ホンのつまみぐい

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劇場アニメ「若おかみは小学生」ダメでした

若おかみは小学生!

若おかみは小学生!

  • 発売日: 2019/03/15
  • メディア: Prime Video
 

  「若おかみは小学生!」は両親を事故で失った女の子・おっこが祖母の経営する旅館で働くという児童文学。実は26歳くらいの頃にこれの1巻を読んで、厳しい境遇の中で勘違いしたり失敗しながら仕事の楽しみを覚えていくおっこの姿に比喩でなく泣いたのだが、映画はいまいちだった。

 児童文学に限らず、子ども向け作品が子どもの労働を描くこと自体はそんなに珍しくない。大人のマネをしたがる年頃の子どもたちにとって、仕事は憧れだからだ。

 若おかみの原作は「両親を失った女の子が旅館で働く」過程で、友人や周りの大人と協力して目標を達成したり、泊まりに来た人々の人生を覗き見ることで他人との接し方を学んだりという比較的オーソドックスな成長譚だった(最初しか読んでいないので、異界探検になってからは知らないのだけど)。そして、直接的ではないけれど、大人は頼りになり、ささやかに見守っててくれる存在として描かれていた。仕事で失敗して落ち込む彼女が得た悔しさやみじめさを、多くの人がそれぞれの立場でフォローしてくれた。原作のおっこの世界は安定している。

 映画のおっこを取り囲む世界は、原作と比べるとはるかに大人が彼女の存在に無頓着で、安心できない。おっこが何度も「実は両親が生きていた」というビジョンを見てしまう演出は、トラウマの表現として見事だったと思うが、それゆえに取り囲む大人たちのおっこに対するフォローの薄さが気にかかる。

 唯一おっこの不安定さに気が付き、元気づけようとするグローリーさんもどうも幻想的というか、ご都合主義的で入り込めない。ちょうどいいポジションで子どもにかかわりたいという大人の願望が透けて見える。

 そして、その薄さのまま、原作にはない意味不明のエピソードが終盤に挿入される。おっこの両親を轢いた男が家族連れで旅館に泊まりにくるのだ。

 最初はお互い何も知らずにおっこのもてなしを楽しんでいた加害者家族だったが、ある時おっこが被害者遺族と気がつく。男は「織子ちゃんなんだろ?」と言う。そこで、おっこは「いいえ、私は若おかみのおっこです」と答えるのだ。

 これは問答無用でNGな展開だと思ったが、どうもそこで感動する人が多いらしくてドン引いた。ヤボシキイくんのこの表現が秀逸。

 大人になることが自分を殺すことであるはずがない。子どもが「若おかみ」という職務のために自分の悲しみや怒りを抑えつける必要はないはずだ。

 そして、二重にしんどいのがこれが大人にウケている点である。大人は働く子どもが好きで、子どもの献身に泣く。なんとしょうもない涙なんだ……。

 しかし、観客はおおむねおっこの幸せを願っており、彼女が奮闘する姿を素朴に応援し、その動向に安堵しているのだと思う。「泣いた」と書いている友人・知人、みないい人ばかりだからだ。ここで私が言う「いい人」は揶揄ではなく、嘘偽りなく人間的に尊敬している人たちばかりという意味の「いい人」である。予防線じゃないぞ。しかし、いくら尊敬する人たちが泣いているからといって、この展開を肯定してはいけない。

 原画展示を見た弟が、高坂監督は温泉郷を「理想の共同体=コミューン」として描いており、ピンふりこと真月さんもおっこも大人たちもみな、共同体のために使役しているという見立てを行っていた。(そんなようなことが原画か何かの欄外に書かれているらしい)

 「共同体>そこで働く人々」という空気はこの作品の中に強く漂っており、その見立てもあながち間違いではないのかもしれない。

 まあ、ジンカンバンジージャンプはいい曲だったけど。

 あと、「映画館で観た時はすごく感動したけどTVで観るといまいちだった」という意見もあり。これはつまり映画館で観る映画としてしっかり演出のツボを抑えていたということで、質の高い作品であることに疑いはないと思う。

