ホンのつまみぐい

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地に足を着けながらやっていく/ロベルト吉野主催・豪雨災害復興応援ライブ「DRIFTAWAY」

数年後には西日本豪雨という言葉も、地元の人にしか通じない災害の名前になって、災害対策本部がすぐに作られなかったことも、その真っ最中にオウム真理教事件の死刑囚が一斉に処刑されたことも忘れられてしまうのだろうか。まず、どういう災害だったかを書いておく。

 

2018年6月28日から7月8日までに起こった豪雨は、100人を超える死者を出し、広島、岡山を中心に西日本に浸水被害や土砂災害をもたらした。

被害の様相に胸を痛めつつ、頻発する大災害にちょっと不感症になっているところもあった。一方、政府の対応ははっきりと不適切だったのに、「いやいや、よくやってる。文句をいうやつは政権にクレームをつけたいだけだろう」という人が少なくないことに、ずいぶん気持ちを削られた。

 

皆、「自分が国家に蹂躙されている」という屈辱的な状況を認めることが出来ないのだろうか。たしかに、「お上は自分たちのことをちゃんと考えている」という認識の中で生きることができれば「自分たちは搾取されているし、人権を蹂躙されている」という事実に向き合わずに済む。だけど、それは愚かな生き方だ。そして、そういう態度は弱い立場の人間を文字通り殺すことになってしまう。

 

私が社会に対して無気力になっている中、ロベルト吉野さんは被害が広まり始めた早い段階で、西横浜エルプエンテに話を取り付けて災害復興応援ライブを決めていた。

 

エルプエンテはいわゆるライブバー。主に平日はバー、週末はライブハウスになる。メタルに強いらしく、blackfileが制作した吉野さんのインタビュー映像にも登場している。

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SNSで参加を募った演者は皆、仕事が終わってからの参加になるということで、「タイムテーブルはその場で決定。時間はだいたい各15~20分」というアバウトな段取だった。

 

会場についたのは19時半ごろ。エルプエンテは階段を下りて左手がフロア、右手が演者控室になっていて、控室は飾り気のない部屋に黒で覆われた機材が山と積まれており、反対にフロアはフライヤーやグラフティで雑然としていた。

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フロアに入ると、昔好きだった横浜へそまがりという喫茶店と、同じにおいが鼻をかすめる。好事家の店長が作った、二階建ての一軒家をまるごと喫茶店に改造した不思議な店で、シーシャというトルコタバコを吸う人がいたり、DJイベントがあったり、弾き語りライブがあったりという気まぐれな店だった。

 

「ああ、懐かしいな。やっぱり音楽の鳴る場所だから同じ匂いがするのかな」と思って親しげな気持ちになる。あとでそれは冷房機器の風の匂いだと気がつくのだけど。

 

入り口脇で固まっていると、奥にいた人が「バーカンで1000円払ってくれ」という。バーカンに置かれたお皿にお札を入れて、再び演奏を見つめる。

 

この日の演者はパンクやメタル畑の人が多かった。私は演奏者の感情や熱量がストレートに音に乗るタイプの音楽がちょっと苦手で、正直メタルもパンクも得意じゃない。

 

でも、そういう現場のお客さんのテンションの高さを見るのはけっこう好きで、突撃するかのようにモッシュしている人々の表情が、いつも少しうらやましい。

 

お互いの顔がはっきり見える小さなフロアで、演者の作り出す過剰なドラムやギターの音を、追いかけるように身体を振る客の様子は、相思相愛の美しさがあった。

 

吉野さんは刑/鉄とDJで参加していた。普段はあまり演者に近寄らないのだけど、今回は小さなバーなので、ほぼ初めてじっとDJの手元を見ながら聴くという経験をした。

 

刑/鉄を観るのは3回目くらいだけど、いつもテンションが上がりきった終盤頃から観ているので、この日初めてちゃんと音楽として聴いた。

 

ギターとDJの息を合わせてバイブスを加速させていくという、かなり変則的で情報量の多いことをひょいひょいやっていて、高度なことをしているはずなのに、洗練とは真逆の方向に行く様子が面白かった。

 

吉野さんが途中でTシャツを脱いでバーカンからビールを受け取ったあたりから、ギターのケイタさんが演奏を終えたほかのバンドの人に担がれたり、ドラムとギターが勝手に乱入したりとどんどんごちゃごちゃしていった。

 

吉野さんが途中のMCで「みんな普段は生活しながらだけど、こういう時間があるの最高だろ」という主旨のことを、いつものようにちょっと不器用な口調で話していたけど、ディテールを忘れてしまった。

 

たぶん間違いなく、この日の演者の中に音楽だけで生活している人はいない。普段はお店を経営していたり、サラリーマンをやっていたりするはずだ。バーカンの中の人がボーカルになることもあった。でも、日常の中にずっと音楽が寄り添っていて、いざという時にみんなで集まれるというのはとてもうらやましい。

 

ヒップホップ関連の演者は私の見た範囲ではKMCとICHIYONしかいなくて、そのKMCもSYMBOLというロックンロールバンドで登場。吉野さんらしいなあと思う。KMCは音源をはるかに上回る熱量の声だったけど、バンドの音が大きすぎて歌詞がほぼ何を言っているのかわからなかった。でも、大柄な体躯でマイクに噛みつかんばかりに歌う様子は、とてもチャーミングだった。

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そして、ICHIYONくんの客演に、以前猫まみれ太郎くんのサイファーに来てくれたEZ do dan子さんが来ていた。

 

dan子さんは、そんなに話したことはないけれど、現場で会えるとうれしい人。そういう人にこういう場所で会えるのは、本当にうれしい。

 

dan子さんの「イメージする横浜と違ってびっくりしました」という言葉に「みんながイメージする横浜なんで30分の1。いや、90分の1くらいですよ」なんて知った風な答えをする。

 

ICHIYONくんとの曲は、普段の彼女の柔らかい雰囲気とは違うクールな声がかっこよかった。

 

来た順に演奏というタイテで進行はどんどん押していって、11時頃、吉野さんがマイクを2本つかみながらフロアに残った人に「帰れる?帰れる?」と順番に聞いていて、なぜかちょっと笑ってしまった。

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最後のバドゥエリカが床にゴロゴロ転げ回るパンクなライブを終えた頃にはもう11時半。フライヤーの終了時刻を1時間半すぎていた。

 

「昔岡山のペパーランドってバーに呼んでもらったことがあって……。俺が何かするなら岡山かなって。こういうのがつながって続いていけばいいなって」という主催あいさつで終了。フロアの帰れない人、帰りたくない人たちが、残りの夜の段取りを話し合っている姿を見ながら帰宅。

 

到着してから4時間。あるバンドのギターの人が言った「楽しいことしながら人助けになるってサイコーですね~!」に代表されるような、わざとらしくない遊び心と優しさ、そしてちょっとの照れに満ちた空間がずっと広がっていた。

こういう夜のことを思い出しながら、生きていかなくてはいけない。

 

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