石川県に災害ボランティアに行ってきました。
正月の地震の直後から現地ボランティアの機会を探ってはいたのですが、当初は参加の機会がありませんでした。
石川県が主導している「石川県災害対策ボランティア」は、事前登録したボランティア宛に活動日の1週間ほど前にメールが届きます。メールには次週のボランティアの空き枠が紹介されており、応募フォームから先着順で申し込むという方法で参加が可能なのですが、災害から数か月、記憶にある限り3月までの間はすぐに枠が埋まってしまい、仕事の休みのこともあり参加が見通せない状態でした。
ホーム - 令和6年(2024年)能登半島地震・石川県災害ボランティア情報特設サイト (jimdofree.com)
※メールを開くとボランティアの予約フォームが表示されます。日程をクリックすると申込ページが開き、参加表明ができます。
しかし、先日会社を退社し、就職活動をしつつ有給を消化しているタイミングで、ふとボランティア案内のメールを開くと、土日も含めて参加枠が余っている。金沢駅前のホテルの値段を調べると、1枠だけ5000円弱の部屋が残っていたので、すぐにホテルを手配してボランティア参加のページに戻りました。
ボランティアには現地集合型とボランティアバス型があり、車のない私は金沢駅集合のボランティアバス型の募集に登録。
すぐに折り返しメールが届き、27日の参加が確定。26日早朝に横浜を立ち、当日は金沢観光。27日をボランティアにあて、当日の新幹線で帰宅という日程を組みました。
事前準備としてボランティア保険への加入、現地での活動のための備品の購入を行いました。活動当日のために水とお昼ご飯の準備も。
金沢観光については別に記載するとして、ここでは27日当日のことを。
6時20分に金沢駅前の集合場所に集まると、33名のボランティアが集まっていました。慣れた様子でバスへ案内してくれるスタッフに促され、バスへ乗り込みます。
金沢駅から珠洲市のボランティアセンターまではバスで3時間。珠州は石川県の最北端。これはたしかにボランティアも入りづらい……。
ボランティアセンターには9時30分ごろ到着。先に到着したボランティアたちへの説明が終わっていなかったとのことで、さらにバスの中で30分ほど待ち、やっと当日の作業の案内に入りました。
作業は災害廃棄物の片付け、運搬。もう少し具体的に言うと、現地の家屋のゴミをその場で仕分けし、大規模廃棄場に運搬するという作業でした。
ボランティアが運転する軽トラ、トラック、ハイエースなどに乗って指定された家屋へ。現場は珠洲市内の一般家屋の倉庫で、津波で泥をかぶった倉庫から生活用品、趣味の道具などを持ち出し、ひとつひとつ分類します。
ゴミになってしまった物品を金属類、プラスチックなどに仕分けし、トラックに乗せて順番に廃棄場まで持っていきます。移動や休憩の時間も含めると実質の作業時間は5時間ほどでしょうか。大人が33名、休まずに取り組んでも完璧に片付いたわけではなく、災害の大きさを実感します。
作業中は家屋の持ち主に待機していただき、何かあった際に相談ができるようにしているのですが、80代と思われるその男性は、何とも言えない表情で運び出される物品を眺めていました。
トラックに乗って大規模廃棄場に行くと、野球場より少し広いくらいの空間が「家電」「金属類」「ふとん」「小型家電」などと書かれた看板で区切られていました。
トラックに乗せた仕分け済みのゴミを分別場所ごとにおろしていきます。地面におろしたゴミは、建屋にして3階建てほどの高さの巨大な輸送用コンテナに、ショベルカーによって詰め込まれていきます。
廃棄場は地肌が露出していて地面全体が白っぽいため、なんだか砂漠の中にいるような気分になりました。
移動の道すがらで見る珠洲の町は、震災直後に新聞で見た写真とほぼ変わらない、マッチ棒細工が崩れたかのような家も多かったです。また、一見何事もない家でも、よく見ると戸口に「危険」「要注意」などと書かれた紙が貼ってあり、無事に生活できる家は限られているようです。
道路は開通していますが、マンホールが隆起した箇所がところどころにあり、車が乗り上げないようにカラーコーンが置いてありました。割れて通れなくなった石の橋もあり、地震が建物に与える圧力の大きさを感じます。
実作業の時間だけで考えるとおそらく5時間弱のボランティア。もう少し長くいるべきだったと後悔しました。もっと手を動かしたくなる。
ただ、身体を動かしながら皆で協力して物事を片付けていくのは充実感があり、あえて率直に言うと楽しい時間でした。
目的がはっきりしているから、他の参加者の方ともべたべたしすぎず、しかしそれぞれの土地や災害に対する思いを率直に聞けて、普段の生活ではなかなか得られない時間だったと思います。
参加者の年齢層はおそらく40~50代が中心で、20~30代は男女とも数名。地元の人も、近県からの人も、関東からの人もいるようでした。
地元にお住まいという50代くらいの女性が「仕事終わってからスマホで見たら枠が空いてたから、その場でポチって」と話していました。今は土日はともかく、月木金などは人が埋まらない日も増えてきているそうです。
ボランティア終了後、バスで2時間ほどかけて金沢駅へ戻り、しばらく駅の周りをうろついて、ご飯を食べて帰りました。
震災直後はボランティア参加の方法を巡り、多くの意見が飛び交っていました。ここではその詳細は問いませんが、今回現地を見て感じたのは圧倒的な人手不足でした。
街中には壊れた家が立ち並んでいるが、がれきの搬出が終わらなければ壊れた家の解体ができない。搬出には人手が必要ですが、現場に行くまでに数時間かかる場所では人集めに限界があります。
県が案内しているボランティアの人数は決して多くなく、現在のペースで家屋を片付けていると、すべての家の片付けが終わるのは何年後になるのだろうかと不安になりました。
今回の災害では初期に交通の問題などが生じたこともあり、結果的に県以外の団体や個人のボランティアの活動に制限がかかってしまったようですが、県が管理するボランティアだけでなく、自治体側で有志のボランティア団体や個人の活動を受け入れる仕組みができないものかと思います。
個人として今後も何らかの形で関わることを考えつつ、自治体や政治の動きを今後も注視していこうと思います。
金沢は観光する場所もたくさんありますし、前日入りして街を歩き、翌日以降にボランティアに注力するというのも可能です。私の金沢観光の記録は↓
↓今回のエントリを書くに当たって読んだ記事。
能登の災害ボランティアが足りない 志願者のやる気をくじいた要因の数々 被災地入り「自粛論」の的外れ:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
能登半島ボランティア活動レポート(2/11〜2/15)|idanamiki (note.com)
現場で与えられた書類に「個人宅の撮影は禁止です」とあったので、ほとんど写真を撮っていなかったのですが、道路から見える風景は撮影しておいたほうがよかったかも……。
↓は能登のタウン誌「能登」の55号から。記事内の写真のような崩れたままの家屋があちこちに見られました。大きい余震が来たら倒れそうな家屋も……。