ホンのつまみぐい

各エントリに貼ってある写真は本文と関係ないこともあります。

夢日記20190818

 お昼ご飯を作って、窓際で寝転がりながら図書館から借りた本を読んでいると、いつの間にか眠り込んでいた。

 

 ふと足元を見ると、飼い犬が私の土踏まずに噛みついている。飼い犬はもともと野良犬で、普段は温厚で臆病だけれど、何か大きな音がしたり、こちらが襲い掛かるようなそぶりをすると噛みついてくることがある。これは困った。犬の歯は獲物にしっかり食い込むように出来ていて、無理やり外そうとするとかえってするどく食いこみ、皮膚をちぎってしまう。どうやって顎を外してもらおうか。外した後、今の傷ではたして歩けるだろうか。ひょっとして杖がいるだろうかと考えながら、赤い血がゆっくり流れていくのを見ていた。

 

 目が覚めると足元には何もいなかった。それはそうだ。犬は2年前に死んでいるのだから。そして、ちょうどこの日は犬の命日だったらしい。

 

 土踏まずには当然傷一つなかったが、半日ほど、傷の治りかけに訪れるかゆみのようなものが足にまとわりついていた。

さまよいラーメン

 ところんらーめんの閉店からラーメン欲を満たしてくれる店がなくなってしまった。

 もともとここ数年積極的にラーメンを食べてはいなかった。麺類はとても好きなのだけど、はやりの家系や高級食材ラーメンにのれなかったし、無理にラーメンを食べなくても「おいしい中華麺」を食べたいなら中華料理屋のタンメンや担々麺で十分だと思っていたからだ。

 しかし、とことんラーメンのラーメンは、ラーメンとして適度で完璧すぎた。あっさり目だけど気持ちよいスープの塩味に、たっぷりの手作りの具材。麺は凝っていなかったけど、お値段は手ごろだし、文句のつけようがなかった。店主のあっさりしているけど、ちゃんとお客を見てる接客も好きだった。

 あれからしばらくラーメン欲を満たしてくれる店を求めてさまよったけど、気の利いたラーメン屋の気の利いたラーメンではラーメン欲は満たされないことがわかって、ますます寂しい気持ちになってしまうのだった。

 

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神保町のきたかた食堂、麺がピラピラする。


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華隆餐館の牛肉高菜麺。刀削麺。ちょっと濃いけど、本格的な味だと思う。量があるのでお腹を空かせて行くのが吉。


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横濱丿貫の煮干しそば。和え玉というのを食べたいと思って行ったんだけど、夜は出していないそうな。以前本店でカワハギのスープみたいのを食べていたく感動したのだけど、これはちょっと塩辛いような……。青年が一生懸命説明してくれたので、それはよかった。

いなくなった子どもたちと残った音楽

 お盆期間のすっかり人のいなくなった通勤電車の中で、うとうとしながら聴くBELLRING少女ハートの「UNDO THE UNION」がとてもよい。歌詞が脳に染み込む感覚がある。

男の子、女の子

機関車の慌ただしさ

Ah あの冬は君の背に

目眩で恋した

あのタンジェリン かじりついて 爆ぜるアシッドな香り
そうタンジェリン かじりついて 味わってみるの
おとなってさぁ あきらめるじゃん 寝転んだ目して笑う
赤ちゃんってさぁ 手を伸ばすじゃん すべてに触れたい

  黒いセーラー服に黒い羽のベルハーは、そのビジュアルや歌詞の世界観から退廃的と言われていたけど、その魅力を支えていたのはメンバーが放つ稚気だったと思う。どこか幼く調子っぱずれな歌声と、すさまじい運動量なのに洗練されないダンス。だけど、少なくとも「UNDO THE UNION」リリース時のベルハーからは、幼稚ゆえの退屈さはなく、「タンジェリン細胞」の言葉を借りるなら、臆すことなく伸ばした手のまっすぐさに美しさを感じていた。

 ベルハーは、櫛から歯が欠けるようにメンバーが辞めていき、最後はボロボロになって終わっていった。無我夢中で踊っていた女の子が成長し、「我に帰っていった」時期に、ベルハーが終わったのかもしれない。

 そういう気の利いた風な、だけど何もわかっていない言葉を投げつけられることを、誰も喜ばないだろうけど。

 ベルハーの絶頂期は、メンバーの心身に相当な負担がかかっていたと聞くので、再現してほしいとはとても思えないのだけど、それでもあの頃の美しさはやはり真実としか言いようがなく、私は小野啓が2年半をかけて撮影したという写真集「暗闇から手をのばせ」をたまに眺めている。

