ホンのつまみぐい

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穴の多い家父長制批判『親なるもの 断崖』

 北海道の幕西遊郭を舞台に、戦前戦後の貧農出身の女性たちの悲劇を描いたマンガです。

 芸妓として成りあがる武子、人気女郎になるお梅、そして私娼になる道子。

 醜女の道子が女郎になりたいと泣きながら懇願する場面や、その道子がボロボロの体のまま放置されるショッキングな場面を切り取ったバナー広告が話題になり、宙出版から2015年に復刻。その後、遊郭を語るための一助になる作品としてしばしば引き合いに出されています。復刻当時に友人から借りた記憶がありますが、当時の印象を正確には覚えておらず、悲惨なことがたくさん起こるマンガだという印象が漠然と残っていました。

 

 その後、松沢呉一が本作を批判していたことを知り、自分の中での評価を棚上げにしていましたが、今回マンガワンというアプリで配信されることになり、久々に再読しました。

 

『親なるもの 断崖』はポルノである | 松沢呉一のビバノン・ライフ - Part 2

 

 改めて読んでみて、たしかにいろいろ批判すべき点が多いと感じました。私は遊郭の歴史に詳しくないので、史実との違いについては上の松沢の文章を読んでください。今回指摘するのは、作品全体を通して感じた思想的な矛盾についてです。

 本作は、前半は遊郭で働く女性たちの悲惨な生活を中心に進みます。しかし、中盤、社会運動を行いながらお梅と情を交わす聡一という青年が現れてから、遊郭での出来事と並行し、太平洋戦争の激化に翻弄される社会の有様を描くようになっていきます。

 惨殺される反政府主義者。軍需産業で潤う室蘭の町。強制連行で連れて来られ、亡くなった鉄工所の労働者。空襲で亡くなる市井の人々。

 第8話には「(前略)絶対的な家父長制度下の男尊女卑の時代である」というナレーションもあり、明確に女性搾取や戦争と、家父長制の関係を書き出そうとしています。

 遊郭という舞台も、女性のモノ化に対する作者の怒りを表現し、家父長制度を批判するために選択されたものなのでしょう。

 しかし、家父長制批判を前提として読むと、本作は不完全な作品だと感じました。

 家父長制の基本である家制度は、子どもに権力を相続させることで、その富や権力を維持していくという構造になっています。

 「父」は権力の継承のために「実の息子」を必要とし、息子を誕生させるために「子を産む女」を必要とする。家制度が支えているのはこうした権力の継承の構造であり、その中で女性は「継承者を生むための性」として扱われてきました。こうした制度の中では、「子ども」も「女性」も一種の資産であり、時に富を支えるための道具として扱われます。

 家父長制が、男性の権力維持のための制度であり、その増長の最悪の結果の一つが戦争である。本作が描こうとした主題の一つはここにあると言っていい。

 しかし、振り返ってみるとこの試みが成功しているとは言い難いように思います。本作のそうした意図を示す部分は登場人物の説明的な語りかナレーションに寄っており、ドラマの中ではその構造をうまく描くことができていません。

 ドラマの中で私たちの心に残るのは、搾取される女郎、拷問される反政府主義者、戦時下で翻弄される子どもたちの姿です。犠牲者の姿ばかりに焦点が当たってしまうと、読み手がその背景にある制度への疑問にたどりつけません。

 産むこと、結婚することに対する洞察の甘さも気になりました。

 女郎という職業ゆえに子どもを育てることを許されず、我が子を殺されてしまった武子が、お梅に対し「子供を産むのや」と語りかける場面は、本作の印象的な場面の一つです。おそらく、感動する読者も多いでしょう。

 家父長制のもとでは「子を産み育て、家に奉仕する女」と、「性的欲求を満たすための女」が分離されています。そのような社会において、性的欲求を満たすための女が産み育てることを取り戻す流れに、意味がないとは思いません。しかし、その後の流れを見ると、作者は家族愛をもって家父長制を乗り越えようとしているように感じられ、それが結果的には家制度の存続を肯定してしまったように感じました。

 お梅の出産以降、本作の主題はお梅が娘の道生にそそぐ愛についての物語と、太平洋戦争下を生き抜く道生の物語に絞られていきます。

 差別と暴力に翻弄される道生は、最終的に幼馴染の男性と結婚し、物語は2人の結婚式の様子で幕を閉じます。戦後民主主義的な思想を共有したカップルが結ばれるという意味で、ほほえましい安心感はあるのですが、「家」の中身が愛のある家族になっただけで、婚姻制度は存続しているという流れには疑問を持たざるを得ませんでした。

 結果として「よい婚姻」と「悪い婚姻」があるという見せ方になっているし、「家族」という枠組みの価値を強く強調したことで、家制度・婚姻制度という構造への批判が曖昧になっています。

 こういった終わり方をするのであれば、せめて史実を脚色せずに完全なフィクションとして描いてほしかった。これでは現実に遊郭で苦しんだ人々が、フィクションの「よい婚姻」の枕のように見えてしまいます。

 あとは、こうした遊郭の過剰な物語化とセックスワーカー差別についてももっと述べるべきことがあると自覚していますが、それはもう少しうまく人に伝えられるようになってからにしたいと思います。

 武子と遊郭の女将の顛末なんかは人生の複雑さを感じられていい描写だと思うんですけどね。それにしてもマンガワンのコメント欄の「最初は遊郭の話とか面白く読んてだけど途中から典型的なプロパガンダ漫画に成り下がってるどこが名作だよ駄作だよ駄作」というコメントはひどい。このコメントを書いた人にとっての「面白く」ってどういうことなんだろうか。

 余談ですが、家父長制と戦争の関係については『オメガ・メガエラ』がうまくマンガに落とし込んでいます。この作品もちゃんと語りたいなあ。