浅草行ったときにMさんと氷川きよしの話になり、それからトランス差別の話になった。私が「フェミニストがトランスジェンダーを差別している」という話をすると、「えっ、なんで?」と驚かれた。(「トランス女性を認めないフェミニストはフェミニストと呼べない」というのはその通りとして、ここでは当日の話の流れに沿ってフェミニストと書いてます)
たしかに、フェミニストって立場の弱い人の権利を守る人たちってイメージあるのに、「トランスジェンダー女性を差別している」って知らない人が聞いたら驚くかも。
”フェミニスト”による差別に慣れちゃってそういうものだと思ってたけど、たしかに「なんで?」だよね。私も正直よくわからないが「女性の権利の拡張に努めてきたからこそ、今まで男として特権を享受してきたやつらにその利益を取られるのが嫌」という気持ちなのか? でも、トランスジェンダー女性の人って100%とは言わないまでも、生きるのに苦労している人のほうが圧倒的に多いんじゃないだろうか。特権とか言われてもな。
で、弟にそういう話をしたら、「そういう差別をする人たちは、トランスの人が簡単に気持ちを切り替えられると思ってるんじゃないの。男が嫌だから女。女がめんどくさくなったら男みたいに」という返事があり、これはたしかにと思った。そう考えているのだとすると、トイレの話があんなに問題になるのも、手術の有無にこだわるのもわかる。
でも、実際は私のようなシスジェンダーの異性愛者には理解し得ないさまざまな苦しみがあるわけで、気軽に行ったり来たりできるようなものではどう考えてもないだろう。差別者がどうしてそういう理解になるかという謎は解けない。「得体のしれないものを排除したい」という気持ちを理論武装しようとするとそういうことになるのだろうか……。
よく知らない他者のことを、勝手に得体のしれないものと規定することが、すでに差別なのに、ファミニズムを学んできたはずの人たちがそれをやってしまうということが、本当に理解し難い。
追記:3月31日はトランスジェンダー可視化の日(TransDayOfVisibility)と先ほど知りました。今日読んだものを貼っておきます。
note.com トランスジェンダー女性のスポーツ参画について。とても気になっていたことについて、トランスジェンダー女性への支持を明確にした上で、ロジカルな意見が綴られていて納得させられました。