ホンのつまみぐい

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『H2』読み終わった

 

 あだち充にはいい印象を持っていなかった。

 中学生くらいの頃に読んだ『タッチ』で、話がうまく片付かなかったのか、突如転校か何かで物語から退場させられるキャラクターがおり、脇役にずさんな扱いをする人だという印象を持っていたからだ。

 また、短編などに登場する女の子も、いまいち自分の気持ちをはっきり言わない子が多く、男に都合の良い女に見えた。

 しかし、『H2』は登場人物が脇役も含めて丁寧に描かれているし、高校時代が遠く離れてしまうと、若者の恋愛のリアリティについてはあくまでフィクションと割り切れるようになった。何せ描いているのは貸本世代の作家なのだ。自分の恋愛観とギャップがあっても仕方ない。

 読んでみると、いろいろイメージと違うところがあって面白かった。

 『H2』では、ちょっとした不運のために野球愛好会しかない学校に入学した主人公の比呂(投手)と相棒の野田(捕手)が、愛好会を野球部にするために尽力する。

 この過程でさまざまな形で部員を集めていくのだが、これがほとんど時代劇のようだった。

 過去に因縁のある相手、敵陣からのスパイ、かつて野球少年だったサッカー部の男、野球を禁じられた男……。曰く所以のある連中を少しずつ仲間として取り込んでいく。

 まるで黒澤映画のような古典的な流れと、「熱血の時代を終わらせた作家」と名指される作者のギャップに驚いた。

 「親の借金の肩代わりを盾に、比呂の学校に入って暴行をおこなうように指示される男」が出てくるっていつの時代のマンガなんだ。

 読み続けるうちにこの仲間たちにだんだん愛着がわいてきて、いつの間にか画面に仲間が揃っているだけでうれしくなってしまう。特に、最初は敵として登場する木根と広田の厚みがどんどん増していく感じが面白かった。この感じ、長期連載マンガならでは。

 そして、読むとわかるのがあだち充が本当に野球が大好きだということである。私は野球に関してはマンガを通して基本的なルールを知っているくらいで、現実の試合をしっかり観たことはほぼない。だから、どのような試合の内容だからすごいという基準で物語を判定することはできない。しかし、知識が浅くても濃厚に野球への愛情が伝わってくるし、試合の内容自体を面白いと思わせてしまう。緩急がうまい。

 懸案の恋愛描写は「高橋留美子だったら女の子側が感情をあらわにしてとっくに終わってる」と思う箇所が無数にあり、「こんなにおとなしく黙って待っている女はいねえ!」と何度も思った。特に古賀ちゃん。『H2』は比呂と幼なじみのひかり。ひかりの彼氏であり比呂の親友である英雄。比呂が高校で出会う古賀の4人で繰り広げられる恋愛劇。野球愛好会を部にしようと尽力する古賀ちゃんは、比呂といい感じになる女の子だ。

 古賀ちゃんの快活明朗なキャラクターで、比呂の煮え切らない態度に怒らないのは正直現実だったらありえない。『めぞん一刻』のこずえちゃんみたいにぐいぐい行っていてもおかしくない。少なくとも比呂は古賀ちゃんへの好意を直接的に示して、それなのに幼なじみで親友の彼女のひかりが忘れられないのだから。

 まあ、しかしそれもすべてマンガなのでということでひとまず置いて。

 物語中盤、ひかりが「比呂のことは大好きだけど、すでに英雄とつきあっているから気持ちに応えられない」というのを伝える場面で、ひかりが言う「比呂は海みたいなもんだよ」というセリフが見事。永遠ってことじゃん。

 寂しい時やつらい時に自分の心に寄り添ってくれる存在で、だけど身近すぎて恋愛に発展できなかった比呂。そんな特別な相手に対する答えとして、成熟している。

 恋人でもこんなすごい愛情表現をされることはないだろうと思うけど、今作ではこれが好意への「No」として機能する。その緊張感にしびれた。

 あとは、比呂と英雄の作中最後の対決を前に、野田が「楽しくやろうぜ ただのボールゲームだ」と英雄に声をかける場面も、かっこよかった。

 野田は最高の人間。成熟しすぎて高校生とは思えない。マンガだもんな。私も野田のような人間になりたかった。

 ただ、セクハラ描写が多いのでダメな人はダメだろうと思う。個人的には、グラビアみたいな水着シーンが出てくることはそんなに気にならなかったけど、主人公の父親が息子の友達の女の子の裸をのぞこうする描写は本気でキモかった。後半はまったく出てこなくなってよかった。