ホンのつまみぐい

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三原順復活祭 会期1〜3

前回は長文の自分語りで終わってしまったので、三原順原画展の感想を改めて。

■ グレアムと「はみだしっ子」特集

はみだしっ子 (第2巻) (白泉社文庫)

はみだしっ子 (第2巻) (白泉社文庫)

 混雑していたこともあり、急いで見てしまったので、あまりよく覚えていないのだけど、中でもっとも印象的だったのはグレアムと父とのピアノでの戦いの場面だろう。

「ちがう サーザ!」「こうだ!」と心の声を発しながら、グレアムのピアノを訂正するように引き続ける父と、それを見つめるグレアム。この攻撃的な親子の交流の場面には、血しぶきのような墨と、黒い画面に光線のような白が描かれている。ピアノの音と両者の間の緊張感が鮮烈に描かれた場面で、原稿からも緊張感が伝わってきた。白黒の原稿は、生で見ると黒の存在が重々しい。

 会場中央のショーケースには、ネームやメモノート、スケッチが残されていて、「Sons」のジュニアが拳銃を構えるシーンを切り取ったスクリーントーンが鮮烈な切なさを放っていた。それがジュニアの影のようだったから。

 今回の展示の肝は、三原順にインスピレーションを与えた書物や音楽がぎっしりと展示されていることだろう。古いレコードやテープ、そして書籍を前にして、三原順に関する自習の教材がどっと増えて、新しい宿題を課せられたような気持ちになった。

■アンジーと初期短編特集

はみだしっ子 (第4巻) (白泉社文庫)

はみだしっ子 (第4巻) (白泉社文庫)

三原順傑作選 (’70s) (白泉社文庫)

三原順傑作選 (’70s) (白泉社文庫)

 こちらはヤマザキマリトークショーの直後に来場。以前のブログにも書いたけれど、アンジーは本当に優しくほほえんでいる場面が多く、何というか「そりゃ人気あるはずだなあ」としみじみ思う。そんなアンジーに、優しくほほえむフーちゃん。「愛しのオフィーリア」の原稿があったのが心利いていてなんだかあったかい気分に。この原稿、生で見ると射し込む光の描写がとても魅力的だった。

 カラーを改めてじっくり見ると、服のしわの濃淡や紙の色や小道具の描写にとてもこだわっているのがわかって、贅沢な気分になる。改めて見て、当時の印刷屋さんもかなりがんばってくれているなと思う。

 この日は書泉ブックマート三原順コーナーへも足を運んだ。文庫売場の棚だけでなく、展示用らしき透明ラックのスペースに「LOSTANDFOUND」や同人誌が置いてあり、お店の「本気」を感じさせた。複製原画あり、作品ごとのPOPもありの、うれしいスペース。

■サーニンと「ルーとソロモン」「ムーン・ライティング」「Sons」

はみだしっ子 (第5巻) (白泉社文庫)

はみだしっ子 (第5巻) (白泉社文庫)

ムーン・ライティング (白泉社文庫)

ムーン・ライティング (白泉社文庫)

 ヤマザキマリトークイベントで出た雪の表現に注目して閲覧。白黒原稿にもよく雪の場面は出てくるけれど、ここで印象的だったのはやはりカラー原稿。詩画集「ハッシャバイ」に使われた、雪に埋もれながら天を見上げるサーニンのイラストは、油絵のように重ね塗られた白の存在感がすごい。白い紙の上に塗り重ねられたミルクのような白は、踏むと音がしそうな質量があった。トークイベントでの「東北の雪と北海道の雪は違うのだけど、三原さんは北海道の雪を描いている」という話を思い出して、「そうか、これが北海道の雪」なんて思った。

 そして、サーニンと言えばクークー! 展示にはもちろん「カッコーの鳴く森」の場面があった。クークーが川に落ちたサーニンの名前を呼ぶ場面。その声を聞いたサーニンがクークーに笑いかけるあの場面だ。木々の間から射し込む光と、それを背負うサーニンの晴れ晴れした笑顔がまぶしい。

 「ルーとソロモン」のカラー展示がとても華やかで、改訂前の文庫に使われていた「ヒョウのコスプレをしたピアがソロモンをひっかく」カラーイラストにうれしくなった。ポップでシニカルな「ルーとソロモン」は、はみだしっ子よりさらに明るい、赤やオレンジを活かした色調でカラーが描かれていて、かわいくてあったかい。「ほらほら、このかわいさも三原順なんだよ!」と思う。

