやっぱり比類無い天才です。

鳥井 めちゃくちゃ読みやすいんですよね。

かつら 「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。」(雪)しか知らなかったんですが、あれもすごく読みやすかった。

高原 初期の「乳母車」とかもね。三好達治は詩だけ読んでいるとこんな体育会系に見えません。朔とミヨシくんだと江戸川乱歩横溝正史の関係にちょっと似ているのもおもしろい。正史は有能だから乱歩をうまく褒めて「新青年」に名作を書かせる。でも正史がそれまでと毛色の違った雑誌作りをしたりすると、乱歩は「こんなモダンな雑誌に俺なんかいらないよね」ってすねる。で、どっちも天才。

三好達治 測量船青空文庫

佐藤 「月吠え」がなんでエンタメになりえているかというと、出てくる人がみんな天才だから。読者は正しい人を愛するわけではない。天才が好きなんですよね。天才ってエンタメのもとなんだなって思いました。

高原 その一方で、だから乃我有くんなんですね。彼が着実に人気を得ていく。

佐藤 みんなが自分のことのように思えるキャラ。

高原 乃我有くんがいなかったら、ぼくとしてはちょっと評価低いですね。ああいう暗黒点があってこその天才だからね。彼は永遠に認められないし、才能がない。推薦してくれるならどの先生でもいい。間違っているけど、それは有名になりたい人の一番正直な気持ちです。

嘉納 乃我有くんが今度は出版する方になって、「誰でもいい」って押しかけてくるという。

佐藤 彼と編集者とは同一人物ではないでしょうが、「天才じゃない人」の姿ですよね。

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高原 実際、乃我有くんみたいな編集者いますね。

嘉納 こういうBLっぽい世界観の人って女性を書くときにクセがあって、ミソジニーを感じてしまってつらいんですけど、清家さんの書くキャラは知性があるんですよね。男の人が描く女性は知性があんまりない。その方が読者にとって読みやすいから。清家さんは女性の自我を書きますよね。ハルコの話も、実は単に犀がちゃんと話を聞いていなかっただけという。

佐藤 女性が復讐する話として読んだ場合、ハルコもまた犀に復讐しているっていう。

嘉納 「あなたは私の話、実は聞いていなかったでしょ」っていう。ミソジニーが表に出ている一方で、自我のちゃんとした女の子を描くっていう。

池田 自分の中の自分と戦ってるみたいな部分があるのかな?

鳥井 でも、そこまで読むのは、作者の内面に寄せすぎかなとも思います。

かつら 自分の内面を出すことには興味が無いというのはどこかで話していましたね。清家さんは15年前くらいに好きなキャラのことや、作品の考察を書いた異常に長いブログやっていましたが、そこでもプライベートなことは一切描いていなかったんですよ。

佐藤 歌人の堂園昌彦さんが「この作者は詩人の目ではなく歴史研究家の目で書いている」という話をされていました。清家さん、修士論文まで書かれている方ですしね。

高原 詩人はこんなに全部資料を読まない。

鳥井 やっぱりマンガ家なんだなって気がしますね。批評的な土台があってこ描けるものではあるけど、それ以上のマンガ表現になっていると思います。

かつら 清家さんのマンガをずっと読んでいますけど、彼女が好きなマンガ表現のパターンがとても活かされているなって思います。4巻16話で白さんに暴行されたあとの朔くんのラスト1コマ。息を上に吹きかけて、前髪を散らすシーンとか。f:id:hontuma4262:20171125213215j:image

あとは、手や指で感情を表現するコマが多いんですよね、わかりやすいのは、同じく16話の朔くんが白さんの膝に触れるまでの流れや、朔くんが白さんの指に向かって小指を伸ばすところ… …。手や指の動きにかなりコマ数を使うのは特徴的かなあと思います。

 f:id:hontuma4262:20171125213222j:image

あと、うめき声が多いですよね。1巻3話、朔くんが泣きながら1人で帰るところとか。「あーーー」とかはともかく「はぶあー」「おぐっ」とか……。画面の背景に書き文字にしないでこういう言葉も吹き出しに入れる、その吹き出しが画面にたくさん散らばるような表現や、重なっているような描き方。

昔からやっていることをそのままやっていて、しかもそれが批評の上になりたっていて。自分の内面を出すのは嫌だっておっしゃってますけど、表現そのものは完全に清家さんオリジナルの表現で。

前作の「まじめな時間」では、あんまりそれがおおっぴらに出ていなかったんですけど、1巻見たときに「あっ、出てる」と思って、子供が小さいときには読めなかったんですよ。ずっと。でも、3ヶ月くらい前に子供が大きくなってきたし、一気に読んだんです。ただ、エロティックなシーンがないですよね。すごいエロティックな描写に力を入れている人だったので。

まじめな時間(1) (アフタヌーンKC)