暗闇から手をのばせ

暗闇から手をのばせ

 

silverbooks.net

UNDO THE UNION

UNDO THE UNION

 

「セッちゃん」(大島智子)読んで泣いてるおっさんキモい

セッちゃん (裏少年サンデーコミックス)

セッちゃん (裏少年サンデーコミックス)

 
セッちゃん (裏サンデー女子部)

セッちゃん (裏サンデー女子部)

 

 

 誰とでも寝るからセックスのセで「セッちゃん」というあだ名の女の子。そして、セッちゃんとセックスする、何事にも無関心な男の子あっくん。停滞感の漂う震災後の日本を背景に、ふたりの若者の日常が描かれる。

 

 大島智子の描く震災後の日本では、SEALDをモデルとしたであろうSHIFTという学生による団体がテロを起こす。セッちゃんとあっくんの周囲にもデモに参加して社会を変えようとじたばたする友人がいるが、二人は友人を小馬鹿にしながら生活している。

 

 彼らはデモに象徴されるような社会的現実に動員されることを拒むことによって、日常を維持しようとするが、それは最終的には敵わず、セッちゃんは外国でテロに会って死んでしまうという悲恋のお話。T.V.O.D. のコメカさんの紹介を読んで興味を持った。 

「『ごめーん』とか『ありがとー』とか必要」な世界を拒絶したり、「友達と笑って、テストは20番以内キープして、彼女つくって」生きていく世界に諦観を持ったりできる存在とはつまり、「子ども」である。セッちゃんとあっくんは、「少女漫画にかぶれてる」「悪意の無い計算高さが浅はか」な、あっくんの彼女のまみさんをバカにするけれど、二人ともどこかで、そういう「浅はか」なまみさんの方が大人になれる可能性とその意志を持っていることに、本当は気付いている。

「真相」も「正解」も存在しない。ただ、セッちゃんが少しだけ引き受けようとした主体性が、一体どこに向かう可能性があったのかを考えたい。うたちゃんもあっくんも大島智子も、「こんな世界はセッちゃんには似合わない」と思っているのかもしれないけど、本当にそうなんだろうかとぼくは思う。少しだけ「主体」を引き受けようとしたセッちゃんの方が実は、いつまでも「子ども」みたいな私たちより少しだけ早く、この世界で、「日常」で、大人になるきっかけを掴んでいたんじゃないのだろうか?

 

そういうことを考えるのを繰り返していたら、いつの間にか私たちはたぶん「子ども」ではなくなってしまうだろう。「セッちゃん」を読んでどうしようもなく感じる切なさも、忘れていってしまうだろう。

 

でも、それでいいのだと思う。

 T.V.O.D. — #TVOD Essay27 「セッちゃん」のこと/comeca

 

   私はセッちゃんに切なさを感じない年齢になってしまった。だから、熱意を持ってこの作品について書くことができないのだが、この作品に寄せられたおじさんたちの言葉がキモかったのでそれについて書く。セッちゃんについてはマンバ通信で土居伸彰さんが論考を寄せている。

 

では、『セッちゃん』という寓話は何を描くのか。それは、「あっち側」と「こっち側」に分かれている世界と、前者の消滅である。「あっち側」と「こっち側」。それは『リバーズ・エッジ』にも共通して存在するテーマだった。主人公のハルナは「こっち側」の人間で、しかし、河原の死体の存在を共有の秘密とする美少年の同性愛者山田くんや人気モデルの吉川さんたちとの交流を通じて、退屈な「こっち側」の日常のなかで、「あっち側」を垣間見る。しかし、最終的にハルナは、「あっち側」には行かない(行けない)。「あっち側」は河の向こう側の世界のように、手の届かぬ場所として存在し続ける。退屈な日常そのものは脅かされることはない。

セッちゃんは、震災によって存在が許されなくなってしまった「あっち側」の世界──露悪的だったり、虚無的だったり、退屈だったり、無価値だったりすることによって、「こっち側」の現実に反逆したり逃避したりするための領域──である。『セッちゃん』が語るのは、そういう世界が消えてしまったということなのだ。あらゆる人が、すべてが「現実」に向き合わなければならず、「あっち側」にいることが許されず、技術によって賢く(もしくは皆が共有する物語に「バカ」として相乗りすることで)「こっち側」にいつづけることを要求するそんな時代がやってきてしまったことを、『セッちゃん』は描いているのだ。そんな時代においては、「セッちゃん」は死ぬしかない。岡崎京子が描き出したような「退屈な日常」、「平坦な戦場」といったものは、真の意味において「あっち側」に行って、消えてしまったのだ。

