ホンのつまみぐい

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誰の言葉をどのように聞くか

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 この対談の、ここと、

西 私が影響を受けたのは、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェというナイジェリアの女性作家です。今世界中で新しいフェミニズムが盛り上がってるけど、そのパイオニアのような方です。

田我流 その方、「まにまに」(西加奈子さんのエッセー集)でも紹介されてましたよね?

西 そうそう。すごく信念がある人でとにかく強い。私、2017年に電話でインタビューしたことがあるんです。その時もいろんな質問にしっかりと正面から答えてくれた。

これは記事に書かなかったんやけど、彼女はもともとヒラリーの支持者だったの。その取材はちょうどトランプが勝った直後だったのね。だから「率直に今の気持ちを教えてほしい」って聞いたら、「わからない」って答えて、それにすごく驚いた。だって彼女ならいくらでも“正しい答え”ができるから。さらに「人生は短いから、そんなこともう考えたくないわ」と続けたんですよ。

それってつまり「トランプなんかのことで人生を浪費したくない」ってことでしょ。それを聞いて、私は「そういう考え方もありなんだ!」って感動したんですよ。

田我流 すごく柔軟な人ですね。それこそ、しなやか。

西 本当にそう。パブリックの彼女はすごく強い人だけど、プライベートでは自分の人生を守ることを大切にしてるんだって。「正しさ」だけだと息苦しいんですよね。彼女はユーモアがあるところも大好き。以前アメリカの「TED」というプレゼン番組に出た時もめっちゃ観客を爆笑させてて。とにかく強いんだけど柔らかいんです。

ここが 

西 私ね、世の中には一色だけの人なんていないと思うの。醜いだけの人間も、美しいだけの人間も。私はヘイトスピーチをする人間なんて顔も見たくないけど、その人たちにも美しい瞬間はある。小説家としては、そういう部分を見ていかなくてはいけないと思っています。さっき田我流さんが世間からあぶれた人にも歴史があると言ったように、なぜ彼ら彼女らは醜い部分を出さないといけないのか、とかね。

 燃えていたのを見てなんとなく自分の感情を書いておこうと思った。

 怒っている人は、トランプへの抵抗から降りることを肯定していること。ヘイトスピーチをする人間にも美しい瞬間はあると言ったことを問題視している。

 私はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの話は、「自分の人生を守らなくては抵抗のための力は湧いてこない」という実感についての話。ヘイトスピーチについては、「ヘイトスピーチをする人間がどうしてそうなったのかを追及したい」という話だと思ったので受け流していたけど、たしかに現場で四苦八苦している人たちからすれば悠長すぎる話かもしれない。

 8月、川崎市ヘイトスピーチ条例制定へのパブリックコメント募集についての記事を定期的にRTしていた。パブコメの賛成票が上回らないことには、日本に住む多国籍の人々が安心して生活できる条例が制定されない可能性があると聞いたからだ。その過程で、差別意識にあふれる人々の言葉を数え切れないほど見た。

 ヘイトスピーチにさらされるというのは、日本という国に生活する人の中で、ある属性の人が道を安心して歩けないということ。

 それに直接立ち向かっている人たちが西加奈子と田我流の言葉に怒りを覚えたとしたなら、その怒りに耳を傾けるのが筋だと思う。

 「ヘイトスピーチをする人たちの背景や内面を知らなくてはいけないのではないか」という西の言葉(私はそう解釈した)を肯定するなら、同時に「怒っている人たちはなぜそんなに本気で怒っているのか」ということに向き合わなくてはいけないはずだ。

 差別や不正を相対化する言葉に比べ、闘うための言葉は圧倒的に足りていないのだし。

 ところで、田我流はとても好きなラッパーで、今回の対談にも好きな箇所がある。

 アルバイトがどうしても人と同じようにこなせず悩んでいたが、途中から「俺が遅いなら、お前が手伝え」と思うようになり、実際そう伝えたエピソードや、"でもすごく悩んでいる人や、感情が負のスパイラルに入ってしまっている人に「お前が正解で、世界が間違ってる」くらいのことを言ってあげたいんですよね"という言葉はとてもありがたかった。