まじめな時間(1) (アフタヌーンKC)

 

池田 歴史研究家っていうのはすごいわかりますね。私はこの作品、社会の中で人はどうやって表現をしていくのかっていうのに向き合っているところがすごいと思って。今読む意味が感じられるなという。たとえば、戦争に関することとか、避ける人が多いのにちゃんと飲み下した上で人物に向き合って、その上で物語を終着させるっていう強い執念を感じるので、そこがすごいと思いますね。

鳥井 これ、終着するのかな? もちろん、今まで読んできた中で培った信頼があるから、してくれるとは信じているのですが、まだどうなるかわからなくて不安な部分も少しあります。どうなっちゃうの? っていう。

高原 最近は「この世界の片隅に」みたいに、当時の人の意識を良い悪いと言わないで描くやり方が出来てきましたね。「戦争は嫌だ」というのはみんなわかっている。でも、当時の人がそんなこと表立っては考えていませんでしたという事実も認める。自分の知るところでは少し前までそういう描き方はありませんでした。

嘉納 朔たちを被害者にしないのが偉いなと思いますよね。「この世界の片隅に」は、登場人物が「かわいそうな人」として受け取られてしまっている部分がある。歴史は事実の積み重ねっていうけど、あれは間違っていて、淡々と事実を積み重ねるとニヒリズム相対主義に陥りがちなんですよ。

近代の人物を書くと、「あれは仕方なかった」という話をしがちだけど、朔くんは自分たちがどういう立場だったのかっていうのに関してちゃんと向き合っている。「私たちが仕方なかったと言ってきたことの結果として、何が起こっていたのか」というのを書こうとしてる。

佐藤 私、「この世界の片隅に」は映画しか見ていなくて、「こんなにかわいそうなまま終わっていいのかな」と思いました。かわいそうなものをかわいそうなままにしておくだけじゃ、だめなんじゃないかって。原作はもっと複雑な面があると聞いてますけど。

高原 無垢が保存されるというやり方。左翼の人も右翼の人も悪く言わない描き方で、ちょっとずるいよね。 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 

池田 戦争の話で言えば、軍人で詩人の西村皎三とか、初めてお名前を知りました。

嘉納 これは自分の中の偏見にびっくりしました。詩人は軍人にならないと思っていたから。

佐藤 読んでみるとけっこう才能があって……。さっきお名前の出た堂園昌彦さんと話したとき、「朔くんの『あの人は□街にいられない』というセリフに傷ついた。天才はなんてひどいこと言うんだ」みたいなところで意見が一致しました。

高原 天才じゃなかったわけじゃない。飽くまでも今の基準で言えばだけれども、自分の才能の使い方を間違えてしまったんだよ。本人にはそういう意図はなかったから間違えさせられた、と言うのが正しいか。育ちが違っていれば□街に入るべき詩人にもなれただろうけど、状況がそうさせなかった。でも、だからといって天才でないかと言えばそうではない。

佐藤 でも、やっぱり詩歌を書く人にとって自分の作品が残るか残らないかは大きな違いなので。

高原 ところが、これがきっかけで今ようやく少し読めるようになったわけです。完全に軍籍と関係ない評価も、この先出てくるかもしれない。

昭和二十年夏、僕は兵士だった (角川文庫)

昭和二十年夏、僕は兵士だった (角川文庫)

 

 西村皎三の著書は現在入手困難ですが、戦争体験者へのインタビューをもとにした傑作ノンフィクション「昭和二十年夏、僕は兵士だった」には、俳人金子兜太に戦地での句会開催を進めてくれた上官として西村皎三(本名・矢野兼武が登場します西村の詩や人となりについても、かなり具体的に語られています。下記の記事もご参照ください。

戦後70年:「国のため死んでいく制度は我慢できぬ」 俳人・金子兜太さんインタビュー - 毎日新聞

佐藤 よく、「月吠えを読むと刺さる」という感想をツイッターで見かけますけれど、いちばん刺さったところとかありますか。

池田 私は3巻くらいでパレードのシーンがあるじゃないですか。芸術って個人の尊厳を尊重するものであってほしいんですけど、それが社会を称揚するものになってしまってるという。ここ、すごくうまいですよね。

自分の好きな作家が頭の悪い右翼になってるとがっかりするじゃないですか。西原理恵子とか。私はマンガってもともと弱い人のための表現だと思っていたので、ここに来て好きな作家が全体主義的な作風になっちゃったのがショックであんまりマンガ読まなくなったんですよ。だから「月吠え」の書き方は誠実に感じました。

