ホンのつまみぐい

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秋葉原ゴヨウマツでバラちらし

秋葉原の居酒屋ゴヨウマツの昼の海鮮がほんとに正しい。

行くと刺身定食ばかり食べてしまって他のものに手が届かないのが唯一の弱点。

昼の定食でもいちいち皮をあぶってくれるのがすごくないですか。最大でも1食千円なんだけど、値段は手間に見合ってるんでしょうか。

 板さん(たぶん店主でもある)、唯一の店員であるおかみさんに対して、語調がきつくてちょっとビビるけど、お互いの間に信頼関係はあるみたいなので、まあ。あと、夜に行くと材料なしのための品切れ多くて「おいっ」って思うんだけど、それもまあ。

そして下の写真は某日のランチ、バラちらし千円なり。

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お刺身定食の時と違い、口に入れた時に気持ちがいいようなブロックサイズの海鮮。刺身は冷たすぎず、酢飯は熱すぎずで口当たりもいいです。魚はもちろんだけど、イカが柔らかくてうめー。

しかし、このちらしの最大のアイデアはかんぴょうが敷いてあること!

上品な甘さのかんぴょうと醤油の塩気が混じるのが最高。

ちくわ揚げにはチーズが入っているし、ほんと規格外のバリューです。

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いちょう団地祭りに行ってきた

10月6日の土曜日、横浜市大和市にまたがる巨大な団地、いちょう団地のお祭りに行ってきた。

この団地には昔仕事でお世話になったTさんご家族が住んでいて、ご自宅にお邪魔したことがあった。

その時にTさんが「いちょう団地に住むと決めたきっかけは団地のお祭りだったんですよ」と話してくれて、一度行ってみたかったのだ。

 

いちょう団地は1980年、大和市ベトナムカンボジアラオスからのインドシナ難民のため定住支援施設「大和定住促進センター」が開設されたことをきっかけに、さまざまな国の人が住む団地になっている。だから、お祭りの屋台も国際色豊かだと聞いていた。

 

いずみ野駅から遠くて、一時間に3本くらいしかバスが来ない。初めて行った時は何となく歩いて行って、30分以上かかったことを思い出す。途中の畑の直売所でバカでかいズッキーニを買ったのがいい思い出だった。この日はバスで。

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到着してカラオケ用のでかいやぐらを通り過ぎると、焼き鳥と焼きそば、バザー品中心の日本人屋台の奥にカンボジアベトナム、タイ、中国料理の屋台が。

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必死で食べていたので写真が少ない……。

いわゆる日本向けに洗練されたお店では味わえない酸っぱさや甘さが強烈で食べていて楽しかった。

値段はだいたい一皿500円で、「お買い得!」ではないけど、固めの豆腐を煮含めたものとか、モツの炒め物とか、かなりすっぱめのトムヤムクンとか、いちいち刺激的。

バインミーのパンがいわゆるフランスパンともちょっと違う独特のバリサク感でめちゃくちゃよかった。バインミー自体は探せば食べられるところがたくさんあるけど、あのパンの歯ごたえのバランスみたいのはあんまりなさそうだなあ。

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お世話になったTさんはマッサージの店とおもちゃのお店を出していた。

お子さんがプラ板で作ったキーチェーンと、いちょう団地の写真を入れたキーホルダー。それから、紙のお面や古着。どこかで仕入れて来たらしいピカピカ光るアクセサリーや、バクチクがパンパンなる子ども向けの拳銃なんかを売っていた。

お子さん作のキーチェーンはお小遣いになるとのことで、ひとつ100円で購入。

バクチク拳銃は団地で流行っているようで、あちこちからパーン!パーン!という音が聴こえていた。

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いちょう団地の手作りキーホルダーは、小学校か塾か不明だが、とにかく生徒らしき子どもたちを従えた男性と、その生徒の1人で、ちょっと前まで団地に住んでいたという女の子が買っていくのを見届けた。

南米ツールっぽい彫りの深い顔の女の子が、真剣な顔で「私この前までここに住んでた」と言いながらキーホルダーを買っていくのも、生徒に促されながらお金を出した男性が「千円札使っちゃうんだ!」と言われてるのなんだかよかった。

Tさんご夫妻は人望があるのでいろんな人が訪れていた。

暗くなってからTさんのお子さんとお友達のお子さんの女の子2人が懸命に店番をはじめ、「安いですー」「そうでもないですー」と叫び始めた。

それを見て、遊びに来たバンドマンのSくんが、「安いの?高いのどっちなの?」と聞きながら、本当にニコニコした顔で「高いですー。すごく高いですー」と合いの手を入れていて笑ってしまった。