 しかし、その優しさに敬意を払う一方で、私は最近田我流をあまり聴かなくなっている。うまく言えないけれど、新譜から「今必要な言葉」が見つけられなかったからだと思う。

 この対談に怒っている人には田我流ファンも多く、同時に彼の言葉の食い足りなさも指摘されていた。そこには、彼に対する期待とともに、今の彼の世界がどこか閉じたものになっていることに対する危機感があるのかもしれない。

 でも、これは田我流に限らない。最近、アラフォーでそれなりに力のあるラッパーの今の曲が、どれも未来に向かっていない感じがしてしまう。みんな、自分たちがこれまで作ってきたものについて歌っていて、それはそれぞれ力強くて優しい。でも、そこに未来を描く力がない。(私はサ上とロ吉が好きだけど、彼らにもそういう傾向はある)

 ラッパーという自我と音楽がべったりとくっついた音楽家たちにとっては当然の変化なのかもしれないし、それはそれでひとつの成熟なのだろう。

 しかし、「中年には未来を描く力がない」ということをこんな形で実感するとは思いもよらず、少し寂しい気持ちになってしまう。

 それを考えると、いつまでも感覚が前線にあったECDはやはり畏怖の対象であり、まだまだ何も作り上げていない自分は、あの執拗さを見習わなくてはいけないと思った。

文藝 2019年秋季号

文藝 2019年秋季号

 

 西加奈子は「文藝」で、在日の友人の葛藤に胸を痛めながら、その葛藤に踏み込むことができない日本人女性の姿を描いている。

Ride On Time

Ride On Time

 

 

Straight outta 138 feat. ECD

Straight outta 138 feat. ECD

 

www.youtube.com 田我流は、「Straight outta 138」で、反原発アジテーションしている。

21世紀のECD

21世紀のECD

 

 

「かんかん橋をわたって」からも感じ取れる草野誼作品の居心地の悪さ

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 バナー広告とツイッターきっかけで大ブレイクの嫁姑大戦争マンガ『かんかん橋をわたって』を読み終えた。

 この作者の作品を読むのは2回目だけど、「たしかに面白い」と「こういうところがキモい」が交錯。そのキモさの内実を理解したく、とりあえずキンドルアンリミテッドで読める草野誼作品はすべて読んだ。

 ネットで騒いでいた読者の多くは、上記のバナー広告から草野誼の名前を知ったのだと思うが、私は『かんかん橋をわたって』というタイトルに聞き覚えがあったし、2009年に発売された『気がつけばうちのごはんのにおいだった』という単行本を買ったことがあった。 

 マンガ研究者のヤマダトモコが『マンガの居場所』のレビューで草野のことを紹介していたからだ。

 レビューには『かんかん橋』のほか、『いのち輝いて』収録の『夏雲のむこうの国』が紹介されている。引用されていた「家の中に/重たい石が/ひとつある」という導入は、どこか山岸凉子のようで面白そうだ。読んでみたいと思ったが、草野に限らず、主婦向けコミックの単行本化は難しく、今でも『いのち輝いて』は電子書籍でしか読めない。ヤマダはレビューの中で、彼の作品がなかなか単行本にならないことを悲しんでいた。

いのち輝いて (2) (ぶんか社コミックス)

いのち輝いて (2) (ぶんか社コミックス)

 

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マンガの居場所

マンガの居場所

 

  ヤマダの嘆きを読んでいた私は、当時発売されたばかりの『気がつけばうちのごはんのにおいだった』を迷わず買った。

 登場人物はネットカフェで寝泊まりする非正規労働者、正社員目指して工場で働く女性たち、2世帯同居で家族から邪険にされる老婆など。逃げ出すこともできない重たい日常を生きる人々だ。厳しい生活を変えるような大きなドラマは起こらないが、みな健気に生きているという内容。

