なんとなく昔書いたブログを読み返していたら、アイドルについて書いた一部の文章の中に、自分のナイーブな部分が無自覚に垂れ流されていて驚いた。
これをアップして、ツイートして、しかも読んでくれた人とご飯食べに行ったりしてたの? マジですか??
9年以上見ているから、アイドルに関する記述も結構な量になっている。全体からするとそういう文章はほんの少しだし、第3者から見れば大したことを書いてないのかもしれないけど、自分からすると大衝撃だった。
心の中の柔らかい部分を無防備に手渡していて、今の自分には絶対できない。現場に知り合いも増えたし、もう、書く際に自分の属性ー年齢・性別・社会的立場などなどを考えてしまう。これはつまり「いい年してこんなこと」と思って書くのをやめているということで、理屈ではそんなのダサいと思うけど、ちゃんとした大人になれていない引け目があるとセーブしちゃうよな……。
しかし、この「知り合いが増えたから書けない」「自分の属性を勘案して書けない」というのは、要するに人目を気にしているということだ。
言うまでもないくらいの話だけど、人目を気にして書けないことを増やすのは、文章に対して誠実ではない。しかし、「自分の情報を持っている人ならどう思うだろうか」というのを、気にしないでいるのは難しい。
改めて、積極的に表に出たり、自分のことを語ったりするのはやめておこうと思った(仕事や付き合いでお願いされたらやるけど、自主的にキャラを出すことはしないくらいのニュアンス)。「人前に出ても文章を変えなくてもいいくらい自分をしっかり持て」というのももっともだけど、たぶんそんなに強くできていない。
それにしても、どうしてアイドルについて書いたほんの一部の文章に、私の内面が垂れ流されているのか。
ほかの文章、たとえばマンガや映画、ストリップについて書いた文章からは、私の「考え方」や「ものの見方」を知ることはできるけど、内面を知ることはたぶんできない。
本当に、なんで???