8月13日に「月に吠えらんねえ」の読書会を行いました。
この企画は、もともと池田の友人の「『月吠え』好きの鳥井さん(俳句好きプログラマー)とかつらさん(15年来の清家雪子ファン)を会わせてみたら面白いのではないか」という動機から始まったものですが、ツイッターで参加者を募集したところ、歌人の佐藤弓生さんと、作家の高原英理さんにご参加いただくことになりました。また、池田の親族の嘉納も参加し、計6名での実施となりました。
以下はその記録を書き起こしたものです。画像は引用の範囲で使用しています。
当然ですが、ネタバレあります。
佐藤 女性による復讐の話であるという意見を複数の方から聞きました。チューヤくんは彼女に去られるし、朔くんはあの通り。常に女性から、なんらかの形での告発があります。
鳥井 それが一番顕著だと思うのはチエコさんの話ですね。
佐藤 初めて読んだとき一番びっくりしたのは、チエコさんがかわいくないということでした。醜くはないけれど、美少女系のロボットにしていない。
かつら 笑顔じゃなくて、ラジコンみたいな存在で。
佐藤 そう、すごく皮肉がきついですよね。
高原 男性の作家にはまずないですね。精神が壊れていく様子の表現というなら、それがどんなにけなげでかわいらしいか、だけを男子は描く。
佐藤 「最終兵器彼女」みたいな感じ。
皆 それだ!
かつら 女性の書き方はたまにすごい嫌悪感を感じる時がありますよね。
鳥井 白さんに群がる女性たちとか。ミソジニーがあるってことですね。
かつら 清家さんの女性の描き方ってすごく不思議で、フェミニストの描き方じゃないですよね。女の子のキャラを描くと、昔からなんか雑になっちゃって。どこか蚊帳の外というか。でも、今回は朔くんが両性具有っていうか、女性も含んでいるから。皆さんはこの作品に出てくる女性キャラについてどう思いますか?
鳥井 名前のある女性と白さんガールズなどの「その他の女性」を描き分けていて、その対比を意識されてると思います。
かつら でも、ガールズも何かを目指そうとしていたガールズじゃないですか。ただの無名のガールじゃなくて、ものを描こうとしていたガール、夢破れたガールたちじゃないですか。
鳥井 あとは歌手だったりしますね。
かつら ただのその辺にいる人じゃないですよね。
嘉納 清家さんまじめだなと思ったのは、白さんガールズはあくまでそばで働いている人たちなんだって。あくまで出版業を構築する秘書として存在している。
鳥井 手紙を仕分けしたり、校閲みたいな事もしてましたよね。「これ、前に出てこなかったっけ」って。あと、白さんガールズの中にもヒエラルキーがあるって言う。
かつら 「ハァさん」って呼んでいいかとか(笑)
嘉納 ただ消費する人・される人じゃなくて、詩人として挫折していった人を職業婦人として描いている。だから、女工哀歌とかそのうち出てくるのかなと。職業として働いている理性的な存在である一方で、白さんが正気に戻ると弟子に追い出されちゃう。最初と後半で意味が変わっていくなって。何もしていない女性が出てこないですよね。
鳥井 ガールズではない街の女の子、最初の方で「ほかの街に移住しないか」って話をしていますよね。彼女たちはいわゆる消費するだけの存在かなと。思想街はめんどくさいとか小説街は甲斐性があるとか。
嘉納 経済街は頭からっぽで。
鳥井 美術街は裸にならなきゃいけない。
佐藤 白さんガールズはケンカしないですよね。溝口彰子さんの「BL進化論」という本の中に、腐女子の連帯はレズビアン的である、女の子同士でつながりながらBLを読んでいるという分析があるのですが、それに近い連帯を感じます。
鳥井 そういう意味では私はジャニーズファンの仲いい人たちみたいな印象がありますね。
佐藤 仲がいいんですか?
鳥井 ある程度理性的な人たちは……。ファンはアイドルと夢を支えるものという気持ちでまとまっています。
佐藤 ジャニオタはちょっとわからないけど、宝塚ファンとかはすごいヒエラルキーがあるって聞きますね。
鳥井 ヅカファンとかにも近いかもしれませんね。白さんもたまに宝塚の男役みたいだし。
佐藤 統制されたファンという感じでしょうか。
嘉納 だから朔くんはほかのファンに嫌われるんですよ。粘着するから。
鳥井 悪いファンだけど、才能があるから認められているっていう白さんガールズからすると一番嫌な存在ですよ。わかりやすくガールズと同じ扱いされてされてるのは、アッコさんの旦那さんの愛人・山川登美子、とみちゃん。才能のあるなしで立場がわかれてしまったというのは、ガールズと同じ主題を描こうとしていると思います。
佐藤 でも、登美子は本が残っているから名前もある。これは本が残っている人には名前がある世界なんですよね。
鳥井 けれど、□街にはいられないですよね。
佐藤 アッコさんの犠牲になった女として登場するから、□街では存在できない。ただ、あれはアッコさんの心の中のとみちゃんだから、実際の登美子とはまた違うかもしれない。登美子は「をみなにて又も来む世ぞ生れまし花もなつかし月もなつかし」という歌を残していて、自分が女に生まれたことを嫌がっていないし、そのことで誰かを強く恨んでいるようにも見えないですし。
池田 男性と女性ということで言えば、アッコさんにしろ、チエコさんにしろ、ちゃんと関係性の居場所を作ってあげている気はするんですが、それがどこか割り切れてしまうと言うか、説明的な感じがしますね。朔くんとミヨシくんとか、朔くんと白さんみたいに感情で駆動してないというか。
かつら コマとして存在する女の子しか出てこない気はする。情緒はわざと朔くんと白さんに詰め込んでいるのかなと。
嘉納 白さんガールズも理性的ですよね。女性は皆理性的。
佐藤 チューヤくんの彼女も、あんなに自己分析できているっておかしいですからね。
かつら 清家さんのデビュー作の「孤陋(ころう)」(「まじめな時間」2巻に収録)は、とても理性的な女の子が草むらで拳銃を見つける話なんです。社会の規範を守っている理性的な女の子が、タブーである拳銃を手にする。ルールから逸脱することへの憧れがとても強いんだと思います。
佐藤 男性の行動に憧れる気持ちがある。同時に、同性への共感もすごくあると思うんです。一番理性で描かれていると思ったのがアッコさん。でも、とことん嫌な感じで描かれているキャラクターっていないですよね。乃我有くんですら。
池田 しかも乃我有くん人気投票10位だし。
かつら あれ謎ですよね!誰ですか、金田一先生にいっぱい入れてる人。
佐藤 金田一学会の人かな? 何が何でも番外編を書いてもらうっていう。(4位までに入賞した人物で番外編を書き下ろすという企画でした)
かつら 学会総出で!ちょっとしか出てこないのに。2位は誰だっけ?
