ホンのつまみぐい

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「劇場をストリートにする」という謎企画「ワーグナー・プロジェクト」でのサイプレス上野とロベルト吉野のライブがしみじみよかったです

ワーグナー・プロジェクトでのサイプレス上野とロベルト吉野のライブ、配信で観てました。ペリスコープだけど面白かった。

 

ワーグナー・プロジェクトは「劇場をストリートにする」というキャッチコピーで始まったKAAT(神奈川芸術劇場)のプロジェクトで、オーディション、シンポジウム、ワークショップ、ライブ、グラフティなど多彩な方法でヒップホップカルチャーを劇場に出現させるというもの。

ワーグナー×ヒップホップ? 異色演劇プロジェクトの初日をレポ - レポート : CINRA.NET

ヒップホップシーンのライブ参加者はKダブシャイン、ベーソンズ、NillNico、GOMESS、サイプレス上野とロベルト吉野というけっこう豪華な座組みでした。

 

理論武装できるKダブシャイン、ダースレイダー。ポエトリー寄りのラップで、フリースタイルでのワンマンの経験もあるGOMESS。ヒップホップ文化の伝道者としてのサイプレス上野とロベルト吉野かな。

 

横長の会場の両壁面に階段状の段差を作り、そこに腰かけることができるようにする。さらに鉄骨を張り巡らせて空間を上下に行き来できるようにし、中央の空間をステージにするという、会場に広場を作る構造。

 

それだけだとどのようにでも見えるセットなんですが、全体に布スクリーンやグラフティを張って、ストリート感というかヒップホップカルチャーとの接点を作ってました。

 

サ上とロ吉はタンテをフロアに置いてルーティン・定番曲のつなぎからWalk This Way(アセ・ツラ・キツイスメル)で、階段の一番上に。

サビの「アセ!ツラ!キツイスメル!」でこぶしを振り上げるところ、何回見てもめちゃくちゃダサいなー。バカだなー。最後に二人で手を合わせる振り、応援団ノリなんだろうなー、かわいい。

ターンテーブルの前に戻ってB-BOYイズムのレコードをスクラッチして、チューリップ演奏。からのコールアンドレスポンス。演劇ファンが多かったと思うので、こういうわかりやすく参加できる遊びを持ってるの強いですね。

 

そこからNONKEY、LEON a.k.a.獅子、イチヨン加えてのサイファー。

昔話やヒップホップありがちヤンチャ話に加えて、時にサイプレス上野がお客さんをくどいたりするコミカルなサイファーに、お客さんの笑顔が親しげなものになっていくのがとてもいいです。

しかし、サイファーに加わる人がいないのが、ちょっと「催し物」という感じがしましたね。でも、「漢たちとおさんぽ」の企画で戸塚のサイファーに行った時も、やってる子たちが乗ってこなかったと話してたから、そんなもんなのかな。

 

サイファーが一息ついてから、サイプレス上野の提案で「さっきディスクユニオンで買ってきた、初めて聴くレコード2枚を回して、いい感じのところをスクラッチする」という企画にチャレンジ。

 

ロベルト吉野がとりあえずレコードを回すと、流れてきたのはラテンアメリカっぽいバラード調の曲。私も含め、何がしたいかよくわからないという感じの周囲をよそに、緊張気味に音に集中する様子のラッパーとDJ。スクラッチを入れる場所を探しているロベルト吉野に、ついつい「ここ(で入れれば)いいじゃん!」とチャチャを入れてしまうサイプレス上野……。

 

そんな場面もありつつ、ロベルト吉野のスクラッチが決まったのを見て、「おれは猫が爪をといだらそれがスクラッチって話をしてるんだけど」「こういう遊びの中から何かを発見していくのがヒップホップだと思うんだよね」と話す。ヨコハマシカの「遊びの延長に 息吹 意味持たす」を思い出します。

 

さらに、ロベルト吉野がレコードを長めに引っ張って、元ネタの音を活かしてループさせたのを聴いて「おーっ!ビートが出来た!」「これがサンプリングだよ!」というサイプレス上野。元の音の特性によるものだけど、このビートが「ふわぁ~ん」という感じの何だか浮遊感のある音だったのがなんかとてもよかった。

 

そのまま出来たてのビートでのフリースタイルから、ヒップホップ体操第二だったかな。ある人は階段の上で遠巻きに、ある人はフロアに降りて演者を取り囲むように観ているという、公園のような会場。それがヒップホップ体操第二のトラックと、サイプレス上野のかけ声に合わせて一つの動作を繰り返していく。

