いやー、これは熱かった。行ってよかった。その時歴史が動いた。
梶原一騎と言えば「あしたのジョー」「巨人の星」「タイガーマスク」と、マンガの歴史に残る作品の原作者でありながら、あまり研究の対象になっていません。
いわくの多い人だからわからなくはないのですが、それにしても語られなさすぎでは。
というわけで、私自身は「梶原作品全部めっちゃ好き!」「梶先生は神!」というタイプでもないのですが、何かしらイベントがある場合はなるべく行って記録に残すようにしていました。
ただ、日ごろからそんな扱いなので、周年でも記念に何かが出版されるわけでもなく、2016年の生誕80周年は、ファンサイト「一騎に読め!」の管理人BONさんが阿佐ヶ谷LOFTでトークイベントを開催したくらい。
その後も目立った動きはなかったのですが、明けて2017年の8月、A・Tプロダクツ主催イベント「梶原一騎絶筆30年~SO!一騎集会~」が開催されました。
A・Tプロダクツはご子息が運営する梶原一騎の版権管理の会社。後援に講談社、集英社、東映アニメーション株式会社、株式会社トムス・エンタテインメントが加わり、主催のご家族のほか、ちばてつや、川崎のぼる、森川ジョージが登壇するという豪華なイベントになりました。
同日のメテオナイトの鎮座DOPENESSおよびBUDDHA MAFIAとまるかぶりだったのですが、三原順の復刊運動の立役者・笹生那実さんも参加されるとのことで、渋谷から竹橋という現場回し。
会場には平松伸二による力強い筆致の「梶原一騎 絶筆30年 ~SO!一騎集会~」の看板。没後でなく絶筆という言葉が劇画的。
お客は当然ながらリアルタイム世代の50~60代男性が中心。席番が決まっていたので会場後方に腰かけて開始を待っていました。
開始を告げたのはアニメ「あしたのジョー」の曲。そして現れる白いロングドレスの女性。真樹日佐夫のご息女・高森緑さんだとか。
あしたのジョー、巨人の星、愛と誠、タイガーマスク、空手バカ一代の映像が流れ、主催者の高森家長男・高森城さんが登場。このイベントの開催の意図が語られます。
「梶原一騎と聞いて何を思い浮かべますか。
スポーツ、野球、ボクシング、空手。あるいは、酒、女、暴力。
それは作品や事件報道で作られたイメージのひとつでしかありません。
多くの時代を共にした人の証言を通し、1人の人間としての梶原を発見し、作品を見た際に伝えようとしたものを新しく感じてほしい」
今では語られることも少なくなった父・梶原一騎について、改めて評価し直す機会を作りたいという強い気持ちを感じました。
そんなご子息が最初に語られたのは食事について。
「働いてない親と子供では食べるものが違った。米が父はコシヒカリで、子供は標準米。」という話。
といっても、そもそも梶原は自宅では質素な食事をしていて、子供が標準米なのは「人間はぜいたくをしたくてがんばる。小さい時からいいものを食べていると、そういう精神が得られない。」という理念からだったとか。
さらに、「プールで足のつかないところに投げられて泣いた。」「鬼の仮面をつけた梶原に追いかけられたのがすごく怖かった。」など、昭和だなという話が続きます。
緑さんも「私もプールには投げられました。当時の写真はみんな泣いてるか、ふてくされてるかです。でも、父は常に満面の笑みなんですよね……。」
城さんも「そうなんですよね……。」
……。あんまりイメージの刷新になってないような。
そんな城さんのもっともかっこいい父の記憶は、大病からの退院後、子供ふたりの腕を力強くつかんで廊下で歩行練習をし、ついに歩けるようになった時のことだとか。
その後に映像として映された梶原一騎宅でのインタビューでも、ぽつぽつと父親に対する畏敬の念を表に出していました。
「今やろうとしていることが父の意に沿っているかは実は不安。答えを聞いてみたい。聞いたら何甘えてるんだって言われるかもしれないけど。」
梶原一騎は美空ひばりファンで、ポケットにビスケットの歌(東京キッド)をよく歌ってたとか。
教務院であった女の子が梶原で、その名前をペンネームにしたそう。この話は「夕焼けを見ていた男」に出てきたかな。
「その女の子は梶原一騎が描いた似顔絵に似ていてね。梶原は絵を描くのが好きで、兵隊さんの絵をよく描いていたよ。親父が挿絵画家だったからその血を引いてるんじゃないかな。」という「梶原一騎は絵がうまかった」という話に。
これに城さんびっくり。
「梶原一騎は絵が下手だから描いてないのかと思っていました。」というと、「家にあると思うから今度見せてあげるよ」いう返事。
