ホンのつまみぐい

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ストリップ劇場に女性客が増えている理由を探る~憧れと尊敬、客席の信頼関係(2018.12.14 messyに寄稿)

かつて福島に芦ノ牧温泉劇場というストリップ劇場があり、そこでは「潮吹きショー」を披露する中川マリというストリッパーがいた。体調不良で彼女が現役を退くと共に、芦ノ牧温泉劇場もそのまま閉鎖された。2018年6月のことだ。

 2019年2月に、マンガ雑誌『イブニング』(講談社)でストリップレポマンガを連載することが決まっている菜央こりんの制作した同人誌『ストリップ劇場遠征女 サラバ! 福島編』には、閉館直前の芦ノ牧温泉劇場の様子が載っている。

 年配の女性が客席に話しかけながら脱いでいき、最後は潮を吹く。雑談を交えながらおっぱいをさわらせてくれる、タッチショーの時間もある。芦ノ牧温泉劇場でのストリップには、「世間がイメージするストリップ」の形がそのまま残されていた。

 30分ほどのステージの間に客をなごませ、楽しませてくれた温泉街のストリッパーのステージを、菜央こりんは最後に、「どんな場所でも、自分の身体を使って誰かを楽しませている人を見るとなんだか元気になる!」という言葉で表現している。

 そこにはストリッパーをエンターテイナーとして捉え、尊敬する素直な気持ちがにじみ出ている。

 

ストリップの客数は年々増加中


 ところで、私はこれまでの記事で「ストリップに女性客が増えている」と書いてきた。しかし、それは事実なのか。事実だとしたら、いったいどのような過程を経たものなのだろうか。

 15年以上ストリップを観ているという50代男性のHさんは、「そもそも、ここ数年はストリップ全体の客数が増えてきている」という印象を強めているという。Hさんは、指標の一つとして浅草ロック座の大入り報告の増加をあげている。

 浅草ロック座は大入りの日にはTwitterでその旨を報告する。2012~2015年には年に数日だったこの大入りの回数が、2016年は46日、2017年は50日、2018年は11月23日時点で66日と、着実に増加している。

 2016年の大入りについては、恵比寿マスカッツの川上奈々美、上原亜衣が舞台に立ったことが大きな理由の一つとされており、特に上原亜衣の引退公演では20日間全てが大入りになったという。

 また、この公演には上原の女性ファン有志が花輪を出しており、彼女たちも劇場に足を運んでいた。中にはそのままストリップそのもののファンになった人もいるという。

 浅草ロック座の客数のみをストリップ界全体の客数増の証拠には出来ないが、指標の一つにはなるだろう。実際、浅草での鑑賞をきっかけに、お気に入りのストリッパーを追いかけてさまざまな劇場に出向く人は少なくない。

 そして、Hさんによるとトータルの客数だけでなく、その中での女性客の割合もここ数年で明らかに増えているという。ほかにも10年以上ストリップを観ているファンや劇場関係者に話を聞いたが、一様に「ここ数年で増えている」と話してくれた。

 「女性客増加」について引き合いに出される理由は様々だ。「an・an」、「GINZA」(いずれもマガジンハウス)などの女性向けメディアがストリップについて取り上げたことでの露出の増加。第2回で取り上げたBLストリップのブレイク。若林美保に代表されるような、映画、演劇など多様なフィールドで活動する演者が活躍するようになったこと。AV女優がSNSで美容情報などを発信するようになり、モデルやアイドルと同じような「女の子の憧れ」になっていること。

 また、因果関係を証明するのは困難だが、2000年代に劇場の摘発が相次ぎ、いわゆるピンクサービスの提供が縮小したことも要因としては大きいと思われる。ちなみに最後の摘発があったのは2013年1月のTSミュージックだ。

 かつては演目中の自慰行為は当たり前だったというが、今では劇場によっては「自慰行為厳禁」という貼り紙が用意されている。

 こうしたことすべてが複合的に絡み合い、「女性が足を運ぶきっかけ」になっていることは間違いないだろう。しかし、現在ストリップ劇場で起こっている変化に関して語る際に注目したいのは、ストリップにおける「語り」の変化だ。

 

ストリップを巡る言葉の変化


 下の写真はすべてここ数年のうちに頒布された「ストリップ同人誌」だ。

 そして、現役ストリッパー高崎美佳の「女の子向けのスト本作りたい」というツイートに同調したマンガ家・たなかときみ編集の「はじめて・ひとり・女性のためのストリップ観劇ガイドFirst Strip Guide」を除き、制作者は全て女性である。

 そもそも、これまでは女性がストリップを語る場が、公には設けられていなかった。酒井順子『ほのエロ記』(角川文庫/2008)、田房永子『男しか行けない場所に女が行ってきました』(イースト・プレス/2015)のように、男性の場に女性がお邪魔するという形での記述はあり得たが、あくまで見学者として語る向きが強かったと思う。

 正確には、上記の同人誌の中では『脱衣舞』が2010年8月から発行されており、芸能としてのストリップの魅力を語っているし、ブログなどを探すと2000年代にも女性目線のストリップ観劇記は見つかるが、まだまだムーブメントを感じさせるボリュームはなかった。

 しかし、2012頃からいわゆる秘境・珍スポットの一つとして、個人ブログなどを通してストリップが語られる機会が増えてくる。ちなみに、この切り口では金原みわが『さいはて紀行』(シカク出版/2016年)、『日本昭和珍スポット大全』(辰巳出版/2017年)という本の中でストリップの魅力を語っている。

 ここ数年の同人誌ではそうした「秘所に出向く」という要素はさらに薄められていて、それぞれの制作者が「私にとってのストリップの魅力をなんとか形にしてみんなに伝えたい」と力を尽くす傾向にある。そこではストリッパーひとりひとりに対する憧れはもちろん、劇場で一緒になった男性たち、あるいは運営側の人々への共感や敬意、劇場空間の非日常性の魅力などがストレートに綴られている。

 また、もう少し手軽に、SNSで「ストリップ体験」を語る人も増え続けている。Twitterで「ストリップ、レポ」で検索してみよう。メンズストリップと呼ばれる演者が男性のストリップも含め、さまざまなストリップに対するポジティブな反応を目にすることが出来る。インスタグラムのタグでもロック座、ストリップといったタグとともに「行ってみた」レポを挙げる人はもはや少なくない。

 こうした「新しいストリップ語り」が目立つようになったことは、女性客の増加の大きな要因になっているのではないだろうか。

 「語り」の方法が変わったのは客席だけではない。ストリッパー自身も、自分の演目に対するこだわりや、楽屋での過ごし方、仲間との旅行の様子、ストリップへの思いなどをネットを通じて発信するようになった。

