ホンのつまみぐい

誤字脱字・事実誤認など遠慮なくご指摘ください。

雑感2

 病んで消息不明の知人がいます。彼女は人前に立つ仕事をしていました。心配しているものの、連絡を取る手段もなく……。いや、正確にはなくはないのですが、連絡して返事がなかったらと思うと怖くてできないまま、「いつか無事に再会できないだろうか」とぼんやり考えていました。

 この間、久々に彼女の名前がスケジュールにあるのを見つけたました。「まだ会いにはいけないけれど、無事ならよかった」と、ほっとしていましたが、直前になって名前が消えてしまいました。再開を決意したものの、まだ仕事ができる状態ではないと思い、取り消したのか。それとも、そもそも彼女と連絡を取る手立てはなかったのに、運営が間違って名前を載せてしまったのか。不安が募ります。

 最後に会った時、「またね」と言っていた彼女に、もう一度会いたい。

昭和の終わりに描かれたムラ社会の有様を2020年に読み返す「天然」(根本敬)

 バブルに唾を吐きかける悪意の結晶。そして根本敬版「巨人の星」。それが「天然」だ。

 舞台は1950年代の東北の架空の村。主人公の村田藤吉は、ムラ社会の中で小作人の息子としていじめぬかれる。天才的な野球の才能を持つが、それを発揮することができない悲劇の男だ。

 生まれた瞬間から序列の決まった村の中、どもりで自分の意志をうまく伝えられない藤吉は犬以下の存在として蹂躙され続ける。村長の息子は藤吉を「ブタのウンチョ」と呼び、首に縄をかけて竹で叩くなどのわかりやすい暴力をふるう。藤吉の存在は村長一家に私物化されていて、死んだ下男の代わりに村長一家の豚の世話や便所汲みをやらされたりもする。

 本作の白眉は、体調を崩して働けなくなった藤吉の父を、村長が選挙のために利用するところだろう。選挙演説で「おめえんちの敷居はこの吉田があずかった」「おらにまかしとき」と胸を張る村長。

 普段はゴミのように扱っている家族を利用し、「かわいそうな村田家の人々を生活保護から救い出す頼れる男」を演出するその姿を見ていると、「絶対にこのような俗物に勝てない」いう恐怖心が湧いてくる。

 村全体から虐待を受けながらも、藤吉は何度か野球の才を外部の人間に認められるが、そのたびに村に引き戻される。最後は修行に来ていた川上哲治にスカウトされるが、村長に老婆の世話を押し付けられ、結局村から出られないまま50歳になる。老婆の死によって藤吉はやっと村長の家庭から解放され、とっくに引退した川上との約束を守るために東京行の電車に乗るのだった。

 陰茎も肛門も排泄物もそのまま描く根本の絵は、果てしなく汚い一方、強い郷愁や生命力を感じさせる呪術的な力があって目が離せない。なにより、「たしかに世界とはこのような身もふたもなくひどいものだ」と思い起こさせる説得力がある。特殊な絵なのに、スラスラ読ませる技術力の高さにもほれぼれする。

 「天然」は、1988年の6月に1巻、9月に2巻が刊行されている。バブル期のまっただ中であり、翌年に平成を迎える年だ。

 20数年後の今に改めて読むと、藤吉が会社勤めをし、二児の子供をもうけることができた当時は、確実に豊かな時代だったと言える。

 「老婆の介護のために若者が前途を閉ざされる」というエピソードは、今では普遍的な社会課題だし、村の住民の命すら私物化する村長のふるまいも、コロナ渦中の政権や一部自治体の首長を見ていると、まるで他人事に思えない。根本がおそらく、「過去の残滓、あるいは隠された真実」として描いたであろう露悪的で醜い世界は、かつてよりはるかに多くの人の前に現実として広がっている。

