読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ホンのつまみぐい

いろんなもののファンをやっている人が、日々のよしなしごとを綴っています。

日本の「妖怪」を追え! 北斎、国芳、芋銭、水木しげるから現代アートまで

 

本展覧会は、江戸時代の浮世絵から、近代の日本画や油彩画、そして現代美術まで、さまざまなかたちで表現された「妖怪」を通して、日本人の世界観の変遷をたどろうとするものです。

横須賀美術館

 鳥山石燕から始まって、絵双紙、浮世絵の紹介から展示スタート。

 浮世絵に描かれた妖怪たちは、みな記号化されてユーモラスな雰囲気をまとっている。葛飾北斎の「百物語 お岩さん」は「東海道四谷怪談」をモチーフにしていて、お岩さんが提灯に乗り移ったという設定。破れた提灯を口の裂けた女の顔に見立てている。こうなるともうマンガの文法だ。デザイン的にも質が高いものが多いけど、それがかえって妖怪たちを恐ろしさから遠ざけている気がした。

 会場には水木しげるのイラスト展示もあった。鬼太郎ではなく、各地の妖怪や精霊の絵を水木流に落とし込んだ白黒イラストで、洗練された線の運びと描かれる異形とのギャップがおもしろい。水木センセイがいなければ、日本に妖怪という概念は定着しなかったと何かで読んだが、それは同時に妖怪をキャラ化させることでもあったのかもしれない。

 マンガの鬼太郎は、まだ恐ろしさや得体のしれなさを保っているけど、アニメの鬼太郎は子供たちにとってポケモンなんかと並ぶ「キャラ」だろうなと思った。

 展示解説でおもしろかったのは、明治期になると幽霊が迷信や心の病として扱われるようになったという話だ。

 どちらも明治の作だったが、月岡芳年の作品には幽霊がいるが、落合芳幾の作品では「幽霊に扮して遺産をかすめようとする女を捕まえる絵」が描かれている。

 恐怖という点では、幽霊画のインパクトが強かった。今回の展示されていた幽霊画は、肉筆の掛け軸で、どこかはかなげな空気が漂っていた。どの幽霊の絵も、脅かすとか襲うとかいうアグレッシブさより、ただ恨みや悲しみを滲ませてこちらを見ている。妖怪やお化けは概念だけど、幽霊はもともと個人だったものが人ならぬものになってしまった感が強く、とても寂しい恐ろしさ。

 中でも「夜盲症」「鳥目」と題された松井冬子の作品が恐ろしく、比喩ではなく背中が冷えた。そこに描かれている女性は亡霊というより、夜の病院で出会う機会の訪れそうな、はかなげなたたずまいの女性で、だからむしろ見てはいけないものを見てしまったような気にさせる。

 絵双紙、浮世絵、幽霊画、水木しげると来て、展示は現代の妖怪に移る。

 モノやカミ、あるいは幽霊の画ではなく、社会悪や自意識などを異形化したものを妖怪画として展示していた。社会批判を含む絵が多いため、強烈なモチーフの毒々しい絵が中心。

 中村宏の絵が観られたのがとてもよかった。骸骨とセーラー服を着た一つ目の女の子がまぐわう姿がちりばめられた絵は、展示作品中トップクラスのグロテスクさなのだけど、生々しい生命力が明るさも感じさせる。

 ほかに、主に布を使って全裸、もしくは半裸の人間の姿を作り続ける鎌田紀子の立体がすさまじかった。とびだし気味の眼球に、めくれた唇、だらしのない姿勢で壁により掛かる姿は、明らかに異形そのものだけど、その頼りない姿勢の悪さは、どこか私たち自身のようにも感じられた。

 モノや自然、あるいは「無念のうちに死んだ人」というカミの変種だった妖怪を、人間の内面や人間そのものを異形として描いた作品群つなげるという飛躍は、ちょっと強引な気もしたけれど(たぶん自覚的なのだろうけど)、展示された作品はどれもとてもおもしろかった。

 今でも思い出すとまた見たくなる。