ホンのつまみぐい

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『40歳がくる!』雨宮まみ

 半年ほど前の発売時、頭痛薬を買うような気分で買った。

 当時、あまりにも「生まれてこなければよかった」と思う時間が長いので、このままでは死ぬのではと思い悩んでいた。そんな折、急逝した彼女の本が発売されたと聞き、何か死なないためのヒントがないかと思って手にしたのだった。

 著者の雨宮まみは40歳で亡くなった文筆家で、2010年代に現代社会に生きる女性の生きづらさを言語化し、多くの人の共感を集めた人だ。希死念慮を隠さないで生きていた人で、生前の最後のブログ記事は「死にたくなる夜のこと」というタイトルだった。

 この本は、亡くなる直前の連載と未発表原稿に加え、友人や関わった編集者による、追悼文を収録している。

 連載原稿は『40歳がくる!』というタイトル通り、40歳を迎えるにあっての葛藤や、その乗り越え方を雨宮が綴っている。社会に課せられる抑圧と闘いながら、やりたいことをやっていきたいと奔走する様が描かれた、基本的に前向きな内容だ。

 慣習にとらわれずに自分を表現すること、時々自分のための贅沢をすること、年長者になった自分をかえりみながら若者と遊ぶこと……。

 しかし、連載原稿の後に配置された未発表原稿「だんだん狂っていく」は、希死念慮に囚われた彼女がその内実をそのまま綴ったものだった。

 どれだけ楽しい予定が先にあっても、危うさを察知してくれた友達が、彼女を引き止めるためのウェディングドレスを買ってくれても、死にたさから逃げられない。

 率直に言って、向上心や欲望の充足を持ってしても、死への囚われからは逃げられないというのを証明する本になっていた。

 この世には「欲望を追いかけることによって日々をやり過ごしながら、いつか囚われから抜ける日を待てばいい」という、それなりにメジャーな提案がある。

 しかし、それでは解決しない囚われもあるということをしみじみと実感したし、ある意味納得もした。自分の経験からしても、欲望を充足させても、苦しみそのものから逃げることは出来なかったからだ。

 また、前向きで懸命な連載の文章も、読んでいてつらい箇所がところどころあった。文章から「価値のある自分でいたい」という願いが透けて見えたからだ。「望む姿でいたい」という願いは、囚われからの解放のきっかけになることもあるが、それそのものが囚われになることもある。

 雨宮さんが本当に必要としていたのはなんだろう? そして、私が必要しているものは何なのだろう? と、改めて振り返った。雨宮さんの囚われの内実は私にはわからないが、自分自身のことはなんとか探っていかなくてはならない。

 読んで元気になるような本ではなかったが、心に残る本だった。

 また、少し編集方針に異を唱えておくと、この本が未発表原稿を連載原稿のあとに載せたこと。多くの書き手のお悔やみの言葉を最後に載せたことのどちらも評価できないと思った。

 苦しみの中、必死に原稿を書いていたであろう雨宮さんの仕事を尊重した結果というより、作り手の「雨宮さんの追悼をしたい」という気持ちが表に出ている。連載原稿、未発表原稿、追悼文という順序は、連載原稿にまで死の気配を感じ取らせてしまう。

 仕事は人から生まれるものだが、それそのものは人から独立することができる。だからこそ自由に受け取ることができるし、作り出した人が想定していない豊かさを時に産み出すことができる。この本はその自由を阻害している。

 それぞれが綴った文章には罪はないし、別の形でまとめる分には違和感はなかったと思うが、同じ本に収録する必要はなかった。

 載っていてよかったと思えるのは、彼女の最初の単行本の『女子をこじらせて』を担当した編集者の文章だけだった。