 たしかに他所では顧みられない出来事が描かれていると思ったが、率直に言って憂鬱な気持ちになったことをよく覚えている。単行本はすぐに手放してしまった。

 

  さて、『かんかん橋をわたって』だ。ここからはネタばれありなので、ご注意。

 

 本作は、当初は姑にいびられる健気な嫁の物語として始まる。嫁は姑の執拗ないびりに涙するが、次第に同じような境遇の嫁たちと集うようになり、女たちの目的はいつの間にか「嫁いびり文化」を地域に根付かせた黒幕を倒すことに集約されていく。嫁の変化を観察していた姑も、嫁の人心掌握術とカリスマ性を認めるようになり、最後は共闘して黒幕のもとにたどり着く……という壮大な物語だ。

 

かんかん橋をわたって (1) (ぶんか社コミックス)

かんかん橋をわたって (1) (ぶんか社コミックス)

 

 

・いびりを表現する言葉が「おこんじょう(いじわるを表す群馬の方言)」

・姑にいびられている嫁の間に共有される番付があり、「嫁姑番付」と呼ばれている

・橋をひとつ渡って川南から川東へ行くと、人の気風がまったく違う

 などなど、なんとなく心がざわっとする気持ちの悪い設定がうまい。

 

 ご都合主義的なところは多々あるものの、無力だった嫁が他人の心に入り込みつつ問題を解決していく様子が面白く、すっとんきょうで不気味な物語がどこへ行きつくのかへの興味で読ませていく。

 

 途中までツッコミを入れつつそれなりに楽しく読んでいたけど、キモさが臨界点を越した箇所がある。

 

 それが番付1位嫁のエピソードだ。物語も終盤に差し掛かり、主人公はすでにさまざまな苦難を抱える「番付〇位の嫁」たちと出会っている。番付の順位が高いほど姑にひどい目に合わされているという設定だ。読者も「それでは嫁姑番付1位の不幸とは、どんなものなのだろう」と期待している。

 

 番付1位嫁の姑は、地域に嫁いびり文化を根付かせただけでなく、町の経済を掌握している、ただの姑にとどまらない存在だ。1位嫁は姑に家を追い出されるも、夫恋しさに町から出ていくことが出来ない。しかし、町は姑に支配されているため、放逐された彼女を住まわせてくれるものはいない。そこで、1位嫁はわらと木を組んだ手作りの小屋を建て、乞食のような生活をしながら町にとどまるのだ。

 

 1位嫁が小屋でも生きていけるのは、黒幕の非道を見過ごしたまま生活してきた周囲の人々が、罪滅ぼしの気持ちで食料など生活用品を恵んでくれるからという設定なのだけど、ここでゾッとした。

 

 狭い洞穴に閉じこもりながら何かが起きるのを待っている人間がいる。その人は、実は周りの人間に尊敬されていて、普段は日陰者だが、なにかがあれば、知恵で物事を解決できる…。これは私が小学校4年生くらいの頃に持っていた妄想と非常に近い。いじめられて情緒不安定だったけれど、勉強はできた私は、いつかそういう物語が訪れる夢想を心の奥でしていたと思う。

 

 しかし、これは明らかに子どもの世界認識である。それが大人たちの物語にそのまま採用されているのがかなり気持ち悪かった。

 

 この、「狭い空間に閉じこもった主人公が実は知恵者である」というモチーフは草野の作品にたびたび登場する。金銭トラブルによって家から追い出された母親が、ガレージを寝床にDIYで生活し、家族を見守る『ガレージ・ママ』はもちろん、住み込みの家政婦として同居しながら家族と顔を合わせようとしない加藤アグリと、それに影響される家族を描く『名残りの薔薇』は、まんま「洞穴にこもった知恵者」である。

 