 これまでどこか薄暗いイメージをまとっていたストリップだが、そこで踊る女性たちはそれぞれがプライドや愛情を持ってストリップの世界にいる。時には演者の葛藤や業界の理不尽さをこちらが目の当たりにすることもあるが、それも含め、ステージ上の人間が一個人としての輪郭をはっきりさせたことは大きいだろう。

 こうした変化を男性客は、そして劇場側はどう受け止めているのだろうか。

 

開かれる劇場、年齢性別関係なく楽しむスト客


 横浜ロック座は2016年4月、劇場に女性優先席を設置。2017年9月には女性無料興行という10日間の興行を実施。さらに、女性限定で川崎ロック座、横浜ロック座共通スタンプカードを配布している。

 横浜ロック座のこうした施策については、かつてAV監督として一世を風靡した前任社長・松本和彦の発案が大きいという。AV業界には「女性が観ればシェアは倍になる」という意見が以前からあったが、AVではなかなか成果が出なかった。

 男女ともに売れるAVが制作できなかった理由に関し、明確な答えは出ていないが、「男性は脱いでればいいようなところがあるけれど、女性は個人のこだわりが細かく、内容に厳しいからではないか」という指摘があったという。

 一方、ストリップは鑑賞者自身がストリッパーや演目から物語を見いだしていくため、AVほど性差を気にせず楽しめる。このことを踏まえ、「女性客を増やしていくことで業界全体を活気づけられるのではないか」となり、こうした企画が生まれていったそうだ。

 横浜ロック座のスタッフによると、ここ数年で増えたとはいうものの、2年ほど前はまだまだ女性は男性に連れてこられるイレギュラーな存在で、劇場側の受け入れ体制も整っていなかったという。そこで、横浜では女性用のトイレをウォシュレットにしたり、女性優先席を設置したりと、まずは女性を招き入れるための準備を整えた。

 女性無料興行は2017年9月21~30日の10日間行われた。開催時のアンケートには「踊り子さんたちがとてもきれいだった」「女性が観ても楽しめる」など、おおむね好意的な反応が寄せられている。

 また、劇場側は女性が不快な思いをしないかを心配していたというが、劇場の雰囲気や男性客に対しても「マナーが良い」「客との信頼関係があって安心感があった」などと評価されている。

 最終的にはアンケート記載者だけで合計286名の女性が来館。この中から何名リピーターと呼ばれる女性が生まれたかは不明だが、この試みが及ぼした影響は単なる「何名の顧客を獲得できた」といったものにとどまらないと思う。

 なぜならこれは「ストリップ劇場は女性を歓迎している」という宣言ととらえることが出来るからだ。劇場側には「果たしてこの試みが男性に受け入れてもらえるだろうか」という懸念もあったそうだが、実施してみると賛同者も多かったという。

 実際、取材中に話を聞くと「せっかくなんだから端っこで観てないで、前の方で一緒に楽しめばいいのになんて思うこともある」「男女問わず同じストリップを応援する仲間だと思っている」「男がストリップの話をするエロ話と思われがちなので、むしろ女性が広めてくれることによって芸能としての魅力が伝わりやすい」と、好意的な声を聞くことが多い。

 また、川崎ロック座社長は前述の同人誌『First Strip Guide』内のインタビューで「昔はもっと過激な男性に男性にと向けたサービスもあったけど、僕はそれが衰退に繋がったように思う。『男だけの世界』という考えは足かせでしかなく、男性で女性に来てほしくない方がいたら、それはストリップに入ることに後ろめたさがあるんではないですかね。後ろめたいから良いという方もいるでしょうが、女性が増えて気兼ねなく入ることで、後ろめたい場所という感覚がなくなるんじゃないかなと思います」と話している。

 こうした意見は、ストリップが今もってなお「斜陽産業」であり、「なんとかこの文化を残していきたい」と願う人々が多いことも大きく影響しているだろう。風営法により、ストリップ劇場の新設には高いハードルが課せられ、実質的に不可能な状態となっている。

 「現行の劇場をなんとか残していきたい」あるいは「一人でも多くの人にストリップを観てほしい」という気持ちは、多くのストリップに関わる人々に共通しているだろう。前述した同人誌も、ストリップという文化を何らかの形で記録しておきたいという意思が含まれているはずだ。

すでに劇場では、40~60代と思われる男性客と、まだ20代であろう女性客がいちストリップ客同士として談笑する姿はすでに珍しくない。

 たとえば、第1回に登場したSさんには「リボンさん」の師匠がいる。「リボンさん」というのは手の中につかんだ8~9個のリボンを、ダンスやポージングのタイミングで投げて舞台に花を添えるファンのこと。

 リボンさんは時にきまぐれなストリッパーの動きを読みながらリボンを投げる。また、プロレスの紙テープと違い、投げたリボンを床に落としたり、ほかの客に当てたりしないよう、つかんだリボンを素早く引き上げなくてはいけない。劇場の大きさによってリボンの長さを変えたり、どの場所から投げれば機材にかからないかを計算したりと、把握しなくてはいけないことが多いのだ。

 Sさんは「リボンさんをやろうと思っている」と周囲に話したところ、人づてに師匠を紹介されたという。

 「開場前に練習して投げ方や持ち方を教えてもらっているんですけど、まだまだですね。今はバラバラになってしまうので、師匠みたいにふんわりふわっとしたリボンを目指しています」というSさん。

 Sさんと師匠は、開演前に一緒に練習をすることもあるという。20代の女性と50代の男性が、共にリボン投げを練習する姿を想像すると、なかなかほほえましい。

 ストリップは性風俗の場であり、女性の裸を観る芸能だ。しかし、それは男性だけのものではない。それが、ある時は女性ファン自らの言葉により、ある時は劇場での男女の垣根を越えた交流により証明されつつあることが、ストリップの女性客を増やしているのかもしれない。

「ストリップ劇場は女子校みたい」「男の人も踊り子になりたい」劇場は多様なエロとの向き合い方を肯定する場所(2018.12.03 messyに寄稿)

 2016年6月、日本のストリップ71年の歴史においておそらく初めて、圧倒的な比率で女性客が男性客を上回った公演がある。

 かつて新宿に存在したTSミュージックという劇場での、4人のストリッパーによるチームショーを目当てに、多くの女性たちが足を運んだ。ストリップは通常1人で行うが、チームショーでは2人1組。時間も2回分使ってショーを構成する。(まれに、3人、4人で構成することもある)

 これ、実は腐女子ストリッパーたちが集まって演じられた「BLストリップ」と呼ばれるショーだったのだ。ストリッパーたちはおのおの望む姿の美少年を演じ、絡み合う。その面白さが口コミで広まり、いつのまにか女性が劇場を埋め尽くすまでになったという。

 しかし、考えてみれば不思議な話だ。客層が変化しているとはいえ、メイン顧客は中年男性。彼らはBLストリップをどう見たのだろうか。そして、そこでストリップに出会った女の子たちはどう感じたのだろうか。