 数ある残酷なエピソードの中で、私が選挙のシーンを格別に強烈に感じたのも、こうした権力の私物化が、日常の中であまりにもあからさまに可視化されているからだろう。

 もともと私は、根本の「下層を哂う」作風に憎しみを抱いている。彼は「自分より愚かなものたち」を指さし、哂うことで露悪的な「真実」を表出させた。 不条理で残酷な社会を生きる中で、「現実なんてこんなもの」と突き付ける根本の開き直りに、心を支えられた読者も多いだろう。

 また、多くの読者は「野蛮なムラ社会の人間たちの生命力」に憧れていたはずだ。そうでなければ数百匹の捨て犬を抱える保護施設で、犬のエサ箱をわざわざ洗剤で洗う男が逆ギレ気味に吐き捨てた「そうだよ、無駄な事なんだよ でもやるんだよ!」が流行るはずがない。しかし、その憧れは彼らの野蛮さが自分の生活を侵食してこないという安心感あってのものではないか。今「因果鉄道の夜」を読むと、そのあからさまな見下しの視線が目も当てられない。

 根本やその読者が下層を哂うことができたのは、間違いなく、彼らがさまざまな豊かさに支えられていたからだ。それがはがれてしまった今、かつてとは違った意味で彼の作品は「誰でも楽しめるもの」ではなくなっている。

 近年、根本作品の差別的な目線に対する批判が寄せられるようになっているが、それは多くの人にとって根本の世界が身近に感じられるようになったこととも無関係ではないと思う。

togetter.com

 とはいえ、社会の変化にかかわらず「天然」は名作だ。エッセイと違って露悪的な笑いに堕ちないため、普遍性がある。フィクションだからこそと思う。

 その普遍性とは「弱い者いじめによってまとまり、村を出ようとする人をとことん引き留める、まるで呪いのようなムラ社会の姿」だ。

 「天然」の単行本には上野昂志の解説が掲載されている。昭和の終わりを思いながら書かれたであろうその文章には、こんな一節がある。

 「ですが、だからといって、ムラが消滅したわけではありません。みんなが都市論だの江戸論だのとやっているそのかたわらで、ムラは形を変えて成長してきたのです。まるで日本そのものが、地球上の一個のムラであるかのように」

 「天然」で示されたムラ社会・日本はいまだまったく古びていない。

 ところで、山ごもりをしている川上が犬を殴り殺して食べている描写は本作の中でも一際暴力的な場面だが、これは根本が、野球選手を「野蛮な弱肉強食社会の中で頂点に近い位置にいる存在」としているからなのだろうか……。

天然 1

天然 1

 

 

天然 2

天然 2

 

 

天然―完全版

天然―完全版

 

 

因果鉄道の旅 (幻冬舎文庫)

因果鉄道の旅 (幻冬舎文庫)

 

 

 

ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論

ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論

  • 作者:香山 リカ
  • 発売日: 2019/03/16
  • メディア: 単行本
 

 上に書いたようなことがもっと知的に語られているまとめ。

togetter.com

 それはともかくとして、こうした作品を掲載していた「ガロ」という雑誌は、やっぱりすばらしい場だったと言うほかない。

元気がない

f:id:hontuma4262:20200524213413j:image

 金曜日はファン・ホームの同時視聴会。日曜日は月に吠えらんねえの読書会。ふたつ人とやりとりする時間をこなしてわかったが、私は元気がない。

 元気のない理由はいろいろだが、ここには書きづらいこともあり、別のSNSにクローズドで書いている。そして、そのクローズドなSNSをうっかり開放してしまって崩れ落ちるという夢を見たりしている。

 あと、ツイッターはほぼRTのみになってしまっている。「自分の言葉で語らなくては」と言ったそばからなんだけど、とにかく元気がなくてそれができない。

「Zoom - 🔥valknee, 💖田島ハルコ, 🐢なみちえ, 🏝ASOBOiSM, 🏩Marukido, 🦍あっこゴリラ」の「アスペのボーボボ」は差別なのか

 Valknee主催(という表現でいいのか?)の「ギャルの証言」こと「Zoom」がかっこよい。絵面のチープなケバさもチカラ強い。

www.youtube.com

 