池田 2位が朔で、1位がミヨシくん。
かつら で、川端康成が3位っていう。
鳥井 カワバタは顔の良さ勝ちなところあるんじゃないですかね?
池田 あの結果は「しょせん顔なんだな」って思っちゃったよ……。
鳥井 わたしはぐうるさんに入れましたよ!
佐藤 私も入れました。あとは大将。
池田 私は入れるなら犀かなと思いました。
かつら 犀は超すてきですよ~!
佐藤 あれは一番いい男ですよ。理想の彼氏です。
鳥井 でも、ああなってほしくなかった気持ちもわかります。昔の犀でいてほしかった……みたいな。
佐藤 「NHK短歌」の穂村弘さんとの対談で、川端康成が好きとおっしゃってましたね。それが本編に現れていて、いいキャラ立ちしてるんじゃないかなと。でも、太宰治を出す気はなさそう。
鳥井 時々それらしいのが死体っぽい感じで出て来ますよね。自殺した文学者っていうわりと雑な役で出てくる印象が。
佐藤 描きたくないみたいに見えますね。だから嫌悪があるとしたら描いてないんじゃないかな。ああいうムシのいい感じの、甘えてきそうな人。
鳥井 それなら、ミッチー、立原道造とかも。
高原 ミッチーは童貞だしね。川端康成もペドフィリアでしょ。現状況であんまり胸を張って主張できる立場とは言えない。世の中でまともと言われる安心から押しつけがましい態度を恥じない、というようなセクシュアリティの人はあんまりいない。何となく女の人が意識の底で嫌いそうなモノは描いていない気がしますね。
佐藤 たぶん、描くと作品がにごってしまう……。
高原 汚れたくないというのがあると思う。でも、汚したくない反面、意識することは禁じていない。
かつら 白さんを描くときに参考にしたという詩がありますよね。
佐藤 「桐の花」所収の「ふさぎの虫」ですね。
かつら 自分がすごい窮地に追い詰められてるのに、自分がモテであることをひけらかすでもなく、当然のことのように描いている。太宰もよく女関係のことをグチグチ描いていますけど、それよりももっとキラキラしていて、でも、ちょっと暗いというか……。女関係のことを書いて、こんなにかっこいい人いるんだなって。
鳥井 ちょっと自暴自棄入ってて。
かつら 髪乱れ系白さんですよね。
佐藤 刑務所に入ったことがあるからこそ好きって朔くんは言ってましたよね。
かつら 北原白秋ってどういう存在なんですか?うちは五歳の子供がいるんですけど、白秋の歌をすごく歌うんですよ。
鳥井 「揺籃のうた」、私子供に毎晩歌ってますよ。
かつら この前うちの子供が、お人形さん自分で抱えながら「ゆ~りかご~のう~たを」って歌ってる時、何だかすごい神々しくて……。世界がすごく美しく感じられるんですよね。
鳥井 「虹がかかる」みたいな。
かつら そうそう! メロディーもすごく美しいですけど、透明な……。透き通るようなきれいな気持ちになるんですよね。
鳥井 「揺籃のうた」、毎日歌ってるとわかるんですけれど、完璧な詩ですよね。歌い出しとか歌いやすい音にしてあるし、子供も覚えやすい。
かつら そう、同じ言葉の繰り返しが多いから、子供も全部歌えるんですよ。
鳥井 最後「ゆめ」で終わるじゃないですか。
かつら そ~~う! それがすごくきれいで。「これが白さん!」と思って。
鳥井 毎晩、「白さん天才だな」って思います。
一、
揺籃のうたを カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
二、
揺籃のうえに 枇杷びわの実が揺れるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
三、
揺籃のつなを 木ねずみが揺するよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
四、
揺籃のゆめに 黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
かつら そう、本当にそんな感じなんですよね。雨降ると子供も「ぴっちぴっち ちゃぷちゃぷ」って歌いながら帰るし。
鳥井 「この道」の「この道はいつか来た道」とかもいいですよね。
かつら そう!この前テレビで流れてきたときにハッと「白さん!」って思いました。
佐藤 ……。今、とても貴重なお話を聞きました。白秋は今でも膾炙しているんですね。
高原 子供に歌われる歌を作る、子供の言葉が使えるということと、軍歌を作る……翼賛歌を作るのは同じことなんですよ。
かつら それはこの本の中でもよく批判されてますよね。からっぽだって。
高原 同じ時期にパンの会に加わっていた永井荷風は、一貫して戦争を憎んでいたし、日記には体制への憎悪しか書いていない。彼は詩の翻訳をやっていたし、実際に詩も書けた。だが他の多くの詩人とはそこに大きな違いがある。永井荷風は最初から大人でした。大人だと言うことは、あるイデオロギーを持ってしまうということで、戦争に関してはリベラリズムから一貫して反対することが出来る。しかし、子供には伝わらない。そういう現実が出てますね。白秋には何かの資格があるという風に読めます。
佐藤 高原さんは白秋の方が好きでしょう?