 BLストリップは、萌えの方向性が一致したストリッパー同士が、偶然同じ劇場に出演した際にしか成立しない。筆者は運良く一度だけBLストリップを観ることが出来たが、その内容は想像の斜め上を行くものだった。

観客を子ども時代に返すようなストリップ
 ステージに現れた攻め役と受け役の男装ストリッパー2人。おもむろに攻め役が先端に小さな張り型のついたホースを取り出し、受け役の下半身をいじりだす。と、同時にホースのもう一方を客に持たせ、それをこする動作をするようにうながしはじめた。どうやらオナニーの動作をしろということのようだ。攻め役の求めに応じて、必死になってホースをこする客。そして、動作に合わせるように流れる激しいギターリフ。

 攻め役はホースをこする客を余裕の表情でいなしながら、受け役の子をいじっていく。どうも、こちらがBLストリップと聞いて想定していたものとだいぶ違う。そして、BLストリップを見に来た女性たちも、どうやらストリッパー2人のファンと思われる男性たちも、ニコニコしながらその様子を眺めている。

 あっけにとられながら観ていると、後半の脱ぎの場面でさらに意外なことが起こる。2人がペットボトルを取り出し、口に含んだ水を客にかけ始めたのだ。俗に毒霧と呼ばれるこうしたパフォーマンスは、パンクバンドのライブやプロレスでも観られるもので、それ自体は珍しくはない。しかし、この演目のすごいところはとにかく客席のあらゆる人に、あまさず水をかけるところだ。逃げ出すと追いかけられるし、口から吹き出す水の量も「霧」というより「じょうろ」というくらいの量だ。

 ふと客席を見ると、男女とも仲良く、時には肩を組みながらきゃあきゃあその様子を楽しんでいる。それはまるで、小さな子どもが公園の噴水で水をかけあって遊んでいる時のようなプリミティブでハッピーな風景だった。

「ストリップは裸になりさえすればあらゆる表現が許される場所」とはよく言うが、こんな形で演目を成立させ、しかも客を笑顔にしている人がいるのか。ストリップ鑑賞歴の長そうな男性たちと、おそらく最近ファンになったのであろう20代と思われる女性たちが、談笑しながら踊り子との写真の列に並ぶ様を眺め、しみじみ考えていた。

 この時の受け役のストリッパーは、ストーリー性のある演目で人気の京はるな。攻め役のストリッパーは、異色のベテラン・栗鳥巣だった。

 このステージに感銘を受け、数カ月後の2018年9月、栗鳥巣の元を訪ね、終演後に話を聞いた。

 

「ストリップは何でもあり」を体現する栗鳥巣さん


 栗鳥巣はもともとスカトロAV女優、ノイズバンドのパフォーマー、パフォーマンス集団・ピンクローターズの一員として多方面に活躍していたが、2003年に縁あってストリップの世界に足を踏み入れた。演目の特徴の一つは、その発想力から来るバラエティだ。

 SEは携帯の着信音と終演を告げる水の音のみ。その間、即興で会話を紡ぎながらベットに持ち込む「無音」。事前に客からTwitterで質問を募集し、舞台の上でラジオDJ風にトークイベントを繰り広げる「オールSMニッポン」。ガスマスクと防護服を身につけて演じる「反原発」。股間に差し込んだ筆で客の似顔絵を描く「おマン画」など、その演目は実に多彩でめまぐるしい。

こうしたアイデアに満ちた演目はどのようにして生まれるのか。その答えは実にシンプルだった。

「私は『とにかく興味がある、熱意が込められるものをやる』ということをやっているんですよ。それがBLだということもあるし、この曲を使いたいという感情ということもある。うまいダンスとかさっぱりわからないけど、『これがやりたい』という熱意だけで作っていますね」

 もちろん、これらのアイデアがいわゆる「出オチ」で終わらず、エンターテインメントとして成立するのは、彼女のベテランストリッパーとしての力量と真摯さ、そして、サービス精神あってのことだ。

 たとえば、「おマン画」。これは、もともとある興業で長い空き時間が出来てしまった日に、時間つぶしとして始めたのだという。「筆でも挿して、大まじめな顔で人の顔を見る女って笑えるじゃないか」という動機で始めたものだったが、今では「リアルすぎてSNSのアイコンに使うと特定される」というレベルの高い似顔絵を生み出すに至っている。

「最初はまず筆が抜けてしまうし、丸も線も描けないんですよ。だいたい1000枚くらい描いたところで、股間と脳みそがつながって自由に描けるようになりますね。あとはひたすらデッサンです」という言葉には、体感した人にだけ許される説得力がある。

 栗鳥巣は、「ストリップの猥雑で何でもありなところが好き」だという。自らの演目を通して「何でもあり」を体現している人らしい言葉だ。

 

劇場は「女子校」のような場所でもある


 栗鳥巣ファンの20代女性・Aさんは、2016年のBLストリップをきっかけにスト客になり、今でも定期的に劇場通いを続けている。彼女は、初めて劇場に訪れた際のことをこう話してくれた。

「その演目は客席でサイリウムを振るのが定番で、劇場に行ったらおじさんたちもみんな踊り子さんの求めに応じてサイリウムを持ってたんですよ。私が何も持たずにいたら、おじいちゃんが『貸すよ』って言ってくれて、その時に『いい場所だな』って思いました」

 Aさんは「訪れる前までは劇場の男性客には近づきたくないと思っていた」という。しかし、今では「お客さんたちの雰囲気も含めてストリップが好き」だという。

 実際、ストリップに初めて訪れた人が驚くのは、その客席の「のどかさ」だろう。ストリップの客はたいがい、時に神妙な顔で、時に子どものような柔らかい笑顔でステージを見守っている。アップテンポの曲では手拍子を送り、ストリッパーがベッドでポーズを取るごとに拍手をする。ポーズごとの拍手の様子は、まるでフィギュアスケーターがジャンプを決めた時のようで、その律儀さにちょっぴり笑ってしまう。

 ひとりひとりの内心はうかがいようがないが、客の間に「踊り子さんには手をふれない」というタテマエがあって、初めて成り立つのがストリップ劇場だ。

 Aさんは「無防備な姿でいてもお客さんは踊り子さんに手を出したりしない。ステージと客席の信頼関係で劇場が成り立っているという安心感がある。そして、踊り子さんは自分自身がプロデュースした演目を踊って、お客さんはそれを受け入れる。そういう場所だから好きだと思うんです」と言う。

 実際演目を観ていると、ストリッパーがモチーフに選ぶ題材は、年配の男性にとってわかりにくいものであることも多い。BLストリップはその典型だろう。しかし、それならそれで「推しの踊り子さん」の好きなものを理解しようと心を砕く人もいる。