佐藤 最近、椎名林檎自民党の会議で講演したことにショックを受けたという話を聞きました。もう歌舞伎町にいないんだって。

鳥井 福岡出身として主張させてもらいますが、あの人はもともと歌舞伎町にいませんから。福岡の、「正しい街」の人ですから。

かつら 最近「ためしてガッテン!」まで椎名林檎ですからね。国営放送。

佐藤 ただ、「あなたを使いたい」っていわれたら断りにくいですよね。歌壇のベテランは宮中歌会や短歌指導の仕事を引き受けて、左翼の人とかから批判されるんですけど、私、天皇家から呼ばれることはないにしても、国を褒める歌をくださいってマスコミから声がかかったら書いちゃいそう。この前、「共謀罪のことで短歌を作ってください」という依頼があって作ったんですけど、そういう風に依頼されて作れるのなら、愛国の歌だって技術的には作れますよね。

白秋はすごく職業意識があったんだと思います。三枝昂之さんの『昭和短歌の精神史』という本に、戦時中の言論統制のなかで白秋も文士のブラックリストに入っていたという話が出てきます。体制に協力的な歌人がつくったリストです。本人がそれを知っていたかどうかわかりませんが、人気者だからねたむ人もいたでしょうし、なんとなく察していたかもしれません。一度収監されているから、また捕まることへの恐怖があったのではという想像もできます。でも、愛国詩は楽しんで作っていたと思います。

昭和短歌の精神史 (角川ソフィア文庫)

昭和短歌の精神史 (角川ソフィア文庫)

 

かつら 今まで役に立たないと思われていた詩人が戦意高揚という形で社会に認められるっていうのが印象的で。

高原 短歌には組織があって、後続を育ててバックアップする文化がある。でも詩人は組織からは孤立している人が多くて、朔太郎は今でも故郷では尊敬されていないらしいです。

かつら 本人も地元がめちゃくちゃ嫌いって書いてますよね。

佐藤 そういえば、萩原朔太郎研究会の会報を読んでいたら、前会長の三浦雅士さんが講演録でいきなり「これから前橋の悪口を言います」と。理由は「前橋は朔太郎のことが嫌い」だからだって。もちろん詩の好きな人はそんなことないけれど、前橋で何か働きかけようとすると、議員が「同じ群馬出身の土屋文明文化勲章をもらっているけど、朔太郎は国から何ももらっていないし道楽息子だし、それを顕彰してもね」となるらしいんです。

かつら 作中でもお父さんに「新聞小説でも書け」みたいなこと言われますもんね。

鳥井 お父さんにしてみれば、ずっとすねをかじられてるし、後を継いでほしくもあったろうし、なんか言わずにおれなかったんでしょうね。

高原 江戸時代以来、物書きっていうのは基本アウトローで、小説家ももともとは「くたばってしめえ」って言われるような存在でしたけど、新聞連載とその出版とそれから円本というのがよく売れてから、小説家だけは別になりました。詩歌は基本売れないから依然、立場は悪い。

鳥井 漱石が職業小説家になったのもだいぶセンセーショナルだったとか。
高原 しかも漱石朝日新聞の社員なんですね。給料をもらって、小説だけ書けばいいっていう、作家にとっては最高の境地。それから見ると「詩人なんて」って言われてしまう。

鳥井 短歌は天皇が歌を詠むみたいな、そういう権力とのつながりみたいなのはずっとありますね。俳句はそういうの全然無くて。

佐藤 俳句は無頼が多い印象ですね。

高原 最初のボクシングとかね。しかも河東碧梧桐が「リバーイースト!」。

池田 詩の世界をどうやって表現するかという挑戦もおもしろいですよね。

佐藤 チューヤくんとかすごいですよね。実際中也と朔太郎が会ったのは数回なのに、あんなマンガが出来てしまうっていう。

かつら 背景がすごく細かく書かれていますよね。□街で背景を描くって言うのはすごく大事なことなんだなって。海や緑の感じとか。

佐藤 家のデザインに関してはモデルを探し出した方がいて、韓国映画の「お嬢さん」のロケ地にもなった三重県の六華苑・旧諸戸邸で、朔くんと白さんの家はそこをアレンジしているらしいです。

