ホンのつまみぐい

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女川町復幸祭2014 

BiSにとって4度目の大切なお祭り「女川町復幸祭2014」へ行くために宮城へ。
研究員バスツアーで新宿から女川へ。

途中の車窓で、かつて仕事でお世話になった金港堂さんの石巻店や、女川原発への道を指す看板を見つける。

女川で最初に立ち寄ったのは「蒲鉾本舗高政」。

BiSを女川に呼んでくれた高橋さんが経営する蒲鉾屋さんだ。

お店でノベルティのリストバンドと、BiS金太郎飴をいただく。
震災後に再建したというきれいな店内は、NHKドラマ「ラジオ」の舞台にもなった場所だ。

自分でその場で食べる用のチーズかまぼこと、家に送る用のかまぼこを買う。
チーズかまぼこが衝撃的なうまさ。追加を買おうと思ったらあっという間に売り切れていた。

高政からさらに進んで、女川町地域医療センター前・通称「輝望(きぼう)の丘」へ。
海が近くなり、町に明確な津波の爪痕が見え始める。

震災以後に宮城を訪れるのは2回目で、1回目は友達との仙台観光だった。2011年末のことだ。

居酒屋では用意出来ないメニューがたくさんあったり、仕事でお世話になったお店が改装閉店のままだったりしたけど、人体にたとえるなら包帯を巻いて手当てをしている最中という感じだった。

でも、3年目の女川は、津波が押しつぶした建物や手すりがまだまだそのままになっていた。手当てのされていない光景があちこちに見える。

それでも、何度かこの土地を訪れている人たちは変わって来ている。復興が進んで来ていると話していたけど。

今は更地になった土地のあちこちに、お供えの花やキャップの空いた飲み物が置かれていた。

「輝望(きぼう)の丘」からは、きれいな海と空が見えた。濃紺の海と、光にあふれた空の混じり気のない美しさ。そして、手前には撤去予定の「江島共済会館」があった。


女川さんま収穫祭の会場はゆるやかな坂をあがったところにある女川中学校。坂を上がる途中で、スーツ姿のおじさんたちがショベルカーの働く光景を見ながら「何もなくなってしまうと、低かったんだねえ(低いところに家があった)」と話していた。

学校の中庭に小さめのテントが並ぶ様子はいかにも地域のお祭りという感じの親しげな雰囲気。出店は地元企業から、復興支援のために参加した地方の企業や自治体まで。さまざまな出店が並ぶ。

復幸祭の目玉は無料配布されるさんまの炭火焼だ。つやつやしたさんまが一列に並んで焼かれていく様は力強い。


さんまを頂いたり、ビールを呑んだり、屋台の食べ物を食べたり。いろんなものを食べたけど、牡蠣クリームコロッケがクリームと牡蠣のバランスがちょうどよく、とても美味しかった。

そして、もう一つの目玉は豪華なステージだ。今年の出演陣は以下の通り。

会場になる体育館入口ではスプレーアートの実演も。

八神純子さんの出番から体育館に入ると、会場は女川の人と、自分のような観光客が混じりあって座っていた。

「皆さん、私のどんな歌が聴きたいですか?」というMCから入り、「今日はヒットソングをどんどん歌いたいと思います」とつなげ、ポーラスターやみずいろの雨を歌い上げる。

亡父の残したCDから流れていた聴き覚えのある声。
目の前で歌う八神さんの声は、CDより可愛らしく艶っぽい。そして、黒一色の衣装がとてもかっこよかった。

八神さんの次は大森靖子だ。
(大森さんは大森靖子という単語がひと固まりになって存在している気がして、つい呼び捨ててしまう)

同級生だという愛媛のゆるキャラみきゃんと共に踊る大森さんに、前方のスペースに固まったオタが盛大にケチャを送る。

それを見ながら「アレ、なに?アイドル?」と笑う、おそらく「水曜どうでしょう」のファンの女の子。

オタクが溜まった前方に入り込むと、ギター一本で髪の毛を振り乱しながら踊る大森さんがいた。まるで暗黒舞踊の踊り手のようだ。

まだ26歳の女性なのに、大森さんは老婆のような声で歌い、大野一雄みたいに身体を振る。ギターは時々天井を突き破るような音を出して、その攻撃的な響きが胸に突き刺さる。
気がつくと、立ち上がって泣きながら大森さんを観ていた。MCも歌も女川という土地が持つ傷には触れず、ただただ歌い続ける大森さん。
毛先の一部をグラデーションのある濃いピンクで染めたその姿は、魔女のようでも永井豪作品のキャラクターのようでもあった。
寄りそうわけでも、媚びるわけでもない歌を女川の人はどう受け止めたのだろうか……。

お次は電撃ネットワークギュウゾウさんによるDJ。

ももいろクローバーの「走れ!」から始まったDJは途中でDJのぞ氏(ヒラノノゾミ)が参加。
「Give Me Your Love全部」が流れ始めると、曲にあわせてのぞしゃんがダンスを踊り始め、それに合わせてコールが入る。

