ホンのつまみぐい

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一ミクロンの背伸びも無いO'CHAWANZ「EPISODE V」は、等身大であることの健やかさに満ちたガールズラップの名盤

 ちょっと前の話ですが、O'CHAWANZ・彼女のサーブ&レシーブ合同リリースイベント「ゴルフ vs テニス」@dues新宿行ってました。O'CHAWANZ、彼女のサーブ&レシーブ、WEST SIDE PRINT CLUBのライブに長めのMC。すごくゆるかった……。

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 ゆるすぎて合間のMCとか全部忘れましたが、元963のやーぷんことせるふちゃいなしすてむのWEST SIDE PRINT CLUB衣裳がかわいくてよかったです。あと、じゅしょあんぬちゃんがMCうまかった。聡明。メンバーみんなと握手できて、南波一海さんの解説が入った冊子(1500円は高い)買えてよかったです。

 O'CHAWANZ、彼女のサーブ&レシーブのどちらも「売れたい!」とか、「この曲を届けたい!」ということに対する野心があんまり感じられなくて、それがゆえの気楽さがあります。そのせいか、お客さんの年齢も高くて慰労の場って感じでした。売れなくてボロボロになってくアイドルとかもう見るのつらいものね……。

 まあ、それはともかくO'CHAWANZのアルバム「EPISODE V」は名盤だと思っておりまして、今年のラップアイドルのCDで一番好きかもしれません。

 メンバーが書いてる歌詞がいいんですよね。

GANG GANG GANG

GANG GANG GANG

GANG GANG GANG オトナにならない

いいとこ取りで生きていく今日も

少女のまま あの日のまま

MeNotHoldOnSheLies Pt.1

MeNotHoldOnSheLies Pt.1

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

いやだ もーいやだー どうしてこうなっちゃうの

いやだ あーいやだー ちょっとした事ねぇきいて

そりゃね笑っちゃいけないわかってる

たのしくかわいくいきてたいの

うまくいくから笑っちゃお

だからくだらないなんていわないで

イヤダ

イヤダ

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 こんなに等身大という言葉が似合うラップアイドル、本当に今までいないっすよ! 言葉がどれひとつ歌い手の存在を追い越していなくて、それが素朴なあたたかさに結びついている。

 なんでしょうね。「こういう感じで放課後に友達とおしゃべりしたことがあったな」と思わせるような曲、でしょうか。

 「ナレソメハfeat.M.A.T」なんかは美少女が眼鏡の少年を奪い合うという、80年代から続く少女マンガの典型みたいなストーリーで、死ぬほどたわいないけど、何だか机の中にしまっていた子供の頃のノートの中身みたいな懐かしさを感じてしまって、歌ってる子たちのことを好きになっちゃうんですよね。

 みんなが好きじゃなくてかまわないけれど、気心知れた友達に聴いてもらって、「いい」って言ってもらったらうれしいような。

 で、徹底してピコピコ軽めのファンクで押すのかと思ったら、GOLBY SOUNDの音は今風の音で。なのに乗ってるのはアニメ声って呼ばれがちな高めの声なんですよ。「ナレソメハfeat.M.A.T」とか、

これが↓

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 これですよ↓

ナレソメハ (feat. MAT)

ナレソメハ (feat. MAT)

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 で、これが↓

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 これですから↓

イイタビユメキブン (Ver.1.3)

イイタビユメキブン (Ver.1.3)

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 MeNotHoldOnSheLiesもラップの乗せ方が4者4様で聴き応えあるし、音楽としてちゃんとワクワクできる内容になってます。

 あと、ストリーミングとCDではskitの中身が違うのですが、ストリーミングに入ってるしゅがしゅららちゃんの「夏の話」がめちゃくちゃ好き。

夏の話 (skit)

夏の話 (skit)

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

EPISODE V

EPISODE V

 

 

早朝のNHKで放送されていた「こころの時代~『個』として生きる」を観た

 ECDが特集されるというので「こころの時代~『個』として生きる」というドキュメンタリーを観た。

 

