初めてBiSを観たのは川崎チネチッタで行われた「DiE」のリリイベでした。一番印象に残っているのは、ミチバヤシリオちゃんがMCで「今日お葬式みたいだよ」と言ったことと、ライブ終わりの特典会待ちの時間に、オタクが「ぜんっぜんよくないよ!」みたいなことを大声で叫んでいたこと。「なんだこりゃ?」と思いながら観ていました。
帰宅後にツイートを検索したら、オタクが「今日のライブはよくなかった」みたいなことをずっとツイートしていて、しかもメンバーがそれにふぁぼをしているし、どこかケンカ腰なお互いの対応を見て、「よくわからないけど大丈夫なのか」と思った記憶があります。
現場に行ったのは、でんぱ組.incきっかけにアイドルにハマり、いろいろチェックしていた頃、偶然「BiS4」「BiS48」のニコニコ動画中継を偶然見たのがきっかけでした。
寺嶋由芙(テラシマユフ)ちゃんの脱退と、新メンバー3名のお披露目という状況で、すごい熱量が発せられていたことを覚えています。で、何か揉めてたらしいこともわかり、それが熱量に薪をくべていることも何となく把握しました。
当時、でんぱとBiSは盟友関係にいたと思います。しかし、同じくらいの規模で競い合っていたものの、でんぱはW.W.D→最高の離婚→でんでんぱっしょんと上がり調子の頃。一方BiSは新メンバーが入ったばかりで、なんか心配事が多そうな感じでした。
楽曲の良さはもちろん、その心配な感じが気になってズルズルBiSにハマってしまい、結局でんぱの武道館の日はBiS階段の最後のライブに行き、有名研究員がプー・ルイにスタンガンで攻撃される様子を観ていました。
私は渡辺淳之介のハラスメントをイベント化するやり方にずっと怒っていたので、BiSは正直観ていて楽しいグループではありませんでした。それなのにずっと観てしまったのはなぜか。曲がいいとか、メンバーが報われるところが見たいとか、いろいろあるんでしょうが、一つには研究員が常にそのやり口に解答していたからだと思います。
すごくわかりやすい例でいうと、クイックジャパンの裏表紙でメンバーが全裸になってなんだかものすごく悲壮な空気になった時、そのあとのライブで研究員が局部だけ前張りありのほぼ全裸になってライブを盛り上げるとか。カミヤサキちゃんが言い出した100kmマラソンに併走して、その間にいちいちメンバーを笑わせようとしたり盛り上げたりするとか。
もうちょっと規模の小さいものだと、メンバーの自己紹介のたびにリフトされてオタクが叫ぶって儀式もあったりして、今思い出してみると、常にオタクとアイドルが応答しあっていたグループだったんだなと思います。
運営がクソでも、それにひねった形でアンサーする研究員がいるから、ついつい気になって続きを見てしまった。今冷静に振り返ると、笑いに変えるよりちゃんと怒っていい場面もたくさんあったと思います。研究員に対しても、「それはやりすぎだろ(怒)」と思う瞬間が、いろいろあった。人死にが起きたりしなくてよかったと思います。でも、それはそれとして当時のオタクの人たちの、ある種の茶番を本気でやる姿勢はやっぱり面白かったし、リスペクトの対象でした。
「現場」っていうスラングがあります。たぶん主にアイドル界隈で使われてる言葉だと思う。あんまりよそで聞かないから。ライブやイベントのことを指すんですが、ただ「演者を見て、受け取る空間」という意味じゃなくて、「自分たちが能動的に参加し、その一部となる空間」として使われている……ような気がします。
で、この認識が正しいかわからないんですが、BiSはわりと好きなように参加する余地が残されている現場で、叫んでもいいし、レスもらいに行ってもいいし、寝ててもいいし、後ろの方でこわごわ見ててもいいという感じがしました。
私自身は認知もレスもほしくないし、基本どの「現場」でも何をするタイプでもないので、常にすみっこで観ていましたが、それはそれとして、BiS現場の好きなようにやってる感じは好きでした。なぜかDiEの落ちサビでオタクの人たちがキスしていたのとか、「言いたいことがあるんだよ」から始まるガチ恋口上のあと、細かい内容が思い出せなくて全部「\言いたいことがあるんだよ/\言いたいことがあるんだよ/\言いたいことがあるんだよ/」になってたところとか。