ガレージ・ママ (1) ガレージママ (ぶんか社コミックス)
 
草野誼傑作集 名残りの薔薇 1巻

草野誼傑作集 名残りの薔薇 1巻

 

  社会の理不尽に対して、草野の主人公の多くは家事という知恵を通して抵抗する。掲載誌のメイン読者である女性たちに向けたものだろう。彼のフィールドは今も昔も『ほんとうにあった主婦の体験』などに代表される女性向けコミック誌だ。

 健気な知恵者は、常に善意をもって世界の悪意や不公正を器用にかわし、洞穴の中を磨き上げていく。それに影響され、周りの人間は考えを改めていくが、知恵者自身は揺るがず、変わらない。

 

 また、『気がつけばうちのごはんのにおいだった』にも、家事がキーとなるエピソードがある。ネットカフェで生活する女性の話だ。固い寝床で体を痛めながらも、彼女は手作りのぬか床を手放さない。そして、つらい日々の中、ぬか漬けを頬張ることで笑顔になり、活力を得ようとするのだ。

 

 何一つ変えることにできない日常の中で、ぬか漬けに励まされる生活はたしかにリアルかもしれない。自分たちの生活にフタをする天井を突き破るのは、誰もができることではなく、それならまず目の前の生を充実させなくてはいけないからだ。

 

 草野の物語は、変えることの難しい日常を生きる人々を励ますものではあるだろう。実際、『いのち輝いて』シリーズや短編集に見られる、心の奥に潜むわだかまりや、不安、不満を掘り下げる力はすばらしい。

 

 たとえば『愛よりも深く』という作品では、難病で偏屈になった夫を看病しながら、日々の支えとして年下の男性に恋をする女性の話を描いている。そこには、逃げ出しようのない理不尽な日常を愛し、受け入れたことで獲得した複雑な感情が描かれている。この作品では「看病の日々が幸福だった」「愛情ゆえだった」とは描写されていない。描かれるのは愛情というものの複雑さを知る彼女の孤独な内面だ。言葉で伝えることのできない感情が、丁寧に描写されている。

 

草野誼傑作集 愛よりも深く 1巻

草野誼傑作集 愛よりも深く 1巻

 

 

 それでも、草野作品は私には居心地が悪い。彼の作品には「今の自分は家族や社会との関係がうまくいっていないけれど、見方を変えればこう解釈もできる」というロジックで折り合いをつけるものが多いからだ。しかし、そうした折り合いのつけ方は、社会の理不尽や不平等をそのまま飲み込ませてしまうことがある。

 

 『かんかん橋』は草野作品には珍しく、怒りをあらわにし、仲間と協力することで黒幕を倒し、地域全体を変えようとする流れがあり、だからブレイクしたのだろう。

 

 また、不幸な事故で醜い顔に変わってしまった女性が、自分を捨てた夫を追う『愚者の皮』以降は、それまでのある種の老成を捨て、目の前の物事と対決しようという展開が増えてきている。戦うための武器も必ずしも家事ではなくなってきた。一方で、内容はスカムというか、貸本マンガ的になっており、繊細さを欠いてきてはいるが……。

 

愚者の皮 (上) (ぶんか社コミックス)

愚者の皮 (上) (ぶんか社コミックス)

 

 

 心情は理解できるけれど、展開を全面肯定もできない。そんな居心地の悪さが、草野作品からは常に漂っている。

 

 それはともかく、個人的に一番好きな「かんかん橋」の感想はコレです。

dokukiro.exblog.jp

 

2021年6月2日追記:ふと思い出して草野のブログを読んでみたら「分科会の尾身会長、耳の付け根に境目がある!ひょっとして人造人間?」みたいなことを書いていた。Qアノン系のyoutuberに影響受けてるようだ。やはり子どもじみた妄想を真に受ける人だからこそ、ああいうマンガが描けるのか……。(ほめてません)