勝手にスピーカーを設置してレイブするカンボジア人がいたり、野良ライブが行われたりしていて、なかなかカオスだった。

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Tさんは踊るカンボジア人に「最近日本ダメだ!前はよかったのに。お前らががんばれ」と言われたらしい。がんばります……。

セクシーなギャルがてっぺんに乗ったお神輿の通過を見届けて帰った。

翌日は子どもたちのダンスやカンボジアのウエディングファッションショー、中国語のカラオケ、ラオスカンボジアベトナムの踊りなどや、炭坑節が行われたらしい。

 

最後の写真はTさんがyoutubeで作った東南アジア各国のプレイリスト。f:id:hontuma4262:20181021021119j:image

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トムズボックスの作ってきた本たち展@gallery福果


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絵本編集者で、トムズボックスという小さな子どもの本専門店を運営していた土井章史さんが、トムズボックス名義で発行していた本の展示。

土井さんが編集した子どもの本かと思ったけど、土井さんが編集した絵本作家たちの私家版の展示だった。

ちょっとあてが外れたけど、多くの作家たちが子ども向けでは見せない不親切な筆致を本の中に残していてそれはそれで刺激的だった。懐かしい言葉でいうと、「ガロっぽい」本ばかり。実際、田中大八や西岡兄弟など青林工藝舎の作家の本もあった。

 

飯野和好藤沢周の新聞連載に寄稿したイラスト集が「飯野和好は青年をこんなに官能的に描けるのか」という意味で印象に残った。

 

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土井さんご本人がいらしていたので、本当は応援の気持ちも込めて声をかけたかったのだけど、いい感じの言葉が思い浮かばないまま去られてしまって残念だった。井口真吾の「Zちゃん」のピンバッジを買って帰った。

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www.ehonnavi.net

インターネットの悪口は現実で

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 楽しみに読んでいたcakesの連載『「青い芝」の戦い』が終わった。

 「青い芝の会」は脳性マヒ者による運動団体で、連載は学生時代に実際に活動の手伝いをしていた荒井裕樹さんと九龍ジョーによる対談だった。

cakes.mu

 過激ともいわれる闘争を、なぜ当事者が展開したかをわかりやすく語りながら、自分はどう関わるべきかについても言葉にしていて、とてもよかった。

 最終回は「『怒り』の共有で、理不尽な現実は変えられる」というタイトルで、

荒井 相模原の事件が起きた直後は、「池田小事件」(2001年)のことも参照されて、精神障害の人たちに対する偏見や取り締まりが厳しくなるとみんな考えていた。だからぼくも、某誌の緊急特集号に「これは冷静に考えなければならない」と書いたんです。

でも、冷静に考えられてしまう自分ってなんなんだろう。だって、19人も殺されて、20人以上がけがをしている。取り乱して、怒っていい事件のはずなのに。社会全体もわりと冷静でしたよね。でもそれって「この社会には、殺されても特に気にならない特定の人たちがいる」ということになってしまう。そのおぞましさに気が付いて、冷静でいてしまった自分に愕然としました。

もちろん、身勝手な理屈でとんでもないことをした犯人への怒りはあります。でも、それだけじゃなくて、これだけの障害者が殺されたこと、尊厳が傷つけられたことに対しても、もっと怒らないと。

 

荒井 安保法制のデモがあったときに、よく知っているジャーナリストが「過激な運動じゃなにも変わらない。対案を提示した方がいい」といった主旨のコメントを出していて、それはちがうぞとおもったんです。怒りは怒りで示してもよいはずです。

九龍 そうです。それに怒りを表現するための方法だって、歴史的な蓄積がある。青い芝だってその一つですし、沖縄の阿波根昌鴻のような非暴力の闘い方に学んだっていい。個人の「怒り」という原点に寄り添わずして、一足飛びに社会工学的に問題を解決しようという発想は、けっきょくのところ既得権益のある人間の都合のいいようにしかならない。

  という言葉に「ほんとそう!」と思った。

cakes.mu

 ただ、一方で、日常ではSNSでも現実でも「怒り」が「しょうもない悪口合戦」に転嫁されている。「社会をよくしよう」とするための発言なのに、ただの揚げ足取り合戦になってしまうなら、結果的に「怒り」の方が薄まっちゃってない?

