ホンのつまみぐい

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あの頃の

 20年ほど前、大学の第二外国語でロシア語を選択していて、先生の案内で二度ロシアに行った。

 とにかく受講生が少なくて、かなりでかい大学のそれなりに人のいる学部だったのに、生徒は5人だった。全員女性で、人数の少なさもあってみんな仲良くしていて、授業は毎回それなりに楽しみだった。

 不真面目な生徒だったのでロシア語はもうすっかり忘れてしまったが、当時はロシアの映画や芝居を見に行ったりしていた。ミニシアターという言葉が定着しつつあった当時の人気ロシア映画は「チェブラーシカ」「こねこ」「不思議惑星キン・ザ・ザ」など。また、来日していたユーゴザーパト劇場の「かもめ」を見て、言葉がわからないなりにその緊張感に震えたりしていた。ピンスポットに照らされた女性の、絞り出すような「ヤーチャイカ…」の声がまだ頭に残っている。

 ロシア・アヴァンギャルドの展覧会にもよく足を運んだ。少しのちにブームが訪れた時には、自分のとっておきがにわかにメジャーになったような気配に、ムムッと思った記憶がある。

 ロシアから日本に渡ってくる物語の多くはどこか憂鬱で寂しげで、得体が知れないところもあり、その底知れなさも魅力的だった。

 大学にはクマみたいな風袋のコッサク帽の似合うおじさん先生と、いかにも文学者という身づくろいに気を使わない白髪メガネのおじさん先生と、ショートカットで細い目の身軽なお姉さん先生と、ベラルーシからきて日本人男性と結婚したという先生の4人がいた。

 クマの先生は行動派で、毎年生徒をロシアに案内していた。

 ほかの先生たちもそれぞれ、ロシアのいいところを話していた……気がする。失礼なことに、具体的に何を教えてもらったのか、ほとんど覚えていないのだった。

 今ぼんやりと思い出すに、当時先生たちは大統領になったばかりのプーチンにそれなりに期待をしていたんじゃないだろうか。

 「ロシアがもっと国として発展し、その魅力が伝わるようになれば、こんなに幸せなことはない」と、そう願っていたように思う。

 先生たちは今、何を思っているのだろう。あの頃でたった5人だったあの学部の、ロシア語受講生は何人になってしまうのだろうかということを折に触れて考える。