 以下は的確と思われるレビュー。

note.com


映画『若おかみは小学生!』予告編

追記:公式サイトの監督のコメント見つけたんだけど、これはたしかにアカン。大人が社会を形成する際の理念としては、ありだと思うけど、巻き込まれ型の子ども(映画ではそのように見える)に「滅私」させるのはやばいでしょ。他人のために働く楽しさは、自我あってのことなので。

監督: 高坂希太郎氏コメント

物語は11~2歳の女の子が超えなければいけないハードルが有り、今時の娘には理不尽に映るかも知れない作法や接客の為の知識、叡智を身に付けて行く主人公の成長を周辺の人々も含め、悲喜こもごもと紡いで行く。

この映画の要諦は「自分探し」という、自我が肥大化した挙句の迷妄期の話では無く、その先にある「滅私」或いは仏教の「人の形成は五蘊の関係性に依る」、マルクスの言う「上部構造は(人の意識)は下部構造(その時の社会)が創る」を如何に描くかにある。

主人公おっこの元気の源、生き生きとした輝きは、春の屋旅館に訪れるお客さんに対して不器用ではあるが、我を忘れ注がれる彼女の想いであり、それこそがエネルギーなのである!
ある役者が言っていた。役を演じている時に生きている実感があり、家に帰りひとりになると自分が何者か解らなくなると。詰り自分では無い何かになる。他人の為に働く時にこそ力が出るのだと!

www.waka-okami.jp

母の日不要不急

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 母の日だ! 買い物行くぞ!!! と思って石川町へ。中華街の一楽。

 日曜の昼にしては落ち着いた客入り。もともと一楽は混んでいて入れない店のひとつだったのだが、店長らしき人が「先のこと考えると不安でたまらないよ」と店員に話していた。商工会か何かの人々が会食をしていた。ナッツの入った担々麺は美味しかったけど、のんきに味わう気持ちになれず、持ち帰りで巻揚を追加購入。横浜ビールは軽めのスーパードライ系。もうちょっと濃いビールのほうが好み。


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  元町のおしゃれなお店で花束を買う。えっ、これで3300円?? 予算2000円だったのでひるむ。しかし、このくらいのボリュームがないとプレゼントとしてどうよと思ったので購入。お花1本500円だそう。まあ、たしかにきれいだ。柔らかな花びらにピンクとオレンジのグラデーションはある種完璧な美しさがある。


 元町、中華街。どちらも地元の人がよく歩いていたが、観光客がいないのはとても厳しいと思う。ケーキの老舗・喜久屋では、距離を取りながら並ぶ人々の列が外にまで伸びていた。


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 石川町駅裏のPâtisserie L'atelier de Antique (パティスリー ラトリエ ドゥ アンティーク)でクッキーの詰め合わせを。ケーキ類はほぼ売り切れていた。図鑑のようなデザインの箱の中にクッキー。2300円くらいだった。手頃なお値段で上等なお味。

 

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 一楽の巻揚。10個で1400円くらいだったかな。ボリュームがあってお腹がふくれた。

配信でも意外と演劇は楽しいし、飢えは憧れとしてそのまま残る

 遊びに行けなくなってからよく観るようになったのがお芝居の配信。

 

 中学生の頃に友人から借りたオペラ座の怪人市村正親版)のCDを聴き倒し、NHKの芸術劇場で放送していたさまざまな芝居をかじりつくように観て、高校では演劇部に入っていたのに、しばらく芝居を観に行く機会はなかった。

 

 理由の一つは値段。ストレートプレイでだいたい3000~8000円。ミュージカルだとサービス席が3000円(すぐ売り切れる)で、基本は8000円くらいから1万数千円。

 

 もちろん、面白ければ数千円はやぶさかではないけど、芝居はけっこう当たり外れがあるからギャンブル度が高いのだ。

 

 この当たり外れは公演の質とイコールではなく、「よい芝居というのはわかるけど相性が良くない」とか、「自分の知性や感性が追いついていなくてつまらない」とかいうこともしばしばある。

 

 「それなら誰もがいいというような強度のある芝居を観に行けばいいではないか」という向きもあるだろう。それはわかる。そういう芝居も世の中にある。しかし、実際はそういう評判のいい芝居はチケットが取りづらいのだ。

 