 そして「Sons」「ムーン・ライティング」の原画。残念ながら数は少なかったのだけど、妥協のないトーンワークによる画面が重たい展開をさらに深みのあるものにしていることがわかった。初版の単行本に表紙に使われたイラストが4巻から書き下ろしだったということに、ここで初めて気がついた。5巻と6巻の表紙イラストが展示されていて、その凝ったアングルと端正なペンタッチに改めて感心。ただ、後半空想の世界に閉じこもるDDの内面世界の原稿もみたかった……。ショーケースにはネームがあったけど。

 個人的な話なのだけど、私は「はみだしっ子」より「Sons」に思い入れが深い。三原順と会った頃はすでに大学生で、私は彼らのように、親との間に大きな確執を抱えてはいなかったから。これは山岸凉子萩尾望都の作品を読んでいる時にも感じることで、そういう類の孤独を「知ること」は出来ても、「共感する」ことは出来ないという引け目があったのだ。

「Sons」は「はみだしっ子」に引き続き、重たい親子の確執が話の大きな核になっているが、そこで描かれる葛藤はさらに多様に拡大していく。社会と自分との距離、過去の自分と今の自分との距離を見つめ直す言葉が多く、言葉のひとつひとつが我がことのように浸透していった。

 今回の展示には「"愛"って…すごく不気味だね。どこにでもゴロゴロしていて…。それだけでそれだけで何でも出来てしまうなんて。とても…気持ち悪くない?」「カエルでいいのなら!人間らしそうな振りをしなくていいのなら!いくらでも歩けるぞ」の場面があったけど、ほかには「ボク達は金があれば防げる不幸というのが確かにあるんだということを骨身に染みて分かっているんだ。」「思い出になってしまったものは総て哀しい」も折に触れて思い出す言葉のひとつだ。

 展示キャプションに「Sons」を最高傑作という人も一定数いると書かれていて、それは冷静に考えるといろんな意味でそう書くのが妥当なのだけど、原画をみていくうちに冷静でなくなっていたので、「えっ、さんずが最高傑作なのは世界の総意だろ……??」と瞳孔を開きながらつぶやいてしまった。

 ところで、久々に見たけどトマスとDDかわいくないか? 金髪碧眼の根性悪と、黒髪のすっとこどっこいとかもっと萌えとか、そういう話があってもいいんじゃないかと思うんだよ! やおいじゃないくらいの距離で。(個人的嗜好)

 そういえば、はみだしっ子は、4人の髪型が現実に落とせないような独特の描線と形を保っていて、それが各人の個性になっていたけど、「Sons」以降はリアリティのある髪型になっている。

 展示されている3作の間をつなぐ大きな要素は動物だろう。サーニンにとって、人間以外の対話相手となる鳥や馬たち。愚かさも屈託も備えているのだけど、度量の大きいソロモン(と友犬たち)。ふだんはほがらかで間の抜けた表情の犬だけど、肉体的にも精神的にもぎりぎりのところでDDを助けてくれたロボ。そして、なぜか狼男に憧れているのに、満月の夜は豚になってしまう料理上手で傲慢なトマス!

 マンガ家には猫派が多いのだけど、改めてみると三原順は犬をたくさん描いている。展示にはないが、「はみだしっ子」に出てきた「犬の話をする時だけ会話が生まれる家族」も印象的だった。社会的存在であるからこその切なさみたいなものが作品にうまく入り込んでいたのかな。切ながるのはこちらの都合で、生態にすぎないのだろうけど。

 さて、この日は時間があったので、2階におじゃま。

  米沢嘉博記念図書館はその名の通り、米沢嘉博さんの蔵書を保管する図書館。創設のねらいについてはこちら。現在、2階はマンガや雑誌、関連書をざっと展示したスペースになっており、1日300円でそれらが閲覧出来るようになっている。閲覧スペースにないものも、検索で倉庫から取り寄せてもらい、コピーをお願いすることも出来るようになっている。

 また、毎度1階の展示にあわせて閲覧室にはコーナーが作られる。今回も三原順コーナーがあると見込んで2階に上がろうとすると、まずエスカレーター前の机に「はみだしっ子」の4人に手向けた花が飾られているのに驚いた。2階にあがってさっそく三原順コーナーへ。閲覧室では作品のほかに、花とゆめ別冊マーガレットなど、掲載誌の一部。そして、三原順関連特集の掲載された雑誌に、同人誌が置かれていた。三原順が参考にしたとされる「最後のコラム」や「まどのむこう」も。

 3度訪れた際の様子では、2階の閲覧室には足を運ばない人が多かったように思う。しかし、それはとてももったいない。

 たとえば掲載誌。

 この日初めて知ったが「カッコーの鳴く森」は、雑誌掲載時と単行本で大きな変更がある。前述したサーニンが河で目を覚まし、クークーの名前を呼ぶシーンが書き換えられているのだ。

