ホンのつまみぐい

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『増刊ヤングコミック』と青年劇画の世界──70年代の劇画誌ブームを総括する

『増刊ヤングコミック』と青年劇画の世界 ──70年代の劇画誌ブームを総括する

劇画狂時代―「ヤングコミック」の神話

劇画狂時代―「ヤングコミック」の神話

例によってヤングコミックをよく知らないまま聴講。しかも遅刻。各作家のエピソードを軸に、編集の現場が浮かび上がってくるような面白いトークイベントだった。

講師
橋本一郎(作家、マンガ原作者)
戸田利吉郎(少年画報社代表取締役
筧悟別府大学客員教授、マンガ編集者)
司会進行:赤田祐一

名美・イン・ブルー

名美・イン・ブルー

 もっとも印象的だったのは、石井隆が当時いかに偉大だったかという話だ。
「モーニング、スピリッツなどの各誌の編集者たちが、みんな"石井隆を超える作品を作り出したい”と思っていた」という話が紹介された。

 そうしてヤングマガジン大友克洋を、ヤングジャンプは本宮ひろしを、スピリッツは美味しんぼ高橋留美子を、というようにそれぞれのカラーでそれぞれの作家を生み出していくが、石井隆に準ずるような作家は出せずに終わったことを言い添えられていた。

 石井隆は自分の作品をエロと呼ぶことを嫌い、ラブストーリーと呼んでいたこと。人気絶頂時に、あえて専属契約という枷をつけたのは月産50〜60枚ペースの石井隆を思いやった為という話もなんだかいい話。作家から仕事を断るのは大変だろうから、あえて専属ということにしておけば、断られた恨みは会社に行くのではという配慮だったらしい。

 しかし、単行本刊行に関してはハードカバーという石井隆の希望に添えず、結局立風書房から上製本が出たという話はもと弱小コミック出版社勤務としては切ないものがあったが…。

AKIRA(1) (KCデラックス ヤングマガジン)

AKIRA(1) (KCデラックス ヤングマガジン)

 タイムリーだったのは大友克洋の話だろう。黒沢明の「七人の侍」の話で非常に盛り上がったことがあって、AKIRAも黒沢から取ったという噂があるということ。平田弘史を非常に尊敬していて、単行本の装丁を彼が手がけた話など、最近大友を読み始めたばかりの私には新鮮なことばかりだった。ほかに彼の天才ぶりをうかがわせる話もいくつか。とにかく原稿をとるのが大変な作家で、「AKIRA」の編集者は吉祥寺にホテルを借りて、そこに泊まり込んでいたとか、天才肌でなかなか原稿が上がらないので、無理矢理かんづめにしたら一晩で原稿をあげてくれたとか。すごい作家ほど原稿を取るのが大変と話されていて、ほかに「軍鶏」のたなか亜希夫の名があげられていた。
平田弘史時代劇画選画集―武士(MONONOFU)

平田弘史時代劇画選画集―武士(MONONOFU)

 さて、大友克洋が装丁を担当したという平田弘史の単行本(アフィに挙げてる本は違います)だが、これは偶然友人の彼氏の家で見たことがあった。箱入りで、背表紙に平田の絵。彼の絵を最大限に生かした作りは、たしかに力のある装丁で目を引く。豪華装丁を大友克洋に担当させたのは、そうすれば話題になるのではというもくろみもあったという。しかし、大友克洋の作品から平田弘史の直接的な影響は読み取れない……。きっと私がまだ二人のことをよくわかっていないのだろう。

 平田弘史ヤングコミック掲載への経緯は泣かせる。平田は一時光文社の雑誌創刊にあたり力を入れて執筆していたが、その雑誌はすぐに休刊になってしまい、失意であまりマンガを書かなくなってしまったという話が披露された。その上、当時原稿の遅い平田弘史は出版社から干されていたそうだ。それを残念に思っていた戸田氏が、昔の作品のリメイクからはじめてもらい、少しずつ内外に平田氏の評価を高めていく。やっと「復活した」と言われるようになってから、満を持してはじまったのが『薩摩議士伝』だったそうだ。

 長尺をとってエピソードが語られたのは上記のお3方だが、そのほかに園田光慶勝川克志・ダディグースの名があがった。

まんが学特講  目からウロコの戦後まんが史

まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史

 園田光慶の『アイアンマッスル』がどれだけ衝撃的かはみなもと太郎が『まんが学特講』で語っていたが、今回のトークでもそのすばらしさは強調されていた。生活破綻者で後半はコピーを多用したりしたけれど、『アイアンマッスル』は途中までほんとうに美しい作品で、貸本劇画の頂点と評価されていた。ペンを2pごとに変えるとか、朝、机に向かう前に原稿用紙にぴゅっと0.5ミリで50本くらいの線を書いてから原稿をはじめるという話がいかにもな天才肌だ。ついでにうちにある唯一の園田光慶の絵を貼っておく。(みなもと先生がこれは園田が書いたって言ってた!)

あとこれ。

あの頃マンガは思春期だった (ちくま文庫)

あの頃マンガは思春期だった (ちくま文庫)

 ほかには人気はなかったけれど、編集の橋本氏の意向で掲載されていたという勝川克志や、矢作俊彦の漫画家時の別名であるダディグースの名前などがあがった。また、梶原一騎とうまくいかず、中途半端に終わってしまったという宮谷一彦の『プロレス地獄変』を戸田氏(たしか)が何度も惜しまれていた。紹介画像には、ゴリラを通り越して雪男みたいな顔の醜悪な男が相手につかみかかっている様が映し出されている。しかし、作家性の強い宮谷は結局梶原の原作とうまくかみ合わず、完結せず単行本未収録らしい。もったいない。面白そうなのに。宮谷一彦の本はどうやら今生きていないようだ。残念。

 さて、石井隆のエピソードをもっとも印象的と冒頭で書いたが、もうひとつまったく違う理由で印象的だったのが、増刊ヤングコミックが17万部売れていて、単行本で採算をとる考えはなかったという話だ。昔は雑誌の実売がメインで、単行本は二次的なものだったとはよく聞いていたけど、やはりちょっと驚く。ちなみに2012年1〜3月期のヤングアニマルスペリオールが17万弱だ。

 編集者3人とも、増刊ヤングコミックでの編集時代がどれだけ楽しかったを語っていて、その熱気に胸が熱くなった。