高原 最近、「荷風にかかわる小説を書いてくれ」と依頼されて、その気で始めてみたらすごく嫌になって「白秋にかかわる小説」に変更させてもらったことがあるの。そこではおそらく自分も子供に近い受け取り方をしていて、荷風は正しいことを言うけれど、好きになれない。白秋は間違ったことを言うけれど、好きになってしまう。そういう向きがありますね。
鳥井 わりと最初の方からそういうテーマが出てきましたよね。犀が凍えて道を失いそうになるときに、「白さんの歌の方が遠くに届くから」って。最初に美しいイメージを出しておいて、後からその恐ろしさも描いていく。
かつら 子供の怖さ、童心の怖さなんかも描いていますよね。
嘉納 白秋の周りにだけは子供が出てくるんですよね。本来の姿に戻ると周りに子供が出てくる。
佐藤 白秋の詩で一番驚いたのが、「母さん、歸らぬ、さびしいな。/金魚を一匹突き殺す。」(金魚)……なんだ、この詩はと。
高原 翼賛歌は日本が戦争に負けたからけなされるけど、もし勝っていたらけなされませんね。背景によってしか価値が決まらない詩であるわけです。
鳥井 背景によってしか価値が決まらない時点で、限界のある詩であるようにも思えます。
高原 光太郎と白秋の詩は“そそのかす能力”がすごく高かったのでしょう。それは詩の力と思います。
かつら 斎藤茂吉はどうだったんですか? 息子さんが残していますよね。
高原 斎藤茂吉もそうですね。彼は本当に日本に戦争に勝ってほしかったんですよ。
佐藤 日米開戦時に大興奮していたって北杜夫が書いています。
高原 当時、三島由紀夫のお父さんの平岡梓はことあるごとにナチスを賛美していた。それが当時の地位ある男性のスタンダードでした。そのにおいが茂吉にはある。白秋にはない。高村光太郎は道を誤ったアーティストなので、権力志向ではないけど、戦争に反対はしなかった。
かつら 高村光太郎のことを考えると悲しくなるんですよね。戦後、めちゃめちゃ反省してましたよね。人里離れたところで暮らして。奥さんのことでも失敗してるし。
高原 ちょっと今の左翼リベラルの過ちを感じさせるような人ですね。ブルジョワだから、ブルジョワ基準で自分に最善と思える意見を言うけれど、それで裕福でない周りの人を皆不幸にするというような。今の内田樹とかによく似ている。
佐藤 「月吠え」の中でも、女性と対等に生きたい、みたいなコタローの発言がありますね。
これは今でもそうなんですが、詩人と歌人・俳人って、社会がちょっと違うんです。詩はひとりひとりが形式を構築していかなくてはいけない、個人主義の強い世界で、自分が自分の世界の神様なんです。でも、短歌・俳句は結社などの仲間活動がある。
たとえば、「おすすめの詩を教えて」と言われて自分の詩を挙げる人はときどきいるけど、「おすすめの短歌を教えて」と言われて自分の短歌を挙げる人はほとんどいない。謙遜しているというより、先達の作品なり、さかのぼって茂吉なりを挙げるのが当然という感じで、短歌は仲間に共通の神がいる社会なんです。それも白秋と光太郎の違いに関係しているかな。白秋は結社を作るじゃないですか。仲間が好きなんですよね。
池田 そういえば、作中でも定型詩のコミュニティは会議をしてますもんね。
かつら 光太郎は美術の人でもありますね。
鳥井 光太郎と智恵子は、小説街の描かれ方では自分たちの世界に閉じこもってしまう印象も。
佐藤 私は80年代に学生だったので、光太郎は智恵子をダメにした男として語るのが流行っていました。
鳥井 私の母親もそう言ってましたよ。「ほんとにね、智恵子は光太郎にダメにされてね」みたいな。
佐藤 そう、智恵子をいじめたやつという印象ですね。
高原 光太郎は長らく左翼の男性に蛇蝎のように嫌われていました。それが70年代。80年代にフェミニズムが浸透してくると、今度は智恵子の件で嫌われる。
佐藤 「月吠え」では、きちんと資料にあたった上で描かれていて、今までの読みに対して反省したんですけど。
高原 でも、機械のチエコさんが壊れると「ラジコンだし」っていう。そのあたりもよくわかってるというか。
佐藤 チエコさん生きてたら今……。
高原 チエコさんはいろんな意味で不利だから……。
鳥井 文豪が現代社会に生きている設定の野梨原花南の小説があって、そこでは智恵子はすごく現代らしい選択をしていましたね。「妖怪と小説家」という作品です。これは太宰がメイン主人公なんですけれど。
佐藤 穂村弘さんが啄木になりかわって作中短歌を担当したという、高橋源一郎さんの「日本文学盛衰史」もありましたね。
池田 啄木もヘタレ男子の印象がスタンダードだったけれど、主義者として書かれているのが意外でした。清家さんは、自分で調べた上で一人一人を書いているんだなと。
高原 「時代閉塞の現状」という批評を書いた啄木の方をクローズアップしてますね。
石川啄木 時代閉塞の現状 (強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)-青空文庫
佐藤 長らく“借金とエロ日記の人”だったのにねえ。本人はとにかく小説家になりたくて、新聞小説も書いてたんですけど、打ち切られてしまったんです。
かつら 啄木は若くして死んでいますけど、その中にすごくいろんなことがいっぱいある印象です。ぐうるさんはどうして毎日死ぬんですか?
鳥井 詩の中で蛙が食べられたり、ひからびたり、飢え死にしたり、いろんな死に方をするんです。だいたい生と死がテーマなんですよ。
佐藤 草野心平は著作権が切れていないから引用しない方針ということで、残念です。連載中ラッキーだったのは2015年に三好達治の著作権が切れて、引用がしやすくなったことですね。でも初の引用が蛍狩の次の回だったと思うけど、いきなり翼賛詩で、清家さんひどい。なんでもっと素敵な詩から引用してくれないの。
かつら 私、三好達治は初めてこれを読んで知ったという感じですね。この中で一番変な人だなって。
佐藤 ふふ、そうですよ~。
かつら ある意味白さんとか朔くんの方が健全だなって。
鳥井 妹さんとの話がまずヤバいですもんね。
かつら ボコボコにしたとか……。一年で破局ってのがリアルだなって。それまで15年待ったのに。
佐藤 しかもわざわざ現在の嫁を離縁してまで結婚するっていう。
かつら でも、作品でそういうのは出てこない感じなんですか?