 電話をかけ続けるのも劇場に並ぶのも苦手なので、いつの間にか芝居そのものから足が遠のいていた。

 

 しかし、生活環境の変化に伴って一番目を通す機会が増えたのは芝居だった。

 

 きっかけはアンドリュー・ロイド・ウェーバーによるチャリティー映像配信。久々に観た「オペラ座の怪人」にしびれ、さまざまな動画に積極的に目を通すようになった。

 

 配信がありがたいのは、おおむね評価の定まった作品なので、すでにその面白さを誰かが伝えてくれるところだ。だいたい、お芝居が評判になると、私のような門外漢の耳に届く頃にはチケットが取れなくなっていることが多い。それなら、こまめに観に行って、情報収集すればいいのだけど、経済的な理由でそれはちょっと厳しい。しかし、皆が芝居に行けないで配信に群がる状況だと、誰もがフラットに観て感想を言い合うことができる。

 

 アレックス・オリエ版オペラ「トゥーランドット」。現代的意匠が刺激的な「ジーザス・クライスト・スーパースター」。オペラ座の怪人の続編「ラブ・ネバー・ダイ」。初演キャストを中心としたリーディング公演「12人の優しい日本人」。扉座のリーディング公演「無邪鬼」。大衆演劇では珍しい配信上演・たつみ演劇BOXの「稲荷札」。劇団チョコレートケーキの「治天の君」「ドキュメンタリー」。それから、いくつかのちょっとイリーガルな動画。中には批判したい作品もあるが(ラブ・ネバ―・ダイだけじゃないぞ)、それはそれとして刺激的だった。

 

 芝居を動画で味わい尽くすことはできない。それを理解しているのが、かえっていいだろうのか。映画やアニメを見る時より、ドキュメンタリーを観ている時に近い気持ちでいる。一方で、ライブ動画はほとんど観る気が起きない。このあたりの違いは自分でもうまく理解できない。ひとつには、私にとって「ライブは身体を動かすもの」だからというのがあるかもしれない。

 

 芝居を観るごとに、はたしてもう一度この場所を再生させることができるのだろうかと思う。横内謙介の言葉を借りるなら「劇場に人を集めて、唾飛ばして笑い合い、涙という名の体液を流して貰う」リスクの高い体験。しかし、だからこそ配信やリーディングを終えてすっきりとした表情になる役者たちを観ると、なんだかほっとして、むしろ芝居よりその笑顔を繰り返し観てしまったりもする。

 

 よく、「配信に慣れてしまうとみな生の舞台のチケットなど買わなくなるのではないか」と言うけれど、それはないと断言できる。

 

 私は高校生の頃、チケットを買うお金もなくてNHKの放送を繰り返し観ていたけれど、その時からずっと芝居が観たくて観たくてたまらなかった。大学生になってからは、下北沢で芝居を見た後にヴィレッジ・ヴァンガードでマンガを買うのを楽しみにしていた。

 

 社会人になってから、先に挙げた理由からいつの間にか足が遠のいてしまったし、劇場が再開した時の自分の経済状況がわからないから、足を運ぶと断言はできないけれど、同じように配信を観ている人たちの中に、芝居の楽しさを思い出す人も、新しく憧れを抱く人もいるだろう。

 

 演劇関係者の中には「これで劇場に足を運んでくれなくなるんじゃないか」と配信をためらっている人がいるとも言う。だけど、意外とそんなことない。みんなそれなりに楽しんでいるし、きっと飢えている。その飢えと自分たちの作品を、もう少し信頼してもいいと思う。

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KATO JACKSONが炎上してた

 トーフビーツをチンピラにしたような見た目のラッパー・KATO JACKSON。見かけるたびに誰かを皮肉っている人という印象でした。

 

 そんな彼の名を久々TLで見たら、こんな動画をアップしてました。

 

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KATO JACKSON - 検察庁法改正案に抗議してる奴らは全員馬鹿 (きゃりーぱみゅぱみゅ オカモトレイジ Licaxxx DIS SONG)

 

  

 「#検察庁法改正法案に抗議します」というのは、「自分の息のかかった検察官の任期を延長させて逮捕を免れたい安倍晋三」による法改正に抗議するタグ。きゃりーぱみゅぱみゅに代表されるさまざまな芸能人が、このタグをツイートすることで抗議の波が広がりました。