Zoom

Zoom

  • valknee, 田島ハルコ, なみちえ, ASOBOiSM, Marukido & あっこゴリラ
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 ただ、Marukidoのアスペという表現が気になった。

zoomgal
初めてなの?チャH
パペットグリッチ 
イメクラガンジー 
アスペのボーボボ
折衷案じゃんラガマフィン
自粛中のご飯とシャバランキン
ブヤカブヤカ!zoomzoomgal
ブヤカブヤカ!zoomzoomgal

  アスペはアスペルガー症候群の略だけど、よく「空気読めないやつ」とか「頭がとろいやつ」くらいの意味で使われている。だいたい「あいつアスペだから」って言ったら侮辱だ。

 そこでこうツイートしたら、

  本人から返事が来た。

 

 

 これを機に初めて知ったが、MarukidoはADHDなのだとか。彼女にとってこの曲は自分のことを面白おかしく表現したに過ぎない。病気を侮辱するつもりはないというのは本心なのだろう。

 

www.youtube.com

 

 ただ、「アスペ」が日本社会で侮辱の言葉として使われているのはたしかで、これを聴いて傷つく人が出てくることは十分にありえると思う。

 一方で、当事者であるMarukidoが自分の状態をネタにすることで、「アスペ」という言葉に込められた悪意が軽くなる部分もあるだろう。

 たとえば「ビッチ」という言葉はもともと侮蔑語だが、女性があえて使うことで意味が反転し、エンパワメントとして使われることもある。こうしたことを考えると、一概に「差別的な言葉を用いたから」という理由で、歌詞を差別的をみなすべきではない。ラップのように極めて属人的な表現の場合は特にだ。

 「アスペ」が当事者によるエンパワメントとして解釈されにくいのは、「ニガー」や「ビッチ」と違い、話者が当事者か部外者かがわかりづらいからだろう。黒人であることや女性であることは、多くの場合明白だからだ。

 だからといって「わかりづらいからこの表現はNG」「もっとこうすればいいのに」というジャッジも傲慢すぎる。とりあえず疑問に思った私が何かできるとすれば、この流れを書いて記録しておくことくらいだろうか。

 似たような言葉として、「2chメンタルヘルス板にいるような人」が転じた「メンヘラ」というスラングを思い出した。そういえば、十年ほど前、あえて「メンヘラ」を自称し、表現に消化させようとする人たちがいた。意味を更新することで、「メンヘラ」という侮蔑語を当事者たちが取り返す試みだったのかもしれない。また、そうした表現をすることで、同じように不安定な気持ちでいる当事者に表現が届きやすくなることもあったはずだ。

 しかし、「メンヘラ」と呼ばれた人たちの幾人かが本当に亡くなってしまったためか、最近は「メンヘラ」という言葉を表現に消化させる試みは見かけなくなり、今ではこの言葉はほぼからかいのために使われているように思う。

 情緒不安定な状態を表す漠然としたスラングの「メンヘラ」と、病名をもとにした「アスペ」は似て非なるものではあるけど、扱いの難しさという点では共通するものはあるかもしれない。

  ところで、「Zoom」を聴くと誰のパートが一番好きかを言わずにおれないと思うが、私もご多分に漏れず。Valkneeの攻撃的なリリックとアニメの悪役のような声のバランスが一番好きだ。

メンヘラちゃん (上)

メンヘラちゃん (上)

  • 作者:琴葉とこ
  • 発売日: 2012/10/17
  • メディア: コミック
 

 

メンヘラちゃん (下)

メンヘラちゃん (下)

  • 作者:琴葉とこ
  • 発売日: 2012/10/17
  • メディア: コミック
 

 

5月17日の桜木町から関内

 「ヒップホップと福音」という特集を掲載している「福音と世界」を買いに桜木町の横浜キリスト教書店に出かけたら、日曜定休だった。がっくりして馬車道まで行ってパフェを食べた。