 普段は宗教家や哲学者に話をうかがう番組らしい。過去の放送内容を見る限り、亡くなって1年経ってないラッパーを特集するというのは異例のことに思える。

 

 番組は、自身もDJでBBOYという若いディレクターがECDの周辺を追う形で進行していた。

 

 気になったことがあった。この番組ではECDの社会運動……デモへの参加や曲での意見表明を取り上げていない。たとえば、冒頭のロンリーガールの映像は、youtubeでは「ロンリーガール聞きたいか。選挙行かなきゃやらないぞ」という言葉が残されているが、その部分はカットされている。

 

 これが政権に対するNHKの忖度なのか、それとも番組のテーマを考えた上で、あえて取捨したのかはわからない。

 

 ネット上にもさまざまな声があり、番組の傾向を考慮した上で「これでいい」とする人もいれば、「これでは本質を捉えられない」と悲しむ人もいた。

 

 番組に対する意見は、それぞれのECDとの関わりによって変わってくるはずだ。私は彼の活動を網羅的に把握できているわけではなく、その思いの蓄積は、初期からその姿を見ていた人や、かつてデモで彼の背中を追いかけていた人たちに比べるとはるかに軽い。それを自覚した上で、やっぱりこの番組は社会運動に参加する姿を入れるべきだったと言い切りたい。

 

 番組は著作から引用した言葉をリードに、少年時代から死までの出来事を時系列で紹介し、関係者の証言を散りばめていく構成だった。生真面目な作り方で、早朝の宗教番組を観るような人にECDを嘘なく伝えたいという気負いを感じた。

 

 でも、ECDと家族の関係は、著書からの引用と妻の植本一子へのインタビューだけで説明できるようなものではなく、そのズレや不穏さのようなものは映像の中にも残っている。ディレクターと植本一子の「個」に対する意見のズレは「ECDと個」という見立てをむしろわかりにくくさせていて、それが生々しい力強さを与えている。

 

 社会運動への参加は、番組の流れの中ではわかりやすく説明するのが難しいトピックだろうとは思う。個であろうとする人が、いかに社会と関わったか。簡単に取り扱えない部分だから、あえて外してあるという言い方は出来るだろう。

 

 でも、番組内で説明しきれないものが、ただゴロッと映る時間があってもよかったんじゃないか。人が人に惹かれる理由は、あるいは文化を求めてしまう理由は、その「わからなさ」にこそあるんじゃないだろうか。そして、ドキュメンタリーの強みって、そういう説明しきれなさを記録として残せるところにあるんじゃないだろうか。

 

 「こころの時代」という枠では続編は難しいのかもしれないけど、いつかこのドキュメンタリーの続きが欲しい。いや、誰かに期待するのではなく、続きは自分たちで作らなくてはいけないのかもしれない。

 

 その場所が、映画館か、SNSか、雑誌か、動画サイトかはわからないが。

 

 番組を観ながら、ECDの、強い言葉を発していても、個人的なことを語っていても、どこか物語を朗読しているような歌い方がとても好きだと改めて思った。

 

www.youtube.com 

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他人の始まり 因果の終わり

他人の始まり 因果の終わり

 

 

降伏の記録

降伏の記録

 

 

21世紀のECD

21世紀のECD

 

 