 こんなことを書くのも、私自身がここのところ毎日キレそうになってツイートを止めるの繰り返しだったからだ。

「ここで怒りを含んだ嫌味を書けば拡散されてちょっとすっきりするだろうけど、それ意味あんのかよ……」

 で、まあ、「たぶん、あんまない」と結論は出ている。

 しかし、ネットを見るたび嫌いなやつとかムカつく事柄に対するイライラは溜まるので健康に悪い。悪口言いたい。めっちゃ言いたい。しかし、言えない。これがここ数か月の現状だった。

 しかし、そんな状態に対する対抗策があった。

 それは、「リアルで悪口を言うこと」だ。

 争いを避けるために詳細は書かないけど、私が「〇〇(人名)のツイートがほんとにうざくて……」と一緒にご飯を食べてた友人に言うと、「私その人知らなかったんだけど、〇〇なんだね!〇〇なんて一番人としてダメな人種じゃん!関わっちゃだめだよー」とすかさず言ってくれて爆笑した。

 気心が知れるというのはこういうことだな……。

 友人は「インターネットの悪口をインターネットでやっちゃダメだよ!インターネットの悪口は現実でやらないと」と言った。

 ほんとそう。心がけたい。

 ちなみに、あとで「悪口言ってる〇〇さんってめちゃくちゃ笑顔で輝いてますよね!」って言われた。

 わかる。自分の顔は見えないけど、終わった後の明るくてキラキラした気持ち、忘れられない……。あと、私はわりとブレーキかけてしゃべってしまうけど、悪口ってアクセルちゃんと踏んでるから、言葉に強度みたいなのもあったし。

 まあ、しかしそれも私の悪意を受け止めて、笑いながら打ち返してくれる友人あってこそなので、「ともだちだいじに」というのを心の底から実感した。ほんと、日常大事大事。

 しかし、リアルで悪口を言う友達がいない人のためにも、インターネットにももっと多様性のある優しい場所であってほしいし、そうなるように考えたいよね。

一ミクロンの背伸びも無いO'CHAWANZ「EPISODE V」は、等身大であることの健やかさに満ちたガールズラップの名盤

 ちょっと前の話ですが、O'CHAWANZ・彼女のサーブ&レシーブ合同リリースイベント「ゴルフ vs テニス」@dues新宿行ってました。O'CHAWANZ、彼女のサーブ&レシーブ、WEST SIDE PRINT CLUBのライブに長めのMC。すごくゆるかった……。

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 ゆるすぎて合間のMCとか全部忘れましたが、元963のやーぷんことせるふちゃいなしすてむのWEST SIDE PRINT CLUB衣裳がかわいくてよかったです。あと、じゅしょあんぬちゃんがMCうまかった。聡明。メンバーみんなと握手できて、南波一海さんの解説が入った冊子(1500円は高い)買えてよかったです。

 O'CHAWANZ、彼女のサーブ&レシーブのどちらも「売れたい!」とか、「この曲を届けたい!」ということに対する野心があんまり感じられなくて、それがゆえの気楽さがあります。そのせいか、お客さんの年齢も高くて慰労の場って感じでした。売れなくてボロボロになってくアイドルとかもう見るのつらいものね……。

 まあ、それはともかくO'CHAWANZのアルバム「EPISODE V」は名盤だと思っておりまして、今年のラップアイドルのCDで一番好きかもしれません。

 メンバーが書いてる歌詞がいいんですよね。

GANG GANG GANG

GANG GANG GANG

GANG GANG GANG オトナにならない

いいとこ取りで生きていく今日も

少女のまま あの日のまま

MeNotHoldOnSheLies Pt.1

MeNotHoldOnSheLies Pt.1

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

いやだ もーいやだー どうしてこうなっちゃうの

いやだ あーいやだー ちょっとした事ねぇきいて

そりゃね笑っちゃいけないわかってる

たのしくかわいくいきてたいの

うまくいくから笑っちゃお

だからくだらないなんていわないで

イヤダ

イヤダ

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 こんなに等身大という言葉が似合うラップアイドル、本当に今までいないっすよ! 言葉がどれひとつ歌い手の存在を追い越していなくて、それが素朴なあたたかさに結びついている。

 なんでしょうね。「こういう感じで放課後に友達とおしゃべりしたことがあったな」と思わせるような曲、でしょうか。

 「ナレソメハfeat.M.A.T」なんかは美少女が眼鏡の少年を奪い合うという、80年代から続く少女マンガの典型みたいなストーリーで、死ぬほどたわいないけど、何だか机の中にしまっていた子供の頃のノートの中身みたいな懐かしさを感じてしまって、歌ってる子たちのことを好きになっちゃうんですよね。