いや、日佐志さんあっさり話してますけど、それめっちゃ大事な話では……。
その後も楽しげに兄の話を語り、「よく買ったばかりの本を持って歩く姿を見た」というエピソードを披露してくれました。
次はアニメ「タイガーマスクW」のプロデューサーのギャルマト・ボグダンさんの話。
実はタイガーマスクのリメイク企画はずっと存在していたけれど、なかなか実現しなかったとか。
「最初は朝の枠だったけれど、深夜になった。もう少し大人向けにしなくてはと、一旦シナリオを3本くらい捨てた」という話も。
ボグダンさんの口ぶりはちゃんと原作に対する愛情のある感じなのに、なんでアニメはあんなことになってしまったんだと思いながら聴講。
さて、イベントの目玉である森川ジョージの司会によるちばてつや・川崎のぼるトークショー。
とはいえ、川崎先生もちば先生も取材の機会の多い人なので、あまり新しい話などは期待しないつもりでしたが、これがかなりヤバかった。
森川先生、「ぼくは梶原作品と関係ないけど、マガジンつながりでちば先生、川崎先生に失礼な口を聞けるのは誰かということで呼ばれました。」というあいさつ。
その森川先生、最初に客席にいた丹下段平芸人のガンリキさんをひっぱりあげてアドリブで物まねをやらせたりと司会がうまい。それまでご親族が作っていた緊張感を断ち切り、いっきにロストプラスワンのような空気へ。
ちば先生、もともと「ハリスの旋風」終了後にボクシングマンガを描くつもりで、宮原照夫さんに資料集めを依頼していたのだとか。そこで、梶原先生の原作はどうかと勧められたけど、「ぼくは原作を変えちゃうから」と断っていたそうです。
そんなある日、宮原さんから「今、梶原さんと呑んでるから取材したら。」と言う電話があったとか。
「ちょうど行きづまってたから行ってみたら、サングラスに真っ白なマフラーの人が出てきて『よろしく』と。『あっ』と思って宮原さんを見たら、下むいて笑ってるんですよ。」など、軽快にお話ししてくれました。
とはいえ、先ほど書いたようにやはり既知の話が多く、
「大リーグボールの正体は明かされていない状態で原稿が来た」
「バーでトリプルクロスをどう描くかというのを二人で実演していたら、ケンカしていると思われて警察を呼ばれた」
など、「あ、それ読みました」という気持ちで話を聞いていました。
しかし、話も半ばになり、原作をいかにマンガ化するかについて話がおよんだ時に、この日一二を争う衝撃発言が。
川崎先生の「すごくイメージが湧いたので、そのイメージを膨らませて描いていました。編集は原作が面白いと思っているのだから、マンガがそれに負けちゃいけないと思っていた」という話から、ちば先生はわりと原作そのものを変えてしまうという話に。
「ジョーの冒頭、原作は試合シーンから始まるんですよね。それなのに実際にはドヤ街からはじまっていて」という流れから、森川先生から出た言葉が
「ちばくんはどうして勝手に変えちゃうの?」
マジか。ジョージ失礼すぎる!
と、思わず脳内でジョージ呼び。森川先生……、いや、とりあえずしばらくジョージ表記で。ジョージすごいな、編集者やライターには絶対できないぶっこみ方。
一瞬ひるんだちば先生の口から出たのは、「導入があったほうが読者が入り込みやすいと思った」というこれまた何度も語られた話。
しかし、その後に続いたのが「梶原先生が原作を変えるのを許さないというのは聞いていたので、バーで会った時に『ぼくはマンガのために変えますよ』と言ったんですよ。そしたら、しばらく考え込んで『許す!』と言われたんです」
……!? ちば先生、その話するのたぶん初めてですよね?
いや、私もちば先生の動向を仔細に追っているわけではないので、どこかで話しているかもしれないですが……。
でも、これ初めての話ならマンガ研究的にめちゃくちゃ大事な話では。いやー、なんだこれ。立ち会った感あるな。
ていうか、そこで一言言質を取っておくちば先生、如才ないな。正しく大人。
その後は最終回についての話から、ちば・川崎でお互いの主人公を色紙に描くという企画に。
両先生がペンを走らせている間に、客席にいた平松伸二に声をかけ、登壇させる森川ジョージ。
「年寄りだからね。時間かかっちゃいますからね。」という、また冷や冷やさせる森川ジョージのフリから、平松先生による梶原一騎話。
当時はあしたのジョー、巨人の星、男一匹ガキ大将が人気で、平松先生はデビューしやすそうだったジャンプに投稿したとか。
それを聞いてすかさず、「その3つの中でどれが一番好きだったの?」というツッコむジョージ。
「それをここで聞くの?!」という平松先生。会場の人間もみんなそう思いましたよ!
