廣島ラーメンというジャンルがあるらしい。
見た目よりさっぱりしていて美味しかったです。
ケーキがでかかった……。しかしケーキのでかさを伝える写真を撮っていなかった。味はまあ普通かな。
紅茶の種類がいっぱいあるのと、セットでもフレーバーティーが選べるのがよかった。
今さら読みました。梶原一騎の自伝的コミック『男の星座』。講談社文庫の代表作以外は手に入れづらかった梶原作品ですが、電子化が進んでだいぶ読みやすくなりましたね。
自伝と銘打たれてはいるものの、格闘技界のスターとの思い出話が多く、梶原一騎の人となりを知りたいこちらとしてはやや物足りなさが。
でも、メインの読者の方がしびれるのは「力道山の気まぐれな人柄」とか「大山倍達のよき道場主っぷり」なんだろうと思うと、致し方ないことなのか……。
驚いたのは、本書に登場する格闘家たちのエピソードの多くが、梶原一騎の創作と比肩するくらいのトンデモ感満載だったということ。「大山倍達が牛と戦う様子を映画やテレビで放送していた」ということ自体が今となってはナシですね。牛が殺されるところ見たくないし、失敗して大山の身に何か起きるリスクもあったのでは。
「虚実入り混じる」を超えたあからさまなフィクションもあり、思わず「自伝のはずでは……」とツッコんでしまう瞬間も。
梶原一騎にはストリッパーと同棲していた時期があるのですが、名の知れない一個人であったろう彼女が、作中では浅草ロック座の大スターになっていたりします。ステージを見て恋焦がれ、悶々としたあげくストーカーになる一太の描写は読み応えがありましたが、彼女を無理にスターに設定する必要はなかったように思います。あえて古い言葉を使うならば「女々しさ」を執拗に書いていることがこのストリッパーに関する一連のエピソードの面白さでした。
また、「オカマ」の屋台引きジャニーさんと、極真の門下生・春山章との友情とその悲しい結末など、「これはすべて創作では…?」と思わせる話もあります。このジャニーさん関連のエピソードや、ストーカー化する一太のくだりは人間の感情の生々しさが描かれていて、かなり面白く読みました。一方で、格闘家たちのくだりは人物がカキワリっぽく入りこめず。
もうひとつ印象的だったのは、インテリ文芸編集者だったお父さんに仕事を応援してもらってはしゃぐ一太。父親への屈託は評伝などでも必ず指摘されているので、勝手にもっと距離のあるつきあいをしてたのかと思っていました。
梶原が星一徹をどう捉えているかずっと謎だったんですが、『男の星座』から読み取れる家族観を踏まえると、本気で一徹を「よい父」のつもりで書いていたのかもしれない。
しかし、そうなると『巨人の星』は父からの承認を求め続け、そこから逃れられなかった悲しい青年が、体を壊して戦いの場から降りることでやっと父親から開放されることが出来たという話で間違いないのか……。星くん、父殺せてないもんなー。それなのに、結局若干パラレルな未来世界で、「ほかにやることが見つけられなくて野球をやり直してしまう」って本当にひどい話……。(『巨人の星』では最後の試合の勝敗は不明だけど、『新・巨人の星』では飛雄馬が勝ったことになっているので、同じ世界ではないという解釈をしています)
最大の衝撃は終幕。講談社の編集者が訪ねてきたところで、著者急逝により終幕。
読者はみな梶一太がどうやって『巨人の星』や『あしたのジョー』を生み出したのか。そして、どうして漫画原作者の地位を捨てるような蛮行を行ってしまったのか。そこからどうやって人として快復していったのかが読みたかったと思うんですよ……! でも、一貫して梶一太を好漢として書き、格闘家との交流を山場にする全体のトーンを見るに、作品を通して心の深いところまでを掘り下げることはなかったかもしれないですね。
終わらせることが出来なかった本人が一番無念だったと思いますが、梶原一騎が自分自身の過去とどう向き合うか、見たかったな。