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 ミルピグ・パフェ部。夜はチーズとワインに強いバーになるようだ。上の写真はバターの味比べセット。乳の味の違いを楽しむ感じ。わさわさ食べてしまったので細かい感想はないけど、かなり味の個性がわかるので楽しいと思う。

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 「大人のいちごパフェ」だったかな? 税込2200円。てっぺんに少しリキュールをかけて食べる。

 こ…これはうまい……。高級パフェには何度かチャレンジしていて、そのたびに「フーン」という感じだったのだが、これは素材の美味しさで抜けている。

 「パフェの具材として食べるのに最も適した固さの生クリームが、もっともパフェに適した牛乳で作ってある」この感じ。

 アイスもゼリーもあっさりめで、だからこそ最後までおいしく食べられる。最後がシャンペンのジュレで終わるというのもおしゃれ。これは強い。

 箸休めにチーズとパンナコッタがつくというのもエクセレント。小さくてしょっぱいチーズだけど、ただ塩辛いだけでないのもおもしろい。お高めパフェの中では一番好きかもしれない。

 店内はゆったり目にとった15人くらいの席がほぼ満席。店員さん以外みんなマスク外しておしゃべりしていて、「あー、これは厳しいですねー。また2週間後に感染者増えますねー」という気持ちに。

 自分も客だし、責める気持ちはなれないのだけど、訪れる方がふんわりした意識で生活しているのに、一方的に自粛させられているエンタメ業や飲食店など、人が集まる場所を運営する人たちはたまらないだろう。

 自粛しない飲食店などを叩く「自粛警察」の中には同業者がいるというが、妨害は論外としても、その気持ちは少しわかってしまう。

 しかし、ここで客を叩いてしまうと、感染が止まらない理由を西村康稔経済再生担当相のいうところの国民の「気の緩み」にすり替えられてしまう。政治がちゃんと補償しないから、みんな経済活動せざるを得ないんだよ。#SaveOurLifeの署名、集めなおさねば。

save-our-space.org 途中で野毛もうろついたが、観光客らしき姿は見えないものの、だいぶ飲み屋は開いてきた印象。全面中止になったにぎわい座の貼り紙が悲しかった。


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 有隣堂に行ったらこちらもだいぶ混雑していた。積読もたまりすぎているので、増村十七の「バクちゃん」だけ買って退散。

 入り口でカジノ反対署名と横浜市長リコールの受任者の募集をしていたので、どちらにも記名。暑い日だった。

 

バクちゃん 1 (ビームコミックス)

バクちゃん 1 (ビームコミックス)

  • 作者:増村 十七
  • 発売日: 2020/05/11
  • メディア: コミック
 

 

久々に「Cats」を聴いて、どうしてグリザベラが天上に行く猫に選ばれるのかについて考えた

 アンドリュー・ロイド・ウェーバーが募金活動の一環として48時間限定配信している「CATS The Musical - FULL STAGE SHOW | The Shows Must Go On - Stay Home #WithMe」を観た。

 「人間に飼い馴らされることを拒否して、逆境に負けずしたたかに生き抜き、自らの人生を謳歌する強い心と無限の個性、行動力を持つ猫、それがジェリクルキャッツ」(劇団四季の作品紹介ページから)

www.shiki.jp

 Catsはこのジュリクルキャッツの中から誰が天上に昇るかを選ぶ物語である。といっても、猫たちが勝手気ままに自己紹介していく構成なので物語の筋は見えづらい。

 その中で唯一物語を通して変化し、天上に行くのがグリザベラという元娼婦の老猫だ。彼女は広場に集まるほかの猫たちに疎まれおり、大人猫は皆彼女を追い払おうとする。ただ一匹、子猫が手を触れようとするが、それもまわりの大人猫に阻止され、彼女は一人で昔を懐かしみながら歌う。

