4月22日に「月に吠えらんねえ」読書会の第2回を行いました。
今回は、現在大学院で北原白秋について研究しているささ山もも子さんが参加して下さり、鳥井雪さん、高原英理さん、佐藤弓生さん、嘉納、池田での6名での開催となりました。前回の起こしがかなり大変だったので、今回は抄録となります。
第1回の記録はこちらです。
◆「月吠え」のマンガ表現について
第8巻「むらがる手」の最終2pのさみしいのリフレイン。前回も今回も「清家雪子は詩人でない」という話が出たが、こういうところはとても詩的。
6巻「悪人」の虚子の「椿が」という描写はまさにマンガ表現による詩にほかならない。萩尾望都は画を取り払ったところに詩があるけれど、清家雪子はマンガ表現が詩になっている。そういう意味では竹宮恵子っぽいかもしれない。
朔ちゃんの顔が丸くなってるのは意図的なのか。女性というより子供化してるというか。
小説街の建物などは芥川龍之介のエッセイのイメージか?銀座のカフェやホテルというモチーフ。小説街は建物が大きく、少し遠近感が狂った状態で描かれてる。また、空がよく見えず□街にくらべて全体的に解放感がない。ポール・デルヴォーやキリコを連想させる。
◆月吠えはマンガとしてどう受け止められているか
画の色気がとても好き。いくらでも見ていられる。8巻最後の白さんと朔くんは特に色っぽい。
マンガ好きに勧めても「難しい」という反応が多い。はまってくれる人と腰が引ける人の2種類にわかれる。
ドラゴンボールみたいにわかりやすい勝ち負けがあるならみんな抵抗感なく読めるけれど、この作品は何が嘘で何が本物かわかりづらい。
作家ではなく作品を擬人化にしたもので、清家雪子の解釈を読む作品。物語に酔いたい人にはそこがダメなのでは。
トークイベントでご本人が「連載が続くかがわからなかったため、1,2巻は教科書レベルの作家しか出せていなかった」と話していた。「3巻以降はかなり計算して描いている」とのこと。内容的にも1、2巻はエンタメ性が高く、あまり物語に没入しなくても読める。
よく「二次創作」と言われるが、そうでもないのでは?「なんちゃって」と言える留保がある。なんちゃって新撰組世界である「銀魂」みたいとも言える。
石川くんの回からわかるが、そうした二次創作な目線で見ている自分自身にとても厳しい。
◆今後の展開について
龍くんが「白さんに向き合わなくちゃ行けない」と言っているが、どういうことか。
今後□街は保持されるのか?
これまで□街を作ってきたのは中原中也、宮沢賢治、萩原朔太郎。彼らは戦争から一番遠く、なおかつその時代を定義づけてきた人ではないか。そして、詩人としての評価の高まりが中也→賢治→朔太郎だったから?
では、なぜ一番人気があったはずの啄木ではないのはなぜか?彼は崇拝されてはいないからではないか。歌人はどうも立場が弱い。
当時の歌人二大スターは斎藤茂吉と与謝野晶子。この両者は短歌を読み慣れてくと面白みが理解できてくる。伊藤左千夫は短歌の世界の巨人だけど、圧倒的人気なのは茂吉。
しかし、茂吉は茂吉のまわりにあるものしか描写しない。だから□街の世界を作れないのでは。一方で、正岡子規など俳人は朔太郎から遠い存在だから□街では自由に振る舞える。
ポピュリズム批判は戦争だけに向けられるものではない。マスになった時に人間は愚かな方向に行ってしまう。戦時下ではそれが翼賛一色になる。そうした翼賛精神は詩人の中にもあるもの。そうした状況に対する批判がこめられている。
谷川俊太郎はかつて「歴史に興味が持てない」と言っている。それは「時間の流れでものをとらえたくない」という考え方によるもので、詩人にはそういう考え方をする人が多い。そういう意味で、清家雪子は詩人じゃないと強く思う。
一方、犀は半分詩人で半分小説家。彼が観た世界そのものが、□街に対する批判になっている。
なぜ白さんや朔くんは犀の顔が認識できないのだろうか。彼が半分小説街の人間だから?実は1巻で三好くんやJUNさんは犀の顔が認識できていることがわかっている。白さんや朔くんが彼の顔を認識できないのは、二人が戦前に死んでしまったからではないか。
宮沢賢治の造形について。カルト宗教の教祖っぽいところがよく書けている。楽しそうだけれど、みんなお面をかぶっているという世界。しかし、朔太郎はお面がうまくかぶれない。
以前「賢治は長生きしたら国粋主義的な詩を書いていただろう」という話になった。「純粋なものを守る」という童心主義的発想は国粋主義的なものと結びつきやすい。童心を守るためには庇護者が必要になるというのもその一因。北原白秋は母性信仰のある人で、自分の母を絶対悪く言わなかった。また、小川未明・浜田広介・坪田譲二らも当時は翼賛的な児童文学を書いている。
モダニズムは今そこにあるものを書くという思想。科学技術が飛躍的に伸びたので、都市に住む人々には個人主義で純文学的な作家がダサく見えた。
朔太郎は個人主義者で、自分自身の心を描く。モダニズムの詩人はそんな朔太郎を否定した。しかし、モダニズム詩を書いた人がみんな翼賛詩を書いてしまったことで、戦後になって十把一絡げになってしまった。
戦後、詩人はみな戦争責任を追及され糾弾される。果たしてその物語は書かれるのか。
現代詩では戦前と戦後が途切れている。今の詩人は戦前詩をなかったように扱うが、月吠えには「たしかにあった」ということが描かれている。
萩原朔美さんが講演会で「これ、最後死ぬよね」と言っていた。しかし、この作品内における死とは?
□街には死という概念がないのに死体は存在するというのはどういうことか?
本来の萩原朔太郎は時間の流れの中で生きていて、本編にも青年期や老年期の萩原朔太郎の姿が描かれている。では、□街の朔くんは時間の流れの中に戻ったら消えてしまうのだろうか?
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現代詩手帖もとても充実した内容だった「月に吠えらんねえ」。この抄録が読解の手助けになれば幸いです。
参加してくださった皆様、ありがとうございました。
月吠えは第二特集としてその後も詩手帖に姿を現しました。
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※ご参加頂いた高原さんと佐藤さんの著書です。
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また、ささ山さん入魂の月吠え関連記事はこちらです。 代表的なものだけ貼っていますが、「月に吠える通信WEB」内にはささ山さんの記事がたくさん掲載されていますので、ぜひ検索でじっくりチェックしてみてください!