佐藤 そうですね。とてもきれいな内容で。三好達治もやっぱり比類無い天才です。
鳥井 めちゃくちゃ読みやすいんですよね。
かつら 「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。」(雪)しか知らなかったんですが、あれもすごく読みやすかった。
高原 初期の「乳母車」とかもね。三好達治は詩だけ読んでいるとこんな体育会系に見えません。朔とミヨシくんだと江戸川乱歩と横溝正史の関係にちょっと似ているのもおもしろい。正史は有能だから乱歩をうまく褒めて「新青年」に名作を書かせる。でも正史がそれまでと毛色の違った雑誌作りをしたりすると、乱歩は「こんなモダンな雑誌に俺なんかいらないよね」ってすねる。で、どっちも天才。
佐藤 「月吠え」がなんでエンタメになりえているかというと、出てくる人がみんな天才だから。読者は正しい人を愛するわけではない。天才が好きなんですよね。天才ってエンタメのもとなんだなって思いました。
高原 その一方で、だから乃我有くんなんですね。彼が着実に人気を得ていく。
佐藤 みんなが自分のことのように思えるキャラ。
高原 乃我有くんがいなかったら、ぼくとしてはちょっと評価低いですね。ああいう暗黒点があってこその天才だからね。彼は永遠に認められないし、才能がない。推薦してくれるならどの先生でもいい。間違っているけど、それは有名になりたい人の一番正直な気持ちです。
嘉納 乃我有くんが今度は出版する方になって、「誰でもいい」って押しかけてくるという。
佐藤 彼と編集者とは同一人物ではないでしょうが、「天才じゃない人」の姿ですよね。
高原 実際、乃我有くんみたいな編集者いますね。
嘉納 こういうBLっぽい世界観の人って女性を書くときにクセがあって、ミソジニーを感じてしまってつらいんですけど、清家さんの書くキャラは知性があるんですよね。男の人が描く女性は知性があんまりない。その方が読者にとって読みやすいから。清家さんは女性の自我を書きますよね。ハルコの話も、実は単に犀がちゃんと話を聞いていなかっただけという。
佐藤 女性が復讐する話として読んだ場合、ハルコもまた犀に復讐しているっていう。
嘉納 「あなたは私の話、実は聞いていなかったでしょ」っていう。ミソジニーが表に出ている一方で、自我のちゃんとした女の子を描くっていう。
池田 自分の中の自分と戦ってるみたいな部分があるのかな?
鳥井 でも、そこまで読むのは、作者の内面に寄せすぎかなとも思います。
かつら 自分の内面を出すことには興味が無いというのはどこかで話していましたね。清家さんは15年前くらいに好きなキャラのことや、作品の考察を書いた異常に長いブログやっていましたが、そこでもプライベートなことは一切描いていなかったんですよ。
佐藤 歌人の堂園昌彦さんが「この作者は詩人の目ではなく歴史研究家の目で書いている」という話をされていました。清家さん、修士論文まで書かれている方ですしね。
高原 詩人はこんなに全部資料を読まない。
鳥井 やっぱりマンガ家なんだなって気がしますね。批評的な土台があってこ描けるものではあるけど、それ以上のマンガ表現になっていると思います。
かつら 清家さんのマンガをずっと読んでいますけど、彼女が好きなマンガ表現のパターンがとても活かされているなって思います。4巻16話で白さんに暴行されたあとの朔くんのラスト1コマ。息を上に吹きかけて、前髪を散らすシーンとか。
あとは、手や指で感情を表現するコマが多いんですよね、わかりやすいのは、同じく16話の朔くんが白さんの膝に触れるまでの流れや、朔くんが白さんの指に向かって小指を伸ばすところ… …。手や指の動きにかなりコマ数を使うのは特徴的かなあと思います。
あと、うめき声が多いですよね。1巻3話、朔くんが泣きながら1人で帰るところとか。「
昔からやっていることをそのままやっていて、しかもそれが批評の上になりたっていて。自分の内面を出すのは嫌だっておっしゃってますけど、表現そのものは完全に清家さんオリジナルの表現で。
前作の「まじめな時間」では、あんまりそれがおおっぴらに出ていなかったんですけど、1巻見たときに「あっ、出てる」と思って、子供が小さいときには読めなかったんですよ。ずっと。でも、3ヶ月くらい前に子供が大きくなってきたし、一気に読んだんです。ただ、エロティックなシーンがないですよね。すごいエロティックな描写に力を入れている人だったので。
池田 歴史研究家っていうのはすごいわかりますね。私はこの作品、社会の中で人はどうやって表現をしていくのかっていうのに向き合っているところがすごいと思って。今読む意味が感じられるなという。たとえば、戦争に関することとか、避ける人が多いのにちゃんと飲み下した上で人物に向き合って、その上で物語を終着させるっていう強い執念を感じるので、そこがすごいと思いますね。
鳥井 これ、終着するのかな? もちろん、今まで読んできた中で培った信頼があるから、してくれるとは信じているのですが、まだどうなるかわからなくて不安な部分も少しあります。どうなっちゃうの? っていう。
高原 最近は「この世界の片隅に」みたいに、当時の人の意識を良い悪いと言わないで描くやり方が出来てきましたね。「戦争は嫌だ」というのはみんなわかっている。でも、当時の人がそんなこと表立っては考えていませんでしたという事実も認める。自分の知るところでは少し前までそういう描き方はありませんでした。
嘉納 朔たちを被害者にしないのが偉いなと思いますよね。「この世界の片隅に」は、登場人物が「かわいそうな人」として受け取られてしまっている部分がある。歴史は事実の積み重ねっていうけど、あれは間違っていて、淡々と事実を積み重ねるとニヒリズムや相対主義に陥りがちなんですよ。
近代の人物を書くと、「あれは仕方なかった」という話をしがちだけど、朔くんは自分たちがどういう立場だったのかっていうのに関してちゃんと向き合っている。「私たちが仕方なかったと言ってきたことの結果として、何が起こっていたのか」というのを書こうとしてる。
佐藤 私、「この世界の片隅に」は映画しか見ていなくて、「こんなにかわいそうなまま終わっていいのかな」と思いました。かわいそうなものをかわいそうなままにしておくだけじゃ、だめなんじゃないかって。原作はもっと複雑な面があると聞いてますけど。