 Aさんは、劇場を「女子校」のように感じるという。「女子校は『男性の目』という枠に当てはめられる心配がないから、女子が人間でいられる場所っていいますよね。劇場もちょっとそういうところがあります。だから、ストリップを観るようになってから、前より『自分の身体は男性に消費されるためのものじゃない。自分自身のものなんだ』って思えるようになりました」と話していた。

 Aさんの意見は、ストリップを知らない人にとっては牧歌的な幻想に聞こえるだろう。もちろん、ストリッパーと客の関係性は一様ではない。また、男性客の行動によって嫌な思いをしたという女性の話を、まったく聞かないわけでない。しかし、劇場のお約束故に守られている心地よさを感じるのもたしかだ。

 栗鳥巣も、ストリップの男性客について「こちらも『あの人たちは大丈夫』という信頼があってやっていますから。昔、普通職をしていた時には『女だから何かしろよ』と言われて非常に腹を立てていたんですけど、劇場の中ではそういうことがない。等身大の人間として接してくださるというか。だから、私には外の世界より居心地がいいですね。」と話している。

 ストリッパーが個として尊重され、それぞれのエロスを体現しているからこそ、客席も男女の別なくフラットにそのエロスを受け取ることが出来る。統計的な証拠はないものの、ストリップファンには多様な性的指向の人がいると感じることが多いが、それは劇場の空間が「女体のエロスは男性を興奮させるためのもの」という社会的偏見から、結果的に解放されているからかもしれない。

 「女性だからといって、エロに興味がないわけじゃないし、男性でもエロというよりきれいなものを観に来ているという感覚の方もいらっしゃるし、人それぞれですね」と栗鳥巣は言う。

 たしかに、女性だからといって裸体に欲情しないわけではない。そもそもストリップファンにはレズビアンだって少なくないのだから。さらに、男性だからといって挿入やペッティングといった直接的な行為ばかりをエロとして見ているわけではない。

 

解放されているのは女性だけじゃない


 ところで、栗鳥巣は自らがストリップの客を演じる「栗田さん」という演目を持っている。栗鳥巣が迷惑な客の栗田さんを、相方が栗田さんに応援されるストリッパーを演じるというチームショーだ。

 栗田さんは演目中に調子外れのタンバリンを叩いたり、同じストリッパーのファンを阻害したりする困ったファン。その日もさんざん迷惑な応援をした栗田さんだが、帰宅して四畳一間の自宅で、ふと自分を省みて、「いったい自分は一人で何をしてるんだろう。もう死んでしまおうか」と落ち込む。すると、今まで迷惑行為を受けていたストリッパーがやってきて、栗田さんの服を引っぺがす。とたんに栗田さんはきれいなストリッパーに変身するのだ。

 ストリッパーになった栗田さんと、相方のストリッパーは2人でポーズを決めていく。しかし、最後の曲が終わると、また栗田さんは自分がストリッパーではなく、「おっさん」であることに気がつく。寂しく場内から出て行こうとする栗田さんを、ストリッパー役がもう一度舞台に引き戻して終演というストーリー。

 彼女が言うには、ストリップの客の中には男女問わず「踊り子になりたそうな人」がいるらしい。

「踊り子がつけてるような、キラキラしたアクセサリーをつけ出す男性もいます。そういう具体的な行動に移さなくても、口調も身振りも男性的でも、『心が乙女』だと感じる人はいるんですよね。そういう人の夢は、踊り子になることなんじゃないかな。『気持ち悪い』ってくくるのは簡単ですけど、男の人だからってそういう夢を見ていないとは言えないですよね」

 栗鳥巣はインタビューの最後に 「ストリップって、『そのうちなくなるかもしれない』と感じてるからもあると思うんですけど、性別や立場関係なくみんなで劇場を守っていこうという気持ちがある。平和な場所なんですよ」と語っていた。

 猥雑で何でもありで、それなのにどこか平和なストリップ劇場。その薄暗さに守られ、解放されているのは、実は女性だけではないのかもしれない。

Burlesque TOKYOに行ってみた

 経営者逮捕のニュースで思い出したので記録。

 少し前にバーレスクトーキョーにドルオタの知人と行った。

 本題に入る前に少し。

 バーレスクは芸能のひとつであり、身体表現ジャンルのひとつだけど、バーレスクトーキョーは芸能・表現としてのバーレスクに出会う場所とみなされておらず、おそらく経営しているほうもそこにこだわりは持っていない。

 セクシーなショーをお酒を飲みながら楽しめるというフォーマットを拝借して、ハイカラな意匠にすることで話題を集めてヒットしたのがバーレスクトーキョーで、バーレスクの歴史を踏まえて活動している人にとっては、「混同されると困る」場所とされている印象があった。

 とはいえ、ショーを見せる場所としてはそれなりに評価されている印象だったし、大きめのセットを組んでダンサーが大人数で踊ってくれる定常の場所というのもあまりないので、けっこう楽しみにしていった。

 金額は一番安い席でドリンク込6000円。見やすい席や推しにかまってもらえるプランを選択すると値段が上がっていく。

 1週間ほど前に予約をしたのだけど、もう席がいっぱいでかなりの人気なのだと実感した。

 六本木の駅を降りて少し歩くと、途中にバーレスクトーキョー以外にもショーパブっぽい施設やものまねライブの箱があり、「このへんで働く人たちが飲み会後を盛り上げるためにこういうところに来るのね」となんか納得。

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 会場は地下2階。広い舞台の中央から短めの花道があり、会場の真ん中には大きめの柱が用意されている。この柱の周りにもダンサーが歩ける道がある。

 高めのイスと、飲み物と携帯を置いたらいっぱいになるくらいの机がぎちぎちに置かれていた。

 まだショー自体は始まっていなかったけど、ステージには女子高生の格好のダンサーと司会の男性がいて、その時点でちょっと引いてしまった。女子高生コスプレって安っぽく見えるよね……。ちなみに女子高生コスプレは毎回のお約束ではなく、バーレスク学園というイベントの一環としての衣装だったらしい。

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 ショーは10~20名ほどのダンサーによる10分くらいのショーを、セットやダンサーを入れ替えながら見せていく形式で、トップレスに近い舞台だけは撮影禁止というルールが設けられていた。

 かなりちゃんとショーを観せるようなつくりになっているし、演目の数も多い。

 ただ、全体的にダンスショーを見せるというより、セクシーな雰囲気のショーで楽しませるという感じで、「ダンスを見る」つもりで行くとあんまり満足度は高くなかった。f:id:hontuma4262:20240316183613j:image
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・群舞でのダンスの質が揃ってない