ニュータンタンメンをやっと食べた

横浜某所にニュータンタンメン本舗という店がある。

タンタンメンと名乗っているものの、入口の垂れ幕に描かれているのは赤いスープに溶き卵が散った謎のスープで、どう見ても四川発祥のすりごまベースの担担麺ではない。

記憶している限りでは十数年前からある店だけど、「担担麺じゃないじゃん」「絶対美味しくないだろ」と思っていたから、死ぬまで入らないつもりでいた。

しかし、ルポ川崎の講演会から帰る途中、川崎の大型道路沿いを歩いている時に、この店が実はチェーン店であることに気が付いた。

ニュータンタンメン本舗。実は川崎発のチェーン店で、この不思議な麺を川崎のソウルフードと呼ぶ人もいるらしい。

あの店は独立店じゃなかったのか……。

ところで、私の知ってる横浜某所の店は、だいたいいつも繁盛している。このご時世、入れ替わりの激しい飲食業で、十数年続いているのはすごいことだ。

何となく忌避していたけど、一度は正体を確かめなくてはと初めてお店に入って見た。

平日夜、この日もお客さんが8割入っていた。

ネギやニラを追加できるみたいだけど、とりあえずニュータンタンメンを一杯。

ひき肉と細かく刻んだにんにくと唐辛子を炒め、鶏がらスープで味付けして、しあげに溶き卵をいれるというシンプルな麺。

食べた印象は完全に「手順から想像できる味」。鶏がらスープとひき肉の油の味とにんにくのにおい。しょっぱい。部活帰りの学生が泣いて喜びそうなラーメンだ。しかし、何だか後をひく。麺の厚みや硬さもちょうどいい。

結局スープを半分ほどすすって食べ終えてしまった。

たぶん、しょっぱさの臨界点ギリギリまで塩を入れていて、それが舌を刺激してついつい食べてしまうのだと思う。

「どうして人はついついポテトチップス一袋食べてしまうのか」という謎があるが、これは、塩辛さに痛みを感じた脳が、その刺激を中和するために「油を摂りいれろ!」と命令するらしい。しかし、ポテチでは油と同時に塩も取り入れられてしまうので、半永久的にリピートしてしまうという。たぶんこの麺の汁をいつまでも飲んでしまうのもそういう仕組みなのだと思う。

しかし、こういうさじ加減って、プロの技だよなあと、正直感心してしまった。自宅で同じものを作っても、もう少し薄くなるはず。どのような場所にもプロフェッショナルはいるものだ。

 

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カメラを止めるな!

タイトルから「こういう仕掛けかな」というのは予想していたのですが、ラストに観客があったかい気持ちを持ち寄って帰れるヒネリが2枚あるのが手練れ感。

「長編は初だけど短編の名手として知られていた」と聞いて納得しました。

あと、どう考えても撮影めちゃくちゃ大変だと思うのですが、現場のモチベーションを途切れさせずに作品を完成させたこと自体が監督の手腕なのかも。

ところで、人が走っている姿をずっと見ていると不思議とあの高揚感とか疲労感が身体の中に蘇ってきて、自分も今すぐ全力で走り出したいような気持ちになりますね。そういう意味でもワクワクを取り戻してくれる作品という気がします。

未見の人は予告編も見ないのが正解です。

kametome.net

 

オピニオン・ファクト・表現

開沼博のインタビュー集「社会が漂白され尽くす前に」を読んでいたら、ドキュメンタリー映画「ヤクザと憲法」の、プロデューサー・阿武野勝彦と監督・土方宏史が登場していた。

 

監督とプロデューサーのどっちの弁か忘れたけど、「オピニオンを伝えることを優先しすぎると、意見を同じくする人にしか観てもらえなくなる」と話していたのが印象的だった。

 

ある種の結論に誘導させるためにわかりやすい物語を喚起させる映像を作ると、その結論に同意する人しか見てくれないということらしい。

 

表現は少し違ったと思うが、「ドキュメンタリー映画はオピニオンに寄りがちだけど、ファクトを伝えることを意識したい」というようなことも語られていた。

 

社会が漂白され尽くす前に: 開沼博対談集

社会が漂白され尽くす前に: 開沼博対談集

 

 

最近、この「オピニオン」の扱いについてよく考えている。

 

この間、20代の女の子とあっこゴリラの話になった。その子は1年以上前から曲を聴いていて、ライブも見ている。「あっこさんは断トツ」だけど、「最近の曲はキツい」と言う。

 

あっこゴリラが最近公開した「エビバディBO」は「VIOライン ボーボーボー はみ出したとこがきみの才能 bornレインボー」という歌だ。

 

常に身だしなみを求められる女性の現状に対するカウンターとして「わき毛なんて剃ったって剃らなくったっていいじゃない!自分で望む姿を選びましょう!」ということを歌いあげている。 

www.youtube.com

 

その子は、「男だとか女だとかこだわらなくてすむ状態が最終目標だし、むしろエルテレサみたいに『かわいいを利用して何が悪い』のほうがいい」という話をしていた。

 

