ホンのつまみぐい

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高橋留美子の女の子はよく怒る

 阿刀田高編著の『日本幻想小説傑作集 1』を読んだ。

 中島敦から黒井千次までという幅広さで、読み応えのある作品ばかりだったが、書き手が全員男性なので、女性の描き方が気になった。

 作中で重要な役割を果たす女性が「男性を惑わす力を持つ謎の存在」もしくは「災厄に巻き込まれる無力な存在」の二択なのだ。理解できないからこそ神秘的だし、無力だからこそ守ってあげたい存在としての女。

 作品自体はどれも面白いのだが、立て続けに読むと「この人たちは不気味な女か、かわいそうな女しか書けないのか?」というイライラが募ってきた。神秘性の根拠が同情と侮りに寄りすぎている。

 文藝2021年秋号が「怨」というテーマで特集を組んでいて、この中に藤野可織とはらだ有彩による「幽霊、なぜ女性ばかり」というタイトルの対談が掲載されている。

 「幽霊が女性ばかりなのは、犠牲者になることが多い属性だから」というのはよく聞く話だ。この対談ではさらに踏み込んで、暴行によって殺された「貞子」のような”強くてヤバそうな女の霊”を例に挙げ、「女が強くなるにも、誰かに対して加害を働くにも、なにがしかの事情が必要で、“そうでなければ女が力を持つはずがない”という作り手の期待がある」と指摘している。

 女は加害者になるにもかわいそうな過去が必要とされてしまうという話だ。

  また、時に不条理なアンガーマネジメントを強要される社会において、「怒りで人を攻撃することに遠慮がない怨霊という存在」についてのあこがれも語られていた。

 ふと、高橋留美子の人魚シリーズを思い出した。人魚の肉を食べると不老不死になるという伝説を元にした連作短編で、不死の肉体を持った湧太と真魚が人々のさまざまな思惑に巻き込まれる姿を描く。

 世間から隔絶した村で育てられ、15の歳に不死になった少女の真魚は、湧太しか頼るものがない。学校にも通わずに育てられたため、日常を生きるための知識もない。

 しかし、それをまったく引け目に思わないし、他人に暴力を振るわれたらストレートに怒り、か弱い体でやり返そうとする。食事の場面では「がつがつ」という擬音が当てられていて、いかにも図太い。不気味やかわいそうに絡め取られない造形なのだ。

 取り返しのつかない悲劇ばかりが続く人魚シリーズの風通しを良くしているのは、真魚のこの態度に他ならない。

 ラブコメとかわいい女の子の印象が強い高橋留美子だが、彼女の作品のベースにはいつも怪異がある。

 『犬夜叉』や『境界のRINNE』、『MAO』などはもちろん、『うる星やつら』や『らんま1/2』やその他の短編にも、不条理な異世界、妖怪、幽霊などといった私たちの日常を脅かす要素がしばしば顔をのぞかせる。

 そうした危うさが根底にありながら、読者が高橋世界を楽しめるのは、登場人物がその不条理に堂々と抵抗するからだろう。嫌なことは嫌と言うし、時には暴力で意思を示す。『うる星やつら』のラムだって、あたるに電撃で罰を与えられるからこそ魅力的なのだ。主役格の人物だけでなく、脇役の女の子たちもアグレッシブな造形が多く、それゆえに役割にはめ込まれない力強さがある。

 こうした人物描写が作品世界を開かれたものにしているからこそ、不条理な異世界を描きながら、少年誌のトップランナーを走ることができているのだろう。