「Give Me Your Love全部」が終わると「Hi」が流れ出し、メンバーが舞台に流れ込んできた。
「Hi」からの「PPCC」は向日性のあるいい流れ。メンバーの声を調子良さそうで、今日はいいライブになりそうと思った。

しかし、「PPCC」のあとのMCで、「BiSと女川をつないでくれた曲です」というプーちゃん(プー・ルイ)の言葉のすぐあとに「太陽のじゅもん」「primal.」が続いたのにちょっと首をひねってしまう。そのあとの「MMGK」「nerve」の流れも、「primal.」からつなぐにはスムーズではない印象を受けた。

「nerve」のあとにまたMCが入って、仙台にまたライブに来ること、BiSとしてではないけど、女川に行きたいねということ、解散ライブがあることなどを話す。

その時に、すでに「この流れはアカン」と思いながら舞台を見ていた。
たとえば、八神純子さんはMCで「自分と似た名前の人が女川にいること」「自分が震災の時に何をしていたか」などを話して、女川の人とコミュニケーションをとっていた。
BiSが最初に参加したさんま収穫祭では、ゆふちゃん(寺嶋由芙)が女川さいがいFMに寄せられた手紙を音読していたらしいけど、そういうことは今回だって必要だったんじゃないか。

なんとなく釈然としないまま、MC中にすっと後ろに下がって舞台全体を正面から見渡せる位置に移動すると「Fly」「DiE」が続く。
ここは「YELL!!」「GETYOU」「プライマル。」みたいな耳障りのいい曲がいいんじゃないかなあ。
八神さんだってヒット曲しか歌わなかったんだし……ともやもやした気分に。

最後の「レリビ」では体育館を走り回って、走るのはすごく楽しかったのだが、それは走るのが楽しかったのであって、うまく盛り上がったかって言うとまた違うような……。

そのあとそのまま特典会という流れも、なんだか復幸祭がいつものリリースイベントの一部になってしまったようで、ちょっと複雑な気分に。

BiSの直後にパフォーマンスを披露した樋口了一さんが、女川の人に寄り添ったMCと選曲で会場をあたたかい空気で支配していたから余計だ。

メンバーのパフォーマンスの調子は決して悪くなくて、声もよく出ていて……という点を考えて、もったいない気分になった。

3月8日のトレッサ横浜でのリリースイベントは、BiSに興味のない人も多い屋外でのライブということで、比較的今回のライブに近い雰囲気だった。でも、その時は通りすがりの人も概ね楽しそうに見てくれたし、研究員さんのやらかしも含めてハッピーなステージだった。同行してくれた音楽好きの友人も、「メンバーもファンもとても楽しんでいて、また見たい」と言ってくれた。

でも、それをそのまま女川に持ち込んで、うまくいかなかった。

理由は明白で、女川の人にどうやったら伝わるかを作りこんでこなかったからだ。

何か特別なことをしろというわけでなく、たとえば、MCで「どうして自分たちがここに来たのか」を話すだけでまったく違った印象を受けたはずだ。
だから、「primal.」で「女川愛」と描かれたタオルを研究員ととも広げたサキちゃん(カミヤサキ)や、「レリビ」で走り回ったういぽん(ファーストサマーウイカ)からは、「どうしてここに来たのか」をアピールする意志を感じられてよかった。(古参の人にしらけた気分になったって書かれてたけど)

プー・ルイ不在の松本でのライブや、スタッフを一切関与させず、メンバーの構成で演じられたという仙台でのライブの評判は非常に高いのだから、作り込むことができないはずはないのに。
出来ていない理由があるとしたら、時間がない、余裕がないだろうけど、それはあまりにももったいない。
だって、「BiSに会えるのは最後」という人がたくさんいるんだから。

そう考えながら、満員になった会場で「水曜どうでしょう」ディレクターたちのトークを聞いていた。

トークが終わると樋口了一さんが「1/6の夢旅人2014年版」を歌いだす。
呼応して歌いだす会場。

女川の人たちも「水曜どうでしょう」ファンも、それ以外の演者のファンも、みんな合わせて会場が一体になる。
おそらく、ラジオの向こうの人々も。
見事だ。エンタメだなあ。ポップミュージックだなあ……。また樋口さんの歌が聴きたくなるなあ……。

BiSにはこういうことはできないのかな?
いや、できないはずはないんだ。

でも、出来てないんだよなあ……。

海鮮が食べられなかったのと、お土産を買うチャンスを逃したこともあって、なんとなく敗北感を抱えて、坂を降りて研究員バスを待った。

食べられなかったものがたくさんあるし、復幸祭はとても面白いブッキングだったから、女川には、また、行きたい。
「女川町商店街復幸祭」の企画のうちいくつかは、研究員バスツアーを企画して下さり、早朝に店を開けてくださった「蒲鉾本舗 高政」の高橋さんがやられているはずだ。

びっくりするくらい美味しくて、わかめ入りや貝柱入り、チーズ入りなどバラエティ豊かなかまぼこを作っている地元企業の若旦那のブッキングで、愉快な芸人たちが都会のライブハウスやホールじゃなくて、小さな町に集まってくる。

