ハロオタで若手人気作家の朝井リョウによるアイドル小説。
中学生の頃からアイドルグループ「NEXT YOU」に所属する女の子が、グループと自分自身の成長とともに、アイドル界、そして自分自身の現状に疑問を感じるようになっていくという流れでストーリーが進む。2010年前後の光景かな。
アイドル現場のディティールはそれなりに凝っている。
登場するNEXT YOUのオタは「ネクス中毒」と呼ばれ、ライブは「授業参観」、握手会は「席替え」と呼ばれる。
違法サイトでアニメを観ていたことがとある動画で検証されて炎上とか、成長期によくある身体の変化で太ったことををあげつらわれて「完全終了のお知らせ」と言われたり。また、地方でのライブは車移動。あいまに皆で入るスーパー銭湯がメンバーの楽しみとか。
情報小説としてはとても価値の高い作品だと思うけれど、読後感は率直に言って「朝井リョウは接触厨がきらいでライブに興味がないんだな」という以上のものではなかった。
いや、ライブに興味がなくて接触がきらいなのは別にかまわないのだけど、この小説、女の子たちの「自分をたくさんの人に観てもらいたい!」「いいライブをして音楽を届けたい!」という欲求や業があんま出てこないんだよね。
柴田英里が、messyの連載で
この対談で、朝井リョウは、「アイドル」をテーマに書いたという新作『武道館』について、「アイドルは現代の『異物』である」と定義した上で、「(アイドルは)絶対に両立しない欲望を叶える存在だからです。例えば、きれいで可愛くなきゃいけないけど、恋愛はしちゃダメ。これって、本来は両立しないじゃないですか」と豪語し、これに対して阿川佐和子は「うーん……」と言葉を失っています。
「きれいで可愛くなきゃいけないけど、恋愛はしちゃダメ。これって、本来は両立しない」つまり、朝井リョウは、「(女性が)きれいで可愛くあることは100%恋愛のためである」と疑いなく“自然”に定義しています。
(中略)
朝井さんの定義する「きれいで可愛くなきゃいけないけど、恋愛はしちゃダメ。これって、本来は両立しない」という“自然”は、私にとっては“不自然”でしかありません。
朝井リョウに見る「多数派の思い込み」としてのコミュ力 - messy|メッシー
と喝破していたけど、この本に出てくる女の子にもそういう不自然さを感じた。自分も含め、コンテクスト厨が思い込みでアイドルに自分の脳内にある理想を押しつけるのはよくあること。朝井リョウ本人はアイドルの理解者のつもりなのだろうけど、女の子の欲望には関心がないのだろう。
オタクをわりと「女の子を人間扱いしない」役で出してるのに、自分が作中で女の子を人間扱いしないのはなかなか皮肉な話だ。
というか、「アイドルは女の子で人間」なんて、アイドルオタクはとっくに知ってるのに今さら強調されてもな。
「女の子で人間」がステージの上で別の何かになるのが観たいんじゃん。あ、ステージに興味がない人はそうでもないのか。