ホンのつまみぐい

誤字脱字・事実誤認など遠慮なくご指摘ください。

「Eggs 夜明けなんて見たくない」ジェリー・スピネッリ

 何らかの理由で崖っぷちにいる孤独な子供が、崖から離れて歩きだせるようになるという、スピネッリがこれまで繰り返し書いてきた話のひとつ。

 母親を事故で亡くした悲しみから立ち直れない少年ジャネット。子育てを半ば放棄して占い師のまねごとをしている母親を恥ずかしく思い、ワンボックスカーで生活しているプリムローズのふたりが主人公だ。
 9歳のジャネットは自分にいくつものルールを課して、それを守ることで母親が戻ってくると信じ込もうとしている。14歳のプリムローズは、クラーク・ゲーブルの写真を母と自分を捨てた父と思い込み、大切に保管している。
 ふたりは日々のくだらない遊びの中で、時にお互いの神経を逆なでしながら、結果的に自分たちの抱える悲しみと向き合うことになる。
 ストーリーはこの著者にしてはストレートで、結末も含めて正直物足りなく感じた。
 ただ、大型スーパーで働いていて週末しか会えない息子に会えないジャネットの父親や、町のはずれでがらくたをならべてフリーマーケットを行うプリムローズ。そして、プリムローズと同じ通りの廃屋に住む少し片足の短い男・冷蔵庫ジョンの存在は、社会階層を強く意識させるもので、その風景の描き方に少し冷や汗が出た。
 
 階級や階層 ー つまり ー 「生まれた場所によって生き方が否応なしに定められてしまう現実」のこと。本作では、階層を嘆く描写はもちろん、それらを乗り越える描写などないまま、ただそういう場所で生きている人たちが書かれ、物語が終わる。今の日本の児童文学が基本的に中産階級をベースにした生活感で物語を書いていることを思うと、こうした形で貧しさと共にあることが当然のこととして出てくる物語は少し衝撃だった。もちろん、日本にもそういった世界を書いた作品はあるのだけど、もう少し問題意識をにじませた形で出てくるような気がする。
 
 余談だけれど、スピネッリをマンガ化するなら絶対に故・三原順だと思う。屁理屈言うガキとユーモアやペーソスに満ちた大人という作品世界は絶対ハマるはずだ。
Eggs―夜明けなんて見たくない

Eggs―夜明けなんて見たくない

 

 

「まだ中居くんが何も言ってない」SMAPの培った信頼

 SMAPの件に関しては、「あのSMAPですらこんな地下アイドルみたいなことに巻き込まれるのか」というショックが強く、特に彼らのファンでもないのにとてもがっくりした。

 女の子地下アイドルのオタクにとってはSMAPは夢だ。

 40歳過ぎてもアイドルでいられる。それぞれがいろいろな仕事に挑戦できる。ホームとしてグループがある。アイドルはいつか辞めなくてはいけないものという固定観念をゆるやかに覆し続けてくれた。それがこんな大人の事情という名の幼稚なわがままで崩壊してしまうのは本当に許しがたいことだ。

 細かいこととこれからについては置いて、私が今回の件で感動したのは、オタクの人たちの中居正広に対する信頼の強さだった。

 アイドルはその一挙一動を監視され、消費されるお仕事である。そのこと自体の善し悪しについては今は議論しないが、今現在そういうものである以上、そういうファンの目線を味方に付けるのもアイドルの仕事のひとつに含まれる。

 身の回りにSMAP好きがいるわけではないから、Twitterしか知るツールはないけれど、中居くんがファンから受けている信頼の厚さは尋常ではない。

 「まだ中居くんが何も言ってない」という言葉で結束するファンの姿は、客観的に見れば盲目的なのだろう。しかし、それは盲目になるほど信頼されていると言うこと、ファンの前で信頼を得られるようなふるまいをしてきたということだ。

 「どんな報道がされようと中居くんの言葉を信じる」と言って待ってくれるファンが山ほどいる。それが、本当に、本当にどれだけ難しいことか。ただSMAPファンの母数が多いという理由ではこうはならない。

 そうしたファンの言葉だけ見ていても、SMAPがどれだけ一流のアイドルだったかがよくわかる。

 これからSMAPがどうなるかはわからないけれど、ファンにはたとえこれから形が変わってしまったとしても、この人たちを応援できたことを誇って欲しいと心から思う。

 