トップページ|六華苑|록카엔|Rokkaen|桑名市|観光|旧諸戸清六邸|重要文化財|ジョサイア・コンドル|名勝|

鳥井 白さんのご生家は現存していますよね。

かつら 白さんは地元に愛されてそうですよね。

鳥井 うちの親族は白秋のご生家に近いところで商売してるんですが、すごく白秋のこと詳しいですよ。

佐藤 街ぐるみで観光客に説明できるよう、みんながボランティアをやっている。

かつら 全然朔くんと違いますね(笑)。

白秋生家|北原白秋記念館

高原 詩人の人気は唱歌の影響が一番大きかったみたいですね。詩だけでは誰もいないんじゃないかな。

佐藤 西条八十とか。

かつら ただ、西条八十の歌とか、今の子供たち歌わないですよね。「かなりや」なんかもちょっと暗すぎますし……。

高原 「赤い靴」は野口雨情かな。野口雨情の詞は今もまだ生きているかな。

鳥井 その代わり野口雨情はいわゆる詩人としてあまり扱われないような。あとは土井晩翠とか、うーん、ちょっとポピュラーというのは無理ですかね。

高原 サトウハチロー

かつら サトウハチローは人気ですね。まだ読まれているかなと思います。出てこないのかなとも思ったんですけど。

佐藤 「810とか86とか」というセリフはありましたね、2巻の最後に。

高原 作曲家のKYは山田耕筰ですね。

嘉納 おれは啄木のところですね。今、「文豪とアルケミスト」というゲームに文豪たちがキャラクターとして出ているんですけど、その中に小林多喜二が登場しているんです。それを赤旗が取り上げたら、文アルのファンの子たちが政治と絡めないでほしいと言い出して。そういうものってすごく色んなところで見かけるんですよ。

bungo.dmmgames.com

たとえば、アンデルセンをモチーフにしたゲームのキャラクターがいて、小さな子供の姿で出てくるんですが、その理由を芸術家が一番純粋なときのデザインだからっていうんですよ。でもそんなことあり得ないし……。

文アルもそういう感じで、「子供の話を書く人だからデザインが子供」だったり。そういう風に単純化していくことによって、本人はもちろん、そこに出てくるキャラは作品からも切り離された、元ネタと関係ない存在になっていく。

清家さんはそういう単純化をしないじゃないですか。高村光太郎も、チエコさんに乗ってるときは子供だけど、大人として振る舞う時もある。

チエコさんは詩人じゃないから、□街では自由に改造されてしまう。だけど、美術街だと改造出来ないから絵の中にいたりするっていう。

池田 □街のチエコは、高村光太郎の詩の中のチエコだってこと?

嘉納 そう、だからロボットで、死にそうになると今度は光太郎の戦争の詩を暗唱しそうになって、コタローに殺されちゃう。

鳥井 そういう卑怯な振る舞いを子供として描くっていう。

池田 高村光太郎の詩の中で描かれる智恵子さんはとても無垢な存在なのに、「月吠え」の□街のチエコさんは何だかよくわからないもの、言葉の通じないものとして描かれている。ねじれた批評だね。

佐藤 しかも、人間のチエコさんもわりと凡庸な顔立ちなのが。

かつら 「寄生獣」の人みたいですよね。

寄生獣(3) (アフタヌーンコミックス)
 
月に吠えらんねえ(4) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(4) (アフタヌーンKC)

 

鳥井 この表紙、アッコさんのものすごく知性のありそうな顔との対比がうまいなって。自分を貫き通せなかった人の顔っていう。

かつら 全然可愛くないですよね。作るたびに大きくなっていく……。怖い。

嘉納 最終回あたりで自爆するんじゃないかと思っていて。チエコさん自身の自我が肥大しているのに、コタローがそれを否定しているからふくれあがっていくっていう比喩なのかなと。ちょっと「火の鳥」のロビタっぽいですよね。人間の脳を移植されたロボットが量産されて、最終的に集団自殺する話(火の鳥 復活編)があるんですが、デザインとかそれを意識してるのかなと。

佐藤 清家さんのインタビューに「愛読したマンガは『火の鳥』」という話がありましたね。

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※チエコ(左)とロビタ(右)

火の鳥 5 復活・羽衣編 (角川文庫)

火の鳥 5 復活・羽衣編 (角川文庫)

 

かつら 自爆、ありそうですね。みんな自爆しそう……。

池田 あとは、朔くんが侵入されるときの「その瞬間男でもあり、女でもあり」というのが非常に腐女子的で、あまり今まで描かれていなかった感性だなと思いました。

佐藤 これまでのマンガの両性具有や性越境って、「イズァローン伝説」や「日出処の天子」、「らんま1/2」とか、キャラがそれなりに主体的にその性を生きてたけど、朔くんは女性であることを認めたがっていなくて、だから痛々しい。屈辱なんでしょうね。

イズァローン伝説 (1) (中公文庫―コミック版)

イズァローン伝説 (1) (中公文庫―コミック版)

 

高原 遺伝子的な意味で両性の人っているらしいですね。これは一個人のインタビューで聞いたことだから、全ての人に当てはまるわけではないでしょうが、その人が言うには「女性の時と男性の時があって、女性の時はとても憂鬱で悲しくてしかたがない気持ち」だそうです。でもそれは社会的なものが大きいと思います。女性性というものにネガティブなものを負わせる風潮に社会がなっているので、それを反映しているだけではないかと思いますが。

佐藤 朔くんというか、朔太郎は父親からとても期待されて育っているのに、高等学校を卒業できなかったし、医者にもなれなかった。その段階で男になれなかった感がすごくあると思います。