・生で見るとセットがしょぼい

・世界観が下世話

 なのが個人的に不満。

 下世話なのは必ずしも嫌いじゃないんだけど、途中に小池百合子ネタの謎映像とか出てくるところが「六本木だな~~」って感じでしみじみ好きになれない。セットの使い方も、派手だけど凝ってはいないし、ダンスショーとしては前に行った小さな舞台とポールしかないショーパブのほうが見ごたえがあった。

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 ただ、一緒に行った知人は「ストリップより楽しかった」と話していた。

 ダンサーが指ハートをしてきたり、立ち上がって振付に参加するように促してきたり、ストリップより参加させる部分や一緒にはしゃげる部分が大きいので、そのへんがよかったらしい。

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 「ストリップはストイックすぎる。あれはエンタメというより表現でしょう」「バーレスクのほうがエロく感じた」とは彼の意見。

 ストリップの「20分近く黙ってダンスを観続ける」という形式はかなり観なれないと楽しみが見出しにくいとは思うので、ワイワイやるのが楽しい人はこっちのほうがいいのかも。

 元アイドルからの転職組もちょいちょいいるらしく、この日も元There There Theresのメンバーが楽しそうにやっていた。ショーパブに行った時も「元アイドルだけど、しっかりしたダンスをやれないのが不満でショーパブに転職した」という人がいたし、ネットのインタビューでは「アイドルは若くないとやれない。セクシーな表現もできるということで転職した」という声も。ほかの業態ではできない表現や楽しみがあるのだろうというのも、まあわかる。

 とはいえ、アイドルが「若さ」「かわいさ」を求められる一方、バーレスクでは求められる「セクシー」に沿った身体のプロデュースを必要とされる感じもあり、どちらがより自由ということもなさそう。もちろん、ストリップも。

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 後日1号営業の許可を取っていなかったとして摘発を受けていたが、まさか自分たちの業態が接待に当たらないと認識していたとは考えづらく、どういう目的で許可を取っていなかったのか、なぜ警察が摘発に踏み切ったのかが気になる。

無許可で接待、「バーレスク東京」経営者を逮捕 アウトになる線引きは? 風営法に詳しい弁護士が解説 - 弁護士ドットコム (bengo4.com)

 ↓以前ショーパブとバーレスクに行った時の文章。

歌舞伎町のショーパブ「nest」と、渋谷 7thFLOORでの「MIDWEEK BURLESQUE」でダンサーいろいろを実感 - ホンのつまみぐい (hatenablog.com)

現代ストリップは多彩なボディーパフォーマンスの場に 女性たちが憧れるストリップの多様性(2018.11.22、messyに寄稿)

 きらびやかな衣装を着て音楽に合わせて踊る女性。会場にはミラーボールや豪華な照明器具があり、ダンサーの姿を美しく照らす。それをキラキラした目で見守る女性たちがいる。

 でも、それはアイドルのライブでも宝塚でもミュージカルでもない。なぜなら、ステージの女性は途中からどんどん服を脱いでいって、最後は裸になるからだ。これは、性風俗関連特殊営業3号営業「ストリップ劇場」での一幕なのだ。

 かつては繁華街や温泉地の定番スポットとして知られ、ピーク時にはその数300以上と言われたストリップ劇場は、今全国に約20軒ほどしか存在しない。風前の灯、絶滅危惧種、斜陽産業と呼ばれがちなストリップ劇場に、今ひとつの波が訪れている。

 女性客の増加と、それと併行するかのような業界全体の変化だ。性風俗に位置づけられ、男性の娯楽と言われてきたストリップ劇場が、今多くの女性の心を捕らえている。撮影可のライブイベントが珍しくなく、あらゆる空間がSNSで共有出来るようになった昨今、完全撮影禁止の劇場内。その秘密の場所、ストリップ劇場で、今一体何が起こっているのだろうか。そして、女性たちはストリップをどう見ているのだろうか。

ステージの神々しさに打たれ、舞台の上へ
「あ、これやんなきゃダメなやつだ」

 AV女優の武藤つぐみは、初めて浅草ロック座でストリップを見た時、そう思ったという。

「思ったよりずっと踊ってるところが多いし、舞台も大きくて広いし、お客さんも熱心な人が多くて……。ストリップって『ピンクでエロ~』ってイメージしかなかったんだけど、その常識を覆されて」

 浅草ロック座の舞台は、本舞台と呼ばれるステージからまっすぐに花道が延び、花道の先には盆と呼ばれる円形の舞台が用意されている。ストリッパーは群舞に囲まれながらステージでダンスを踊り、一人になってから花道を歩き、盆の上にたどり着いたところで、ゆっくりと脱いで、その身体を人々にさらけ出す。この盆での見せ場はベットショーと呼ばれている。

 美しい裸体を誇るようにポーズを取るストリッパーを「まるで銅像みたいで神々しい」と思った武藤は、鑑賞直後に浅草ロック座のプロデューサーに感想を聞かれ「あれなら一日で覚えられますね」と答えたという。

 武藤の大胆な答えに根拠がなかったわけではない。彼女は14歳からの3年間バレエを習っていた。しかし、トウシューズが性に合わずに裸足で出来るコンテンポラリーに移行。それから現在までずっとダンスを続けているという実績を持つ。

 肝の太い答えにプロデューサーが期待したのか、彼女は次の週、2014年5月1日からの浅草ロック座公演にオファーされることになる。出演予定のストリッパーがいなくなったためのピンチヒッターだったが、これが武藤のデビュー。そして、現在ロック座随一の女性人気を誇る人気ストリッパーであり、同時に異端児として注目を集めるストリッパー・武藤つぐみの誕生となった。

 「ピンクでエロいイメージ」しかなかったという武藤を魅了した浅草ロック座のストリップとはどのようなものなのか。

 一般的にストリップ劇場では、4~6人のストリッパーが1日おおよそ4回ステージに立つ。踊るダンスの内容(演目と呼ばれる)はストリッパーごとに違う。ソロアーティスト4~6人の対バンが、1日何度か繰り返されるとイメージしてもらっていいだろう。

 しかし、浅草ロック座では一つのテーマに合わせ、メインのストリッパー7名が、ダンサーを従えてステージを作る。舞台はプロジェクションマッピングで華やかに彩られ、照明がストリッパーの肌を美しく照らす。クレイジー・ホースやラスベガスのショーを参考にしているというその舞台の華やかさは、まさしく「ショー」という言葉にふさわしい。

「自分自身の身体を使って世界を作っていくところがストリップの最大の魅力」

 20代女性のSさんも、浅草ロック座を機に「スト客」となった一人だ。足を運んだきっかけは大学時代にTwitterで流れてきた女性によるストリップのレポートマンガ。もともとK-POP好きだったSさんは、そのマンガに描かれていた「女性アイドルに近い」という表現を見て、足を運んでみたという。