世界に一つだけの花

世界に一つだけの花

 

 

 

中居正広という生き方

中居正広という生き方

 

 これも読んでみたくなりました。

新春特別展 みなもと太郎の「風雲児たち」展~漫画でみる幕末

 
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歴史マンガには「何があった」ではなく、「何があったことによってどうなった」の連鎖を求める。これが出来ていない作品は歴史マンガではなく、伝記マンガ・時代マンガだ。

風雲児たちは、関ヶ原の合戦から始まり幕末まで続く、長大な連鎖のマンガ化に挑戦している現在進行形の歴史マンガである。
 
作者のみなもと太郎ギャグマンガ家として名を馳せたベテランマンガ家だ。本作はギャグによって、マンガとしての身軽さを保ちつつ、長大な歴史の流れとともに、その濁流に翻弄されながらも、それぞれの立場を生きていく人々を描いている。
 
そんな本作の原画展が深川江戸資料館で行われると聞いて、連休初日に友人と足を運ぶ。
 
会場である資料館は江戸の長屋を完全再現した施設。引き出しを開けてもいいし、小物でごっこ遊びしてもいいしのエンタメ空間で、友人と湧く。
 
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原画展の会場はその奥の公民館のスペースのようなところで、とても手作り感溢れる場所だった。キャプションが100均のカードケースに入っているし、会場には資料館に遊びに来たついでに寄る子供達のための塗り絵が用意されているのだ。アットホーム。観光に来たらしいおばあさま方が会場に置いてある塗り絵を囲んで「お孫さんに」「ボケ防止に」という会話を交わしていた。
 
会場は風雲児たちの原画・複製原画のほかに、作者自らが発行した同人誌、成人コミックを含めた過去作品、手塚治虫文化賞受賞時の写真に関係者からのお祝いの色紙が。
 
複製原画と原画を何の表記もなく混ぜていたり、解説が薄かったりといくつか気になる点はあったけれど、ほのぼのとした空気はそれはそれで楽しかった。
 
原画は修正の少なさと、線の意外な繊細さが印象的。基本的にギャグマンガの文法で描かれているのに、時折映画的文法のコマ割りが入る手法が、歴史を描く上で大きな武器になっているのだなと実感。マンガ的に戯画化された人物とリアルな背景のごった煮は日本のマンガ独特のものらしいけど、みなもとマンガはこれを本当によく活かしている。マンガらしいマンガと言われて私が思い浮かべる作品のひとつだ。
 
吉田松陰が「私は人のために自分を投げ打つことができるんだ……」と言いながら佇むページの原画は、松陰の表情のヤバさが読み取れて素晴らしかった。あまり指摘されていないけれど、あの単純な描線で心の機微を描ける先生の力はやはり尋常ではないと思う。「オープンセットのような江戸の町へ…」というセリフで通りにたたずむ前野良沢を選ぶセンスに笑った。まさにすぐ横は時代劇のセットのような江戸なのだ。しかし、田沼意知が殺されるところの原画も見たかった……。
 
明日までなのが残念だけど、興味のある方にはぜひにとおすすめしたい。

あ、風雲児たち完結にはあと13年かかるそうです。

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風雲児たち (1) (SPコミックス)

風雲児たち (1) (SPコミックス)

 

 

 

風雲児たち全20巻 完結セット (SPコミックス)

風雲児たち全20巻 完結セット (SPコミックス)

 

 

 

 

風雲児たち 幕末編1 (SPコミックス)

風雲児たち 幕末編1 (SPコミックス)

 

 

 

 

ベット・イン「C調び~なす! / ZIG ZAG ハートブレイク」発売記念イベント~ミニおギグ & 写ルンです会 タワヨコ編12月17日

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早めに来たら私服のふたりが会場前を歩いていて、なにか「ヤベッ」と思う。私服もミニスカでした。