しかし、芸能界のヤクザとの付き合いをこんなにあからさまに「真実」として書いてるマンガそうそうないのでは。まあ真実なんでしょうが……。
「RHYMEBERRYのラストワンマンに似てる」と思いながら観てた。
コウテカ3になってからの楽曲の世界観を、2以前ほど好きになれなかった。「盛り上がるライブって飛び込めれば最高に楽しいけど、引きで見ると短調になりがちなんだよな〜」と思いながら観ていた。
でも、これは完全に好みの問題。ラップは明らかに上達しているし、3人の声の活かし方はさすがで音楽的な完成度も高かったし、ライブでの立ち振る舞いはユニットとして強固で信頼関係を感じさせた。それは、フロアの熱狂と笑顔が何より証明している。
チームには思い入れあるし、楽しんでるオタク観るとシンプルにいい光景だなと思える。これは間違いなくひとつの正解なのだろうし、今まで作り上げてきたものの結晶だと理解できる。この感想、まあ、RHYMEBERRYのあの日とだいたい一緒。
そして、「演者がこの場所に未練を感じてないのがわかる」のも。
ドライの今の編成は今までで一番集客力があるけど、それでも、演者がここが限界だと悟ったから終わり。そういうのがじんわり伝わってきて、「もうライブが観られないのが悲しい!」とは思っていなかったのに、ふと寂寥感が襲ってきた。
「もっとやりたかった」と泣かれるより、疲労感をあらわにされるよりいいのかな。そうだろうな。
コウテカ3とRHYMEBERRYでは細かな事情は全然違うけど、そういう意味で「納得のラスト」だった。校庭カメラガールドライ最後のライブの、もっと密度のあるレポは、ずっと彼女たちの歌を聴いて、走り続けていた人が書いてくれるとうれしい。読みます。
これ以降に書くことは詮索のたぐい。そして私の感傷。
何か月か前から「コウテカ3危ういな」と感じるようになっていた。理由は接触イベが増えはじめたことと、好奇心を刺激する企画が減ってきたこと。
コウテカは昔から西麻布BULLET'Sでワンドリンクでライブ1時間という格安イベをやっていたけど、ライブなしの接触イベント(ナースコスプレ会とか)とか、BBQとかが増えているのはあんまりメンバーにとってプラスと思えなかった。というか、台所事情的に仕方なかったのかもしれないけど、自分ならかなり嫌だと思った。オタク同士の仲は深まるけど、演者としての神秘性も薄れちゃうしね。
あとは、年越しレイブ以降は面白い企画がなくなっていったと思う。ツアーも含めた主催企画で、アイドルだけでなく、さまざまなクラブカルチャールーツの演者と対バンしていたことや、国内屈指らしいeastaudio SOUNDSYSTEMのサウンドシステムを導入してみたこと、空間演出ユニットhuezに依頼して野外の年越しイベントを開催したこと、稲毛海浜公園野外音楽堂で無料野外イベントを主催したことなどなど。対バンの構成や世界観へのこだわりもtapestok recordsの魅力だったから、それがなくなっていく物足りなさはあった。
tapestokのどこからどこまでをjasさんが考えて、選んで、決めていたのか。今となってはよくわからない。そもそも、お金がどこから出ていたのかも、メンバーが安心して活動できるくらい配分できていたのかも謎だ。
お金をかければ豪華で楽しいイベントは出来るけど、失敗したらおおごとだし、お金はかからないけどブッキングが濃密なイベントだって、手間はかかるし、誰かが睡眠時間を削ることになる。
もっとうまくやれる方法も、たぶんどっかにあったんだろうけど、それが出来なかった。tapestokがもっとでっかい事務所で「社員はぬくぬく守られてるけど、女の子は薄給で搾取されてる!」ってのが透けて見えたなら別だけど、あんまりそういう感じには見えなかった。(2022/5/6追記:ただ、客やメンバー・スタッフには見えていないけど胴元だけ儲かってるということはよくあると、さまざまな芸能の収益構造について学ぶうち知ったので、今ではこのときの「そういう感じに見えなかった」という感覚はあてにならないと思っている)
