ホンのつまみぐい

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地雷を除去する

 うみのての『もはや平和ではない』を聴いている。

 久々に聴いてみるとイントロに疾走感があって、繰り返される「もはや平和ではない」という言葉と不釣り合いだった。

 『もはや平和ではない』のMVでは、ひとりの男がギターで通りすがりの人々を殴りつける様子が描かれる。

 

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今日もどっかで起こってる
小さな戦争 小さな悪意 小さないたずら 小さないじめ 小さな欲望 小さな声
やがて重みに耐えきれず
どっかがぷっつりキレるだろう
やがて痛みに耐えきれず
僕らはぷっつりキレるだろう

その日までその時まで 知らないふりを続けるのか
面倒臭がって明日にしよう 見て見ぬふりを続けるのか

もはや平和ではない

僕らは毎日注意深く 慎重に暮らしてる
誰も傷つけないように 誰にも傷つけられぬよに

僕らの平和はつぶされる
一人の馬鹿に 一人の馬鹿 一人の馬鹿 一人の馬鹿 一人の馬鹿

ひとりのバカ!

笑っていいとも!」やってる限り平和だと思ってた(そうですね!)
笑っていいとも!」やってる限り平和だと思ってた(そうですね!)

けど

もはや平和ではない

 

 

 歌にもMVにも、平和を乱すものとして「ひとりのバカ」が登場する。特定の事件のことを指しているのかもしれないけど、前段に「僕らはぷっつりキレるだろう」という言葉を持ってくることで、鬱屈や怨念が「ひとりのバカ」だけのものではないことを示している。

 

僕らは毎日注意深く 慎重に暮らしてる
誰も傷つけないように 誰にも傷つけられぬよに

 

 歌詞の前半は「日々の生活の中で誰かが傷つけられ続けていて、それが爆発してしまう」という意味なのに、後半になって「俺はやり過ごそうとしているのに、迷惑をかけないでくれ」という他責の感情が爆発する。

 そこに凄みがあると思う。

 

IN RAINBOW TOKYO

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 7月8日。

 「もはや平和ではない」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、「いや、ずっと平和ではなかった」という打消しの言葉が飛んできた。

 容疑者周辺の情報から推察できる「自民党統一教会に集票を頼んでいて、非常に密接な関係にあった。特に安倍晋三はしばしば統一教会の広報誌の表紙をたびたび飾るなどしており、大きな存在感を放っていたため、統一教会に家族を破戒された容疑者に殺害された」というのが真実であれば、放置されてきた問題が最悪の形で爆発したというのが正しいだろう。

 膨張する地雷が日本のあちこちに埋め込まれていて、爆発しなかったのはただ運がよかっただけ……。
 自分の足を吹き飛ばさなかったのはただの偶然……。
 いや、本当はすでに半身くらい吹き飛ばされているけど、気が付くとぶっ倒れてしまうので考えないようにしているのか。

 色形の違う地雷がどんどん増え続けて、しかもそれぞれが大きさを増している。

 しかたないので、吹き飛ばされないよう除去の方法を学び、手を入れ続ける。でも、そのうちに、ある面では地雷に吹き飛ばされる自分が、ある面では地雷を作って埋め込んでいる側であるとも知る。

 それでも、除去し続けなくてはいけない。ほっておくと爆発するからだ。

 私は「こんな社会にしたのは自分にも責任がある」という言い方を好まない。地雷を埋めた人間の顔が見えなくなるからだ。だいたいこんなに大量の地雷の広がる世界が、ひとりの怠慢のせいであるものか。

 自分が地雷を作っていることもあると思いながら、それでも地雷の除去を続けなくてはならない。

 ほっておくと、最大限最悪の形で爆発するから。ただそれだけ。

 

 

 春ねむりのホームページに、うみのてを招いた主催イベントが延期になっている旨が書かれていることを思い出した。

 公明党の三浦のぶひろの「防衛大出身として…」「どーーか、勝たせて!ください!!!」という演説にイラついて、春ねむりを爆音で流して打ち消そうとしたことがあった。春ねむりの食らいつくような歌い声は、あの声をかき消すにぴったりだった。

 

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春火燎原

春火燎原

  • TO3S RECORDS
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 ダースレイダーの『武器としてのヒップホップ』を読んでいたら、「『いいとも』は平日の真昼にぽっかり空いたカオスだったが、終わったことによりそのカオスの穴が閉じてしまったのではないか」と書いてあり、『いいとも』はずいぶんミュージシャンに信頼されていたのだなと知った。