そういう縁の痛快さみたいなものは、横浜中心部からちょっと離れた「六角橋商店街」のお祭り「ドッキリヤミ市場」を思い出させる。
狭い商店街の中に出店が立ち並び、ダンサーや芸人が跳梁する、商店街のお祭りにも関わらず、どこかアンダーグラウンドな雰囲気の漂うイベントだ。
東南アジアの夜の市場を意識したという「ドッキリヤミ市場」の企画は商店街の薬局勤務の石原さんという不思議なおじさんがやっているのだけど、いつも変な人や一流の人を呼ぶ。
ギリヤーク尼ケ崎さんもこの祭りに頻繁に訪れる演者の一人だけど、ほとんどホームレスみたいな人なんだから普通は商店街のお祭りに呼ばない。
でも、石原さんが本物だと思ってるから呼ぶ。

「女川町商店街復幸祭」にもそういう豪快さがある。
被災地とかなんとか関係なく、企画してる人が面白くて、売ってるものも美味しいから、また「女川町商店街復幸祭」には行きたい。
研究員バスはもう出ないだろうから、今度はボランティアかな。

帰ってから女川について書いたメンバーのブログを読んでいると、ウイぽんのブログに「秋刀魚収穫祭で訪れたときはまだ女川と太陽のじゅもんの話を知りませんでした。女川と太陽のじゅもんには温かいエピソードがあると知り、BiSがなぜ女川に呼んで頂けてるのかを知りました。」の1文。

「秋刀魚収穫祭で訪れたとき」とは、みっちぇる(ミチバヤシリオ)脱退の13年9月22日のことだろう。
いやいや、そこは事前に共有しておこうよ……。たぶん、こういう小さいところを手入れできてないのがいけないんだろうなあ。

言い換えれば、残された数少ないライブを、丁寧に作り込んでいけばもっとできることはあるんだろう。
最近公開されたインタビューを読んでいると、メンバーはもっと過激なことをしなくてはという焦燥感を抱えているみたいだけど、それよりもっと基本としてのライブを丁寧に作ることを考えたほうがいいんじゃないかなあ。

今更「スキャンダル」とか「絶望的なこと」を起こしても、もう「カッコ悪い」と捉える人の方が多いんじゃないか。
だって、それアイドルじゃないじゃん。
「過激なことをしなくちゃ」って発想が、「BiS」が「BiS」のパロディをやりたがってるみたいでつまんないのに。


そして、最近並行して感じるのが生歌の難しさだ。

生歌になったときは手放しで賞賛したし、実際初めて生歌ライブを聴いた時の迫力はそれまでのBiSのパフォーマンスにないものだった。

でも、生歌はメンタルも含めたコンディションがもろにステージングに直結する。
たとえば、13年12月27日に行われたBiSとでんぱ組.incの対バン。
この日はプーちゃんが、もがちゃん(最上もが)に「プーさん、今日なんかフワフワしてた。前の対バンでは楽屋で近づけないくらいだったのに」と突っ込まれていた。
実際、プーちゃんはどこかぼんやりしていて、歌に大きなトチリがあったわけではないけど、パッとしなかった。
今思うと、それは武道館がチャラになるかもしれないという不安のせいだったのかもしれないけど。

ちょうどBiSと同じ時期に生歌に移行した「Negicco」も同じような課題を抱えて苦労している。Negiccoさんは「BiSが終わったら見に行く」つもりでなかなか現場には行けていないのだけど、たまにUstを見たり、ファンの反応を読んだりしていると、メンタルが整っていない状態でのライブがボロクソに言われたり、頭打ち感を感じてしまうと言われる機会が増えている。もちろん、裏返しに評判の高いステージングの噂も伝わってくるのだけど。しかし、10年選手で安定感のあるステージングが売りのNegiccoですらこうなのだから、今のメンバーになって半年経っていないBiSに「生歌」は相当大きな試練なんだろう。

昔から見ている人の中にはメジャーデビュー時の5人を伝説化する人が多いけど、それは被せの持つ安定感もあったんじゃないかと思う。
たとえば、さよならポニーテールのカバー「あの頃」のライブ映像がYoutubeにあるのだけど、そこには当時離人症を発症していたプー・ルイが歌い出しを忘れ、ハッとしてマイクを取り出す場面がある。映像を見ながらそれに気づいた時に、「被せでよかった」とホッとしてしまった。
この時期に生歌だったら、メンバーの精神状態の悪さがそのまま会場に流れ込んでしまって、耳を塞ぎたくなるようなこともあったんじゃないか。

(それはともかくBiSの「あの頃」は声の相性と合わせて傑作。カバー曲では「プライマル。」と並ぶくらい好き)

集客だったり、自分だったり、過去だったり、今のメンバーは戦わなくちゃいけないものが多い。
でも、だからこそ丁寧に戦って、最後にちゃんと勝ってほしい。
プロデューサー気取りでこんな長文ブログを書いたり、ツイッターで愚痴をたれながしたりしているクズ寄りのオタクのことなんて、パフォーマンスでぶちのめして黙らせてほしい。

だって、アイドルってハッピーにしてくれるものだからさ。