江戸川乱歩ゆかりのお店らしい。
値段お手頃。衣もたれもべったりしたところがないのがよい。職人さんたちのさりげなく丁寧な言葉遣いが印象的でした。
江戸川乱歩ゆかりのお店らしい。
値段お手頃。衣もたれもべったりしたところがないのがよい。職人さんたちのさりげなく丁寧な言葉遣いが印象的でした。
文学フリマ行ったらホストがいた。
文学フリマは「文芸同人誌のコミケ」のようなものなので、基本的にはブースも書き手も客も地味だ。というか、輪郭が薄い。
そんな中、ホストの人たちがいるブースだけは水彩画の中にマジックインキで線を引いたようにくっきりと周囲から浮き上がっていた。単純に衣装が黒ベースのスーツだということもあるけれど、なんだか立ち振る舞いがスッキリしてる。
ブースには関係者が入れ替わり立ち替わり現れていて、ホスト関係者が10人くらいわっと広がる瞬間も。大人数でワイワイしている時間はさすがに近寄りがたかったので、ブースの人数が3人になった時に近寄って、なぜ文フリに出ることになったのか聞いてみた。なんでも、オーナーが九龍ジョーさんと知り合いで、九龍さんが文学フリマで同人誌を出したことを伝えたところ、オーナーが「うちもやってみよう」と言い出したとか。
本のタイトルは「失恋ホスト」。
「ホストが失恋って面白いかなと」
「でも、やっぱ本当は書きたくなかったですよ〜」
「この表紙の絵、ホストが泣いてるっていう。それでもカッコつけてるのがいかにもホストっていうね」
3対1。3人のホストが織りなす、この程度の、ごくたわいない会話。しかし、真ん中の人の顔が良すぎて(SKY-HI似)、なおかつ3人が順々に繰り出す話の軽やかさが見事すぎて思わず笑顔になってしまった。マジか。
付き合いの長い人なら知っていると思うが、私は顔のいい人間にあんまり興味がない。顔の良さに感心したり、感動したりはするけど、見ているだけで笑顔になるなんてことはまずない。
それなのに、話しているだけで笑顔になる。これはヤバいな。
ホストの人たちは会話中にこちらに一切気を使わせない。しかも、ガツガツしていない。会話って多かれ少なかれ、お互いががんばらなきゃいけない部分があるけれど、そういうのが一切なく、こっちはただただテンポのよい言葉の流れを楽しむことが出来る。立板に水という言葉があるけれど、それはまさにこれじゃないか。
イチローはストレッチから入場までの一連の型が完璧に決まっているというが、その手の洗練を感じた。洗練を極めたチャラさ。
しかも、本一冊1000円なんてホストからしたらはした金だろうに、何の引目も感じさせずにサラサラと楽しくお話させてくれる。これはたしかに疲れていたり、顔のいい男としゃべりたかったら大層効くだろうな。
怖いので、「どうもです~」とか言いながら本を買って退散。
中身を読んでみる。最初の話は、月300万貢がせてた女の子に最終的に捨てられた話。今は彼女以外と付き合う気が起きなくて、風俗だけだとか。
300万て……。最近ちょこちょこ風俗の本を読んでいるのだけど、それって本番やって毎日フルで働かないと得られない金額では? いや、そりゃ捨てられるでしょ。
しかし、ホストの人たちはそうやって稼いだお金で成り上がること自体が、女の子に対する恩返しだと思っているらしい。
「おれに何百万と貢いでくれたあの子のためにも成り上がらなければ……!」と。そういうもんなのか。いや、でも月何百万とかさすがに女性の人生ぶっ壊してるし、本人たちの倫理観も壊れてるのでは。
中には、「彼女の連れ子を必死で育てながらホストをやってたけど、結局捨てられて、再婚した彼女のインスタで子どもたちの顔を見てほっとした」なんてほっこり話もあるけど、読み終えるとにわかにホスト社会に対する恐怖心が芽生えてくる。みんな「男はこうあらねば」という強い男性性に縛られている……。
また、読後には敗北感もある。それはホストたちが徹頭徹尾「自分の人生の主人公は自分」という意識で動いているからだ。だから彼らは寝る間もなく仕事に励むのだ。この自我の強さは、残念ながら自分にはない。
でも、その努力の直近の目標が女の子に貢がせること(もちろん、楽しい時間を提供してこそと思っているだろうけど)というのが、やっぱりコワッとはなるのだった。
ちなみに、SKY-HIくらい顔のよい真ん中のホストは、1億円プレイヤーと呼ばれた一条ヒカル氏だったらしく、「さすが1億の接客は違うぜ……」としみじみ思った。自分でホストクラブに行く選択はないから、もう二度と話すことないだろうなあ。
3人で売り子してまっす!#売れているです…#文学フリマ東京#失恋ホスト pic.twitter.com/2zv5jld85U
— 一条ヒカル(辻貴人) (@funakurakko) 2019年11月24日
今回初めてホストクラブのグループとして参加をさせて頂いた #文学フリマ東京
— group BJ (@groupBJ) 2019年11月24日
無事に終了致しました!