羽扇子を持って、例のセクシーコスチュームで登場。途端に香水の匂いが充満するのがさすが。
 
タワーレコード横ハメ店」「ベッド・インのチングル発売のミニおギグ」などの言葉を散りばめたパブリックイメージ通りのMCでした。
 
ちゃんまいがサバサバしたボーイッシュな雰囲気で、かおりさんが優しげで気い使いな感じなのが個人的なイメージと違って「おお!」と思いました。
 
ファンは年齢も性別もいろいろで、どういうグループのおっかけか聞かれてもわからないだろうな。女の子はおとなしそうな子やヴィレバンにいそうな子が多かった。当然ながら、ジュリアナが似合いそうな子はいませんでした。いちもつに見えると評判の岩下の新生姜ペンライトがたくさん振られていて、まあ、たしかにぴったりなんだけどちょっとベタすぎる恥ずかしさも。
 
MC長めで2曲だけだったのがちょっと残念。ちゃんまいの攻撃的なギターもう少し聞きたかった。


BAZLIVE!!! ベッド・イン 「♂×♀×ポーカーゲーム」

 

C調び~なす! / ZIG ZAG ハートブレイク

C調び~なす! / ZIG ZAG ハートブレイク

 

 

 
 

恐るべきツインテール・10代美少女ユニット生ハムと焼うどん@ニコニコ本社フリーライブ

生ハムと焼うどん写真集 photograph collection and DVD vol.1

生ハムと焼うどん写真集 photograph collection and DVD vol.1

 

 

ツインテール美少女がちびまる子ちゃんのワンピースにちょっと気を利かせたようなちんちくりんな衣装でステージの上を行き来する「生ハムと焼うどん」。
 
「セルフプロデュースJKユニット!」ながら3月に赤坂BLITZでのライブを決めたと聞き、予習がてらに無銭ライブを観に行きました。
 
池袋のニコニコ本社に15分前に到着。すでに階段に人があふれていて、100以上の整理券が出ていました。時間ギリギリに着いたため、最後方で観ることになったけれど、あちこちにモニターがあるので、不自由はありませんでした。
 
きれいに筋肉のついた長い手足の美少女がステージの中央に立ち、「ついてるついてるツインテール!」という歌詞を連呼するアンバランスな曲を歌い出す。
 
と思うと、いきなり歌を止めて嘆き出し、寸劇が始まります。
 
劇の内容は大したことではなく、ついでに合間に繰り出されるギャグも大したことではない。「ツインテール」の連呼からフランシスコ・ザビエルのお面をかぶって「ザビエルザビエル」と歌いだしたり、「うんことかダメだよ!うんぴょって呼ぼう!」と叫んだり。高校演劇の練習中のエチュードみたいな、特に特化したところのないギャグなのですが、なぜか笑える。
 
このグループの特徴はオタいじり、客いじりと言われていますが、オタの人も協力する気はあっても、ほかのアイドル現場にありがちな「自分らが場を盛り上げなくては!」という過剰な使命感を持ってない。だから、オタクをいじっても特に面白いリアクションは返ってこないのだけど、それでも面白い。
 
以前誰かが「ギャグというのは基本緊張と弛緩」と話していましたが、生ハムと焼うどんのふたりはとにかくこの緊張と弛緩がうまい。だから、話していることがたわいなくても面白い。でも、お笑い芸人とは違ってアイドルらしいハツラツとした空気をまとっていて、それが見ているこちらの気持ちを盛り上げてくれる。
 
この日はライブは2曲で終わり。その後に椅子とりゲームでマグカップと帽子とTシャツを奪い合うというオタクを巻き込んだ長尺のMCをやっていましたが、その客捌きと空気作りの見事さはもはやアイドルと言うより手品師や大道芸人のようでした。
 
ふたりとも芸能系の学校に通っているそうで、劇団での演技経験もあるとか。
 
インタビューで
 
東 普通のアイドルさんって、曲をやって「(鼻にかかった声色で)え~、私たちぃ~○○はぁ~、何月何日にぃ~、どこどこでライヴがあります! イエイ!」みたいなMCして…って構成がほとんどじゃないですか。

西井 悪意はないですよ。忠実に再現しているだけで。

東 そうそう。でも、そういうMCって記憶に残らないじゃないですか。

西井 アイドルグループをやってるときから思ってたんですけど、そういうMCって退屈なんですよ。
 

 

