ホンのつまみぐい

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#日本語ラップ批評ナイト vol.2面白かったです

会場は文禄堂高円寺店。書店員兼ラッパーの有地和毅さん主催イベント第2回。

あの小さな店舗にどうやってイベントスペースを作るのかと思ってたら、コミック売り場と文庫売り場を潰してイスを並べるんですね。街の本屋の土曜の夜に、なかなか思い切ったレイアウト。

韻踏み夫さんが詳細な書き起こしに着手しているようなので、学術的価値のある記録はそちらにお任せするとして、当日の現場の空気と雑感を少し。

オープニングから主催の有地さんの「今夜日本語ラップ批評が始まると言っても過言ではない」という趣旨の演説。さすがラッパー、言いたいことがたくさんあるんだなあという長さ。

最初に挙手で1回目に来た人を聞いていました。全体を見渡せる位置ではなかったので正確なところはわからないけれど、おそらく10人いないくらい。

前半は磯部涼さんのレジメを基調にした日本語ラップ批評の歴史について。

近田春夫×いとうせいこう対談から、FRONTでの佐々木士郎の連載B-BOYイズムの話へ。

途中に「LB関連は?」と言われた磯部さんが「それは完全に手打ちです」と返し「佐々木士郎が作り上げようとしてきたハードコア史観についての資料」とつなぐ場面がありましたが、全体的に日本語ラップ批評における宇多丸さんの重要性を確認するような内容でした。

他には「FRONT」および「BLAST」が権威になってしまい、アーティストと共依存的な関係に陥り、ジャーナリズムあるいは批評としての役割を果たさなくなってしまうまでの過程や、アメリカの情報誌についての話なども。

前半は基調報告から各人の批評の方法論を語る流れに。後半は質疑応答という構成でした。

振り返ると各登壇者の批評への距離感や方法論がわかりやすく理解できる内容になったのではと思います。

佐藤雄一
詩人であり現代詩手帖に「絶対的にHIP HOPであらねばならない」という連載を持っていた佐藤雄一さん。模様のようなリリックという表現を軸にKOHHを語った、ユリイカ掲載の「なぜ貧しいリリックのKOHHを何度も聴いてしまうのか?」でお名前を存じていたのですが、さすが詩人だけあって言葉の使い方がドラマチックでした。

日本語ラップ批評とは二文字であらわすことができるんですよ!何だと思います?『でも』です。批評は『でも』から始まるんですよ。『でも』の続きを考えるのが批評。いいね!より短い」という啖呵を切ったり、「なんで批評をやるのか?」という来場者からの問いに対して「感染したからですよ!」と答えたりと、「批評に囚われること」の快楽を饒舌に語る様が印象的でした。

togetter.com

中島晴矢

現代美術家でラッパーの中島晴矢さん。インスタレーションの一部に自分がラップする姿を組み込んだこともあるとか。中島さんは年代的にBLASTの連載はリアルタイムでは読んでいなかったものの「曲を通してライムスターに説得されていた」ことが、自身がプレイヤーとして日本語ラップに参加するきっかけになっているとか。

これ、何となくわかります。磯部さんがトーク中で「常にお前はどうだと問われる」と表現していたけど、ヒップホップって何故か「参加しなくてはいけない」気にさせられますよね。敷居が低いのも大きいのでしょうが。

www.youtube.com

韻踏み夫

私批評から離れ、文芸批評の方法論で韻の構造について語る韻踏み夫さん。印象的だったのは、SEEDAが般若のリリックについて「一回目が表で二回目が裏」と話していたけれど、それをうまく説明できずに終わっていたのを見て、自分が言葉にしなくてはと思ったという話でした。当事者すらうまく語れない「そこで起こっている何か」について言語化するというのは、たしかに評論家の仕事ですね。