「踊り子さんのスカートがふわっと舞ってパンツが見えた瞬間、『やばいとこ来ちゃったな』と思ったんですよ。これから脱ぐのわかってるのに。でも、見終わったら友だちに『もう一回観ない?』と言ってました」
※業界内では演者をお姐さん、踊り子さんと呼ぶ習慣がある。

 その公演で「推し」のストリッパーを見つけたSさんは、それから浅草を中心にさまざまな劇場に足を運ぶようになる。

 今、日本には約20の劇場が存在するが、浅草ロック座以外の劇場は、おおむね先ほど挙げたように複数名のストリッパーが一日数回ダンスを披露し、合間にポラロイドカメラもしくはデジタルカメラでの写真撮影(1回500~1000円)を挟むという構成になっている。

 通常、ストリッパーは10日を1単位として劇場に出演する。その10日の間に1つの演目をやり通す演者もいれば、2つ以上の演目を披露する演者もいる。

 ここで面白いのは、おおむねその内容は演者にゆだねられているという点だ。たとえば、どんな衣装が着たいか、どんな世界を表現したいか、どんな役になりたいか、どんな曲で踊りたいか、あるいは踊らないか。

 10分ほどのダンスの後に5分ほどの盆でのベットという定番の型さえこなせば、演者は自身を望むようにプロデュースできる。当然、選んだもので人気が取れるかというハードルはあるが。

 もともとアイドル好きだったSさんは、手軽な値段で会話が出来て、さらに近い距離で女性たちのダンスパフォーマンスが観られるストリップにハマっていったという。

「劇場のかぶりつき席は汗が当たるくらい近いから、アイシャドウの色まで見えることもあります。そこで衣装と色を合わせているのに気がついたり」

 ストリップ劇場の席数はおおむね数十から百数十席。イスなどない温泉地の劇場の場合、もっと少ない場合もある。そして、ストリッパーは手を伸ばせば触れることの出来るような距離で踊ってくれる。

 無防備な状態で人前に身体を晒しながら、全身を使ってエロスを表現する。その親密さや緊張感、そして多様さにSさんはすっかり魅了されていった。

「裸になるって、本来は露出しないコンプレックスの多い部分を人前にさらすことですよね。お姐さんの中にはガリガリにやせてる人もいれば、ぽっちゃりの人もいて、すべてが完璧な人はいない。だけど、みんな堂々としてかっこいい。『色んな女性像があっていいんだ。じゃあ、私のこんな体型でもいいのかな』と安心させてくれるんです。」

 Sさんは、「自分自身の身体を使って世界を作っていくところがストリップの最大の魅力」という。そこには、生まれ持った身体を活かすことでオンリーワンの世界を作り上げ、人を魅了していく女性たちへの憧れがあるのかもしれない。

描かれる物語も表現方法も多様化

 そして、現代のストリップを語る上で欠かせないのが演目のバリエーションだ。先ほども書いたように、ストリップは基本の形式に乗っ取っていれば、その後の演出は自由に選択できる。「脱ぎ」という枠の中で、それぞれが自身の個性を活かしたエロスを追及する。その面白さにハマっていく人が多い。

 たとえば、先日NHKのドキュメンタリー番組『ノーナレ』に出演した香山蘭は、「反戦歌」という演目を持っている。戦禍に翻弄され、恋人を失い、自暴自棄になった女性が再生するまでの物語を合計約45分、3部構成で演じるものだ。1部ごとそれぞれにダンスとベットを入れ、セリフなしで戦中から戦後までの女性の生き方を表現している。ちなみに、戦争をテーマにした演目自体はオンリーワンというわけではなく、現役のストリッパーでは黒井ひとみ「上海バンスキング」、葵マコ「ほたる」なども評価が高く、これらの演目はもはやエロを組み込んだ一人芝居の様相に近い。

 こうした物語性の強い演目もあれば、古風なストリップのイメージに直結する花魁の生き様を描く演目、セクシーな女教師が攻めてくるというAV的な文脈の演目などもあり。もちろん、シンプルなダンスを踊りきった後、ベットではゆっくりとその身体を見せつけるようにポーズを取っていくスタンダードな演目もある。そのエロスの表現は一様ではない。

 また、身体表現の方法そのものも多様化している。近年注目を浴びているのは「空中」でのパフォーマンスだ。天井から下ろした布を身体に巻き付け、空中でポーズを取るエアリアルティシュー。フラフープほどの大きさのリングにつかまり、時に激しく回転しながらダンスを構成するリング。正確には空中ではないが、ポールに身体を巻き付け、ステージから身体を離して踊るポールダンスなど。高い身体能力を備えた演者によるパフォーマンスが増えているのだ。

 10年以上空中演目に取り組んできた第一人者・浅葱アゲハは、ほっそりした身体全体に均整の取れた筋肉をまとい、ダンス、ベットという制約にさらに空中でのパフォーマンスを加えながら、さまざまな物語を演目に組み込んでいく。重力から自由になったかのようなその姿は、性別を超えて多くの人を引きつける。空中演目は現代のストリップの多様性を象徴するものの一つと言っていいだろう。

 武藤つぐみも、空中パフォーマンスによりその人気を拡大していったストリッパーの一人だ。もともと、ダンススキルの高さや、役柄が憑依したような演技で高い評価を得ていた武藤だが、その存在感をストリップ劇場の外に知らしめるようになったのは、現在のようなボーイッシュな見た目になり、空中技を披露するようになってからだろう。

 もともと武藤はボブカットに小柄な身体を活かした、いわゆる「ロリ売り」AV女優だった。しかし、ストリップに出続けることにより、自然と身体は「ロリ」に反した筋肉質な肉体になっていく。身体に合わせるように髪を切り、ボーイッシュな見た目を手に入れることで武藤に憧れを抱く女性が新しく増えていった。

「女の子はすごくキラキラした目で見てくれるんですよ。たまに泣いてる子がいたり。男の子は『ふーむ、なるほど』みたいな感じなんですけど(笑)。一見さんでもすごく楽しそうに観てくれるから、ついつい手を振っちゃう。そうすると『キャッ』ってなってくれたり。そういう時はジャニーズになった気分ですね」

 また、浅草ロック座でも彼女の身体能力を信頼し、エアリアルポールなどの新しい空中技や、緊縛師HajimeKinokoとのコラボといった新しい試みを任せるようになる。

 体力的にも精神的にも過酷な演目を任されることもある武藤だが、「『これ出来るでしょ?』ってプロデューサーに言われると、つい『やってみます』って言っちゃうんですよね」と笑う。

「最近だと『WonderLand』という公演でエアリアルポールをやって。それも経験無かったんで、深夜に劇場に行って毎日ポール触って練習しました。終わった後はいつも『二度と乗らねえ~~』って思うんですけど、オファー来たらすぐ『はい』ってなっちゃって。『はい』っていうことは、やりたいんですよね」