と話していましたが、それがただのいきがりでないことは、ライブともコントともつかないステージが証明していました。
 
西井  だから練習をしないとこわいんですよ。練習すればするほど舞台上でゆとりが生まれるし、反応を見て変えることもできるから。

東  余裕があれば、ほかのことも考えられるんだよね。ここでウケたらAパターン、しらけたらBパターンって、複数の進行を考えたりしてます。

西井  特に生うどんは客いじりが多いから、お客さんがどう返してくるかわからないんですよ。なにも反応してくれない可能性だってあるし。

東  だから、アドリブに見えても実はなんパターンもシミュレーションをして、その中から状況に応じて答えを選ぶときもあるんです。もちろん、完全にアドリブのときもありますけど。

 

NHKの0655的なものに出られるんじゃないかという強度とゆるさ。 そして、ガニ股でマンガのキャラのようにステージを闊歩してるのに、降りるとむしろ大人っぽい感じの美少女というビジュアルインパクトがすごい!
 
この日の会場は客200人でちょうどいいくらいの規模でしたが、ワンマン会場の赤坂BLITZは規模感が全く違うので、新しい側面を見せてくれそう。すごい子たちだなと思いました。
 
西井  私、人間が一番輝いてるのって10代だと思うんです。その時期に人に認めてもらうのって、かっこよくないですか?

東  うん。あとは「現役高校生の」ではなく「東と西井の」生ハムと焼うどんとして認められたいという気持ちも強いです。いま、生うどんにかける時間が多すぎて、出席日数がヤバいんですけど、なんでここまで生うどんに時間をかけるかって言ったら、やっぱりライブのあとに「ホントに楽しかった」って言ってくれる食いしん坊の顔が好きだからなんですよ。

 

POP「Happy Lucky Kirakira Lucky」インストアイベント@タワーレコード錦糸町店

カミヤサキ100kmマラソンに挑戦。24時間以内に走りきれなければ脱退」の報を聞いた時は、「何番煎じだ!」というイライラが先に立ちました。

そして、本人が言い出したのか、運営の決定なのかわからないけれど、いずれにしろエゴイスティックな企画だとも。たとえ運営の命令だとしても、これは断ってほしかった。ファンのために。そして、集まってくれた4人のメンバーのために。

とはいえ、CDは買ってるけどライブは無銭しか行ってないオタクがあれこれ言うのもと思い、モヤモヤした気分を抱えながら11月を過ごしていました。「失敗して本当に脱退なんてことになったらどうしよう」という心配を、少し和らげてくれたのは柳澤健の「1985年のクラッシュ・ギャルズ」でした。男性ファンのみならず、多くの女の子を魅了した女子プロレス界の伝説的ユニット「クラッシュ・ギャルズ」。当事者である長与千種ライオネス飛鳥に加え、当時の少女(今は編集者として活躍中)の人生を軸に彼女たちの生き様を綴ったノンフィクションです。

一世を風靡したふたりですが、大ブレイクの後も、その道のりは決して平坦なものではありません。ライオネス飛鳥は芸能界で出来た友人に騙され、長与千種は自身の理想を集結させたGAIAJAPANを畳みます。

それでも、「巧いけど面白くない」と言われたライオネス飛鳥はヒールになることでエンタメとしてのプロレスの奥深さを知り、レスラーとして生まれ変わったし、長与千種は今また新しい団体を立ち上げてリングに立っている。

人生は長いのだから、たとえカミヤサキちゃんがアイドルとして成功出来なくても人生そのものが終わるわけじゃないし、つまんない企画だとしてもそれが彼女の不器用な生き様そのものなんだからしょうがないじゃない。

そんな開き直りを得て、12月4日から5日かけてのマラソンをインターネット上でひっそり見守りました。 結果は22時間でゴール。 終了後に、これがサキちゃん本人とマネージャーの小川くんの企画だと明かされ、カミヤサキはまっすぐで誠実だけど、やっぱりエゴイストだなと思いました。 でも、そもそも

誰もが傷つかない星なんてつまらないでしょ たとえ嘘だらけの汚い世界でも

 -letter-

という歌詞を書く子だし、エゴイズムのないアイドルに人を牽引する力はないし。もうやってほしくないけど、とりあえず彼女らしいケリのつけ方であることには間違いないので、それについていくかどうかなのかもしれない。