高原 無垢が保存されるというやり方。左翼の人も右翼の人も悪く言わない描き方で、ちょっとずるいよね。
池田 戦争の話で言えば、軍人で詩人の西村皎三とか、初めてお名前を知りました。
嘉納 これは自分の中の偏見にびっくりしました。詩人は軍人にならないと思っていたから。
佐藤 読んでみるとけっこう才能があって……。さっきお名前の出た堂園昌彦さんと話したとき、「朔くんの『あの人は□街にいられない』というセリフに傷ついた。天才はなんてひどいこと言うんだ」みたいなところで意見が一致しました。
高原 天才じゃなかったわけじゃない。飽くまでも今の基準で言えばだけれども、自分の才能の使い方を間違えてしまったんだよ。本人にはそういう意図はなかったから間違えさせられた、と言うのが正しいか。育ちが違っていれば□街に入るべき詩人にもなれただろうけど、状況がそうさせなかった。でも、だからといって天才でないかと言えばそうではない。
佐藤 でも、やっぱり詩歌を書く人にとって自分の作品が残るか残らないかは大きな違いなので。
高原 ところが、これがきっかけで今ようやく少し読めるようになったわけです。完全に軍籍と関係ない評価も、この先出てくるかもしれない。
※西村皎三の著書は現在入手困難ですが、戦争体験者へのインタビューをもとにした傑作ノンフィクション「昭和二十年夏、僕は兵士だった」には、俳人・金子兜太に戦地での句会開催を進めてくれた上官として西村皎三(本名・矢野兼武)が登場します。西村の詩や人となりについても、かなり具体的に語られています。下記の記事もご参照ください。
戦後70年:「国のため死んでいく制度は我慢できぬ」 俳人・金子兜太さんインタビュー - 毎日新聞
佐藤 よく、「月吠えを読むと刺さる」という感想をツイッターで見かけますけれど、いちばん刺さったところとかありますか。
池田 私は3巻くらいでパレードのシーンがあるじゃないですか。芸術って個人の尊厳を尊重するものであってほしいんですけど、それが社会を称揚するものになってしまってるという。ここ、すごくうまいですよね。
自分の好きな作家が頭の悪い右翼になってるとがっかりするじゃないですか。西原理恵子とか。私はマンガってもともと弱い人のための表現だと思っていたので、ここに来て好きな作家が全体主義的な作風になっちゃったのがショックであんまりマンガ読まなくなったんですよ。だから「月吠え」の書き方は誠実に感じました。
佐藤 最近、椎名林檎が自民党の会議で講演したことにショックを受けたという話を聞きました。もう歌舞伎町にいないんだって。
鳥井 福岡出身として主張させてもらいますが、あの人はもともと歌舞伎町にいませんから。福岡の、「正しい街」の人ですから。
かつら 最近「ためしてガッテン!」まで椎名林檎ですからね。国営放送。
佐藤 ただ、「あなたを使いたい」っていわれたら断りにくいですよね。歌壇のベテランは宮中歌会や短歌指導の仕事を引き受けて、左翼の人とかから批判されるんですけど、私、天皇家から呼ばれることはないにしても、国を褒める歌をくださいってマスコミから声がかかったら書いちゃいそう。この前、「共謀罪のことで短歌を作ってください」という依頼があって作ったんですけど、そういう風に依頼されて作れるのなら、愛国の歌だって技術的には作れますよね。
白秋はすごく職業意識があったんだと思います。三枝昂之さんの『昭和短歌の精神史』という本に、戦時中の言論統制のなかで白秋も文士のブラックリストに入っていたという話が出てきます。体制に協力的な歌人がつくったリストです。本人がそれを知っていたかどうかわかりませんが、人気者だからねたむ人もいたでしょうし、なんとなく察していたかもしれません。一度収監されているから、また捕まることへの恐怖があったのではという想像もできます。でも、愛国詩は楽しんで作っていたと思います。
かつら 今まで役に立たないと思われていた詩人が戦意高揚という形で社会に認められるっていうのが印象的で。
高原 短歌には組織があって、後続を育ててバックアップする文化がある。でも詩人は組織からは孤立している人が多くて、朔太郎は今でも故郷では尊敬されていないらしいです。
かつら 本人も地元がめちゃくちゃ嫌いって書いてますよね。
佐藤 そういえば、萩原朔太郎研究会の会報を読んでいたら、前会長の三浦雅士さんが講演録でいきなり「これから前橋の悪口を言います」と。理由は「前橋は朔太郎のことが嫌い」だからだって。もちろん詩の好きな人はそんなことないけれど、前橋で何か働きかけようとすると、議員が「同じ群馬出身の土屋文明は文化勲章をもらっているけど、朔太郎は国から何ももらっていないし道楽息子だし、それを顕彰してもね」となるらしいんです。
かつら 作中でもお父さんに「新聞小説でも書け」みたいなこと言われますもんね。
鳥井 お父さんにしてみれば、ずっとすねをかじられてるし、後を継いでほしくもあったろうし、なんか言わずにおれなかったんでしょうね。
高原 江戸時代以来、物書きっていうのは基本アウトローで、小説家ももともとは「くたばってしめえ」って言われるような存在でしたけど、新聞連載とその出版とそれから円本というのがよく売れてから、小説家だけは別になりました。詩歌は基本売れないから依然、立場は悪い。
鳥井 漱石が職業小説家になったのもだいぶセンセーショナルだったとか。
高原 しかも漱石は朝日新聞の社員なんですね。給料をもらって、小説だけ書けばいいっていう、作家にとっては最高の境地。それから見ると「詩人なんて」って言われてしまう。
鳥井 短歌は天皇が歌を詠むみたいな、そういう権力とのつながりみたいなのはずっとありますね。俳句はそういうの全然無くて。
佐藤 俳句は無頼が多い印象ですね。
高原 最初のボクシングとかね。しかも河東碧梧桐が「リバーイースト!」。
池田 詩の世界をどうやって表現するかという挑戦もおもしろいですよね。
佐藤 チューヤくんとかすごいですよね。実際中也と朔太郎が会ったのは数回なのに、あんなマンガが出来てしまうっていう。
かつら 背景がすごく細かく書かれていますよね。□街で背景を描くって言うのはすごく大事なことなんだなって。海や緑の感じとか。
佐藤 家のデザインに関してはモデルを探し出した方がいて、韓国映画の「お嬢さん」のロケ地にもなった三重県の六華苑・旧諸戸邸で、朔くんと白さんの家はそこをアレンジしているらしいです。