結局苦い顔で「うーん、ぼくの最初の投稿は野球マンガだったんですよ……。そこからお察しください」と答えるはめに。
その後も「何も見ないでタイガーマスクを描け」とジョージに命令されて色紙を描くも、まったく似てなくていじられるさらし者扱いの平松先生。
平松先生は10歳くらい年上なのに、ジョージすごいな……。
そんなジョージは、巨人の星終了後、川崎先生が梶原宅に行った際のエピソードを披露した際にも、いい合いの手を入れていました。
「『俺と連載していて、俺のうちにきてないのは川崎くんだけだよ。』と言われていて。手土産を持っていかなきゃと思って、飛雄馬の絵を描いて言ったら喜んでくれました。その時にいろんな話をしましたね。後から考えると愛と誠とか空手バカ一代の構想なんかも。」
「じゃあ、川崎先生が『愛と誠』や『空手バカ一代』を描いていたかもしれないと?」
「はい。でも、引き受けなくてよかったですね」(ほかの作家と組んで出来た作品がすばらしかったということでしょう)
おお、適切なツッコミ。さすがボクシングマンガ描いてるだけあって反射神経がある。
そんなこんなでトークも無事終了。各先生方のあいさつが終わり、イベントもつつがなく終了しました。
いやあ、しかし面白かった。何がって、新しい話がたくさん出てきたのが面白かった。
梶原一騎が絵を描いてた話とか、たぶん本当に初めて出てきた話ではないでしょうか。
ほかにも森川先生の危ない誘導によって出てきた話もスリリングで。
「巨人の星は当時の人気アンケート1位しか取ってなかったと言われましたが、その後でジョーはやり辛くなかったですか?」とか、「ジョーが始まって川崎先生はどう思われました?」とかも、相手によってはけっこう危ない球。
お二人とも芯から人格者なのでお互いが「同じ雑誌で肩を並べられるのは嬉しかった」というようなお返事でしたが。
あとで楽屋で「ごめんなさい☆ボク、先生たちのこと大好きなので♪」みたいな感じで切り抜けるんだろうなー。もちろん、その言葉に嘘はないだろうけど。
しかし、これは本当に森川先生にしかできなかった仕事。正直なところ、今さら川崎先生、ちば先生からこんなに新しい話(のはず)を聞くことができるとは思いませんでした。
ほかに、川崎先生が語ってくれた、最晩年に銀座を歩いていたら、真樹・梶原が歩いてきて、梶原一騎が「川崎くんは俺の恩人なんだよ。じゃあな。」と言って去っていった話も泣けましたし、かの有名なあしたのジョーの最終回の変更について、直接ちば先生の口から聞けたのもよかった。
「原作は白木葉子のお屋敷のベランダに目がうつろなジョーが見ていて、白木葉子がそれを見ているというラストで。
それはそれで詩情があるけど、あの死闘を描いてきたリズムがある。
あのほんわかした感じだとぼく描けないよと言ったら、『今まで好き勝手描いてきてなんだよ。まかせるよ』と言われて電話を切られちゃった。」
これ自体は有名な話ですが、「死闘を描いてきたリズムがあるから、あのほんわかした感じだと描けない」という表現で、より腑に落ちました。
改めて「語りというのはさまざまな方法で繰り返し行われる必要がある」と実感した次第です。
自宅や資料の保管など、ご家族のご苦労は尽きないと思いますが、今回のイベントに心からの感謝を申し述べたいと思います。
- 作者: ちばてつや,高森朝雄,豊福きこう
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/01/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ちば先生が「許す」という言質を取ったエピソード、「この本なら書いてあるかな」と思って買ってみたやつ。
作品の時系列に沿ったインタビューに当時のアオリやイラストを並べたもの。内容的にはさほど目新しくないですが、紀子がジョーに真っ白な灰になる心境を語るエピソードを描いた時の心境というのがとてもよかった。
(前略)あれは僕自身の問いでもあったんです。毎日毎日締め切りに追われて漫画ばかり描いてきましたけど、これではたしてよかったんだろうかと?(中略)このシーンを描いた時、自分なりに答えを見つけて納得したんです。「俺はこういう一生でいいんだ」と吹っ切れた。自分は同じ年頃の若者が楽しんでいるゴーゴーは知らない。でも、日本中の若者が漫画を読んでくれている。「こんな充実した人生はないんじゃないか」と思ったんです。
いい話……!
梶原一騎のマンガ文化における功績を、夏目房之介がマンガ研究者の立場から非常にうまくまとめた論考が収録されています。名著。
※評伝「梶原一騎伝 夕焼けを見ていた男」が何故かこんなタイトルに……。いや、意図はわかるけど安易すぎるし、むしろ反発を買うのでは。いい本なのになあ。
しかし読み返すたびに、「ちゃんとマンガの仕事を続けてくれていたら」と思ってしまう。
↓笹生那実さんによるイベントの感想!
会場に展示してあった年表の写真などもあります。
笹生那実のブログ 『梶原一騎絶筆30年~SO!一騎集会~』その1