 

最後は「自分たちの町の歌」でドリームアンセム

ドリームアンセムのサビの

 

いつまで経っても子供のままで
大人になっても子供に戻れる

 

が、とても好き。「いつまで経っても子供のままで」と歌いながら、故郷への愛を語る姿は間違いなく大人というのがホントいいと思うんですよ。大人になったからこそ歌える、自分たちを育てた時間への感謝。ライブだと「Yeah まだ遊ぼうぜ」というロベルト吉野の無骨なシャウトが染みます。

 

www.youtube.com

 

クラブミュージックって、その出自からしても、現場の有様からしても「仲間と遊ぶための音楽」という面が強いと思うんです。

だからたまに疎外感を感じることがあるんですけど、サ上とロ吉はいつも「自分たちは同じ空間で音楽を楽しんでいる仲間だ」と門外漢にも思わせてくれるようなライブを作ろうしていて、この日はそれがちゃんと会場の演劇畑の人にも現代美術畑の人にも彼ら彼女らが連れてきた子供にも伝わっていたように思えました。

音楽は私にとっては信仰の対象じゃないんですけど、だからこそ彼らの「音楽と共にあることの幸福」を素朴なまでに信じ切る姿勢とか、それをちゃんと身の回りの人に伝えていこうとするところにグッときます。

いつまであるかわからないけど、↓のリンクでアーカイブ観られます。

 

 

 

……ところで、ワーグナー・プロジェクトには「劇場をストリートにする」というキャッチコピーがついていましたが、その成果はいかがだったんでしょうか。

 

ブッキングはハズレがなくて、吉田雅史、佐藤雄一荏開津広(音響監督)、瀬尾夏美に山下陽光、磯崎新、柴田聡子と明らかに面白い人をいっぱい呼んでいたし、配信楽しんでた立場としてはありがたいなってかんじではありますが、一方で「めちゃくちゃ金かけて面白い人たくさん呼べばそりゃ面白さ担保されるでしょ」っていう気持ちにもなるわけで……。

 

プロジェクト終了後に見つけた演出の高山明のインタビューによると、

今、自然発生的に出来るコミュニティは同質なものにしかならないのではないか。「トランプ反対!」と言って人が集まっている構造さえ、同質的なものかもしれない。劇場という場もそのままにしておいたら、どうしても同質の集団になっていきます。僕はそこに自覚的でありたい。自然発生的にコミュニティがつくれるフリをするのではなく、演劇のような小さい世界だからこそ、人工的に雑多な人たちが集まる場をつくれる可能性があるのではないか。劇場にもう一度帰る意図はそこにあります。

performingarts.jp

ということらしいですが。

 

私、現場にいた人の

 

サイプレス上野とロベルト吉野のライブ。地元横浜の友人たちも参加してMCすると、上野さんがうれしそうに笑ってた。いろいろ込み上げたんだ。ハイソな芸術劇場に、道端から生まれたヒップホップが大音量に響いてるんだよ。『ワーグナー・プロジェクト』は、社会を縦に貫いてつなげたんだ。」

 

というツイートを読んで、「いや、ふだんハイソな劇場にいるきみらが、もうちょっとストリートに降りてくればいいのでは」と思っちゃったんですよね。いうて、地域の商店街のイベントだって社会を縦に貫いてるし、それこそアイドル現場とかめっちゃいろんな生き方の人いて、定期的に酒飲んだりおしゃべりしたり、時にはアイドルの応援をダシに一緒に何かを作ったりしてますけど。普段ストリートって呼ばれるものやそこにいる人たちに全然興味持ってないから、たまにおんなじ空間にいると物珍しくて感動するとかそういう話では?ってね。

 

もちろん、場というのは種類や数があればあるだけいいというのもわかっているし、そもそも観た人がちょっとつぶやいたことの揚げ足を取ること自体が品がないというのは理性では分かってるんですが、感情レベルではちょっとひっかかりました。

 

なんか、あるじゃないですか、地元のヤンキーの生態見て、普段は都会で遊んでる文化人が、急に「これこそ人と人とのつながり」って言い出すみたいなの。そういう一種のオリエンタリズムにはどれだけ自覚的だったのか。オーディションで形成したクルーの成果はどうだったのか。これだけいろんなシンポジウムをやったのに、アーカイブ化されないのとか。そのへんもちゃんとしてほしいな、とは思いました。