 このグリザベラが最後に天上に登る猫として選ばれたところで物語は終わる。

 CatsはCDを散々聴いたが、舞台そのものは高校生くらいの頃に一度観たきりで、その頃はあまり深く考えずに「歌がうまくて、実は心が美しいからグリザベラが選ばれたのか」くらいに思っていた。しかし、よく考えるとどうして天上に昇るのが彼女なのかがわかっていないので、いろいろ調べてみたら、よい文章があった。

blog.livedoor.jp

 マグダラのマリアと同じく、「姦淫の罪」を背負ったグリザベラだからこそ、神は彼女を救わなくてはいけない。

 そして、彼女を疎んでいた猫たちは、彼女を選択し、ふれることによって浄化され、彼女は天上に行く。なるほど、だからMemoryのサビは「Touch me」なのか。

www.youtube.com

 しかし、キリスト教徒でない現代人からするとあまりに娼婦に課せられた罪が重すぎて腹立たしい気持ちが溜まる。市井の一個人としてではあるが、セックスワーカーの権利を考えている立場からすると理不尽すぎる。

 Catsはこれからも世界中で広く上演されていくだろうが、このあたりは何らかの形で更新できないだろうか。そして、キリスト教の理解が浸透していない日本で劇団四季はどのように解釈して演じているのだろう?

 さておき、この映像はとても見ごたえがあった。身体を自在に動かし、歌い踊る姿そのものがとても美しく、自由の具現化そのものだった。精鋭だけあって踊り終わった後の「今自分たちが世界一イケてるぜ!」というオーラが気持ちいい。カメラワークのせいか、日本版との演出の違いか、抱き上げた猫のふとももをなでたり、お互いの顔を擦り付けたり、セクシャルな描写が多くてちょっとドキッとしたが。

 しかし、この映像の中でもっとも感動的なのはその若々しい肉体美ではなく、思うように踊れずに唇をかみしめるグリザベラ(エレイン・ペイジ)の哀しみを具現化したような表情であり、御年90歳の身で舞台に上がり、昔話を若者に吹聴するかつての役者・ガス(ジョン・ミルズ)の姿なのだった。

 もう歩くこともままならず、よろめきながら手を引かれて登場するガス。猫たちがガスを缶に座らせる。ジェリーロラムが、優しい目線でガスを見つめながら歌いだす。彼女の敬意に満ちた表情と少し低い柔らかい声がたまらなくいい。歌声を聴いて、急に正気に返ったかのようにかつての栄光の日々を歌いだす。

 ガスの昔話がどこまで本当なのかはわからず、彼の妄想の可能性もある。ただ、よろよろと歌い出す彼が、徐々に役者だった頃の自分を思い出して顔を上げ、目を輝かせる。

 舞台ではこの後、ガスが衣装を着替え、若々しい姿でグロールタイガーというかつて演じた海賊役を披露する。しかし、この映画ではガスは老いた姿のまま。グロールタイガーの幻影が、幽霊のようにガスの周りをうろつく。幻影を追いかけようと立ち上がるガス。しかし、その影はふっと消えてしまう。消えた影を見やり、遠くを見るような目をし、泣きそうな声で歌うガス。それを聴いて優しく抱き留めるジェリーロラム。

 たとえそれが一瞬だったとしても、輝かしい生を生きたと思える時間があったか。ガスにはそのような瞬間があったのだ。イギリスを代表する名優だというジョン・ミルズは、輝かしい時間への誇りと、それを失ってしまった悲しみをとても細やかに、そして明瞭に伝えている。数分で数十年の生を伝える演技というものの奥深さ。その姿を優しく見つめる猫たちの姿も含めて、とても感動的な場面だ。

 老いというものをこれだけ優しく受け止め、生を肯定した映像は、なかなかないのではと思う。

www.youtube.com

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  この映像は配信が終了しても下記のソフトや配信の購入で観ることができる。

キャッツ (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

キャッツ [DVD]

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  • 発売日: 2012/04/13
  • メディア: DVD