メンバーの夢も一度終わりだけど、jasさんの夢もいったん終わりなんだなというしみじみした気持ちになってしまった。新しくグループを作る予定と聞いているけど、それが何を目指すのか、まだわからない。
jasさんが渡辺淳之介だったらコウテカが売れていたのかもしれないけど、渡辺淳之介には作れない世界、作るのをやめてしまった世界が好きだったので、たぶん仕方がない。
で、私はライブ中になんとなくコウテカ2のラストワンマンを思い出していた。コウテカ2ワンマンは解散ライブで、完全燃焼で爽やかに終わったライブの後に、延々と西麻布BULLET'Sで特典会をしていた。夜中の12時くらいから始まって、そろそろ早朝という時刻まで続く特典会に、オタクの人たちと「これいつまで続くんですかね」と話していたら、突然jasさんからの「そろそろメンバー限界なんで、やめまーす」という一言。
「えっ、まじすか」みたいな空気をしゅがしゅららちゃんからの「私たちい!もう眠いので!(しかしお嬢様キャラ崩さず)」という至極もっともな言葉がシャットダウン。結局返金もしくは後日振り替え特典会が行われることになったけど、一緒に話してたAさんと「さばけない量のチェキ券出すからさあ」「だからダメなんだよ~~」と叫んだのがもう、ものすごく懐かしいし、今思うといい思い出だ。
あの日は、終わってしまうこと自体は寂しかったけど、ライブは楽しくて、メンバーも途中泣いてたけど最後はニコニコしていて、自分のブログを読んでくれた人がたくさん声をかけてくれて、渋谷のWWWXから六本木の西麻布BULLET'Sまでオタクの人たちと歩いて、最後は西麻布BULLET'Sで愚痴も含めた思い出話をして。
オタクやっててあの日以上に濃密な日はなかったし、あの時出会った人たちとはその後もいろんな現場で出会って、話して、酒呑んだりと、いろんな思い出がある。
コウテカがなくなったらオタクの人たちとは一生会わない可能性が高まるわけで、たとえ現場でちょっとあいさつするだけの関係だったとしても、やっぱりそれなりに寂しい。
でも、もう一度自分で楽しいこと……、充実していると思えることを探して、作っていかなくちゃいけないんだろうな。あたりまえだけど、別にそれはアイドルじゃなくてもいいのだ。
ねえ 君は
この場所でいつかね歌ったこと全部捨てるの
ねえ 僕は
この場所でいつかね歌ったこと全部捨てるよ
それでも 行かなきゃ
それでも 笑わなきゃ
Lonely lonely Montreal (trance ver.)
黒井ひとみさんの演目「空気人形」を観に道頓堀劇場へ。いちょう団地の猫企画ブースでお会いしたマッサージ屋・Yさんをアテンド。
Yさん、デパートメントHは好きだけど、ストリップは初だとか。
「空気人形」は業田良家のマンガが原点だが、おそらく是枝裕和の映画の方が有名。
ステージの上には背と両足をすっと延ばし、置物のように座るメイド服姿の黒井さん。パントマイムでパペットのように身体を動かす彼女の身体に少しずつ表情が宿り、所作にも何かを触れようとするような動きが追加されたりと、人間に近づいていく様子が演じられる。
黒井さんは力がこもると泣きそうな表情になる人なので、人形が少しずつ感情を増やしていく演技に説得力があった。
音楽は比較的有名な曲が多かったけど、ほぼすべてオルゴール音に加工されたものだった。作りものに魂が宿る物語だからだろうか。原曲と比べ、少し物足りないオルゴールの音が暗い劇場によく似合う。
映画で使用された音楽は流れなかったけれど、ベッド曲の選択にはリンクを感じた。歌詞も含め、絶妙。
ストリップも、大衆演劇も、地下アイドルも、2.5次元も、稚拙という言葉では言い表せないまがいもの感がある。しかし、時々ある領域を超えて「本物」になる瞬間があって、そんな時は単に「本物」にふれることでは出会えない奇妙な感動が訪れる。
