自らのホームであるライブハウスを出て、武蔵野公会堂という整頓された会場を選んだ春ねむりのワンマンライブ。
普段はクラシックコンサートや合唱をやっているそうで、会場入り口の柱に、紙に筆で公演情報が書かれていた。
同年の1月にduesで行われた無料ライブとは違う、高い天井に固定イス。そして、舞台に映し出された『2017年10月26日 (木) 春ねむり ワンマンライブ「ぼくを最終兵器にしたのはきみさ」』の文字。
ライブの前に彼女が主題歌「kick in the world」を提供した短編映画「; the eternal /spring」が流れる。バンドを始めるけれどうまくいかない女の子の日々を描いたものだったけど、あまりひっかかりのない内容だった。
映画が終わり、春ねむりによるナレーション。さらにノイズ音が流れ、しばらくするとワンピース姿の春ねむりが姿を現した。
最初の曲は舞台に用意されたひな壇に上がり、スタンドマイクを前にしてのライブ。改めて、細い声なのに強い!そして、VJが美しい。
ワンマンでもVJが用意されていたけど、2DKの部屋くらいのduesではなく、映画館のスクリーンくらいの大きな背景に映し出されたVJは、世界観をがっちり補強している。
舞台の上は春ねむりとVJだけの世界で、それはファンのかけ声や熱気と同期させていくライブハウスでのライブとはまったく別のものだ。客を頼らず、1人だけで世界を完成させていく覚悟のようなものを感じた。
細くて揺れのある、だけど油断のない歌声が客席に響いていく。
ポエトリーリーディングに近いけれど、もう少し色鮮やかなステージ。時折花びらを巻く姿が美しい。
この日は中盤に挟まったカバー曲「バーモント・キッス」(相対性理論)と「世界征服やめた」(不可思議/wonderboy)が、彼女自身の曲とは違う空気もう少し遊びのある音で、よい緩急になっていた。
特に「世界征服やめた」での伸びやかな歌声はそれまでの彼女のイメージと違ったふんわりした聴き心地の良さがあった。
改めて大きなホールで聴くと、春ねむりの作る曲は多彩だ。ロック色の強いバンドアレンジのものもあれば、ビートの存在感が強いアンビエントな曲もある。
その多彩さはキャッチャーさと対極にあるし、時折挟まる激しいMCも含めて、人を選ぶだろうなと思う。
でも、MCで「最終兵器になりたいと思って作った『ぼくは最終兵器』ですが、この1年でああ、最終兵器になってしまったんだなと思えたときがあった」という、その覚悟が美しくて、それに見合うだけの存在になろうとする鋭さがかっこよくて、ついつい目が離せない。
最後は絞り出すような激しいシャウトの「kick in the world」から新曲披露で終わった。ライブというより、音楽を介して春ねむりが心の中に作る宇宙を再現するためのインスタレーションのようだった。
春ねむりはライブ中によく「皆さんを救いたい」というようなことを叫ぶけど、正直に言うと私はライブに救いを求めていないので、ちょっと申し訳ない気分になることがある。
それでも、彼女のライブに足を運んでしまうのはその真摯さと力強さを確認したいからなのだろうと思う。