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ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

アンジーは私の理想の男性だった! 〜ヤマザキマリ「はみだしっ子」を語る〜

マンガ

 15分遅れで入場すると、会場は260人教室に立ち見が出るほどの大盛況。

 来場者はリアルタイム世代の女性が中心のようでしたが、20〜30代の女性や男性もちらほら見えました。登壇者はマンガ家のヤマザキマリさんと、マンガ研究者のヤマダトモコさん。ほかに藤本由香里さんと、ファンサイト「三原順Database」の管理人ごだまさんが着席されていました。

 トークの中で印象に残った部分だけを抜粋。

ヤマザキマリから見たアンジーの魅力

ヤマザキ:シニカルでもっとも客観性があって、皆がバラバラになった際にも何とかしようと一番一生懸命になっている。社会の中での自分の立ち位置にも自覚的で、しかし、社会に迎合しないで生きていこうとしている。

ほかの3人が自分の傷におぼれて泣いたりいじけたりしてるときも、アンジーは我慢している。だから、彼が小鳥をかわいいと思って泣く瞬間、普段はそういう感情を抑えている彼が涙を流すところで、こちらも泣いてしまう。

あと、アハンですよ!アンジーといえばアハン!

アンジーはあれもこれもなんでもこなすマルチタスクタイプ。一方、サーニンはひとつのことだけのシングルタスク。

女性的な部分を持ちながらマッチョでもある。男性にとっても女性にとっても頼れる友人。人間として理想的。三原さんが自分を投影していたのはアンジーでは?

ヤマダ:アンジーの母は自分の夢のために息子を捨ててしまうけれど、一応アンジーのことが好きで、彼もそれを理解している。
だからこそ、アンジーがほかの3人をフォローできたのでは。一方で、グレアムの父は支配しようとする。
グレアムは「みんなを支える」ということに依存しているが、ジャックの家に来て自分の足下がゆらいでしまう。グレアムは父親的でアンジーは母親的。

 山の上の事件にこだわるのは、取り上げられた仕事を成し遂げようとした面もあるのでは。責任を果たそうとしている。

■作家としての三原順の特徴

ヤマザキ:1ページの滞留時間が長い。漫画家でなければ、心理学の研究者になっていたのでは?マンガという形の論文のような。

ヤマダ:大人になってから読むと、あらゆる大人が描かれている。薬の売人や、精神を病んでしまうお母さん。

ヤマザキ:大人だからって偉くも立派でもない。大人になったらこういう目に遭うんだよってことを描いている。

ヤマダ:子供の頃は、ひどいことが描かれているなと思ったけれど、大人になってみると現実だったという……。精神病の大人がこんなに出てくるマンガはない。

ヤマザキはみだしっ子は4人の目線だから世界が立体的に描かれている。それぞれについて、「こういうことがあったから、こういう人間になって、こういうことをやった」というのが描かれている。論理的で、学術的。

(サーニンの雪だるまのシーンから)雪で死ぬかもしれないというリアリティが北海道の人らしい。私も子供のころに北海道に引っ越したので。母がヨーロッパに憧れを持っていて、その母を惹きつけた土地だった。

ヤマダ:北海道の雪と東北の雪は違うのだけど、その違いがきちんと書かれている。

ヤマザキ:北海道は人間至上主義になりにくい土地。自然の中、いつ死んでもおかしくないという感覚がある。

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 個人的に印象に残ったところ、記録できたところだけですが、こんな内容でした。

 ヤマザキさんはお父さんを早くに亡くされ、音楽家のお母さんのもとで育ったため、はみだしっ子は自分の立場に近い物語として呼んでいた。世間とずれてもかまわない。自分の生き方を貫こうと考えているのも「はみだしっ子」の影響もあるとのこと。

 ほかには、「海外の人に説明するのが難しい(マンガでこんなことをやっているものが向こうにはないので)」という話や、ヤマダさんの「最初の花ゆめは低年齢向けだった。そういう雑誌のカラーと、三原さんの大人の部分が衝突してできたのがはみだしっ子では」という話も印象的でした。「大人の世界を、いつか大人になる子供に伝えてくれる親切な物語」というのは、児童文学的でもありますね。

 笑いも交えた明るいトークだったのですが、ヤマザキさんの闊達な声のニュアンスは再現できませんね。上記の文章はあくまで覚え書きで、細かいニュアンスは拾いきれておりませんので、あくまで「こんなようなこと」として読んでください。

 ヤマザキさんは「総特集 三原順」でもインタビューでご登場されているので、気になった方はぜひ8日発売の同書を読んで頂ければ。

 トークを聞いた後で改めて展示を見ると、アンジーは本当に優しい顔をしている場面が多いですね。

 さて、会場で発売されていた「総特集 三原順」ざっと読みました。同時代の少女マンガ作品・社会事象がおりこまれた丁寧な年表や、単行本未収力の表紙イラストの入った全作品紹介、連載当時の付録、全員プレゼントの写真、書籍や音楽の引用元など、網羅性の高い内容。入門書的な読み物が多いのがちょっと物足りないですが、仕方ないのかな。この本を土台に掘り下げていくのが、読者の仕事なのでしょうね。

 中で印象的だったのは、「はみだしっ子」に対する三原先生自身の言葉。

「へ?あの子たちは、ちっともデリケートではありません。あれはむしろワガママに近いもので…(中略)だから、主人公たちが女の子だったら、読者の方たちはすごく反感を持ったと思います。」

 これを読んでちょっと考えたのがマックスのこと。マックスってなぜかぜんぜん人気がないのですが、これは彼が「女の子みたいに愛されてる」ことと無縁ではないのだろうなと。

 だから、今日のトークで「マックスにも、『サーニンを好きな人はずっとサーニンが好きだけど、自分をかわいがる人はそうではない』という葛藤がある」という話と、「孤児院でのマックスは以外とリーダーシップを発揮しながらうまくやっている。違う立場に立つと別の面が現れてくるというのを描くのも三原順の特徴」という話が出てよかったなと思いました。

 そんな私はサーニン推しですが。サーニンは「風と木の詩」のパスカルと一緒で、恋愛したい相手というより、こういう人間になりたい枠なんですよね。トークの間に、「三原さんはサーニンを愛情を持って描いている。もちろん、みんな愛情を持って書いてはいるけど、ちょっと違う。サーニンに憧れている部分があったのでは」という話が出たのにうなづきました。

 今回はアンジーでしたが、各キャラクターのファンごとにトークをやっても面白いでしょうね。

追記

読み直した『はみだしっ子』(三原順著)の衝撃

 ヤマザキマリさんによる「はみだしっ子」論。書き忘れていましたが、ヤマダさんがこのトークイベントにヤマザキさんをオファーしたのは、「とらわれない生き方」というヤマザキさんの著書に、二度、三原順について書かれた記述があったからとのこと。リンク先にヤマザキさんの描いたアンジーのイラストもあります。