用意していた在庫はほぼ完売!
誠にありがとうございました📚
購入して頂いた皆様、足を止めてお話して頂いた皆様、本当にありがとうございました!#失恋ホスト #groupBJ pic.twitter.com/6k4cNNacQf
#失恋ホスト を購入して頂いた際に初めてホストの方と話しました!と仰って頂いた方が沢山いらっしゃったので#文学フリマ に行ったメンバーを中心に映像を編集してみました。
— group BJ (@groupBJ) 2019年11月26日
ホストクラブを1分の動画で!
これを見てから読むとまた違う発見があるかも知れません📚
BGM:https://t.co/fkA1kRZNEx pic.twitter.com/7OXlqM3wKh
ケーキがでかかった……。しかしケーキのでかさを伝える写真を撮っていなかった。味はまあ普通かな。
紅茶の種類がいっぱいあるのと、セットでもフレーバーティーが選べるのがよかった。
今さら読みました。梶原一騎の自伝的コミック『男の星座』。講談社文庫の代表作以外は手に入れづらかった梶原作品ですが、電子化が進んでだいぶ読みやすくなりましたね。
自伝と銘打たれてはいるものの、格闘技界のスターとの思い出話が多く、梶原一騎の人となりを知りたいこちらとしてはやや物足りなさが。
でも、メインの読者の方がしびれるのは「力道山の気まぐれな人柄」とか「大山倍達のよき道場主っぷり」なんだろうと思うと、致し方ないことなのか……。
驚いたのは、本書に登場する格闘家たちのエピソードの多くが、梶原一騎の創作と比肩するくらいのトンデモ感満載だったということ。「大山倍達が牛と戦う様子を映画やテレビで放送していた」ということ自体が今となってはナシですね。牛が殺されるところ見たくないし、失敗して大山の身に何か起きるリスクもあったのでは。
「虚実入り混じる」を超えたあからさまなフィクションもあり、思わず「自伝のはずでは……」とツッコんでしまう瞬間も。
梶原一騎にはストリッパーと同棲していた時期があるのですが、名の知れない一個人であったろう彼女が、作中では浅草ロック座の大スターになっていたりします。ステージを見て恋焦がれ、悶々としたあげくストーカーになる一太の描写は読み応えがありましたが、彼女を無理にスターに設定する必要はなかったように思います。あえて古い言葉を使うならば「女々しさ」を執拗に書いていることがこのストリッパーに関する一連のエピソードの面白さでした。
また、「オカマ」の屋台引きジャニーさんと、極真の門下生・春山章との友情とその悲しい結末など、「これはすべて創作では…?」と思わせる話もあります。このジャニーさん関連のエピソードや、ストーカー化する一太のくだりは人間の感情の生々しさが描かれていて、かなり面白く読みました。一方で、格闘家たちのくだりは人物がカキワリっぽく入りこめず。
もうひとつ印象的だったのは、インテリ文芸編集者だったお父さんに仕事を応援してもらってはしゃぐ一太。父親への屈託は評伝などでも必ず指摘されているので、勝手にもっと距離のあるつきあいをしてたのかと思っていました。
梶原が星一徹をどう捉えているかずっと謎だったんですが、『男の星座』から読み取れる家族観を踏まえると、本気で一徹を「よい父」のつもりで書いていたのかもしれない。
しかし、そうなると『巨人の星』は父からの承認を求め続け、そこから逃れられなかった悲しい青年が、体を壊して戦いの場から降りることでやっと父親から開放されることが出来たという話で間違いないのか……。星くん、父殺せてないもんなー。それなのに、結局若干パラレルな未来世界で、「ほかにやることが見つけられなくて野球をやり直してしまう」って本当にひどい話……。(『巨人の星』では最後の試合の勝敗は不明だけど、『新・巨人の星』では飛雄馬が勝ったことになっているので、同じ世界ではないという解釈をしています)