鳥井 でも、この人も父親なんですよね。

高原佐藤 もう、すごいダメ父で。

鳥井 葉子さんの話読むと「あ~」ってなりますよね。

佐藤 萩原葉子さん、気の毒で。おばあちゃんも怖いし。

蕁麻の家 三部作

蕁麻の家 三部作

 
父・萩原朔太郎 (中公文庫 A 109-2)
 

かつら 気になるのは、1巻と比べて朔くんが本当に女の子みたいに描かれていて。小さくなってますよね。これってわざとなのかな。4巻くらいから丸くなってるというか。

佐藤 1巻はちゃんとのど仏があったのね。

鳥井 たぶん、白さんとうまくいきだした頃ですね。

佐藤 あの辺から少女マンガ感がすごくて。

かつら あのときにはもうすでに白さんの中には悪魔みたいなものがいて、朔くんを女の人に帰るためにそういう雰囲気を作り出していたって事なんですよね?

鳥井 あるいは朔くんが願望として白さんに影響を及ぼしている面もあるという描かれ方をしてますよね。

かつら 白さんが自分の足で歩むようになったって、すごくいいこと言ってるときも、そのときの白さんは操られているのか。

佐藤 言ってもらいたいことを言わせている。

かつら 朔くんは悲しいですね。ときめきはわざとなんですよね……。そして、そうさせるのは白さんなんですよね。

鳥井 白さんそのものかっていうと、微妙なところでもあるけれど。

かつら 朔くんは犀と自分の怒りだって言いますよね。だから「そばにいてくれ、どこにもいかないでくれ」って。その違いなのかな。

嘉納 朔くんが自分が戦中を作ったみたいな話をし出すところから、北原白秋が戦中歌を歌ったりして父親役がどんどん回ってきて、同時に朔くんが女の子になってる。国家神道の暗喩としてそういう風になっていく。最初の白さんはちゃんと自我がある人間ですよね。

佐藤 最初は白さんのナレーションで始まっているんですよね。チューヤくんが「今度あんたの『青いソフトに』使わせてくれ」って言うのは白秋の詩の「青いソフトに」のことを言っていて、中也が「雪の宵」で引用をしているのね。時々誰が話しているのかわかりにくいところがありますね。

嘉納 冒頭を読むと白さんが主人公だと思いますよね。朔くんは主人公っぽくなくて。でも、ちゃんと主人公になっている。そして、読んでいくと嫌いになれない。

かつら そもそもこんなに目がぐるぐるした人が主人公ってあんまりないですよね。すごいですよね。

鳥井 こんな、すごいクマの濃い人が。

佐藤 マンガ界ではそれは珍しいんだ。

嘉納 マンガって愛されるように描かなきゃみたいな呪いが強いから、こういう人はあんまり。

池田 でも、清家さんの中では愛されキャラなんじゃないですか?

鳥井 自己犠牲的だし、わりと主人公っぽいと思いますね。

佐藤 そんなにだめな人なのに「共感する」って声があるのはすごい。いや、だめな人だからか。形容すると「かわいい」ですよね。ほかの形容が浮かばないというか。あと、清家さんは子供を描くのがうまいですよね。

嘉納 一巻のこの朔くんがすごくイケメンで。

鳥井 犀のモノローグで美しい男だったみたいに言われてますよね。

佐藤 実は美形。それもびっくりした。昔のマンガでは、美少年は美少年然として描かれていたけど、平成のジルベールってこんな感じかと。なんか誘ってるし。

池田 あらゆる災厄を引き受けるみたいな。

鳥井 神話的でもありますよね。
佐藤 ひどい目に遭わされるのが実は好きなのかも。
かつら どうして芥川龍之介が住民票を持ってきたんでしょうか?たしかに彼は顔が広いし、いろんな方と関わっているのはわかるけれど、どうしてそんなに重要な役を彼が引き受けているのかなって。

佐藤 小説家だけど、詩歌にも理解があって、本人もかなりの俳句・短歌を残していますね。鑑賞力もあって。でも芥川にとって詩歌の実作は趣味なんですよ。室生犀星にとっては文学生活の一部でしたけど。龍くんは韻文と散文をつなぐ重要なキャラクターですね。

芥川龍之介 芥川龍之介歌集青空文庫

萩原朔太郎 小説家の俳句 俳人としての芥川龍之介と室生犀星青空文庫

かつら こんなに街があるといろいろ……。洋行も出来るし。サティが出て来たり。
嘉納 小説街だとエリスが来たりするんですかね。

佐藤 もめますね。

池田 小説街だと作品が持っている情報量が多すぎて、「月吠え」のキャラクターとして変換するのは大変そうですね。

鳥井 小説街は作中人物がいるのかな。基本的にいち作者にいちキャラですよね。「その人の作品の総合的なイメージの擬人化です」って感じではあるんだけど。

佐藤 時期の特定はあって、チューヤくんは中也の結婚前後のころが中心ですよね。清家さん、山口県中原中也記念館の館報にマンガを描かれているんです。フミャーっていう男の子と一緒に動物園に行くという。そこに「『山羊の歌』期が中心」と書かれていました。