 

magazine.manba.co.jp

 

 土居さんの見立ては概ね理解できる。しかし、「セッちゃんは死ぬしかない」と、それはおじさんが言うことなのか。セッちゃんが安心して生きられない社会の責任は、私も含めた中年にもあるんじゃないか。そこで感傷に浸ったり、この作品は真実を言い当てていると興奮しながら言い募るのは、ちょっと無責任なんじゃないか?

 

 そして、そこに「無垢な存在こそが本当のことを知っていて、それゆえ私たちはそれを失うけど、その美しさを知ってる分だけ本当に近い」という種の感傷はないのだろうか。セッちゃんの切なさに涙する人は、彼女に死んでほしかったんじゃないか? 死んでしまえば、彼女は「永遠の運命の女」になるのだから。そんな邪推をしたくなるほどセッちゃんの死はロマンチックに描かれているし、セッちゃんを語るおじさんの言葉は感傷的だ。

 

 しかし、おじさんは本当はセッちゃんを消費したいのではなく、セッちゃんになりたいのかもしれないと思うと、少し納得がいく。あるいは、セッちゃんの存在できる時間軸にエスケープしたいのかもしれない。おじさんはおじさんで「男で中年」として、常に社会的現実に動員されているのだから、そのプレッシャーから逃げたいのかもしれない。

 

 ところで、「セッちゃん」について「岡崎京子を更新した」という感想もツイッターではいくつか見かけた。しかし、それもいまいちピンとこない。少なくとも、女の子の生き方の選択肢として、セッちゃんの頼りなさにはだいぶ後退を感じてしまう。

 

 セッちゃんがヤリマンなのは自分の身体の価値を自分でコントロールしようとしている感じがあり、そのあたりは共感できるものがあるけど、荒々しい描線で描かれる岡崎京子の女の子と比べると、あまりに弱々しくて見ていてちょっとイラッとしてしまう。その弱さには彼女なりの切実さがあると思うのだけど、少なくとも私にとっては「生きたい姿」ではなく、また、「岡崎京子を更新したか」どうかで言えば、していないだろう。

 

 大島智子の絵はだいぶ萌え系の文脈を引き継いでいて、普遍的な可愛らしさがあり、癒やしの要素も感じ取れる。セッちゃんで泣くおっさんに反感を持ってしまうのには、本作が慰安として消費されているのが伝わってしまうからでもある。

 

 でも、この慰安こそが若者にとって切実なのだとしたら、それに文句をいうこちらの方が傲慢なのかもしれない。そして、このマンガを当の若者がどう読んだかについての言葉はあまり見当たらないのである。

 

 読みながら、「私は貴兄のオモチャなの」(岡崎京子)や、「わたしたちに許された特別な時間の終わり」(岡田利規)について思い出した。「私は貴兄のオモチャなの」のホシちゃんは、好きな人にとことん搾取されてしまうが、とてもタフな女の子だった。

 

 ところで、「セッちゃん」については、ほかにこの文章が面白かった。マンガとしての演出手法や、読み手の感情の変化をもっともうまく言語化しているのはこの評だと思う。「ひとりで勝手にマンガ夜話」、懐かしい……。10数年前によく読んでいたサイトだ。元ネタのマンガ夜話が終わって10年たつ今でも、更新を続けてくれているのはうれしい。

 大島智子「セッちゃん」セイダカアワダチソウはもう生えない

 第一話から「セッちゃん」は誰とでもセックスをする女の子であり、自宅には小学生の妹がいながら父親から疎まれ蔑まれている様子が描かれている。女子の学生からは誰でもやらせる女と噂され、男子からはそんな視線を向けられる。家でも外でも孤立しているような感覚であるが、セッちゃん自身に切迫感は感じられず、セッちゃんを大事にするという男の子の告白をカレーを食べながら聞いても物足りないといった様子で空になった皿をスプーンでカシカシと叩く程度のことでしかない。