そのわりにそれぞれが自分なりの美意識を持っていたりして、このさじ加減が見事だったと思うし、当時の現場を知らない人にニュアンスを伝えるのに苦労するところだなと思ったりします。(やりすぎることも往々にしてあったところや、認識のズレでバチバチしていたところも含めて)
前職で疲弊してフルタイムでの仕事をやめていた頃で、大量の現場になかなか行けないかわりに、ネット上の情報はニュースサイトから2chまで、やたら丁寧に読んでいました。
で、どのタイミングでTumaさんを知ったのかよく覚えてないんですが、ずっと独特の口調で辛辣なことを言い続けていて、だけど誰より現場にいて、誰よりBiSのことを考えていて、しかもほかにもいろいろなことに詳しくて、「一体何なんだこの人は」と思っていました。そういえば、BiS48以降のライブで、飲み会とかはともかくツイート上でTumaさんが「いい」と言ったライブって数えるほどしかないんじゃないでしょうか。途中から「今日こそTumaさんがいいと思えるものだといいな」みたいな感覚になってました。
Tumaさんを筆頭とする研究員の人たちは、ライブの邪魔したりするし、酒飲んでライブ観てなかったりするし、ツイッターでまあまあメンバーが病みそうなことツイートしたりするし、品よくライブを見て、ほどよく盛り上げ、メンバーが傷つくようなことは言わないという一般的なオタクとしての正しさとはかけ離れていました。一方でBiSと研究員って独特の結びつき、共犯関係なような何かがあって、そこがすごかったなと思います。
「現場を面白くしたい」という情熱が、ある種の教科書的な、逆らい難い正しさみたいなものの上を行ってしまう。情熱の中には夢とか下心とか憧れとか、その人ごと、その瞬間ごとにいろんな感情が詰まっていて、それがいちいち言葉や行動を伴って出てくるのが面白かった。
BiSがなければ、「現場」という概念は自分の中に育たなかったと思います。
そして、研究員たちがふとした瞬間に見せる繊細で柔らかい部分を前提に、ごく短い期間だったからこそ、ギリギリ成立した「現場」が「あの頃のBiS現場」だったとも思います。
前述したように現場にいた回数がそんなに多くないので、Tumaさんのことを語るのはおこがましいのですが、BiS現場の野蛮かつ適当、その上シニカルで、でも、おおらかでたまに知性的な感じって、今思うとTumaさんの影響が大きかったのかなと思ったりします。
BiSの最後のほうで、なぜか有名なグラビアカメラマンがこぎれいなヌードグラビアを撮影したことがあり、展示の来場者ノートに「彼女たちをこういう形で撮ってくださってありがとうございます。」というようなことを書いていたり、Tumaさんと関係の深いSさんと話した時に、「普通は古参って排他的になるんだけど、あの人は本当にそういうのが嫌いで、みんなが楽しめる場所にするよう意識してたから」という評価が出てきたりとか。
こういうことを書くと、「実はいい人だったんですね」みたいなことになるんですが、そういうことじゃ全然ないし、「実はいい人」だからいいみたいなものでも、もちろんない。
宗像明将さんの言葉を借りれば、まさに「清濁」そのものだったのがTumaさんであり、BiS現場だったような気がしています。あくまで、私にとっては、ですが。
個人としては現場で軽くごあいさつしたことしかないのですが、何度かブログをツイートで取り上げてもらったことがあり、そのたびに「Tumaさんに認めてもらった!」みたいな気持ちになっていました。
読んで喜んだり楽しんだりしてもらえるのは、誰が相手でもうれしかったけど、Tumaさんは私のアイドルの見方や、「現場」の概念にめちゃくちゃ影響を与えた人だから、「的外れなことを書いていなくてよかった」という謎の喜びと安心があったんですね。
で、このブログアップしても、Tumaさんによる答え合わせはないんだよなあと思うと、なんか信じられない気持ちだし、うまく言えない、家族や友人が亡くなった時とは違う悲しさがあります。