 

 で、この動画は一見「わけもわかってないくせに世間の尻馬に乗っちゃって抗議とか言ってる芸能人プークスクスw」という内容ですが、途中で本人が「自民党サイコ」と書いた紙を掲げたことからわかるように、「どうせよくわかってないだろ。芸能人のくせに政治に口出すな」という人を皮肉っています。

 

 

 

 ただ、これがガチで自民党擁護だと受け取られてしまったようで、反対派の人を中心に「こんなだせえ曲作るなんて何がヒップホップだ」と言われてしまいました。

 

 それも含めて本人のねらいでもあるんでしょうが、傍から見ていてこんなに誤解されているのはすごいことだなと。

 

 だって、「自衛隊に入ろう」(高田渡)、「若者よ、選挙に行くな!」(たかまつななプロデュース)、「原発賛成音頭」(ザ・タイマーズ/忌野清志郎)と、過去にもこういう反語的な表現はあったじゃないですか。

 

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 まあ、KATO JACKSONの人の悪そうな顔のせいでそうは受け取られなかったのかもしれませんが、今こういう人がこういうラップをすることが「シャレになってない」んだろうなと。もちろん、単に知名度がないから「この人がこんなことを言うなんて意図があるのでは?」と思われなかったのは大きいのでしょうが。

 

 ちなみに本人はこれで「その通り」という人を釣りたいという意味のことも言ってるけど、そういう人は今のところ一人でした。

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 KATO JACKSONはロジカルに構造批判をした上で、自分の欲望を表明できるという意味で近代的な人だと思うんですけどね。人が悪いけど。

 

  とか書いてたら、本人から解説動画が。真面目か。

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追記:おれも左翼であり、普段悪く言われているのであまり左翼を悪く言いたくないのだが、これに対して「disられてる芸能人に許可をとっていないからダメ」「傷つけるからダメ」と言っている人がいてさすがにそれはない。「風刺をする際に相手に許可を取る」なんて話聞いたことないわー。

追記:あと、「やり方がわかりにくい」「レベルが低い」というのも多くて、そうか? てか、めっちゃわかりやすいのもそれはそれで馬鹿にされてる感じしない??? ツイッターの動画なんてササッとしか見ないから、「自民党サイコ」っていうわかりやすい皮肉がわからなかったのは、「まあ、あるかな」って感じなんですが、「わかりやすくないからクオリティが低い」ってのもなあ……。「どんな馬鹿にでもわかる表現をしろ」というのでは、表現の幅って狭まるんじゃないですかね。

雑感

 新型コロナウィルスの政府対応に関し、「政治に殺される」と思う局面が増えてきた。もっと早く首相をやめさせておけば、もう少しましな日本が存在したかもしれないと思う。もっとまめにデモに行っておけばよかったのか。それとも、もっと日常的に政治の話をしておくべきだったのか。

 排外主義を見かけた時にしっかり批判をせず、「ああいう人たち嫌だね」と、内輪でコソコソ話していたことは、排外主義を日本に根づかせる一因になったと私は思っている。日本が韓国の対策に学ぶことができず、今まさにコロナで多くの人死(経済的困窮も含め)出していることと、排外主義に対してしっかりとした批判を行って、世論を変えて来なかったことはつながっていると思う。

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hontuma4262.hatenablog.com

 

 今までの自分のやり方を十分だと思えなくなった。何かしなくてはと思う。それでも、今の状況でできることは限られている。

 署名をしたり、意見を投稿したりする機会は格段に増えた。

 3月頃から、知人の「それはトーンポリシングだよ」と思うツイートにはちょっと反論したりしている。今のところ、そのせいで人間関係が破綻したという感触はないけれど、口に出さないだけで本当は「こいつウザいな」と思われていて、こっそり避けられていることはありうる。