中原中也記念館館報/第21号 2016年3月31日発行

中原中也 山羊の歌青空文庫

かつら 一番好きな作品の頃をキャラクター化してるって描いてありましたね。

高原 釈先生の話が出ませんね。

佐藤 かっこいい。

高原 今ホームズみたいになっちゃって。

鳥井 釈先生、一回食べられましたよね。

佐藤 出てきたら瞳の模様が変になっちゃって。

高原 もともと折口信夫はまがまがしいニュアンスでとらえられる作家なので、こんなにすっきりしたイメージは今までなかったんじゃないかな。

佐藤 まがまがしいし、弟子を取っ替えひっかえ、同性へのセクハラのイメージが。

高原 ものすごーく深情けで、一度関わったら離さないみたいな。それで逃げる弟子がいて、っていう話が伝わってますね。

佐藤 折口春洋は逃げられなかったんですね、公私ともに先生に世話になって。実人物のあざを眼帯にするっていう発想もすごい。眼帯にメガネ。みんなかっこいい。啄木も。

作家別作品リスト:折口 信夫

嘉納 石川啄木が人のために何かを語れるっていうのがすごい衝撃的でした。詩人ってろくでなしというか、群れないし、斜に構えてるっていうイメージを先入観で持っていて。だから自分の中の先入観に気づかされますね。

佐藤 啄木は借金王で、光太郎は妻をダメにしたやつっていう固定観念があって。

高原 でも、その通りなんだよ?

かつら 三好達治は気持ち悪いとか。そこもすごい魅力ですよね。

佐藤 自分より小さくて弱そうな人を兄さんと呼んで慕っているところに萌えるってツイートを見ました。

でも、詩歌関係者として刺さるのはチエコさんの「私なんで 絵 描いてるんだっけ」というシーンですね。これは詩でも小説でもそうなんですけど、顧みられないものをなんで作っているんだろうと。刺さる場面といえば、ここが筆頭かも。

あとは白さんを好きすぎる朔くんが不憫で……。白さんがかっこいいというより、白さんを好きな朔ちゃんに思い入れてしまうのは自己愛かなと思っていて。自分は天才ではないのに、なんで共感してしまうのかな。

鳥井 私は共感は誰にも出来ないですね。3巻は戦争の扱いが怖くて学ぶところが多くて、学校で教科書に使って欲しいと思いました。

池田 戦争のところは読み手を信頼している描き方ですよね。

かつら 天皇の話になるんですかね……。

高原 文学史としては、和歌と短歌は切れていますね。正岡子規が始めたのが短歌の運動。「牛飼がうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起る」という伊藤左千夫の歌が「これは和歌ではない」ということをよく示している。その段階で天皇と切れることはできたはずなんですが、政府も一般大衆もそんなこと考えませんから、短歌が広く広まる内に、和歌と区別なく天皇制を称揚する道具の一つとなっていったという明治以後の歴史がありますね。

鳥井 俳句は迫害されるイメージですよね。「京大俳句」が戦前に治安維持法にまっさきにあげられたりして。

佐藤 西東三鬼の「俳愚伝」で読みました。三鬼かっこいい。

高原 水枕ガバリと寒い海がある

鳥井 いかにも神戸なおしゃれさがすごく出ている。ホテルにずっと滞在していて、そこに出入りしている人のことを描いたり。

高原 三鬼は医者ですからね。困ってもなんとか食える。敗戦後にいろいろ頼ってくる女の人がいて、その子に「きみはあまり日本人に好まれる容姿じゃないけど、オリエンタルな顔好きの米兵相手ならうまく行くよ」って紹介してあげたり。

佐藤 女にも男にももててますよね。

神戸・続神戸・俳愚伝 (講談社文芸文庫)

神戸・続神戸・俳愚伝 (講談社文芸文庫)

 

かつら 神戸っぽい話。白秋、あんまり男にもててないですよね。

鳥井 根がすごい善良な人って印象があって。福岡人の身びいきかも知れませんが。

佐藤 親切ですよね。室生犀星がクレームつけたときもいろいろ言いながら、結局面倒見てくれたし。

高原 でも、大手拓次が原稿を送ったけど、生前は白秋も忘れていたっていうようなところもある。拓次が一言手紙でも出せば本になったかも知れないけど。大手拓次の詩の発表は朔太郎より早いらしいしね。