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鳥井 白さんのご生家は現存していますよね。
かつら 白さんは地元に愛されてそうですよね。
鳥井 うちの親族は白秋のご生家に近いところで商売してるんですが、すごく白秋のこと詳しいですよ。
佐藤 街ぐるみで観光客に説明できるよう、みんながボランティアをやっている。
かつら 全然朔くんと違いますね(笑)。
高原 詩人の人気は唱歌の影響が一番大きかったみたいですね。詩だけでは誰もいないんじゃないかな。
佐藤 西条八十とか。
かつら ただ、西条八十の歌とか、今の子供たち歌わないですよね。「かなりや」なんかもちょっと暗すぎますし……。
高原 「赤い靴」は野口雨情かな。野口雨情の詞は今もまだ生きているかな。
鳥井 その代わり野口雨情はいわゆる詩人としてあまり扱われないような。あとは土井晩翠とか、うーん、ちょっとポピュラーというのは無理ですかね。
高原 サトウハチロー。
かつら サトウハチローは人気ですね。まだ読まれているかなと思います。出てこないのかなとも思ったんですけど。
佐藤 「810とか86とか」というセリフはありましたね、2巻の最後に。
高原 作曲家のKYは山田耕筰ですね。
嘉納 おれは啄木のところですね。今、「文豪とアルケミスト」というゲームに文豪たちがキャラクターとして出ているんですけど、その中に小林多喜二が登場しているんです。それを赤旗が取り上げたら、文アルのファンの子たちが政治と絡めないでほしいと言い出して。そういうものってすごく色んなところで見かけるんですよ。
たとえば、アンデルセンをモチーフにしたゲームのキャラクターがいて、小さな子供の姿で出てくるんですが、その理由を芸術家が一番純粋なときのデザインだからっていうんですよ。でもそんなことあり得ないし……。
文アルもそういう感じで、「子供の話を書く人だからデザインが子供」だったり。そういう風に単純化していくことによって、本人はもちろん、そこに出てくるキャラは作品からも切り離された、元ネタと関係ない存在になっていく。
清家さんはそういう単純化をしないじゃないですか。高村光太郎も、チエコさんに乗ってるときは子供だけど、大人として振る舞う時もある。
チエコさんは詩人じゃないから、□街では自由に改造されてしまう。だけど、美術街だと改造出来ないから絵の中にいたりするっていう。
池田 □街のチエコは、高村光太郎の詩の中のチエコだってこと?
嘉納 そう、だからロボットで、死にそうになると今度は光太郎の戦争の詩を暗唱しそうになって、コタローに殺されちゃう。
鳥井 そういう卑怯な振る舞いを子供として描くっていう。
池田 高村光太郎の詩の中で描かれる智恵子さんはとても無垢な存在なのに、「月吠え」の□街のチエコさんは何だかよくわからないもの、言葉の通じないものとして描かれている。ねじれた批評だね。
佐藤 しかも、人間のチエコさんもわりと凡庸な顔立ちなのが。
かつら 「寄生獣」の人みたいですよね。
鳥井 この表紙、アッコさんのものすごく知性のありそうな顔との対比がうまいなって。自分を貫き通せなかった人の顔っていう。
かつら 全然可愛くないですよね。作るたびに大きくなっていく……。怖い。
嘉納 最終回あたりで自爆するんじゃないかと思っていて。チエコさん自身の自我が肥大しているのに、コタローがそれを否定しているからふくれあがっていくっていう比喩なのかなと。ちょっと「火の鳥」のロビタっぽいですよね。人間の脳を移植されたロボットが量産されて、最終的に集団自殺する話(火の鳥 復活編)があるんですが、デザインとかそれを意識してるのかなと。
佐藤 清家さんのインタビューに「愛読したマンガは『火の鳥』」という話がありましたね。
※チエコ(左)とロビタ(右)
かつら 自爆、ありそうですね。みんな自爆しそう……。
池田 あとは、朔くんが侵入されるときの「その瞬間男でもあり、女でもあり」というのが非常に腐女子的で、あまり今まで描かれていなかった感性だなと思いました。
佐藤 これまでのマンガの両性具有や性越境って、「イズァローン伝説」や「日出処の天子」、「らんま1/2」とか、キャラがそれなりに主体的にその性を生きてたけど、朔くんは女性であることを認めたがっていなくて、だから痛々しい。屈辱なんでしょうね。
日出処の天子 完全版 1 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
- 作者: 山岸凉子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/メディアファクトリー
- 発売日: 2011/11/18
- メディア: コミック
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高原 遺伝子的な意味で両性の人っているらしいですね。これは一個人のインタビューで聞いたことだから、全ての人に当てはまるわけではないでしょうが、その人が言うには「女性の時と男性の時があって、女性の時はとても憂鬱で悲しくてしかたがない気持ち」だそうです。でもそれは社会的なものが大きいと思います。女性性というものにネガティブなものを負わせる風潮に社会がなっているので、それを反映しているだけではないかと思いますが。
佐藤 朔くんというか、朔太郎は父親からとても期待されて育っているのに、高等学校を卒業できなかったし、医者にもなれなかった。その段階で男になれなかった感がすごくあると思います。
鳥井 でも、この人も父親なんですよね。
高原・佐藤 もう、すごいダメ父で。
鳥井 葉子さんの話読むと「あ~」ってなりますよね。
佐藤 萩原葉子さん、気の毒で。おばあちゃんも怖いし。
かつら 気になるのは、1巻と比べて朔くんが本当に女の子みたいに描かれていて。小さくなってますよね。これってわざとなのかな。4巻くらいから丸くなってるというか。
佐藤 1巻はちゃんとのど仏があったのね。
鳥井 たぶん、白さんとうまくいきだした頃ですね。
佐藤 あの辺から少女マンガ感がすごくて。
かつら あのときにはもうすでに白さんの中には悪魔みたいなものがいて、朔くんを女の人に帰るためにそういう雰囲気を作り出していたって事なんですよね?