 SaveOurSpaceの署名を地元の商店に配ったり、知人に勧めたりもした。対面での説明では、「これに署名したからって特定の政党に投票しなくちゃいけないとかないんで」「発起人の一人のスガナミさんは、前からライブハウスの中での性暴力なんかに積極的に反対していた人で」などと説明したけど、自分の話の下手さにがっかりした。どうして私の声はあんなに自信がなさそうなのだろうか。「はたしてこの説明で納得してもらえるのだろうか」と思いながら話すから、自分の言葉の勢いのなさにどんどん沈んでいってしまう。共感してもらわなくてもいい。納得してもらえばいいと思うのだけど、それが難しい。

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 ところで、そういう状態だからなのかどうかわからないけど、10年近くつきあいのある友人にツイッターをリムーブされてしまった。

 共働きで子育てをしながら働いている友人には、うろたえながらあれこれ感情を吐き出している自分が芯のない人間のように見えたのだろうか。それとも、「いやー、私も今いっぱいいっぱいなんで一時的に!池田さんが嫌になったわけじゃないから!」みたいなことなのか。普段なら共通の友人を誘って食事にでも行って、直接理由を聞いてみることもできるけど、今はそれができない。

 別の知人が「上野千鶴子石川優実は正しいけれど味方を増やすのが下手」と書いていて、社会運動にそれなりに関わっている彼の実感としては一理あるのかなと思った。石川さんや上野さんのやり方や功績を否定するつもりは毛頭ないけれど、彼女たちのやり方で沈んでいってしまう局面もあるのだろう。そういう時は別の誰かがやるなり、フォローするなりで対応すればいいと思うけれど……。

 私は、今すごく友人に「自分の何がダメだったのか」を聞いてみたい。友人にすら厄介だと思われるのなら、今の自分の行動には人に何かを伝える力がないということなのだろうから。それでなくても、純粋に寂しいし。

 だけど、休校で子どもの教育に悪戦苦闘しながら生活している彼女にそんなことを聞くのは無理があるだろう。

 これに限らず、目の前のさまざまな出来事に対して、どうしていいのかわからなくなってしまっている。

 

 こういうことを書くことによって、かえって友人との仲が悪くなったり、まわりに伝えたいことがうまく伝わらなくなったりということもあるのかもしれない。というか、あるだろう。なんだか被害者意識を見せびらかしているみたいだし……。

 そして、書き終えてしばらくしてから読み返すと、私の「世の中の役に立ちたい」という気持ちの中に「役に立たなければ自分には価値がない」という誤った観念もあるように思う。相当歪んだ認識なのだが、矯正できていない。

 ただ、それでもたまにはこういうことを記録してもいいかなと思ったので、書き留めておこうと思う。

4月に読んだ本・マンガ

  野中モモさんがZINEについてさまざまな角度で語る本。

 ご自身とZINEの話。制作者へのインタビュー。海外のZINEの状況などが掲載。

 野中さんは毎月新宿のカフェ「ZINESTER NIGHT PARTY」という集まりを開催しているのですが、そこで本書に登場するZINEを実際に見せていただきました。きわめて個人的な言葉がつづられたそれらのZINEを見て「自分の言葉を表に出すというのはもっともっと個人的でよいのだ」と実感。「自分の言葉で語る」ということの意味を考えさせられる本です。

ドキュメント ゆきゆきて、神軍[増補版]
 

  自分が読んだのは文庫の方なのですが、単行本しか登録されていなかったのでそちらのリンクを。

 この本を手に取る人の多くは「奥崎謙三とは何者なのか」への答えを求めていると思いますが、本書ではそれは明らかにはなりません。「代役を立てるまでの流れ」や「殴りかかる場面での詳細」など、映画を観て感じるちぐはぐな部分の穴埋めにはなりますが……。監督のエッセイと日記、採録シナリオ、井出孫六原一男の対談が掲載。

 しかし、自己顕示欲の塊・奥崎謙三に「人を刺すのでそのシーンを撮ってください」と言われて、撮るかどうか悩む監督も相当ヤバい。そんなんNG一択では。

 原の伴侶であり製作プロデューサーである小林佐智子が泣いて止めたそうで、撮影のための殺人はチャラになったけれど、映画を観た人はご存じの通り奥崎は結局元中隊長の長男を銃で打ってしまう。笑えない話ですわ。