鳥井 彼はちょっと抽象が過ぎるというか、耽美すぎるというか。朔太郎ほどの迫力、読む方にぐっと迫る印象は受けなかったです。

高原 怪奇な詩も多いし。

鳥井 そういう意味では初期白秋の中身のなさを受け継いでる感じもあるし。

かつら なんか自分が14歳くらいだったら好きになりそうですね。やっぱり、あの縦ロールの感じ。

大手拓次詩集 (岩波文庫)

大手拓次詩集 (岩波文庫)

 

佐藤 まだ単行本になっていないけど、拓くんが朔くんに向かって、朔くんが先に詩集を出したことが「悔しかった」と告げる場面があって、「そうじゃろう、そうじゃろう」と。拓くんも探偵みたいになってね。京極堂ワールドみたい。

鳥井 朔くんが関口ですか? 木場の旦那はミヨシくんかな。

嘉納 木場は戦地で詩集読んでそうですね。

池田 時間が迫ってきたんですが、何か話し足りないことなどありますか?

佐藤 一番好きなのは5巻の最初の蛍狩の場面です。引用の仕方がミュージカルみたいで。詩歌をただ並べるだけではない、演出が。これ以降、話は下り坂なんですが。

鳥井 ここは本当にぜいたくですよね。□街の甲斐があるというか……。私は1巻の中頃かな、白秋の「夜」の表現が最初に心をつかまれた箇所だったなって。かっこいいだけの男じゃない。彼が詩の世界で何を書こうとしてるかが前面に出ていて。この流れがすごく好きですね。

かつら 私この作品読むまで、短歌を読む習慣がなくて、でも、この作品を通して短歌好きになりましたね。インタビュー読むためにNHK短歌を買って、気に入ったのを書き写したり。今まで目でふわっと読んでたものをこういう流れできちんと読むときれいだなって本当に心の底から思えますね。

嘉納 石川啄木の「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る」とか、何となく読んでいたけど、口に出すと「天才だ」ってわかるんですよね。

高原 乃我有くんの「あなたが推薦してくれればなんでもいいし、あなたじゃなくてもいい」っていうのが身もふたもなく描かれていてよかった。□街の住人であるためには才能があることが条件ですが、才能というのは他者からの承認あってのものですから、この先100年後に発見されて天才だと言われる詩人だっているでしょう。すると、それにはまず存在を知られないとならないし、知られなければ才能の判定もされない。ということからすると、この種の売名行為が必要悪であるみたいなことは乃我有くんのみの問題ではないですね。(終)

 

ご参加いただいた皆様ありがとうございました!

※本文中、青空文庫で参照できるものについてはリンクを。

できないものは書籍のリンクを貼っております。ご参考までに。

afternoon.moae.jp

公式サイト:1巻の試し読みができます。

月吠ノート

月に吠えらんねえ (@hoerannee) | Twitter

作者自身による解説ブログおよびツイッターです。時折書き下ろしのマンガも掲載される充実の内容です。

月に吠えらんねえ(1) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(1) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(2) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(2) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(3) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(3) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(4) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(4) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(5) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(5) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(6) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(6) (アフタヌーンKC)

 

月に吠えらんねえ(6) (アフタヌーンコミックス) kindle

月に吠えらんねえ(7) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(7) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(8) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(8) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(9) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(9) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(10) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(10) (アフタヌーンKC)

 

 

月に吠えらんねえ(11) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(11) (アフタヌーンKC)

  • 作者:清家 雪子
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: コミック
 

 

 

 「月に吠えらんねえ」特集が掲載された現代詩手帖。6月号は第一特集、10月号は第二特集です。

現代詩手帖 2018年 06 月号 [雑誌]

現代詩手帖 2018年 06 月号 [雑誌]

 
現代詩手帖 2018年 10 月号 [雑誌]

現代詩手帖 2018年 10 月号 [雑誌]

 

 

※ご参加頂いた高原さんと佐藤さんの著書です。

書肆侃侃房 » 「うさと私」

うさと私

うさと私

 

bookclub.kodansha.co.jp

不機嫌な姫とブルックナー団

怪談生活 | 立東舎

怪談生活 江戸から現代まで、日常に潜む暗い影 (立東舎)
 

ゴシックハート | 立東舎

高原英理「アルケミックな記憶」 - アトリエサード Atelier Third

アルケミックな記憶 (TH SERIES ADVANCED)

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月光果樹園 - 平凡社

月光果樹園―美味なる幻想文学案内

月光果樹園―美味なる幻想文学案内

 

筑摩書房 リテラリーゴシック・イン・ジャパン ─文学的ゴシック作品選 / 高原 英理 著

筑摩書房 ファイン/キュート 素敵かわいい作品選 / 高原 英理 著

4. 『モーヴ色のあめふる』 佐藤弓生 | 現代短歌ロード

 

モーヴ色のあめふる (現代歌人シリーズ)

モーヴ色のあめふる (現代歌人シリーズ)

 

 

hontuma4262.hatenablog.com

 