 この場面は私がとても好きで、男の子のおそらくかなり勇気のいったろう告白を、当然その前にセックスはしちゃっているわけだけれども、そうした真剣さを空腹と同列に並べているというわかりやすい演出であり、セックスで漠然とした孤独感は満たされないけれども、お腹は簡単に満たすことができるのに、なおまだ何か物足りないといったふうにスプーンでお皿を叩く、という表現が、彼女のセックス観というものを端的に表現している。この場面の直後にあっくんが登場し彼女であるまみとのちょっとした対話が描かれるのだけれども、セッちゃんを蔑むまみの言動に、あっくん自身がまみに対する興味のなさというものをそのまま言葉として読者に表明する。充足できないセッちゃんと満ち足りているような恋愛や大学生活を送っていながら、その実、あっくんが感じる欠乏感というものが、この二人を後々関係づけるだろうことが、この時もうすでに物語の期待として演出されている。

 行定監督は、この映画を「夜の映画」だと語る。監督自身が当時リアルタイムに味わった原作の力強さには抵抗せず、映像作家として、夜の照明や月明かり、町並み、セイダカアワダチソウやススキが生い茂る川辺の暗さ、それらが映える撮影により、BGMを極力抑えた物語世界を構築した。


 一方、「セッちゃん」が映像化されたとしても、そうした暗さも闇も描かれないだろう。夜でなければならない場面がないし、夜である必然性もない。なんとなく描かれた現実世界、それを浅薄だと切って捨ててしまうのは容易いけれども、惹かれるものがあったのも事実である。「リバーズ・エッジ」でこずえは主人公のハルナをこう評する。
「大丈夫よ あの人は何でも関係ないんだもん そうでしょ?」


 あっくんやセッちゃんのことだなぁと直感した。二人は、時代を超えてキャラクター性によって私の中でハルナと繋がったのである。

 

私は貴兄(あなた)のオモチャなの (フィールコミックスGOLD)

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私は貴兄のオモチャなの (FEEL COMICS)

私は貴兄のオモチャなの (FEEL COMICS)

 
わたしたちに許された特別な時間の終わり (新潮文庫)

わたしたちに許された特別な時間の終わり (新潮文庫)

 

  この感想を書いた後で見つけた、「デモをする側」であり続けてきた紙屋高雪さんによる評。

 2019年の現在、「あっち側」との距離感は、『リバーズ・エッジ』の頃と比べて相当近くなったと感じられる。すぐそばにあることがわかる。だけど依然として「あっち側」という膜に隔てられたままだというもどかしさが、この作品から伝わってくる。

 デモは身近にある。55ページではシフトのデモに学生たちが共感を述べている言葉が書いてあるし、シフトがテロを起こしてから学生たち自身がその反テロの座り込みを起こす。

 だけど、あっくんとセッちゃんはそこにいない。

 「それじゃない」というわけだ。

 まだそんなことを言っているのか、と左翼のぼくはつい叱り飛ばしたくなるのだが、それも一つの実感に違いない。その実感をデフォルメした作品として、本作はある。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 私も「そんなことを言ってるうちにあっち側どころじゃない場所に動員されるぞ」というのが実感なのだけど、その言葉で人は動かないだろうことは知っている。そして、ぼんやりとノンポリで生きてきた私と違い、活動の場に立ってきた紙屋さんには、私と違う言葉で語ることが出来るし、その資格があるようにも思った。

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

 

 

BABY BABY vol.1@中野heavysickZEROに行ってきました

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 あらいぐまMCさんがリリースライブをやると言うので行ってきました。

 ドクマンジュくんが大丈夫音楽としてビートライブをやると言うのでその時間くらいに到着。

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 会場は中野heavysickZERO。ここ、いいですよね。銀行の金庫のような分厚いライブ会場の扉を開くと、中は打ちっぱなしのコンクリの壁。照明はオレンジベースで、奥が少し詰まっていて、ステージ前が一番広いというのが、何だか洞窟みたいで。

 出演者は秋葉原サイファーのメンツを中心に、主催のmeriさんとあらいぐまMCさんそれぞれの縁がつないだ人々。みんな普段は働きながら音楽作ってるはずなのに、ライブのホスピタリティと明快さが際立っていて感嘆しました。ふざけてるけど、甘えたところがないし、みんな人前に立ち慣れてる。クルーはコンビネーションしっかりしてるし、ライブ30分やっても揺るがないし、フィジカルがすごい!