 個人的に印象的だったのは、原はかなり奥崎にイライラしていたのに対し、小林は奥崎の行動をチャーミングだと思っていたという話。だからこそ、殺人に泣いて反対したそうですが。小林プロはあまり表に出てこない印象だけれど、彼女がいなければ映画は完成しなかったのでは。

 神軍最大の謎の一つ、奥崎謙三の伴侶・シズミが旦那をどう思っていたのかについても少し書いてありますが、「旦那を本気で尊敬していた」ということがわかって複雑な気分。

 井出×原対談「なぜ戦争にこだわり続けるのか」で、原と井出が「自分たちより下の世代は奥崎さんの行動をまず笑う(ネタ消費する)」的な話(こういう表現ではないですが)をしていたのも印象的。

 

銭ゲバ 大合本 全4巻収録

銭ゲバ 大合本 全4巻収録

 
告白

告白

 

 

アシュラ 大合本 全3巻収録

アシュラ 大合本 全3巻収録

 

 

スンズクの帝王 オリは毒薬

スンズクの帝王 オリは毒薬

 

 ジョージ秋山、「人にカッコいい説教したい」欲が強すぎでは。いろいろご苦労されてるんだろうなとは思うけど、全体的にナルシシズム強くて乗れないんだよな。

 とはいえ、貧困や欲望を自分ごととして見つめて表現するその力は疑う余地なし。「資本主義とはなにか」「欲望とはなにか」を扱った作品群は、「ナニワ金融道」や「カイジ」に先行しています。しかも「銭ゲバ」はサンデー連載。「銭ゲバ」「ナニワ金融道」「カイジ」などを振り返ることで、マンガで描かれる「資本主義」がどう変化したのかをたどるのは価値がありそう。

 あと、マンガは間違いなくうまいと思います。70年代の空気を感じる冒険的なコマ割りや演出は今見ても魅力的だし、それを青年誌移行後もちゃんと引き継いでいるのもすごい。セリフも力があるし。

 

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 2019年秋の文学フリマで、偕成社文庫そっくりの装丁を見つけて手にとったら、大昔、岡田淳がテーマの読書会でお会いした方でした。

 以前は教員をやりながら空き時間にバーに立っていたそうですが、今は「夜学バー」というバーの経営をされているとか。本作は教員からバー経営者という不思議な経歴を重ねた著者による、たまり場に関する哲学書

 小学校の中にある不思議なバーを通して、居場所の意味を説く作品。ちょっと説明的なところもあるけど、バーという中間領域の魅力を丁寧に描き、その必然性を「小学校にはバーくらいある」という表現で言い切る意思がまぶしい。「バーくらいある」という言葉は裏返せば「どの場所にもバーのようなあいまいな領域がないとダメだ」ってことなんだろうなと。

 

狼になりたい!

狼になりたい!

 

  この服のシワ! ちょっとずらした薄めのトーンの貼り方!! 歌だったら大サビにあたるところに入る唐突なポエム!!!

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  いやー、90年代インディー(二次創作同人誌のことです)の一部で流行ったこの感じ、好きだったなーー。いま読み返すと架月さん、季節を感じさせるのがうまい。表紙の絵もめちゃくちゃいいですね。

 

 

 

 

 

  アニメきっかけで。「秘密の新選組」で止まっていたので、こんなにロマンチックな表現をされているのを知りませんでした……。すごくよかったけど、ちょっとその魅力をすぐには説明しづらい。情念のこもったエロティックなSFという意味では、竹宮恵子なんかも連想しました。この独特の世界観を、芯を外さずに映像化したアニメもすごい。

 

図解でシッカリ! よくわかる労働法

図解でシッカリ! よくわかる労働法

 

 

 

 kindleunlimitedで労働法の本を読んでいますが、雇用者目線か、労働者としていかに得するか目線のが多いですね……。こういう本は「法の本質は力の弱いものを守ること」はというのを最初に説くべき。「君の働き方に未来はあるか?」とか、紙だったらぶん投げて捨ててたレベルですね。正社員と非正社員の分断をあおる文章、端的に言って害悪です。やっぱり読み放題に頼らず、しっかり選んで読まなくちゃだめか。

 

 3月に引き続きまったく本を読めず。5月はちょっと無理してでも読書量を増やしたい。