わき毛を剃る習慣は果てしなくめんどくさいし、無駄な行為だと思っているので、私はオピニオンで言えば「エビバディBO」には100%同意だ。

 

一方で、「曲を聴くごとにオピニオンへの同意を求められているような気分になって近寄りがたい」という気持ちもわからなくない。この歌は「新しい女性像」の提示だけど、あるべき自分像というのはそれぞれの中にあるものだから、人によって「これは私の望む姿と違う」という思いも強くなるのかもしれない。あるいは、オピニオンを表明することによる断絶がネットで可視化されすぎていて、「表明の先があれならそのやり方は採用したくない」ということなのかもしれない。

 

とはいえ、今のあっこゴリラのストレートな表現に励まされる人は多いだろうし、この直截さだからこそ届いたという人もいるだろう。この辺りのバランスは本当に難しい。

 

あっこゴリラにもっと無難な歌詞を書けと言いたいわけではもちろんなく、これは自分が文章を書く際に、結論を伝えることを先行させたせいで間口を狭めていないかという自問である。

 

特に、私の場合は人様が作ったものをレビューしたり、取材で聞いた話を文字にしたりするのだから、なるべく受け取ったものを広く、しかし芯を外さずに還元できるように心を砕く義務があると思う。

 

追記:先ほどの子とは違う、ある女の子があっこゴリラについて、「私はそんなに世の中に怒りとかないから、今のあっこちゃんはあんまりわからない」という主旨のことを書いていた。

何となくだけど「怒ってるように見える」ことを敬遠する人が多いのかもしれない。「権力や慣習に対して怒るのは、自身が被差別者であることを認めること」ということが往々にしてあるので、「自分は虐げられてると思うのが怖い」という人もいるのかも。

ただ、「『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた」で例が示されたように、「当事者ではないけれど、私たちの社会はこのようなことを許さない」とアクションするのはとても大切なことなので、そのあたりはもっと受け手の方が変わるべきだと思う。

「ロミオと肉のジュリエット」というマンガは、こういったことを「正義に関わる問題」という言葉でうまく表現している。

note.mu

 『新潮45』問題を古いゲイ3人が考えた(2) LGBTブームの「功罪」と、「過激な活動家批判」のゆくえ

 

最近、こういうオピニオンの表明で印象的だったのは思い出野郎Aチームだ。

 

スポットライトに照らされて 僕らの肌はまだら模様」(フラットなフロア)とか「野放しになってるヘイトよりも禁止されたダンスビート」(無許可のパーティー)とか「シティポップで行進するファシスト ぶっとばすビート 役に立たないミュージック それでも君と」(Magic Number)とか、歌詞がとても巧み。

 

聴き心地のよい音とガラガラ声の素朴な明るさとのギャップで、歌詞がするっと入ってくる。韻の踏み方も計算されてる。政治不信で死にそうだったけど、それを家族以外の身近な人に話せないで落ち込んでいた頃、「それ、おかしいよね?」と歌ってくれたことにとてもなぐさめられた。

 

無許可のパーティー

無許可のパーティー

  • provided courtesy of iTunes

 

Magic Number

Magic Number

  • provided courtesy of iTunes

 

むかしむかしあるところに男と女とそれ以外がいました

むかしむかしあるところに白黒黄色それ以外がいました

むかしむかしあるところにYESとNOとそれ以外があるのに

いつもいつもことあるごと それ以外はなかったことにされました

 

で始まる大森靖子の「ドグマ・マグマ feat.fox capture plan」もうまい。軽やかな音に引きずられ、昔話調の入りで語られるのに、しっかりと彼女のイライラが伝わる。

 

大森靖子の感情やメッセージは、いつも「愛媛出身で、東京に住んでいて、子育てしながら音楽をやっている女性」という自分自身の感情を形にすることから生まれる。たとえば、「おまえみたいなやつが子供を育てちゃいけないとか言われて いつか歴史が僕を正しいと証明したって意味がない」(死神)はとてもパーソナルな、大森靖子個人の体験についての描写だ。でも、そこにある違和感や怒りが普遍的なものだということをちゃんと捉えているから、様々な立場の人を向いた歌詞が書けるのだと思う。