 スケッチブックを使ったフリップ芸をやったり、スーパーマリオの音を取り入れたりと、それぞれが自分が好きなものを表現に取り入れているのもよかったなあ。やってる方はもともと好きだったものがますます好きになるし、見てる方にはその人がどういう人間なのかがストレートに伝わりますよね。

 あんまり曲作りたいと思わないんですが、ああいうの見てるとちょっとやりたくなりますね。ステッカーでいっぱいのガジェットを見て、そのにぎやかさをうらやましく思うような感じかなあ。

 楽しそうなステージに煽られてフロアも終始めっちゃ盛り上がってました。

 tofubeatsみたいな髪型になってたドクマンジュくんはマイペースなビートライブから。語彙がなくて申し訳ないが、だんだん音が走ってく様子も含めてよかった!

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 あと、MCで稼げるんじゃないかと思うくらいMCうまいすね。ラジオパーソナリティの需要あるのでは。

 後半はfeatでヤボシキイくんが出てきて気さくでゆるい感じに盛り上がり。最後はわざわざリミックスしたBABY PLAYで、「俺も赤ちゃんプレイしてえなあ 大量にウンチ漏らして チンコの裏まで 綺麗にフキフキしてもらいてえ」って客に言わせてました。

www.youtube.com

 トリを飾ったあらいぐまMCさん。今までのメンツが「ドラム」だとしたらひとりだけ「太鼓!」みたいな存在感。そもそもビートがけっこうアンビエントだったり、わかりやすくドラムが聴こえる音じゃなかったりするのに、ライブになるとほぼシャウトだし、声の圧はすごいしで、ある意味演劇的。しかし、ポエトリー的な「静かに味わってください」っていう感じはゼロでオリジナリティ半端ないです。リリックはシニカルで自虐入ってるのに、なんか聴いてるとパワー出ます。

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 最後の曲、「Sad monster」は音楽と友情の詩。「サッドモンスター 舞台の上で暴れる/サッドモンスター マイク持てば変われる/サッドモンスター 舞台の上で暴れる/スポットライト浴びれば人の殻を破れる」はエモいし普遍性があって、ライブでも音源でも強度ある。

 間に入った素直なMCもよかったです。お疲れさまでした。

aryguma.hatenablog.com

 個人的にはひさびさにらいんひきさんとヘルガさんとヤボシくんに会えたのもよかった。

 ところで、ドクマンジュくんが合間に転換DJで悪い曲をいっぱい流してたんですが、なぜかノリアキの「Unstoppable」とTohji&gummyboyの「Higher」と「涼宮ハルヒの憂鬱」OP主題歌「冒険でしょでしょ?」が同じくらい盛り上がってて謎でした。

 

music.apple.com

  写真は会場に置かれていた主催二人のおすすめマンガ。

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 こっちは主催二人の音源へのリンク。

linkco.re

mazairecords.bandcamp.com

“着る”アフリカ展@神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)

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 だいぶ前の展示なのだけど、写真集を読んで記憶があざやかによみがえったので、備忘録として。

 サプールはフランス語で「お洒落で優雅な紳士協会」を表す言葉の頭文字を取ったコンゴの人々の呼称。彼らは世界最貧国と言われるコンゴ共和国で、自らの年収の4割を海外の高級ブランド服に使う。

  普段は質素な服装で生活しているが、土日の礼拝へ向かう際にはヴィヴィッドなコーディネートに身を包んで、街を練り歩く。

 サプールが洗練された服で街を歩き回る姿はそれそのものが祝祭的で、褐色の肌と上品で鮮やかな服の組み合わせは心を浮き立たせる。

 会場には、あるサプールの「いい恰好をしていると争いを生まれないんだよ。5000ユーロの靴を履いていても、戦争で略奪されたら自分の負け。だからサップは争いごとはしない。平和が大切」という言葉が掲示されていた。本の中でも「サプールは平和の象徴」と語られている。

 私は当初その意味がよくわかっていなかった。たしかに戦渦で好きな服を着るのは容易ではないだろうが、それでもそれが「平和の象徴」とはどういうことなのかと。

 しかし、それはただ自分が好きな服を着て自分らしくあることにとどまらない、この祝祭性にあるのだろう。踊るように歩き回るサプールを見て笑顔になる人々を見ていると、彼らの服装と信念の意義を思い知らされる。

THE SAPEUR コンゴで出会った世界一おしゃれなジェントルマン
 
平和をまとった紳士たち 日本語-英語版 SlowPhoto

平和をまとった紳士たち 日本語-英語版 SlowPhoto

 

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 展示ではアフリカの装飾文化についても学ぶことができた。写真は時事や故事成語を織り込むこともあるというカンガ。


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