 通常のエアリアルティシューとも、ポールダンスとも違うエアリアルポールは、空中に吊さげられたポールにつかまり、回転しながらポーズを決めるという非常に難易度の高い技だ。この公演の準備から開演までの様子はBSでのドキュメンタリー番組『ストリップ劇場物語』として取り上げられ(BSフジや日本映画専門チャンネルで放送)、多くの好意的な反応を引き出した。

 また、同番組のナレーションを担当した人気講談師・神田松之丞が武藤に惚れ込み、ラジオや雑誌で取り上げるなど、連鎖的なストリップのメディア露出の増加につながっている。

 一方でストリッパーたちの劇場外活動も増えており、演劇やダンスパフォーマンスのほか、美しく均整のとれた肉体を活かしてモデルを行うものや、演者としての参加だけでなく、自分自身でダンスや芝居をプロデュースするものを表れている。

 これまで「日陰の芸能」と言われがちだったストリップ界に新しい視点での注目が集まるのと同時に、ストリップで得た表現力を活かして、活躍の場を広げていくストリッパーがいる。性風俗でもあり、同時に表現でもあるという不思議な芸能は、今新しい展開を見せつつあるのだ。

 ストリップの世界を内外に広めるアイコンとなりつつある武藤に、今後の目標を聞いてみると、「これ、ちょっとふざけてると思われるかもしれないんですけど、シルク・ド・ソレイユに行きたい……。それで、情熱大陸に出て『今の自分があるのは浅草ロック座のおかげです』って言って恩返ししたいなって」という答えが返ってきた。

 浅草から世界へ。広がり続けるストリップの世界は、これからどのようにして外の世界へ届いていくのか。芸能であり性風俗でもあるストリップは、今岐路に立っているのだ。

 

そりゃみんな好きになるわと思った女子プロレス観戦「STARDOM in KORAKUEN 2024 Feb.2」

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 やっと女子プロレスを観た。

 なぜやっとなのかというと、私がこれまで接してきたさまざまな文化が、しばしばプロレスと交差していたからだ。

 梶原一騎とプロレスは切り離せない深い縁があるし、ノンフィクションではプロレスは人気の題材だ。

 ももいろクローバーZアップアップガールズ(仮)もリングの上でライブをやらされていたし、ミスiD開催時に唯一写真を買った伊藤麻希は今東京女子プロレスで活躍している。(ももクロ、アプガそれぞれもっと濃い縁があると思いますが、あんまりくわしくないので言い切れる範囲で)

 で、この間アイドルオタクの人に「ドルオタ辞めた人たちは何のオタクをやってるんですか」と聞いたら、二人が「プロレスとか〇〇とか」と答えていた。

 ヒップホップの人たちもプロレス好きな人が多い印象だし、こういうまとめて「サブカル」という箱に入れられるような文化とプロレスの間には、きっと何か通ずるものがあるに違いない。

 で、観て思った。「そりゃみんな好きになるわ」と。

 今回の観戦のきっかけはストリップが縁で知り合ったMさんだった。女子プロレス団体スターダムに大はまり中のMさんが「アテンドしたい」と申し入れてくれたのだ。後楽園ホールにストリップ好きの女性が大勢集合。

 土曜日昼からの興行。タッグマッチとシングルマッチをあわせて16試合。

 まず驚いたのは、身体的負荷が想像以上に大きいことだ。映像では何度かプロレスを観ていたけれど、現場にいて驚くのはリングにたたきつけられる際の音の大きさ。ドーン!バーン!という音の大きさと振動が、全身のダメージを想像させる。

 跳び蹴りもガッツリ頭に当たるし、歯ぁ飛びません? ボクサーにおけるパンチドランカー的なものはないのか? いや、ないはずないな。サイプレス上野がよくプロレスラーに対して敬意の言葉を述べているけど、そりゃこんな技を受けて立ち上がるってだけでリスペクトの対象になりますわ。

 そして、少し見慣れてから驚くのがその複雑な快楽の構造だ。たとえば、柔道なら、快楽の終点は技が決まった瞬間だ。両者とも相手に技を決めさせないために全力を尽くし、自身が技をかけるために必死で相手を崩そうとする。技が決まるまでの攻防や緊張にはわかりやすい快楽はなく、技が決まった瞬間が快楽の頂点と言える。しかし、柔道では一度も華々しく技が決まらないまま、試合が終わることは珍しくない。

 対して、プロレスでは技が試合の間に何度も決まる。

 そもそも、プロレスの大技と言われるような、ポールの上から相手に飛びかかるような技や、抱え上げた相手を思い切りリングに叩きつけるような技は、相手の協力なくして成立しない。だから、試合中にしばしば「相手が技をかけるのを待つ時間」が生まれる。
 逃げればいいのに、なぜ技を受けるのか? 下手に逃げるとお互いがケガをするという面ももちろんあるけれど、基本的にはプロレスが興行であり、エンターテイメントだからだろう。プロレスでは予定調和の快楽を、戦う側も観ている側も求めている。
 しかし、一方で現場で強く感じたのは、ただ技が決まる姿をレスラーも観客も求めていないという事実だ。レスラーがやりたいのも観客が観たいのも稽古の再現ではない。皆が求めているのは過程の豊かさを経ての予定調和なのである。
 ここでヒールという存在の意義も同時に理解できた。
 ヒールはともすればシンプルな格闘の連続になりかねないリングに破調をもたらす。その破調は笑いの形を取ることもあるし、反則技を使っての逆転のこともある。
 会場と相手の空気を読み取り、アイデアと身体で試合の流れに破調を生み、過程の豊かさを演出する。あまりにも知的で大切。なるほど、ヒールとベビーフェイスという形式が固定化されるのもよくわかる。
 協働的な営みであるにも関わらず、勝者敗者の存在する戦いでもある。セッションであり、スポーツでもある。フリージャズのセッション、MCラップバトル、ストリートダンスバトル……。さまざまな分野で観てきたしのぎあいの姿を思い出した。