そういえば今回も90km以上の距離を併走した人がいたそうで、その人たちの律儀さに打たれました。私は併走したり、CDを大量に購入したりはできないし、する気もないけど今の距離で見ていって、たまにライブに行くのがベストなんだと思います。


letter / プラニメ 2015.5.31 高松モンスター

さておき、とりあえずめでたしめでたしで始まったリリイベ週間、錦糸町のイベントに行ってきました。

タワーレコード錦糸町店は巨大なショッピングモールの中にあり、家族連れのために用意されたフードコートやサンリオショップが「私はなんでいい年してアイドルを追いかけているのだ」という問いを突きつけてきます。

平日の夜、駅から少し歩く大型ショッピングモールはお客さんも少なく、寂しい空気。小さなCDショップに人がぞろぞろ集まる姿はちょっと哀愁のある風景でした。

この日は時間ギリギリにリハーサルで「Who am I」を披露。本編は「lonely lonely lonely」からのスタート。 そのまま短めの自己紹介を挟んで5曲披露。 ちょうど30分で終了でした。

咳が止まらず、マスクのままだったので自主的に盛り上がる元気はなく、ただ見ていただけでしたが、4カ月前とはいろいろ変わったところがありました。

まず、自己紹介を名前だけにし、30分で5曲披露していたこと。(前回は長めの自己紹介に4曲披露) リフト不可になったので全体が見え易くなったこと。 衣装のおかげでメンバーそれぞれの存在が浮き立つようになったこと。 そして、それらの変化に伴い、楽曲とダンスの個性が見え易くなってきたことがあります。

まず感心したのが、ダンスの出来。サキちゃん振付のダンスを初めて観たのはBiSのFlyですが、この振付は正直あまり出来がいいとは思えませんでした。BiSの振付は基本メンバーの作ったもので、時たまミキティー本物さんが振りを付けていました。 当時のダンスの大きな欠点は、移動の際の動きを活かせていないこと。奥行きが意識されていないことにあったと思います。 そのため、500規模くらいの会場ならともかく、1000規模の会場では退屈してしまうことが少なくありませんでした。

POPの振付はシンプルでフリコピしやすい作りだけど、なるべく2対3で奥行きを作るようになっています。 だからこそ、「Who am I」や「Alarm」のサビのような、5人全員が客席側に迫り出してくる場面が活きる。 また、移動の時に両手をあげるようにしているので、どこか子供っぽいがむしゃらさが出ていて、それがグループの空気にあっています。 もちろん、でんぱ組.incyumikoさんや、BELLRING少女ハートのYOKOさん、ZEN THE HOLLYWOODのONDYさんらの振付に比べると素朴なものですが、BiSの頃に感じた素人くさい退屈さは一掃されていました。プラニメの時にプロの振付師についてもらったことが生きているのでしょう。 また、メンバーの表情も以前より曲に合わせたものになっていて、メリハリがついたパフォーマンスになっている。 とてもアイドルとして完成度が高くなっていて、見ていて退屈しないグループになっていました。

新曲の「Happy Lucky Kirakira Lucky」。正直あまりに今のライブアイドル界ではありがちな曲で、しかもBiSからプラニメまでのイメージを裏切るものだったので、PVはあまり見ていませんでした。しかし、ライブで見るとこの5人によく似合っていて、好き嫌いはともかく「アリ」。

「アオちゃんの朝〜!」というシグサワアオちゃん自身の一言の後に始まった「Alarm」はもう少しこれまでの音に寄った切迫感のある曲でしたが、どこかアニソンぽい雰囲気もあって少しずつBiSやプラニメから離れている印象を受けました。

また、この日はアオちゃんのステージ上での自然さが印象的でした。他メンバーがまだ「がんばってパフォーマンスしている」様子があるのに、アオちゃんはちゃんとステージでの自分を楽しんでいる風。 メンバー内で彼女だけスカウトに近い形での加入でしたが、それがわかるような存在感でした。

POPがこれからどうなるかはわかりませんが、またたまに成長を確かめに行きたいし、売れてほしいと思えるリリイベでした。


POP「Happy Lucky Kirakira Lucky」PV


POP(ピオピ) - T-PaletteRecords感謝祭2015

P.O.P

P.O.P

Happy Lucky Kirakira Lucky

Happy Lucky Kirakira Lucky