 2021年6月3日追記:もうひとつ『かんかん橋』で印象的なのは、女性たちの共闘の物語として読まれることで、フェミニスト読者の支持を集めていることだ。それ自体は物語の内容を考えると、むしろ自然な流れだろう。一方、本人のブログからわかる草野は、靖国神社にたびたび参拝に行き、余命三年時事日記を読み、日本神話に傾倒する悪い意味での保守思想の人である。読者の受容と作家の言動のギャップに複雑な気分になるが、このズレはこの作家の独特の人間観を考える一助になりえるのではとも思う。

関内ラーメン横丁の麺者雄と、福富町の丿貫

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関内駅前ビルセルテのラーメン横丁の麺者雄。スタンダードで、あっさり目で、適度な塩味でけっこう好き。このビルのラーメン屋、全部評判いいけど、どこも人が入ってなくてハラハラします。丁寧においしいものを作ってる人には幸せになってほしいな。

 

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 丿貫福富町。オマール海老と牡丹海老の合わせそば黒酢の和え玉でした。ランチは肉がおまけで入るみたい。横浜アソビルで食べた煮干蕎麦はしょっぱくていまいちだったけど、これはおいしい。ラーメンというより細麺の入った濃厚魚介スープですかね。ある意味パスタっぽいかも。

 油そば式に麺にたれを絡めて食べる和え玉。おいしいけど麺が一玉分くらい入っててびっくり。食べ過ぎた。

 ところで、ここは平日昼でも並ぶ店で、店員さんが外で並んでるお客さんを呼んで中に入れる方式。この日、次は2名様待ちという状況で席が飛び飛びに二つ空き、気を利かせたお客さんが「ぼく移動しましょうか」って提案したんですけど、店主が「いや、食べてるところだし、いいですよ」と答えていたのがよかった。

 そのくらいの余裕とか、お店の意志とか、大事。

夢眠書店はどんな場所だったか

 でんぱ組.incを卒業した夢眠ねむさんが入場予約制の書店を始めたと聞いて、下北沢に出かけたついでに足を運んでみた。

 

 行ってみるまで理解していなかったけど、未来の本好きを作るための本屋というコンセプトで、基本的には女性か子どもか、つきそいの父親しか入れないようにしているらしい。母親がゆっくり授乳をしたり、デリケートな話をしたりできるような場所にするのが、彼女の理想なのだそう。

 

 下北沢の一軒家をほぼそのまま使った家屋の入り口をくぐると、夢眠ねむ…ねむきゅんが出迎えてくれた。彼女はアイドル現役の頃のボブカットをやめて、ロングヘアを後ろで縛っていて、生活雑貨屋の気さくなお姉さんという風情になっていた。

 

 店内は入り口に児童書と女性向けの小説やエッセイなどが並んでいる。奥の部屋ではキッズルームとカフェを一体化させたくつろぎスペースがあり、その部屋の押入れにはねむきゅんの私物の本が置いてあった。カフェスペースではフードコーディネーターのねむきゅんのお姉さんが、飲み物と軽食を用意しながら、訪れたお客さんたちと話している。

 

 この日はでんぱ組.incファンの女の子が多かったように思うけど、小さな子どもとデザートを食べながらのんびり本を読む母親や、息子2人が真剣に本を読むのにつきあう母親の姿もあった。どこか公民館のようだと思った。私はカフェスペースで、ねむきゅんが出版業界の人々にインタビューした本「本の本ー夢眠書店、はじめますー」を読んだ。

 

 昔、本屋で働いていたことがあるので、最初は夢眠書店を本屋と分類していいのか少し迷った。本屋と考えると、本を買う楽しみや出会う楽しみは希薄だし、本人たちもそこにこだわっているように思えなかったからだ。

 

 ただ、旧来型の書店経営が成り立たなくなり、本屋の意義をそれぞれが問いたださなくてはいけない今、まずゆっくりくつろげるスペースの提供を目指すのは理解できた。ただ本の背を眺めてぼんやりするだけで、なぜか気持ちが落ち着くというのも、本屋という場所の力のひとつだからだ。