 また、違った意味で印象的だったのが試合後のマイクパフォーマンスだ。
 だいたい「○○と戦えてよかった」「今度はやってやるぜ」といったタンカを各人が叫んでいく。この極めて演出過剰な時間に、プロレスの強みがあるように思った。
 誰と誰が戦うかはドラマの想像において極めて重要な要素だが、ブッキングは基本的に運営の仕事であり、レスラーが直接介入する部分ではないだろう。運営に与えられたお膳立てを、どうやってドラマに還元していくかがレスラーの仕事で、そこでマイクパフォーマンスが極めて重要な役割を果たしている。
 マイクを一本挟むことで、過去の試合と今の試合が繋がり、次の試合への布石になる。文脈が幹のように太くなっていくから、たくさん観て、知っている人の方がひとつの試合にのめり込める。
 もちろんこうした文脈はありとあらゆるエンタメやスポーツに企まずして存在するものだが、それを人工的に作り上げていく手際に驚いた。
 そして、具体的に何を話していたかは若干ぼんやりしているのだが、観ていて強く感じたのは、このマイクパフォーマンスでの言葉がレスラーたちの自己像の形成と深く関わっているという点である。
 マイクパフォーマンスでレスラーたちは、自分を大きく見せる言葉を使いながら、自身の試合に対する向きあい方を大勢の前でプレゼンする。
 それらの言葉はあくまでリングの中のキャラクターのためのものだが、その言葉に説得力を与えるためには、中の人はキャラクターを支えるための強固な自己像を持たなくてはいけない。それは単純な身体的強さと、それを生み出すための日々の練習でもあるだろうし、魅力的なキャラクターを演じるための精神的強さでもあるだろう。
 思わずヒップホップのパンチラインが頭の中で流れた。

「役作りじゃなくてこれは生き様」BAD HOP / Kawasaki Drift

「言葉通り生きられないけれど、言葉に近づくよう生きなさいでしょう?」サイプレス上野とロベルト吉野 / マイク中毒 pt.3 逆 feat. STERUSS

 そうだよな。人前に立った時に発する言葉の責任に支えられて、自分の生き方や姿が形作られていくんだよな……。そして、観客はその言葉に追いつこうとする姿を見てぐっときたり励まされたりするんだよな。うん、アイドルでもさんざん見たな。これは、みんな好きになるに決まってるやつだ。
 しかし、これが毎試合の演出の中に組み込まれているという構造がヤバい。やる方は大変だけど、客にとっては中毒性がめちゃくちゃ高そう。
 ドルオタやラッパーにプロレス好きが多い理由がよくわかった。文脈とキャラクターと生き様の過剰投入。サブカルチャーにおける快楽の幕の内弁当みたいなもんだ。深く納得したし、単純に楽しかった。
 ほかには、口が悪くてもいいところが気持ちよかった。「ふざけんなよ」「クソ野郎」なんて言葉遣いで喜ばれる職業なかなかないのでうらやましい。あとは、衣装が派手なので、自分も派手な服を着たくなる。

 私も腹筋を割らなくてはいけない。

 

2024年2月17日 『STARDOM in KORAKUEN 2024 Feb.2』 – スターダム✪STARDOM (wwr-stardom.com)※公式の試合レポ

 

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 Mさんが推しのスターライト・キッドのために作ったスケッチブックを撮影させてもらいました。

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近くにいても遠い 2024年1月中の友坂麗

 久々に友坂麗さんを観たら、見たことのない境地に達していてびっくりしてしまった。

 

 一言でいうと、踊らない、見つめない演目だった。

 踊らない、見つめない演目自体は珍しくはないのだけど、友坂さんのステージは初めて観るものだった。

 

 新作の「春よ来い~縁~」は、有名なポップスを中心に着物姿の友坂さんがゆっくりと脱いでいく、シンプルな演目。

 踊らないと書いたが、ベッドに入るまではいつも通り、丁寧で余裕のある舞を見せてくれる。柔らかいしぐさで布を操り、順繰りに着物を脱いで、盆に入る。

 通常ベッドでは「身体を見せつける」演出が採用されることが多いけど、このステージでの友坂さんは盆の上に座り込み、時たまゆっくりと身体を動かすだけ。

 身体や空気の振動に心を揺り動かされるという体験が、踊りを見ることだと漠然と思っていたから、友坂さんのベッドにびっくりしてしまった。

 演目によっては、ひるんでしまうほどまじまじとこちらを見つめてくれる目も、どこに定まるわけでもなく、ゆっくりと宙を見回している。誰かを見つめるわけでもない、しかし、遠いところを見ているというわけでもない不思議な視線。

 ずっと優しく微笑んでいるけれど、それが「客」というサービスの対象に向けたものという気がしない。現象としてはお金を払ってこの場にいる人たちのために微笑んでいるのだけど、誰かを接待したり、迎え入れたりするための笑みではない。

 これまでに知っていたダンスの快感と違った形式で作られていて、それなのに目が離せない。そして、観ているとなんだか心が満たされる思いがする。

 言語化できない不思議な時間だった。

 

 後日、文藝の2024年春季号を読んでいたら、伊藤亜紗×羽田圭介の対談の中にこんな文章があった。

 

「伊藤 ウルフがスペイン風邪にかかったときに書いた短いエッセイですね。元気な人は町で戦っている。病気の人は横になって寝ている。垂直と水平、両者に見える世界は全然違うという話です。 ウルフが横になって見ているのが空の景色なんですね。 空にいろんな雲が生まれては消えていくけれども、何の意味もないし、何の蓄積もない。自然は私にまったく興味がなくて、そんな自然を見て人間は心を癒されるのだ、とウルフは言います。 最近は傾聴や寄り添いが注目されて、もちろんそれも大事なんですが、自分に興味がないものによってこそ本質的なケアが行われるということも、大事だし面白いと私は思うんです。」

 

 そういえば、緑の多い公園でぼんやりしている時の感覚は、あのベッドを見ていた時の感覚と少し近いかもしれない。

 ストリップを自然と結び付けて形容するのは珍しいことではない。ただ、そういう時は「生命力にあふれている」「人間の本来の姿」などという、力強さを喚起させる言葉が使われることが多いように思う。友坂さんの年相応に緩んだ身体の柔らかさには、人を圧倒するタイプの強度はない。どちらかというと、安心させてくれる。それなのに分け合えない、分け与えない感じ。

 『イルミナ』の創刊号で、半田なか子さんは友坂さんを語るのに「さくらのはなって、さわってもさわっても、とおいかんじがする」という大島弓子作品の言葉を引いていた。

 改めて、近くにいても遠い人だと思った。

 

shiroibara.booth.pm

 

 余談。

 私が見始めた2017年頃から現在まで、踊り子は1日4回の出番のうちに、2つの演目を出す人がほとんどだ。

 それは客を飽きさせない、飽きられないためのサービスで、友坂さんも地方に行った時なんかは1日4つの演目を出すことがある。

 客も大体それに慣れて当たり前だと思っているけど、たまに昔から観ている人が「1個出しで1つの演目を深めていくのもいいものなのに」とぼやくのを聞いていた。

 今回の演目は1月頭からの20日間、毎日同じものを出していて、しかもこんなことを書いていて、それもかなりびっくりした。

 

 

 あんまりそういう大きな言葉を使わない人という印象があったからだ。でも、たしかにそういう気持ちになるのが理解できるステージだったと思う。

 

 後日こう書いていたのも友坂さんらしい。

 あの踊らない演目を凝視して味わえるのが、膨大な量の踊りを観ているスト客だというのも面白いし、みんな観る力がすごいと思う。