 1階展示室に飾られている、右手を挙げて目を見開いているサーニンが、雑誌掲載時は、両手で石をつかみ、目を細めながら笑っているのだ。改めて見比べると、変更後の原稿は随分とインパクトのある、晴れやかな場面になっているのがわかる。こういった原稿の具体的な変更点はもちろん、雑誌の中で三原順がどういった立ち位置だったのかを知るのも楽しい。

 実は私は昔、三原順のことをある種のカルトというか、一部の読者に過剰に愛された作家だと思っていた。その考えを改めたのは、偶然古書店でみた「花とゆめ」で、「はみだしっ子」が大きく特集されているのを見たことによる。表紙を飾るイラストはとても華やかで、人気作家らしい迫力があった。当時の読者が三原順をどう受け止めていたかを推察する意味でも、同時代にどんな作品が掲載されていたかを確認する意味でも、掲載誌の確認は楽しい。読者プレゼントのページや、年賀状ページなど、作品とは少し離れた軽いイラストをチェックしつつ、当時の読者と作家の距離を思い浮かべたりもできる。後期作品の掲載されたmimikoでは、80年代感のある軽いタッチの作品が続く中、ひとりだけくっきりした描線が浮いているのを確認出来たり。

 また、読者の動向という意味では同人誌も読み応えがある。展示の同人誌は三原順が亡くなってから作られたものが多いが、行間から「語り足りない」という熱が伝わってくる。特に、復刊関連のプロジェクトの動向を記したものは一読してほしい。

 さらに、「ぱふ」や「COMICGON!」「コミックファン」「PUTAO」「COMICBOX」など、三原順が特集された雑誌の展示も面白かった。特に、「COMICGON!」掲載の主婦と生活社の担当編集者のインタビューは、おそらく他に発表されていないエピソードだと思う。

 思いの外長い文章になってしまったけど、とにかく、300円を惜しんで2階にあがらないのはもったいないと思うので時間に余裕のある方にはぜひにとおすすめしたい。



 ……で、ここからちょっと三原順からそれるけれど、まったく個人的になんかテンションあがった話を書いときます。

 というのは、同人誌の中にグレアム&父を、一徹&飛雄馬に置き換えた「巨人の星」パロイラストと、ゲンドウ&シンジの「新世紀エヴァンゲリオン」パロイラストを見つけたことだったりします。私も過去にグレアムのパパと一徹は似てるという指摘をしたことがあり、加えて「巨人の星は昭和のエヴァンゲリオンなんだってば!」と言っていまいち周囲に相手にされなかったということがあるので、思わず「よっしゃー!」と思いました。ふだん「グレアムパパと一徹キャラかぶるよね」なんて言っても全然通じないから!

 多くの人がグレアムのその後を案じたように、私も星くんのその後を案じてもう5年が経つわけですが。三原順はその後「Sons」を描いてくれたので、グレアムもどこかでそれなりの大人になっているのだろうと思えたけど、梶原一騎が書いたのは「新・巨人の星」なので、今でも大人になれずにぼんやりした目で夜の道を歩いている飛雄馬が浮かんでしまう……。

 なので、sobaeという同人誌に島田菜穂子さんが書いていた、缶詰になった先で、アニメの再放送を見ていた三原さんと島田さんが、「お京さんのリンゴを落としてしまう左門」を見て、実際にキャッチボールしていたという一コマを見てなんか感激したのでした。

 あ、あとCOMICGON。表紙が「サイボーグ009」で、藤子・手塚・石ノ森関連の話もありつつ、ねこぢる三原順特集したり、いがらしゆみこ先生にインタビューしたりというカオスな雑誌で、最高です。みっしり詰まった小さすぎて読みづらい字の、呪術的とも言える過剰さを見ながら「これはいったい誰に向けて作ってるんだ」という興味がわき上がります。5号で終わってしまったらしいけど、「そりゃそうだろうなあ」という気持ちと、「これが続かなかったなんてもったいなかったなあ」という気持ちが入り交じる。そうそう、「こんなうがったやおいはどうよ?」という女子に向けた挑発っぽい記事があったのだけど、カイジキン肉マンムーミンって全部やおいの人気商材だから! 「むしろ目のつけどころグッド!」な気持ちで記事を読んでいたら、扉がよくネットで見かける笠井あゆみ美味しんぼやおいイラストだったのもなんか面白かったです。何なんだこの雑誌……。

 まあ、そんな個人的な発見があったりするのも古い雑誌や本を読む楽しみなので、ぜひ閲覧室にあがってほしいなと思います。