アシッドでけだるげなラップが優しく響いた祝福の夜/あめとかんむり 1st album "nou"release party @中目黒solfa

あめとかんむりのリリースパーティ-、しみじみよかったです。

校庭カメラガールツヴァイの解散後にはじまった、molm’o’mol(もるももる)のソロプロジェクト・あめとかんむり。

 

11月9日に行われたリリースパーティーは、中目黒solfaというtapestokrecordsにとっては馴染んだ箱での開催でした。

平日の夜19時からのオープン。演者はfaela、八月ちゃん(アコースティックセット)、Primula、そしてあめとかんむり。

シンプルでコンパクトな内装と青をベースにした照明が穏やかな東京の夜を強く演出していて、いつものアイドルイベントとはちょっと違った雰囲気。

 

DJが終わるとtapestokrecordsのアーティストで、女優小宮一葉として活動するfaelaのライブがスタート。

ささやくような声のラップはポエトリーというにはちょっと弱々しくて儚い感じ。赤いワンピースに大きな目が印象的でした。緊張感強いなと思ったら初ライブだったとか。

www.youtube.com

Curtain Call (girl remix)のトラックメーカーPrimulaのDJ。

宇宙旅行がはじまりそうなビートに、時折入るかわいいアレンジがめちゃくちゃ好み(わけわからない形容ですみません)。ずっと聴いていたくなる音でした。途中からDJブースから出て来たと思ったら、セーラー服に着替えて旗を振っていたのも面白かったです。

Primula | Primula Cat Fish | Free Listening on SoundCloud

PrimulaのDJで「来てよかった」としみじみ思ったところに、Jasさんからの振る舞いテキーラ

そして、モスグリーンのアー写の衣裳を着たmolm’o’mol登場。優しいビートのイントロが鳴ると同時に、フロアから少し声が出ます。「またコウテカの曲を歌う日が来るとは思いませんでした」という言葉をはさみ、Curtain Callソロ。

Curtain Callは「思い出す」ことについての歌で、過去と現在、そして未来の意味が1曲の中でどんどん変化していきます。

「これはきっと大切な詩になる 今日はきっと大切な1日 そんな衝動ふわりと浮かび出す カーテンコール」

今日の歌には、うぉーうぉーとぅーみーも、ののるるれめるも、しゅがしゅららもいない。なのに、なぜか寂しいとは思わず、ただリリックをひとつひとつ聴きとりながら、音に耳をすませていました。

Dis dear Month of August / 校庭カメラガール | tapestok records

※リリックは↑で確認出来ます。

molm’o’molが下がって、八月ちゃんのアコースティックライブ。

髪色に合わせてブルーでまとめた服装がsolfaの照明とよくあっている八月ちゃん。柔らかいギターの音色と、八月ちゃんの少しかすれた声と素直な歌い方が心地よく、ちょこちょこ哀しいフレーズが挟まる歌詞がすっと入ってきました。合間に色の違う坂口恭平のカバーが入るセトリもよかった。

www.youtube.com

 

0413

0413

 

アシッドなハウスミュージックに乗る、一見けだるげで投げやりな、でもどこか切実なラップ。幻想的な音作りとどこか心に引っかかるラップの組み合わせ。

実は、最初にこのプロジェクトのMVが公開されたときに、まったく理解できなくて周囲の高評価に戸惑っていました。だから5月のイベントで観たときも正直そこまでピンと来ていなかったのですが、いつの間にか音が耳に馴染んできて、アルバム発売が告知された頃はすっかり今年の秋の大きな楽しみの1つになっていました。

www.youtube.com

ライブはアルバムの冒頭と同じく、あぶくの音を加えた音に、数え歌のような言葉が乗る不思議な曲・backからはじまり、スムースなつなぎで進んでいきました。

どこか憂鬱な言葉が続く曲ばかりだけど、八月ちゃんを加えてのwith out youでの二人の楽しそうな様子とか、フロアの中央に降りてきて煽りを入れたり、真ん中で寝転んだりというちょっとしたあれこれやってみた感とか、控えめながらいきいきとライブを楽しむmolm’o’molと、それを見守るように身体を揺らすフロアの人々という画がとてもよかった。

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アイドルを辞めてから今まで以上に口べたになったみたいで、MCは何だかフラフラしていたけれど、それをゆっくり聞いているフロアの様子も含めてとても幸福な現場で、最後のTomoさんが誕生日ケーキを渡す場面では、何だかちょっと懐かしい気分になりました。

エモーショナルでフィジカルにくるライブも楽しいけれど、こうして、自分にとって新しい音楽を祝福の気持ちとともにゆっくり味わうことが出来るというのもとても気持ちがいい。

よいライブというのは「もう一度あの時間に戻りたい」と思わせてくれるものですが、この日は間違いなくそういう一夜でした。

nou

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