ホンのつまみぐい

誤字脱字・事実誤認など遠慮なくご指摘ください。

作劇レベルの違和感がそこかしこにあって鼻白む映画「MINAMATA-ミナマタ-」@ムービル

 事前に以下の長大なスレッドに簡単に目を通していたこともあり、色眼鏡つきで観たことは否定できないが、それにしても変な映画だった。

https://twitter.com/HWAshitani/status/1442597548464566272?s=20https://twitter.com/HWAshitani/status/1442597548464566272?s=20

 本作でのユージン・スミスはかつて戦場などを取材し、決定的な瞬間を写真に収めてきたカメラマンとして登場する。

 しかし、冒頭での彼は自堕落な生活を送り、仕事への情熱を失っている。家族にも見捨てられているようだ。

 ある日、広告写真の撮影の依頼に訪れた女性の「水俣の写真を撮ってほしい」という懇願に答え、日本を訪れる。

 水俣で患者やチッソの社長に出会い、公害に憤ったスミスは、さまざまな妨害にも負けずに撮影を敢行する。スミスのおかげで水俣の現状は世界に知られることとなり、患者側も交渉にも勝つという物語だ。

 私は水俣病については教科書レベルのことしか知らないが、そもそも映画としてもちぐはぐなところが多いように思う。

 スミスは戦場での体験を通してPTSDに陥り、写真家としての仕事ができなくなっている。そんなスミスを一念発起させたのが水俣の現実だったと映画では描写している。しかし、戦場で負ったPTSDが公害の写真を撮って人々の役に立つことで快復するというのは乱暴すぎるのでは。

 撮影場所は日本でなくセルビアモンテネグロなのだそう。全編、映像としては美しいし、日本に見えないのは致し方ない。しかし、水俣の海辺に西欧人の少女が特に意味もなくいるという、わかりやすい雑な描写はなんなのか。

 また、「スミスの暗室が放火にあい、フィルムが行方不明になる」という、史実にはない事件が登場する。実はそのフィルムはある男性が保管しており、物語後半でスミスのもとに返される。この男性が何者かが、映画を観てもよくわからない。おそらく「チッソで働いてはいるものの、親族に水俣病患者がおり、スミスに共感する男性」と見せたいのだろうが、説明不足だ。極めてご都合主義的に見え、映画としても不自然。

 作劇レベルの違和感がそこかしこにあり、現実に起こった公害の映画としては不誠実ではないかと感じながら最後まで見ていると、エンドロールで世界各地の公害被害とそれをとらえた写真が流れ、「この作品を水俣の方々と世界の公害被害と戦う人々に捧げます」といった文章が出てきた。

 しかし、これが水俣病の映画だとすると「たくさんの人が今なお苦しんでいるよその土地の出来事を、何で勝手に捧げてるんだ。この人らは」と思う。あるいは「水俣をモチーフにしてはいるが、公害というものの恐ろしさを広く訴えるための映画」だと解釈することもできるかもしれない。しかし、そうであるなら「MINAMATA」という名を使うのは図々しすぎるのでは。現実の公害に近づこうという意志は見られないし、映画としても雑なのに。

 俳優たちはみな力演で、圧倒的善意に基づいて作られた、不誠実な映画というものもあるのだなと思い知った。

 

 

 

 

 

 『ダンス・ウィズ・ウルブス』を観たネイティブ・アメリカンもこんな気持ちだったのかもしれないと思った。未開の地の原始人を白人が助けに行く話だものな……。

 

www.youtube.com

 『MINAMATA』に違和感を感じたのは、原一男の『ニッポン国VS泉南石綿村』を見ていたからもあるだろう。『MINAMATA』の患者や家族はあまりに劇中のスミスに従順で、それぞれが個として描かれていないように感じた。

 原監督の新作『水俣曼荼羅』がどのような映画になっているかを、しっかり見届けたいと思う。

 

 

www.youtube.com

www.youtube.com

https://twitter.com/HWAshitani/status/1449916655979556864?s=20

https://twitter.com/HWAshitani/status/1449916655979556864?s=20

httpstwitter.com/HWAshitani/status/1442597548464566272?s=20

https://twitter.com/HWAshitani/status/1442597548464566272?s=20

https://twitter.com/HWAshitani/status/1442597548464566272?s=20