 みんなが好きじゃなくてかまわないけれど、気心知れた友達に聴いてもらって、「いい」って言ってもらったらうれしいような。

 で、徹底してピコピコ軽めのファンクで押すのかと思ったら、GOLBY SOUNDの音は今風の音で。なのに乗ってるのはアニメ声って呼ばれがちな高めの声なんですよ。「ナレソメハfeat.M.A.T」とか、

これが↓

www.youtube.com

 これですよ↓

ナレソメハ (feat. MAT)

ナレソメハ (feat. MAT)

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 で、これが↓

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 これですから↓

イイタビユメキブン (Ver.1.3)

イイタビユメキブン (Ver.1.3)

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 MeNotHoldOnSheLiesもラップの乗せ方が4者4様で聴き応えあるし、音楽としてちゃんとワクワクできる内容になってます。

 あと、ストリーミングとCDではskitの中身が違うのですが、ストリーミングに入ってるしゅがしゅららちゃんの「夏の話」がめちゃくちゃ好き。

夏の話 (skit)

夏の話 (skit)

  • O'CHAWANZ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

EPISODE V

EPISODE V

 

 

早朝のNHKで放送されていた「こころの時代~『個』として生きる」を観た

 ECDが特集されるというので「こころの時代~『個』として生きる」というドキュメンタリーを観た。

 

 普段は宗教家や哲学者に話をうかがう番組らしい。過去の放送内容を見る限り、亡くなって1年経ってないラッパーを特集するというのは異例のことに思える。

 

 番組は、自身もDJでBBOYという若いディレクターがECDの周辺を追う形で進行していた。

 

 気になったことがあった。この番組ではECDの社会運動……デモへの参加や曲での意見表明を取り上げていない。たとえば、冒頭のロンリーガールの映像は、youtubeでは「ロンリーガール聞きたいか。選挙行かなきゃやらないぞ」という言葉が残されているが、その部分はカットされている。

 

 これが政権に対するNHKの忖度なのか、それとも番組のテーマを考えた上で、あえて取捨したのかはわからない。

 

 ネット上にもさまざまな声があり、番組の傾向を考慮した上で「これでいい」とする人もいれば、「これでは本質を捉えられない」と悲しむ人もいた。

 

 番組に対する意見は、それぞれのECDとの関わりによって変わってくるはずだ。私は彼の活動を網羅的に把握できているわけではなく、その思いの蓄積は、初期からその姿を見ていた人や、かつてデモで彼の背中を追いかけていた人たちに比べるとはるかに軽い。それを自覚した上で、やっぱりこの番組は社会運動に参加する姿を入れるべきだったと言い切りたい。

 

 番組は著作から引用した言葉をリードに、少年時代から死までの出来事を時系列で紹介し、関係者の証言を散りばめていく構成だった。生真面目な作り方で、早朝の宗教番組を観るような人にECDを嘘なく伝えたいという気負いを感じた。

 

 でも、ECDと家族の関係は、著書からの引用と妻の植本一子へのインタビューだけで説明できるようなものではなく、そのズレや不穏さのようなものは映像の中にも残っている。ディレクターと植本一子の「個」に対する意見のズレは「ECDと個」という見立てをむしろわかりにくくさせていて、それが生々しい力強さを与えている。

 

 社会運動への参加は、番組の流れの中ではわかりやすく説明するのが難しいトピックだろうとは思う。個であろうとする人が、いかに社会と関わったか。簡単に取り扱えない部分だから、あえて外してあるという言い方は出来るだろう。

 

 でも、番組内で説明しきれないものが、ただゴロッと映る時間があってもよかったんじゃないか。人が人に惹かれる理由は、あるいは文化を求めてしまう理由は、その「わからなさ」にこそあるんじゃないだろうか。そして、ドキュメンタリーの強みって、そういう説明しきれなさを記録として残せるところにあるんじゃないだろうか。

 

 「こころの時代」という枠では続編は難しいのかもしれないけど、いつかこのドキュメンタリーの続きが欲しい。いや、誰かに期待するのではなく、続きは自分たちで作らなくてはいけないのかもしれない。

 

 その場所が、映画館か、SNSか、雑誌か、動画サイトかはわからないが。

 

 番組を観ながら、ECDの、強い言葉を発していても、個人的なことを語っていても、どこか物語を朗読しているような歌い方がとても好きだと改めて思った。

 

www.youtube.com 

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他人の始まり 因果の終わり

他人の始まり 因果の終わり

 

 

降伏の記録

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21世紀のECD

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