ホンのつまみぐい

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5月に読んだ本・マンガ

 

  面白かった。内容が濃すぎてうまくまとめられないが、何度も読み返したい1冊。下のインタビューでだいぶ内容がつかめると思う。

 以下はインタビューの抜粋。

では、そもそも「金融教育」とは何を教えるものなのかと考えてみると、「自分でリスクを把握して適切な判断を下す方法」を教えるものであり、つまりは「自己責任論を貫徹すること」を促すものなんですよね。自己責任を原則とする社会のなかで、いかにうまく立ち回るかを、金融教育は教えているわけです。

このとき、あらかじめ失われている視野は、「なぜ金融教育が必要な社会ができたのか」という問いです。私がこの本で考えてみたかったのは、その問いに尽きるともいえます。

市場において、自己責任の原則に基づくルールのない競争原理が貫徹されると、必ず敗者が生まれます。やはり一定のルールで敗者に対するケアをすべきですし、自己責任だけではない想像力を持てるような社会でないと、生きづらくなるばかりだと思います。

 

wezz-y.com

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  上の本の補足として読み進めた。親本は1983年ということで中身はかなり古い。サラ金が弱体化する前の話なので、被害者の悲壮な状況や取り立ての残酷さ、創業者の人格についてなどの、具体的な記述が目立つ。武富士を冠しているが、ほか会社の歴史や取り立てのあり様、銀行側の経営戦略としてのサラ金への融資についても細かに記述している。

 『サラ金の歴史』も『武富士サラ金の帝王』も結論や動機に共通するものがあり、以下の記述に大きく首肯した。

 サラ金の後ろにヤミ金融が控えてはならず、控えていいのは経済的困窮者に対する制度や法による解決である。

サラ金会社も悪いが、借りる方も悪いという見方がある。この論を一歩進めれば、借り手はサラ金から金を借りたのが悪いのだから、何をされても仕方がないという理屈になる。しかし、金を貸したあとで、人を悲惨な境遇に突き落とす権利を授けられるものだろうか。金はそれほど万能ではないし、もともと万能であってはならないものである。

だが、とはいえ、こうした「どっちもどっち」論が、とりわけ日常生活面でサラ金に縁のない人々に対して、一定の影響力を持っていることは認めねばならない。声高にサラ金苦の悲惨だけを訴えても、サラ金会社の悪しき体質を改めることにはつながりにくい。その意味で、被害者でなく逆に加害者、つまりサラ金会社の経営を描くことが不可欠とかねがね考えていた。

 急逝された三浦健太郎を悼む気持ちで久々に開いた。「『ベルセルク』は少女マンガの系譜である」と考えた藤本氏が敢行した三浦へのインタビューが掲載されているからだ。『ベルセルク』は完結したら読むつもりで、ずいぶん長いこと触れていなかったけれど、ガッツ、キャスカ、グリフィスの行く末が描かれずに終わってしまったことは、熱心な読者でなくても悲しい。

 

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

  近所の喫茶店で読了。

 絵が可愛い。登場人物がチャーミングで優しい。ギャグがうまい。話のテンポが速い。面白くてサクサク読めた。

 しかし、死の演出が受け付けなかった。とにかくよく登場人物が死ぬ。しかも、敵も味方も死の間際に自分の過去を振り返って死んでいく。「『実はこの人物にはこんな複雑な過去が……』というモノローグの後死亡(死なないこともあるが)」が何度も繰り返されて、これが大変よくない。

 情緒的なモノローグで人物の感情が見える化され、読者にとってわかりやすい「意味のある死」に集約されていく。「人物の過去を丁寧に描くことで多様な人間の在り方を描きたい」という著者の思いを感じる部分ではあるのだが、過去が死に集約され、同情の対象になることで、むしろあらゆる人間像が単純化されているきらいがある。

 個人的に最も違和感を感じたのは悲鳴嶼行冥のモノローグ。あの過去にああいった形でカタをつけてしまうことで、彼の持っていた悲しみや怒りが完全に矮小化されている。

 また、敵味方問わず何らかの因果で結びついている登場人物が多いため、悪との対峙が内輪での争いになっているようなところがあり、これも大変よくない。

 喫茶店閉店時間が迫っていて最後駆け足で読んでいたので、じっくり作品に向き合っての感想ではないが、作品からうかがえる著者の教養に反し、全体的に閉じた物語になっていると思う。

 

  鬼滅読了後にチャレンジ。異形が人助けをする話が多いが、鬼滅と違い、人物間のディスコミュニケーションが強調されている。わかりあえないもの同士、目的をともにしないもの同士がうろつく物語(短編集)から、過剰なまでに理解を求め、共通の目的のに奉仕する物語(鬼滅)への変化が見て取れた。

 

パレス・メイヂ 1 (花とゆめコミックス)

パレス・メイヂ 1 (花とゆめコミックス)

 

  まんがパークの無料公開で読了。明治時代を基にした、架空の皇室での身分違いの恋の話。気が強くてキツネ顔の主と、地味だけどしつこい従はけっこう好きな組み合わせなのだが、いかんせん全体的にあっさりしていて物足りなさがあった。ただ、これは作品を上品な読み口にしている部分でもあるので、好みの範疇。

 しかし、皇族という題材や明治以降の日本の歴史そのものに対する批評性がないことは引っかかった。日本における皇族は特有の語りづらさをはらんでいるが、それよりもっと手前の段階の「生まれながらに地位や権力を得ている人間を作品の中でどう位置づけるか」に対して葛藤が感じられない。よく調べて丁寧に繊細に描かれているとは思うが……。

 劇団チョコレートケーキの『治天の君』や、NTLive『リーマン・トリロジー』の感想の中に、無邪気な貴族萌え語りが散見されたことを思い出す。

 

  今回も面白かった。雰囲気が佐々木倫子と似ているけど、佐々木はコメディで和山はギャグという印象。演出の上でも、出来事の面でも和山の方が飛躍が大きい。

 休日にそのへんの公園で子どもに数学教えている小林先生がとってもよい。一見するとよくわからない通りすがりの大人が、必殺技で子どもを助けてくれるシチュエーション、憧れる。

 

 

  全部読んだ。ちょっとモヤッとするところがあったので以下にまとめた。

 

hontuma4262.hatenablog.com