鳥井 あるいは朔くんが願望として白さんに影響を及ぼしている面もあるという描かれ方をしてますよね。
かつら 白さんが自分の足で歩むようになったって、すごくいいこと言ってるときも、そのときの白さんは操られているのか。
佐藤 言ってもらいたいことを言わせている。
かつら 朔くんは悲しいですね。ときめきはわざとなんですよね……。そして、そうさせるのは白さんなんですよね。
鳥井 白さんそのものかっていうと、微妙なところでもあるけれど。
かつら 朔くんは犀と自分の怒りだって言いますよね。だから「そばにいてくれ、どこにもいかないでくれ」って。その違いなのかな。
嘉納 朔くんが自分が戦中を作ったみたいな話をし出すところから、北原白秋が戦中歌を歌ったりして父親役がどんどん回ってきて、同時に朔くんが女の子になってる。国家神道の暗喩としてそういう風になっていく。最初の白さんはちゃんと自我がある人間ですよね。
佐藤 最初は白さんのナレーションで始まっているんですよね。チューヤくんが「今度あんたの『青いソフトに』使わせてくれ」って言うのは白秋の詩の「青いソフトに」のことを言っていて、中也が「雪の宵」で引用をしているのね。時々誰が話しているのかわかりにくいところがありますね。
嘉納 冒頭を読むと白さんが主人公だと思いますよね。朔くんは主人公っぽくなくて。でも、ちゃんと主人公になっている。そして、読んでいくと嫌いになれない。
かつら そもそもこんなに目がぐるぐるした人が主人公ってあんまりないですよね。すごいですよね。
鳥井 こんな、すごいクマの濃い人が。
佐藤 マンガ界ではそれは珍しいんだ。
嘉納 マンガって愛されるように描かなきゃみたいな呪いが強いから、こういう人はあんまり。
池田 でも、清家さんの中では愛されキャラなんじゃないですか?
鳥井 自己犠牲的だし、わりと主人公っぽいと思いますね。
佐藤 そんなにだめな人なのに「共感する」って声があるのはすごい。いや、だめな人だからか。形容すると「かわいい」ですよね。ほかの形容が浮かばないというか。あと、清家さんは子供を描くのがうまいですよね。
嘉納 一巻のこの朔くんがすごくイケメンで。
鳥井 犀のモノローグで美しい男だったみたいに言われてますよね。
佐藤 実は美形。それもびっくりした。昔のマンガでは、美少年は美少年然として描かれていたけど、平成のジルベールってこんな感じかと。なんか誘ってるし。
池田 あらゆる災厄を引き受けるみたいな。
鳥井 神話的でもありますよね。
佐藤 ひどい目に遭わされるのが実は好きなのかも。
かつら どうして芥川龍之介が住民票を持ってきたんでしょうか?たしかに彼は顔が広いし、いろんな方と関わっているのはわかるけれど、どうしてそんなに重要な役を彼が引き受けているのかなって。
佐藤 小説家だけど、詩歌にも理解があって、本人もかなりの俳句・短歌を残していますね。鑑賞力もあって。でも芥川にとって詩歌の実作は趣味なんですよ。室生犀星にとっては文学生活の一部でしたけど。龍くんは韻文と散文をつなぐ重要なキャラクターですね。
萩原朔太郎 小説家の俳句 俳人としての芥川龍之介と室生犀星-青空文庫
かつら こんなに街があるといろいろ……。洋行も出来るし。サティが出て来たり。
嘉納 小説街だとエリスが来たりするんですかね。
佐藤 もめますね。
池田 小説街だと作品が持っている情報量が多すぎて、「月吠え」のキャラクターとして変換するのは大変そうですね。
鳥井 小説街は作中人物がいるのかな。基本的にいち作者にいちキャラですよね。「その人の作品の総合的なイメージの擬人化です」って感じではあるんだけど。
佐藤 時期の特定はあって、チューヤくんは中也の結婚前後のころが中心ですよね。清家さん、山口県の中原中也記念館の館報にマンガを描かれているんです。フミャーっていう男の子と一緒に動物園に行くという。そこに「『山羊の歌』期が中心」と書かれていました。
かつら 一番好きな作品の頃をキャラクター化してるって描いてありましたね。
高原 釈先生の話が出ませんね。
佐藤 かっこいい。
高原 今ホームズみたいになっちゃって。
鳥井 釈先生、一回食べられましたよね。
佐藤 出てきたら瞳の模様が変になっちゃって。
高原 もともと折口信夫はまがまがしいニュアンスでとらえられる作家なので、こんなにすっきりしたイメージは今までなかったんじゃないかな。
佐藤 まがまがしいし、弟子を取っ替えひっかえ、同性へのセクハラのイメージが。
高原 ものすごーく深情けで、一度関わったら離さないみたいな。それで逃げる弟子がいて、っていう話が伝わってますね。
佐藤 折口春洋は逃げられなかったんですね、公私ともに先生に世話になって。実人物のあざを眼帯にするっていう発想もすごい。眼帯にメガネ。みんなかっこいい。啄木も。
嘉納 石川啄木が人のために何かを語れるっていうのがすごい衝撃的でした。詩人ってろくでなしというか、群れないし、斜に構えてるっていうイメージを先入観で持っていて。だから自分の中の先入観に気づかされますね。
佐藤 啄木は借金王で、光太郎は妻をダメにしたやつっていう固定観念があって。
高原 でも、その通りなんだよ?