最大の衝撃は終幕。講談社の編集者が訪ねてきたところで、著者急逝により終幕。
読者はみな梶一太がどうやって『巨人の星』や『あしたのジョー』を生み出したのか。そして、どうして漫画原作者の地位を捨てるような蛮行を行ってしまったのか。そこからどうやって人として快復していったのかが読みたかったと思うんですよ……! でも、一貫して梶一太を好漢として書き、格闘家との交流を山場にする全体のトーンを見るに、作品を通して心の深いところまでを掘り下げることはなかったかもしれないですね。
終わらせることが出来なかった本人が一番無念だったと思いますが、梶原一騎が自分自身の過去とどう向き合うか、見たかったな。
しかし、芸能界のヤクザとの付き合いをこんなにあからさまに「真実」として書いてるマンガそうそうないのでは。まあ真実なんでしょうが……。
「RHYMEBERRYのラストワンマンに似てる」と思いながら観てた。
コウテカ3になってからの楽曲の世界観を、2以前ほど好きになれなかった。「盛り上がるライブって飛び込めれば最高に楽しいけど、引きで見ると短調になりがちなんだよな〜」と思いながら観ていた。
でも、これは完全に好みの問題。ラップは明らかに上達しているし、3人の声の活かし方はさすがで音楽的な完成度も高かったし、ライブでの立ち振る舞いはユニットとして強固で信頼関係を感じさせた。それは、フロアの熱狂と笑顔が何より証明している。
チームには思い入れあるし、楽しんでるオタク観るとシンプルにいい光景だなと思える。これは間違いなくひとつの正解なのだろうし、今まで作り上げてきたものの結晶だと理解できる。この感想、まあ、RHYMEBERRYのあの日とだいたい一緒。
そして、「演者がこの場所に未練を感じてないのがわかる」のも。
ドライの今の編成は今までで一番集客力があるけど、それでも、演者がここが限界だと悟ったから終わり。そういうのがじんわり伝わってきて、「もうライブが観られないのが悲しい!」とは思っていなかったのに、ふと寂寥感が襲ってきた。
「もっとやりたかった」と泣かれるより、疲労感をあらわにされるよりいいのかな。そうだろうな。
コウテカ3とRHYMEBERRYでは細かな事情は全然違うけど、そういう意味で「納得のラスト」だった。校庭カメラガールドライ最後のライブの、もっと密度のあるレポは、ずっと彼女たちの歌を聴いて、走り続けていた人が書いてくれるとうれしい。読みます。
これ以降に書くことは詮索のたぐい。そして私の感傷。
何か月か前から「コウテカ3危ういな」と感じるようになっていた。理由は接触イベが増えはじめたことと、好奇心を刺激する企画が減ってきたこと。
コウテカは昔から西麻布BULLET'Sでワンドリンクでライブ1時間という格安イベをやっていたけど、ライブなしの接触イベント(ナースコスプレ会とか)とか、BBQとかが増えているのはあんまりメンバーにとってプラスと思えなかった。というか、台所事情的に仕方なかったのかもしれないけど、自分ならかなり嫌だと思った。オタク同士の仲は深まるけど、演者としての神秘性も薄れちゃうしね。
あとは、年越しレイブ以降は面白い企画がなくなっていったと思う。ツアーも含めた主催企画で、アイドルだけでなく、さまざまなクラブカルチャールーツの演者と対バンしていたことや、国内屈指らしいeastaudio SOUNDSYSTEMのサウンドシステムを導入してみたこと、空間演出ユニットhuezに依頼して野外の年越しイベントを開催したこと、稲毛海浜公園野外音楽堂で無料野外イベントを主催したことなどなど。対バンの構成や世界観へのこだわりもtapestok recordsの魅力だったから、それがなくなっていく物足りなさはあった。
