ホンのつまみぐい

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自分が連続した時間の流れの中にあることを確認する/あざみ野フォト・アニュアル田附勝 KAKERA きこえてこなかった、私たちの声展@あざみ野市民ギャラリー

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 土器のかけらを、それを包んでいた新聞紙とともに撮影するという田附勝の「KAKERA」。とてもよかった。

 瞬間を記録し、さまざまな情報を閉じ込めた新聞紙。それが変色し、くしゃくしゃになったところに、何千年、何万年の時を経て存在する土器が乗っている。それを、さらにカメラが撮影し、紙の中に保存した上で、展示される。

 新聞の一見短期的な記憶が土器の長い記憶に押しつぶされているようにも見えるし、2種類の物質の時間の流れをつないでいるようにも見える。

 

・あけましておめでとう 技術の日産 1964年(昭和39年)1月1日 朝日新聞/撮影:2018年11月26日 奈良県奈良市 ※日の丸が中央に配置された作品

・今も耐えている 沖縄 1966年(昭和44年)11月16日 読売新聞/撮影:2016年3月15日 東京都杉並区

・皇太子さまご結婚式 1959年(昭和34年)1月16日 東京新聞/撮影:2018年7月30日 東京都渋谷区

 

 新聞紙からそのまま取ったタイトルとともに、撮影時間・場所を細かに表記しているのもよかった。時間と時間の距離が、さまざまな形で可視化されている。

 「悠久の歴史に比べれば人のいざこざなど一瞬のこと」という雑な語りを呼びそうではあるけれど、新聞紙面の選択に、作品を単純なノスタルジーにとどめないという意志を感じた。

 あえて「きこえてこなかった」とする展覧会タイトルも、楽観的でない印象を与えている。

 新聞紙にくるまれた土器が箱の中に静かにしまわれている写真を見ていると、ノスタルジーとも違った、過去に対する愛着が生まれてくる。矢のように過ぎていく生活の中で、自分自身の過去すら見失いそうな今。遠い過去も近い過去も現在につながっていることが、作品を通して静かに可視化されていて、そこに安心するのかもしれない。混乱した世界に生きていると、時間がつながっていることも安堵の要因になる。土器はもちろんのこと、作品内の新聞に書かれた出来事の多くは、自分が生まれる前の事柄だったが、それでも懐かしさを感じてしまう部分がある。そう感じることが、必ずしもよいことではないこともあるが……。

 空間演出も巧みだった。会場入ってすぐのスペースは、黒い壁にわずかな照明。収納された土器の写真が数点展示されている。しかし、中に入ると真っ白い壁が広がるスペースがあり、広げた新聞紙の上に土器を並べた作品が現れる。白い壁のスペースに入った瞬間、不思議な解放感があり、それが作品をうまく引き立てていた。

 展示を見終えた後は、男女共同参画センター横浜北の図書室で、ゆっくりと読書をした。遅い時間までやっているのがありがたかった。

 

KAKERA

KAKERA

  • 作者:田附 勝
  • 出版社/メーカー: T&M Projects
  • 発売日: 2020/03/11
  • メディア: 大型本