かつら 三好達治は気持ち悪いとか。そこもすごい魅力ですよね。
佐藤 自分より小さくて弱そうな人を兄さんと呼んで慕っているところに萌えるってツイートを見ました。
でも、詩歌関係者として刺さるのはチエコさんの「私なんで 絵 描いてるんだっけ」というシーンですね。これは詩でも小説でもそうなんですけど、顧みられないものをなんで作っているんだろうと。刺さる場面といえば、ここが筆頭かも。
あとは白さんを好きすぎる朔くんが不憫で……。白さんがかっこいいというより、白さんを好きな朔ちゃんに思い入れてしまうのは自己愛かなと思っていて。自分は天才ではないのに、なんで共感してしまうのかな。
鳥井 私は共感は誰にも出来ないですね。3巻は戦争の扱いが怖くて学ぶところが多くて、学校で教科書に使って欲しいと思いました。
池田 戦争のところは読み手を信頼している描き方ですよね。
かつら 天皇の話になるんですかね……。
高原 文学史としては、和歌と短歌は切れていますね。正岡子規が始めたのが短歌の運動。「牛飼がうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起る」という伊藤左千夫の歌が「これは和歌ではない」ということをよく示している。その段階で天皇と切れることはできたはずなんですが、政府も一般大衆もそんなこと考えませんから、短歌が広く広まる内に、和歌と区別なく天皇制を称揚する道具の一つとなっていったという明治以後の歴史がありますね。
鳥井 俳句は迫害されるイメージですよね。「京大俳句」が戦前に治安維持法にまっさきにあげられたりして。
佐藤 西東三鬼の「俳愚伝」で読みました。三鬼かっこいい。
高原 水枕ガバリと寒い海がある
鳥井 いかにも神戸なおしゃれさがすごく出ている。ホテルにずっと滞在していて、そこに出入りしている人のことを描いたり。
高原 三鬼は医者ですからね。困ってもなんとか食える。敗戦後にいろいろ頼ってくる女の人がいて、その子に「きみはあまり日本人に好まれる容姿じゃないけど、オリエンタルな顔好きの米兵相手ならうまく行くよ」って紹介してあげたり。
佐藤 女にも男にももててますよね。
かつら 神戸っぽい話。白秋、あんまり男にもててないですよね。
鳥井 根がすごい善良な人って印象があって。福岡人の身びいきかも知れませんが。
佐藤 親切ですよね。室生犀星がクレームつけたときもいろいろ言いながら、結局面倒見てくれたし。
高原 でも、大手拓次が原稿を送ったけど、生前は白秋も忘れていたっていうようなところもある。拓次が一言手紙でも出せば本になったかも知れないけど。大手拓次の詩の発表は朔太郎より早いらしいしね。
鳥井 彼はちょっと抽象が過ぎるというか、耽美すぎるというか。朔太郎ほどの迫力、読む方にぐっと迫る印象は受けなかったです。
高原 怪奇な詩も多いし。
鳥井 そういう意味では初期白秋の中身のなさを受け継いでる感じもあるし。
かつら なんか自分が14歳くらいだったら好きになりそうですね。やっぱり、あの縦ロールの感じ。
佐藤 まだ単行本になっていないけど、拓くんが朔くんに向かって、朔くんが先に詩集を出したことが「悔しかった」と告げる場面があって、「そうじゃろう、そうじゃろう」と。拓くんも探偵みたいになってね。京極堂ワールドみたい。
鳥井 朔くんが関口ですか? 木場の旦那はミヨシくんかな。
嘉納 木場は戦地で詩集読んでそうですね。
池田 時間が迫ってきたんですが、何か話し足りないことなどありますか?
佐藤 一番好きなのは5巻の最初の蛍狩の場面です。引用の仕方がミュージカルみたいで。詩歌をただ並べるだけではない、演出が。これ以降、話は下り坂なんですが。
鳥井 ここは本当にぜいたくですよね。□街の甲斐があるというか……。私は1巻の中頃かな、白秋の「夜」の表現が最初に心をつかまれた箇所だったなって。かっこいいだけの男じゃない。彼が詩の世界で何を書こうとしてるかが前面に出ていて。この流れがすごく好きですね。
かつら 私この作品読むまで、短歌を読む習慣がなくて、でも、この作品を通して短歌好きになりましたね。インタビュー読むためにNHK短歌を買って、気に入ったのを書き写したり。今まで目でふわっと読んでたものをこういう流れできちんと読むときれいだなって本当に心の底から思えますね。
嘉納 石川啄木の「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る」とか、何となく読んでいたけど、口に出すと「天才だ」ってわかるんですよね。
高原 乃我有くんの「あなたが推薦してくれればなんでもいいし、あなたじゃなくてもいい」っていうのが身もふたもなく描かれていてよかった。□街の住人であるためには才能があることが条件ですが、才能というのは他者からの承認あってのものですから、この先100年後に発見されて天才だと言われる詩人だっているでしょう。すると、それにはまず存在を知られないとならないし、知られなければ才能の判定もされない。ということからすると、この種の売名行為が必要悪であるみたいなことは乃我有くんのみの問題ではないですね。(終)
ご参加いただいた皆様ありがとうございました!
※本文中、青空文庫で参照できるものについてはリンクを。
できないものは書籍のリンクを貼っております。ご参考までに。
公式サイト:1巻の試し読みができます。
月に吠えらんねえ (@hoerannee) | Twitter
作者自身による解説ブログおよびツイッターです。時折書き下ろしのマンガも掲載される充実の内容です。
月に吠えらんねえ(6) (アフタヌーンコミックス) kindle版
「月に吠えらんねえ」特集が掲載された現代詩手帖。6月号は第一特集、10月号は第二特集です。
※ご参加頂いた高原さんと佐藤さんの著書です。
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