bobdeema.hatenablog.com

磯部涼

自分はあくまで音楽ライターで批評家ではないという磯部さん。「スタジオに行ってアーティストに話を聞いたことを大きな言葉で書くことに限界を感じた。それなら面白いアーティストを自分で探したほうが自分の原稿が面白くなる」という話と、「川崎」について、どなたかに「今度はこれから音楽をやる子の話を書き始めたんだね」と言われたのがうれしかった」というお話が印象的でした。

cakes.mu

吉田雅史

ビートメイカーとしても活動する吉田さん。基本的に司会としてお話を回す役割に徹されていましたが、印象的だったのはビートを語る言説がないという指摘。ビートメイカーがビートメイクの方法論を語る場が必要という話は、質疑の際の「日本オリジナルの強いビートが(国際的に伝搬していくような)ない」という問いを引き出していたのではないかと思います。「ビートメイカーにとっての勝ちはフォロワーを作り出すこと」「日本国内で完結したガラパゴス化したものになっていないか」という話から「アメリカなんか自分の州の曲しか聴かない」「批評家としてはオリジンは存在せず、必ず何かの影響を受けているという立場になる」という議論が生まれたのが面白かった。誰がどのビートに影響を受けているかなどを語ることでこれまでとは違った文脈が見出せるのではないかという話、とても刺激的でした。

school.genron.co.jp

このほか、佐藤さんの「今はラッパーがロックスターを目指している」という指摘は、「日本語ラップの今後」につながる部分だと思うので、もっと掘り下げることができるのではないかと思いました。

余談ですが、佐藤さんがいきなり「今日神戸から来てる高校生!俺のギャラあげる!」と言い出して本当に渡しちゃったり、その「共通一次を終えてここに来た」という高校生に登壇者が皆興味津々で質問したり、質疑でフリースタイルを披露する人がいたりと、なんだかファニーというかチャーミングな場面も多くて、そういう意味でも楽しかったです。ちなみに質問したラッパーさんは佐藤さんに「長いよ!16小節にまとめろよ!」と言われてましたが。

私が「音楽を文字で表現するにはどうすればいいか。専門用語の羅列になってしまうと伝わらないのではないか」という質問をし、流れで「アイドルラップが好き」という話をすることになったのですが、そこから佐藤さんが「ライムベリーのMIRIちゃんがね!ライブでCOMA-CHIのB-GIRLイズムをカバーしたんだけど、その時にMCでそのことを言わなくて、B-BOYイズムだって話になっちゃってCOMA-CHIが怒ったんですよ!」と言い出して「何を言い出すんだ?」と思ったら、「吉田さんはそのことについて話してください!」というフリに、吉田さんが「え~?」という顔をされたの今思い出しても笑ってしまいます。

トークイベントも一種のセッションだと思うので、そういう意味ではとても面白いイベントだったのではないでしょうか。

批評の批評にとどまっていて物足りなかったという指摘が多かったようですが、私自身は自分も書く側なので学ぶところが多かったです。二次会で伺ったお話も含めて、自分のやりたいことややらなくてはいけないことがはっきりしたように感じました。

ところで、韻踏み夫さんが「雑誌を出す」旨を発表していたのに、まったく話題になっていないのがもったいないので、概要が決まりましたらまた盛り上がっていきたいなと思います。

しかし、磯部さんの「ヒップホップにとって最も美しいのは、自分の生まれたところで仲間の作った音楽をずっと聴いていくこと」という言葉は忘れられません。ジャンルの限界という意味も含め、あまりにいろいろなことを考えてしまう。また、客席にサイファーを見学もしくは参加したことがある人がほとんどいなかったのがちょっと意外でした。

(まったく個人的な話ですが、終電を逃して結局始発まで呑み屋にいて、湘南台でやっていた川崎のぼる×ビッグ錠×南波健二のトークイベントを逃したのだけは割とかなり後悔……)

togetter.com

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サイゾー 2016年 6月号 [雑誌]

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ユリイカ 2016年6月号 特集=日本語ラップ

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