最近の一部のジョジョファンとかワンピースファンの、いかにもソーシャルな感じが苦手なんだけど、あれたぶん「物語は個人に寄り添うものであるから、その解釈の形は人の寄り添い方の数だけ存在する」というのを否定するようなふるまい方を彼らがするからだろう。
ジョジョがあの「擬音」「ディオ様」「あの名台詞」「ジョジョ立ち」みたいなパーツに集約されて単純化された状態で広まっていく感じが見ていてしんどい。自身をファンと公言する人たちが、その単純化に手を貸している状態がなんともつらい。
物語はファッションやコミュニケーションのツールとして使われた瞬間に、どうしても単純化せざるを得ない部分が生まれてしまう。その単純化に無頓着な感じがどうにも苦手なのだ。もちろん、そういう方法で作品を楽しむことを否定することなど誰にもできないが。
最近は「サブカル」という単語を「ファッションの一部として文化的であること、あるいは病的であること」として否定するオタクたちが一定数存在するけど、彼らの忌避感もこのあたりから来ているのではないだろうか。
しかし、オタクはオタクでガンダムなどを単純化してきた歴史を持っているので、結局お互い様なのか。