tapestokのどこからどこまでをjasさんが考えて、選んで、決めていたのか。今となってはよくわからない。そもそも、お金がどこから出ていたのかも、メンバーが安心して活動できるくらい配分できていたのかも謎だ。
お金をかければ豪華で楽しいイベントは出来るけど、失敗したらおおごとだし、お金はかからないけどブッキングが濃密なイベントだって、手間はかかるし、誰かが睡眠時間を削ることになる。
もっとうまくやれる方法も、たぶんどっかにあったんだろうけど、それが出来なかった。tapestokがもっとでっかい事務所で「社員はぬくぬく守られてるけど、女の子は薄給で搾取されてる!」ってのが透けて見えたなら別だけど、あんまりそういう感じには見えなかった。(2022/5/6追記:ただ、客やメンバー・スタッフには見えていないけど胴元だけ儲かってるということはよくあると、さまざまな芸能の収益構造について学ぶうち知ったので、今ではこのときの「そういう感じに見えなかった」という感覚はあてにならないと思っている)
メンバーの夢も一度終わりだけど、jasさんの夢もいったん終わりなんだなというしみじみした気持ちになってしまった。新しくグループを作る予定と聞いているけど、それが何を目指すのか、まだわからない。
jasさんが渡辺淳之介だったらコウテカが売れていたのかもしれないけど、渡辺淳之介には作れない世界、作るのをやめてしまった世界が好きだったので、たぶん仕方がない。
で、私はライブ中になんとなくコウテカ2のラストワンマンを思い出していた。コウテカ2ワンマンは解散ライブで、完全燃焼で爽やかに終わったライブの後に、延々と西麻布BULLET'Sで特典会をしていた。夜中の12時くらいから始まって、そろそろ早朝という時刻まで続く特典会に、オタクの人たちと「これいつまで続くんですかね」と話していたら、突然jasさんからの「そろそろメンバー限界なんで、やめまーす」という一言。
「えっ、まじすか」みたいな空気をしゅがしゅららちゃんからの「私たちい!もう眠いので!(しかしお嬢様キャラ崩さず)」という至極もっともな言葉がシャットダウン。結局返金もしくは後日振り替え特典会が行われることになったけど、一緒に話してたAさんと「さばけない量のチェキ券出すからさあ」「だからダメなんだよ~~」と叫んだのがもう、ものすごく懐かしいし、今思うといい思い出だ。
あの日は、終わってしまうこと自体は寂しかったけど、ライブは楽しくて、メンバーも途中泣いてたけど最後はニコニコしていて、自分のブログを読んでくれた人がたくさん声をかけてくれて、渋谷のWWWXから六本木の西麻布BULLET'Sまでオタクの人たちと歩いて、最後は西麻布BULLET'Sで愚痴も含めた思い出話をして。
オタクやっててあの日以上に濃密な日はなかったし、あの時出会った人たちとはその後もいろんな現場で出会って、話して、酒呑んだりと、いろんな思い出がある。
コウテカがなくなったらオタクの人たちとは一生会わない可能性が高まるわけで、たとえ現場でちょっとあいさつするだけの関係だったとしても、やっぱりそれなりに寂しい。
でも、もう一度自分で楽しいこと……、充実していると思えることを探して、作っていかなくちゃいけないんだろうな。あたりまえだけど、別にそれはアイドルじゃなくてもいいのだ。
ねえ 君は
この場所でいつかね歌ったこと全部捨てるの
ねえ 僕は
この場所でいつかね歌ったこと全部捨てるよ
それでも 行かなきゃ
それでも 笑わなきゃ
Lonely lonely Montreal (trance ver.)