 

とはいえ、私が大森靖子を語る際には、彼女が毎日ツイッターで「おはよーーーーー今週もクソでもなんとかなろうとするクソで🌹」などとフォロワーに向けて声をかけていることや、病躯を押してライブに駆けつけてくれた熱心なファンのお葬式に、自主的に参列したことなどを外すことはできない。誰だって、曲だけでメッセージやオピニオンを判断できるほど冷静ではない。

 

 


大森靖子「ドグマ・マグマ」Music Video/YOUTUBE Ver.

 

誰がどのように歌うかで言えば、ドキュメンタリー番組「えんとこの歌」で観た谷ぐち順の姿も忘れられない。

 

脳性まひで寝たきりになった歌人・遠藤滋を追ったこの映像には、彼と彼を介助する人々が映される。less than TVの代表で、FUCKERとして活動する谷ぐち順もその一人だ。

 

遠藤のベッドの横で、谷ぐちはこう歌う。

 

「あのー優生思想ってご存知ですか、超~~ファックオフなやつなんですけど」

 

そして遠藤に話しかける。

 

「遠藤さんどうすればいいですかね。おれ一個いいの思いついたんですよ。家作ろうと思ってて。もっと重度な知的の方でも関係なく地域で生活できるような。そんな家を作りたいと思って」

 

ギターをおろし、谷ぐちはベッドの上の遠藤に近づく。そして、耳を遠藤の口に近づけて、彼の発言を聞き取ろうとする。谷ぐちは何度かうなづいて、「それはけっこうなこと」「それはけっこうなこと、遠藤さん!」と叫ぶ。

 

再びギターを抱え「ああ、このからっぽのからっぽの頭で理想の社会ってやつをイメージ イメージし続けて一歩でも近づけるのさ。共生社会を実現させる歌」と歌う谷ぐち。

 

あまりにもストレートだけど、そこに押し付けがましさはない。あくまで「おれはこうしようと思うんだよ」という歌だからだろうか。でも、だからこその力強さと覚悟が胸にしみる。

 

「えんとこの歌」には介助者としてロベルト吉野も登場して、「なぜ関わろうかと思ったのか」という問いに「うーん。……なんか言うの恥ずかしいんで」と答えていて、それがとても彼らしくて気持ちが柔らかくなった。

 

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そして、オピニオンと表現と言えばECDの存在を欠かすことは出来ない。しかし、彼についてはその人間性と行動と作品があまりに重層的過ぎて、言葉にすることをためらってしまう。

 

でも、私はECDの行動や生き方を、この先、生きていくための大きな礎にしているところがある。それは共感や同調とは少し違う。未来を見据えて、やりすごさなかった人への憧れであり敬意であり、うまく言葉に出来ない何かだと思う。そして、この気持ちは、いつか人に伝えたいことのひとつだ。

 

ところで、先日NHKのドキュメンタリー「こころの時代」でECDが特集された。番組内で取り上げられた1枚の写真の中には、ECDの隣でギターを担いだ谷ぐち順が立っていた。また、ECDの大量の日記が紹介される場面では、「谷口君に介護のバイトを紹介してもらった」という記述が映った。この谷口君は、あの谷ぐちなのだろうか。だとすれば、大量のページの中であの記述を映したのは意図的なものだったのだろうか。

 

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校庭カメラガールドライ1stワンマンライブ「Rainbows over Paradise」@代官山UNIT

 

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よかったです。楽しかったです。

 

コウテカって、1の初ワンマンがましゅりどますてぃの卒業で、2のワンマンが解散で。3の日本初ライブはワンマンだったけど、あれは積み上げてきたものを吐き出すというより、顔見せの一発で。

 

今回はちゃんと「今のコウテカを知らない人にもいいものを見せて、次につなげるぞ~~」と言う気概が感じられて、しかもそれがちゃんとステージとフロアの熱狂に結びついているという。

 