演目が終わり、オープンショーの時間。黒井さんの定番曲「アイドルになりたい」で始まるあの曲が流れる。「なりたい」を歌う曲だから、「空気人形」の後に続くとオープンショーも含めて演目の一つに見えてくる。ストリップの領域を意識させられる20分弱だった。
もうひとつ、新作の「ナルコプレシー」はストリップでも人気の高い女性歌手のメドレー。サビの一番盛り上がるところに合わせてご開帳するのがとてもばかばかしくて、ちょっと笑ってしまった。これから曲を聴くたびに思い出しそう。
この日はほかに、普段は入り口で切符を切ってるはなさんの演目が印象に残った。彼女は長く別名義で活動していたけど、今ではたまにしか舞台に乗らない。
はなさんは相当かっぷくがいい。踊れるんだろうかって思うくらい、いい。でも、動くとちゃんと音を聴きながら踊る人の動きで、緩慢さを感じさせない。踊り子さんの中には、美しいけれど、全然音を聴いていないのがわかる人もいて、そういう人の演目はどれも同じに見える。
音楽に合わせて世界を表現するという基本的なことがしっかり出来ていて、なおかつストリップらしいわざとらしさもあって、さすがベテランというダンスだった。
この日の演目は歌謡曲中心の着物の演目と、ぶりっこ女子が彼氏に甘える様子を演じるものの二つだったけど、後者でここ1年くらいの日本語ラップのヒット曲をガンガン使っていて、まるでクラブ状態。立ち見だったのもあり、ついつい踊ってしまった。あの曲でこう動くのかという面白さもたっぷり味わった。
しかし、メイン客であるおじさんたちにわかりやすい選曲ならもっとウケがいいだろうに、そうしない。たぶん、私はそのエゴも含めて演目を楽しんでいるのだと思う。
一緒に行ったYさんは私より音楽に詳しいので、「まさかあの曲が流れるとは思ってなかったっす」と言っていて、それもなんだかうれしかった。倖田李梨さんも日本語ラップを使うけど、もっとオーバーグラウンド嗜好だし、Yさんを案内するこの日にはなさんが乗っていて運がいい。
Yさんはクラブの規制にまつわる事柄の知識もあるので、合間にストリップにおける風営法の理不尽さについても話せたのもよかった。
ところで、2010年。私が初めてストリップを観た時に不思議の国のアリスの衣装で踊っていた人がいて、それが別名義でのはなさんではないかとずっと思っていた。
ひとりで入ったわけではなく、日ごろから地域とのかかわりの深いART LABO OVAの蔭山ヅルさんが、黄金劇場を案内してくれたのだ。大学生の女の子ふたりと、男の子ひとりと私とヅルさんという組み合わせだった。
黄金はアットホームな劇場だったから、演目の前のおしゃべりが長くて、50代であろうベテランの女性が男の子を軽くからかったり、「カップルで来たり、酔った勢いでって女の子同士で来る人もいるわよ」などと教えてくれたりした。
そしてもうひとり、かっぷくのいい若い女性が膝を折って「友達同士で来たん?」というようなことをこちらに話しかけてくれたような、ぼんやりした記憶があった。
今回写真撮影の時に話を聞いてみると、ちょうど10年位前にアリスの演目をやっていたそうで、だからといってその時の人がイコールはなさんかはわからないけれど、ちょっと感慨深いものがあった。
Yさんはとても楽しんでくれたようで、あとで「写真撮ればよかったです」「また行きたいです!」というLINEをくれた。
刑⚡︎鉄(ロベルト吉野と高橋渓太のAC/DCトリビュートバンド)が出るというので久々の六角橋ヤミ市。
六角橋ヤミ市は商店会が地域振興のために始めたお祭り。道幅の狭い商店街の前に机一つの露店やフリマが並びます。
ライブやパフォーマンスはおせんべい屋の中、家具店の跡地などなど、狭い商店街のすきまに、詰め込まれるように作られたステージで行われます。
満員電車内のようになった小さな路地を、人をよけながら歩くのがこのお祭りの楽しみ方。まずは唐揚げ串100円とサワー220円で。