 

 「本屋ならもっとこうしてほしい」「これでは経営が成り立たない、つまり持続できないだろう」という気持ちもあるけれど、彼女は自分の中にある理想を丁寧に具現化しようと考えているので、それがうまく行けば、今までにない形の本屋のあり方を作り出せるのかもしれない。困難だろうと思うけれど、成功してほしい。

 

 ところで、店長夢眠ねむのしゃべり方も距離感も、アイドル夢眠ねむだった頃と変わりなく、それは彼女がアイドルの頃から偽りなく人と付き合ってきたことの証明のようで、潔い、美しい生き方をしていると思った。

 

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本の本: 夢眠書店、はじめます

本の本: 夢眠書店、はじめます

 
本の本―夢眠書店、はじめます―

本の本―夢眠書店、はじめます―

 

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 追記:夢眠店主が裏アカがはじめました。「うちは敷居の高い店だし店主も超気難しいです」「子供好きと思われることもあるが普通です」「『私にしかできない選書』をウリにしない本屋を目指したい」など、彼女らしい言葉が並びます。それぞれ、どんな流れで書かれた言葉か自分の目で確かめてほしいです。

夢日記20190818

 お昼ご飯を作って、窓際で寝転がりながら図書館から借りた本を読んでいると、いつの間にか眠り込んでいた。

 

 ふと足元を見ると、飼い犬が私の土踏まずに噛みついている。飼い犬はもともと野良犬で、普段は温厚で臆病だけれど、何か大きな音がしたり、こちらが襲い掛かるようなそぶりをするとおびえから噛みついてくることがある。これは困った。犬の歯は獲物にしっかり食い込むように出来ていて、無理やり外そうとするとかえってするどく食いこみ、皮膚をちぎってしまう。どうやって顎を外してもらおうか。外した後、今の傷ではたして歩けるだろうか。ひょっとしてしばらく杖がいるだろうかと考えながら、赤い血がゆっくり流れていくのを見ていた。

 

 目が覚めると足元には何もいなかった。それはそうだ。犬は2年前に死んでいるのだから。そして、ちょうどこの日は犬の命日だったらしい。

 

 土踏まずには当然傷一つなかったが、半日ほど、傷の治りかけに訪れるかゆみのようなものが足にまとわりついていた。

さまよいラーメン

 ところんらーめんの閉店からラーメン欲を満たしてくれる店がなくなってしまった。

 もともとここ数年積極的にラーメンを食べてはいなかった。麺類はとても好きなのだけど、はやりの家系や高級食材ラーメンにのれなかったし、無理にラーメンを食べなくても「おいしい中華麺」を食べたいなら中華料理屋のタンメンや担々麺で十分だと思っていたからだ。

 しかし、とことんラーメンのラーメンは、ラーメンとして適度で完璧すぎた。あっさり目だけど気持ちよいスープの塩味に、たっぷりの手作りの具材。麺は凝っていなかったけど、お値段は手ごろだし、文句のつけようがなかった。店主のあっさりしているけど、ちゃんとお客を見てる接客も好きだった。

 あれからしばらくラーメン欲を満たしてくれる店を求めてさまよったけど、気の利いたラーメン屋の気の利いたラーメンではラーメン欲は満たされないことがわかって、ますます寂しい気持ちになってしまうのだった。

 

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神保町のきたかた食堂、麺がピラピラする。


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華隆餐館の牛肉高菜麺。刀削麺。ちょっと濃いけど、本格的な味だと思う。量があるのでお腹を空かせて行くのが吉。


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横濱丿貫の煮干しそば。和え玉というのを食べたいと思って行ったんだけど、夜は出していないそうな。以前本店でカワハギのスープみたいのを食べていたく感動したのだけど、これはちょっと塩辛いような……。青年が一生懸命説明してくれたので、それはよかった。