ドライのスタートからずっと着ていた衣装が「新衣装にチェンジ!」だったのに、新しい衣装も真っ黒で、魔女みたいな女の子3人がステージの上でぴょんぴょん好き勝手に動いている。でも、ラップは堂々とかっこつけてて、そういうバランスがよかったな。それぞれが自分のソロパートで正面に出てきたり、立ち位置をちょこちょこ変えたりしてたんですけど、その流れがすごく自然で、ちゃんと3人が信頼関係築いてる感じがしました。

 

あと、ぱちょとんぱちゃん。立ち居振る舞いに「自分はステージに立つのが当然の存在なんだ」と言わんばかりのふてぶてしさがあって、それがいい方に向いてるなあと。自撮りが一切笑っていないというクールさも含めて、今のコウテカの方向性に大きな影響を与えていると思います。韓国のヒップホップをよく聴いているらしくて、ラップに平坦さがない。

 

そんなぱちょさんのソロ曲披露や、Girlz Can’tのアカペラ、Slowly WorldのMVに出演してくれたダンサーのTAMさんの参加など、「ただ歌ってアガって終り」じゃない、緩急の着いた構成だったのもよかった。いい意味でエモに引っ張られずに、きっちりワンマンならではのものを用意して来てくれました。

 

集客的には代官山UNITのフロア7割くらい埋まってて、ソールドには遠かったけど、寂しさは全然感じないという、身体を揺らしながら気ままに楽しむのにちょうどよい具合でした。

 

とか書きましたけど、私自身は前々日に急性胃腸炎起こしてぶっ倒れてた影響で後ろでおとなしく観てたんですが……。踊りたかった……。

 

話題のeastaudio SOUNDSYSTEMが手がける音響システムはたしかに低音がごうごうしていて、それなのに耳が痛まなくてすごかった。音の像がクリアになっていて、なおかつ鼓膜が押しつぶされないというか。ただ、それがコウテカのライブにとってプラスに結びついているかどうかは意見がわかれてました。みんな詳しいなあ。

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まあ、でも個人的に一番印象的だったのはフロアの様子ですね。アナウンスでプロデューサーのJasさんが「モッシュとかダイブとかいらないです。クラブにそういうのないんでー」と、あの偏屈そうな声で言ってたんですが、実際、リフトが1回入ったくらいで、そういうロックノリは一掃されてみんな身体揺らしまくってました。

 

これけっこう画期的だなと思ったし、やっと運営側が提供したい世界観がフロアまで浸透してきたのかなっていう感じがしました。

 

私がアイドル現場に行き始めた頃って、ロック系のアイドルはリフト・ダイブ・モッシュが当たり前で、むしろどれだけそういうはしゃぎ方が出来るかを競っていたようなところがありました。

 

コウテカ2の解散ライブもモッシュ・ダイブ・リフトありで、私はそれを当然だと思っていました。しかし、解散ライブの直後にクラブで行われた特典会で、あるオタの人が「みんなすーぐモッシュとかダイブに行っちゃう」「コウテカは結局ダンスフロアを作れなかったんだなって」と話していて、それがけっこう心に残っていたのでした。

 

あれから時が経って、コウテカもただライブするだけじゃなくて、クラブツアーと銘打ったツアーを組んだり、クラブイベントに進出したりと、少しずつ方向性をはっきりさせていきました。フロアもそれにあわせてひたすら踊る場に変化していったんだと思うと、なかなか面白いです。何より、運営が自分が作りたい世界をはっきりさせてくれるのはありがたい。

 

何度も何度もコウテカをリビルドしてきたJasさんの執念がやっと実ったんだなと。まあ、なんでそんなに何度もリビルドしなくちゃいけなかったのかってのは、運営側の問題が大きいと思いますが……。

 

2の解散、今思うと「このままだと停滞するだけだから仕切り直し!」だったんだろうなーと思うけど、最後のライブではみんなニコニコしながら終わったし、当時のメンバーもそれぞれの居場所で一生懸命やってるし、まあいいかあ。

 

友人との約束があって27日の野外フェスに行けないのがとても残念ですが、これからも面白い風景を見せてほしいし、自分なりに応援していきたいと思います。

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New Way of Lovin'

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