ホンのつまみぐい

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代弁という行為の図々しさ『REVOLUTION+1』と『エルピス』

 縁があって『REVOLUTION+1』を観に行ったが、オールド極左の悪いところ詰め合わせのような映画だった。

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 山上徹也ならぬ川上達也を主人公に、統一教会に家族、そして人生を奪われた男が安倍晋三殺害に至るまでの道筋を描く。


 川上が殺人に至るまでの動機は、「岸信介や安倍が統一教会を重用したことで家族が離散し、自分も社会から取り残されてしまった」ことへの怒りとして描かれていた。


 母親との不和や自殺した父・兄への思い、妹への屈折した感情なども描かれているが、「政治のせいで自分たちがこんな目に」という描き方は、ロスジェネと言われる世代全般に転用できるように作られている。


 川上の殺人は悲惨な人生を強いられた弱い人間が、追い詰められた末の混乱の結果として描かれており、公開前に危惧されたような「山上の英雄視」につながる印象はない。

 

 ただ、川上の主張が安倍晋三を支持するネトウヨに対して批評的な点など、監督の代弁者として使われている印象はぬぐえない。それにもまして気になるのは女性の描写だ。とにかく全員オールド極左の女性に対する思い込みをそのまま固形化したような造形なのである。


 自殺未遂を図って入院した川上に、いきなり「私も宗教2世なの」「抱いていいよ」と言い出し、一緒にブルーハーツを歌う女の子も微妙だが、この作品の欠点を端的に表しているのは、川上の隣に住む「革命家2世」女性の造形だろう。


 アジア風のワンピースを着て、アジア圏の神様を描いたらしきポスターを部屋に貼る女性は、川上を家に引き込んで自分語りと説教をする。


 「私の父は革命家だったが、海外(具体的な地名も出ていたが思い出せない)で亡くなった。私は周りの革命家たちに育てられたせいで普通の男が物足りなくなった…」というのが彼女の主張なのだが、幼い頃に父が革命に殉じたら、革命のことは嫌いにならないか?


 少なくとも、そんなに簡単に「革命家たちが育ててくれたからそういう男が好き!」にはならないだろう。


 仕事でお世話になった方の中には左翼2世、活動家2世の方もいる。両親と折り合いよく、NPOの代表や弁護士といった職につく人もいれば、強権的な思想の押し付けに反発する人もいるし、親の思想を他人事のように眺めている人もいる。そこにはそれぞれの家庭ごとの事情や葛藤がある。


 思想の押し付けという意味では宗教だけでなく、極左にも自己批判が必要なはずだが、そうした俯瞰的な目線はない。


 最後に川上の妹がニュースを見て「お兄ちゃんのことを民主主義の破壊者という人もいるけど、私はそうは思わない。安倍さんのせいで日本の民主主義が壊されてきた」と語り出すのもすごかった。ブログじゃなくて映画なんだから……。


 ただ、川上を演じたタモト清嵐は熱演で、鬱屈を表情だけでなく身体で丁寧に表現しており、爪の甘い話に説得力を持たせていた。また、これだけ雑だと普通は客席から逃げ出したくなるが、映画としてはわりと観れてしまう。このあたりは監督の才能かもしれない。


 そして、意外にも「観て損した」という気持ちはない。監督の主観をそのまま出力した作品だからこそ、乱反射的に自身や社会を考えさせられる部分があり、思考のきっかけとしてはよかった。


 私が最も気になったのは川上の見た目だ。高校生から事件までを描くという構成上、致し方ないのだろうが、41歳という年齢から考えるとやはり造形が若々しい。


 山上の逮捕から間もない8月2日、YouTube番組ポリタスTVで、伊藤昌亮が山上のツイートの分析結果を語っていて、そのチャット欄では多くの人が山上を「青年」と表現していた。山上はもう41歳なのに、なぜ多くの人が彼を青年と思ってしまうのか。その誤解こそが、ロスジェネが受ける目線を象徴しているように見えた。


 実際は同世代の我々は、みんな健康の話をしているというのに……。10年前に知り合った人々の今の腹の膨れようを思い出さずにいられない。


 また、「山上徹也の物語」があまり語られないのは、その内容が殺人に対して同情や共感を呼び起こさせるものだからだろうかとも考えた。その生から殺人に至るまでの経緯は、事実だけを羅列してもマンガよりマンガ的だ。


 しかし、メディアには現れなくても物語は生まれるようで、映画のあとで感想を検索したら、山上をてっちゃんと呼び、「映画良かったけど本人のほうがイケメンだから!」などと語る人たちを見つけた。


 オウム真理教事件後に上祐ガールズができたのと同じような心の動きがあるのだろうか。これぞ消費の極地ではあるが、中には宗教2世と名乗る人もいて、この人たちの言葉の奥にどんな感情があるのかは、知りたくなってしまった。


 現実の事件の物語化といえば、音楽を同じ大友良英が担当した『エルピス』のことも少し。


 前回のエントリーでも指摘したが、マスコミ関係者以外の人物が厚みに欠け、テレビ局の内側だけでドラマが動いているような危うさを払拭しきれていなかった。

 

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 最終回の何話か前に話した友人は、北海道警裏金事件を引き合いに出し、「警察や政治家を疑う目線を描いたこと」自体を評価していたけど、それならそれでもっと権力側の卑怯な振る舞いを精緻に描くべきだったと思う。


 ただ、それはそれとして最終回にグッとくる箇所があった。


 浅川が「番組に迷惑かけるなんてそれがなんだ」という趣旨のことを同僚に言い捨て、冤罪を晴らすためのニュースを放送しようとするところだ。


 それは本当にそう!


「人が殺されようとしてるのにテレビ番組とか知るか!」というタンカへの快哉


 ここでスカッとして、その後の一悶着からのニュース放送は思わずグッと来てしまった。


 が、この「グッ」は「テレビのキャラが私たちの代弁をしてくれた!」という喜びではないのか?


 そもそも『エルピス』に対する賞賛のかなりの部分はこの「代弁」に対する快感なのでは?


 だいたい、浅川や岸本、村井のような大手メディアの人間は私たち視聴者の代弁者として適切なのだろうか。半ばご都合主義的に登場し、その場で主人公たちにいい感じのインスピレーションを与えてくれた善良な証言者たちこそが、本来は政治家でも大手メディアの人間でもない私たちの代表だったのではないか。この人たちを掘り下げてくれなかったことは、エルピスに対する大きな不満だ。

 

 奇しくも、『REVOLUTION+1』も『エルピス』も、違う角度から代弁という行為の図々しさを可視化させていて、それは現実の事件や事実に他者として向き合い、なおかつ正しくあることの難しさを、逆説的に表しているようでもあった。