少しお酒が回ってきたところに、古本の販売発見。一箱古本市というイベントから生まれたフリマ形式の古本販売もこのイベントの定番。
今回はスーパーの駐車場も大規模なライブ会場に。一箱古本市だけでなく、横浜音まつりとの共同開催だったそうです。横ではこれまた同時開催の食べくらナイト。このへんの飲食店が集まってブース出してました。とりあえずローストポーク300円をひとつ。
この商店街では、大通りへつながる広めの通路を「ふれあい広場」と呼んでいるのですが、刑⚡︎鉄のライブはそこで。ハードロックもヘビーメタルもピンとこない私には、正直言うと刑⚡︎鉄の音って得意なタイプの音ではないです。
ただ、バイブスの一致した二人がめちゃくちゃ好きな音を全身を使って発するので、観てると「スゲ~ポジティブ~~」と思う。で、3年前に初めて観た時は「なんか二人でヘンなことやってるな~」って感じだったけど、今日はお客さんもめちゃくちゃ盛り上がってて、\ケイター!/\テツヤー!/というコールが自然に出ていて、そのへんの厚みも含めてめっちゃ見応えありました。
真横の餃子専門店の人ふたりがBRAHMANのTシャツ着てたんですけど、「DJかっこいいよ!」って身を乗り出してお店の中の人も呼んで観ていたり、動画を撮っていたりしたのも含めて見れてよかったな。
ヤミ市を運営している石原さんを見つけたので、ごあいさつ。石原さんは六角橋ヤミ市に商店街の薬屋さんとして関わってきた重要な人。今で言うコンセプトデザインを彼が担っています。東南アジアのナイトマーケットの雰囲気を街の祭りで再現したいと思ったそうで、この街の祭りが独特の活気を保ち続けているのはこの方の存在が大きい。
刑⚡︎鉄を呼ぶことになったきっかけは、「あいつらここで観たいんですよ!」って石原さんに直訴した人がいて電話番号を教えたら、ケイタさんから連絡があって出演……という流れだそう。たしかに、刑⚡︎鉄に六角橋似合う……。いい話だ~~。
刑鉄 けいたとてつや pic.twitter.com/eQ9wdNl72q
— カジ (@badukajiiii) October 19, 2019
サンキュー六角橋商店街!
— 刑⚡︎鉄 (@YoshinoMRK) October 20, 2019
昨日も最高のブギーだった。 pic.twitter.com/G8Vq8Lc9yZ
ライブ終わり、再度露店を見回し、本のイベントでちょこちょこお会いするドジブックスさんから大道芸人の本を購入。今日は出演者に合わせたセレクトされてたみたいですね。
豪華な舞台での小野瀬雅生ショウ。MCの地元のおじさん感がキュート。こちらもポジティブな音で、しかもお客さんがすごく自然に盛り上がっていてよかったなあ。六角橋、お客さんの雰囲気もいいんですよね。
「レッツゴーって言ってください。英語じゃなくてカタカナでレッツゴーですよ~」という気取りのなさも場を温めてました。
ちょうど大石始さんのナタリーでの文章が公開されたところで、記事に対する「横浜は音楽の街なんですね」という意味の感想を見たのですが、それを実感するのってこういう瞬間。小野瀬、ロ吉が横浜出身ってのはわかりやすい符号だけど、それだけじゃない。地元のおじさんたちがやってるジャズバンドが妙に慣れてて上手くて、街の広場にマッチしてるところや、お客さんが音に乗るってことを自然に楽しんでるという層の厚み。「音楽の街」とはこういうことかというのを具現化していました。
合間にあちこちで行われるダンスショーを観たり、つみれ汁を食べたり……。いやあ、久々だったけどやっぱりヤミ市いいですね。なんかね、ただ屋台が出るって感じじゃなくて、演者も含めて「普通の商店街の別の顔が出てくる」って感じがあるし、狭いところに人がひしめき合っているのをみんなでやりくりしていく様子がいいんです。ライブは大通りに面しているから、客がはみ出すと交通の邪魔なんですけど、それを整理しつつ成立してる。そういう迷惑かけ合いつつ、行うもんですよね。祭りって。もっとふらっと行くべきだな。