映画リトル・ダンサーのミュージカル化である「ビリー・エリオット」で、久々に感情がじゃーじゃーあふれてくるという体験をしてしまった。だいたい毎年1年に一度くらいだから今年はもう最後かな。
※全体的にネタバレありです
ビリー・エリオットは炭鉱街に生まれた少年がバレエに目覚め、街を出て行くまでの物語だ。
サッチャー政権化で仕事を失った炭鉱労働者たちのストライキの場面から、物語がはじまる。ビリーは揺れ動く街で、偶然バレエを始めることになり「バレエダンサーになりたい」という夢を抱く。しかし、ストライキ決行中で仕事に行けず、バレエは女のやるものと考えている家族にはそんなことは言い出せない。それでも、彼は身体の中にある表現したいという気持ちを抑えきれない。
物語の中では、少年の夢への熱情に加え、社会が見捨てた人々の怒りと悲しみが描かれる。「ストライキなど無駄だ。炭鉱は滅びを待つ場所だ」という主旨の言葉も本作には登場する。たしかにそうかもしれない。でも、そこで働いてきた人々の誇りは? 虐げられてきた怒りに気軽に「現実的になれよ」と言えるか?
単なる天才の立身出世ものではない複雑な背景を持った物語を、ミュージカルに落とし込む手管が見事すぎる。
まず最初に「き、来た!」と思ったのが、ストライキのために立ち上がる炭鉱労働者のシーン。観た人は「冒頭じゃねーか!」と思うだろうが、もう、ステージの人々が客席に向かって声を揃えて歌うだけで「これこれ!」感ある。
ほかにも、警官とストライキ側の衝突の場面のダンスがもう「アッ、これミュージカルじゃないとなかなか見れないやつ……好き」ってなってしまった。男性陣だけの華やかさがないある種器械体操的なダンスってめっちゃツボ。エビータのエリートのゲームとか、映画だけれどプロデューサーズの銀行の場面とか。小道具にイスや机を使っているのがたまらん。
ミュージカル嫌いな人は「いきなり人が立ち上がって歌い踊りだすのが不自然すぎる」という。しかし私は問い返したい。
みんなの感情の大きさって自分の日頃の行動で表現できるサイズに収まってるの?
でかい声で音に乗せて歌うことで伝わる感情。体中を開放するように踊ることで伝わる感情あるじゃないすか、確実に。
ビリー・エリオットでもっとも感情が爆発する場面は、父と兄にバレエダンサーになるという夢を否定され、オーディションに出向くことさえ許されなかったビリーが、グラムロック調のサウンドに合わせてタップダンスを踊りだすところだろう。
Angry Dance、怒りのダンスと名付けられたこのシーンでは、激しきかき鳴らされるギターの音、タップの音、そして彼の叫び声が重なり合う。
この、タップとグラムロックというのが正しいと思う。
タップダンスの由来には諸説あるが、暴動を恐れた白人が、黒人の集まる場所でのドラムを禁じたことにより代替行為として普及・発展していったという説を取るのなら、バレエを取り上げられたビリーの、怒りを乗せるダンスとしてこんなに適切な舞踊はない。
また、中性的な魅力で社会を魅了したデビッド・ボウイやT=レックスを思い出させるグラム・ロックを背に踊るというのも、本作の持つ本質を考えると、とても正しい。男らしくないとバレエを否定されるビリーはもちろん、恋心を抱く女装好きの少年・マイケルにも紐づく。マイケルは、ミュージカル中でも姉や母の服を着ながら、「好きな格好をして何が悪い。」と歌い踊るのだ。
そう、マイケルの例はとてもストレートだけれど、この作品はすべての人間の誇りや尊厳を尊重していて、何よりそこがすばらしい。
ホリプロの社長がとてもわかりやすくツイートしているので、転用させていただく。
#ビリーエリオット ビリーへの道7
— Y.Hori 堀義貴 HoriPro (@horishachou) 2017年9月18日
ビリーエリオットをなぜやりたかったか?その一つが、「誇り」です。
ビリーも、お父さんも、お母さんも、街の人も、ウィルキンソン先生も、マイケルも、自分にそして周りの人やコミュニティに誇りを持っています。正直に生きている証こそ誇りだと思います。
#ビリーエリオット
— Y.Hori 堀義貴 HoriPro (@horishachou) 2017年9月19日
お母さんはビリーを、ビリーもお母さんを誇りに思っています。お父さんは炭鉱労働者としての誇り、奥さんをすごく愛したという誇りを持っています。町の人たちは炭鉱町として国を支えたという誇りを持っています。ウィルキンソン先生は誇りを持ってビリーを町から送り出します。 https://t.co/hXVf89WX5z
#ビリーエリオット
— Y.Hori 堀義貴 HoriPro (@horishachou) 2017年9月19日
マイケルは自分の生き方に誇りを持っています。トニーは炭鉱の若きリーダー格としての歴史と誇りを守ろうとします。お父さんは才能を開花させるビリーを誇りに思います。「誇り」が小さな社会の中に存在し、人の繋がりで支えられています。全然安っぽくないのです。
映画版のラスト、プリンシパルとしてザ・スワンを演じるビリーは、お父さんとトニーを劇場に招待しています。マイケルも生き方を貫き、彼氏と見に来ます。ビリーは堂々と誇り高く空を舞います。誰もが誇り高く生きているという姿が、この作品を単なる少年の成功物語にしていないのが素晴らしいのです。 https://t.co/Is09pfTor5
— Y.Hori 堀義貴 HoriPro (@horishachou) 2017年9月19日
#ビリーエリオット
— Y.Hori 堀義貴 HoriPro (@horishachou) 2017年9月19日
だから私は、自分も含めて「おじさんたちに見てほしいミュージカルだ」と言ってきました。
この作品を見てくれたおじさんたちに、何を感じたか是非感想を聞いてみたいのですが…。 https://t.co/0h9c9jGhBF
作中には、「社会主義も炭鉱街もそこで働く人々も、滅びを待つだけの時代遅れな存在である」と否定される場面がある。でも、人が生きていくってそういうことではないんだよ。
時代遅れと揶揄されるビリーの父にも、兄のトニーにも誇りがあって、だからこそ炭鉱街を捨てないためにストライキを行う。それは必ずしも彼らの生活を豊かな方に導かないかもしれない。でも、作り手側がそこに誇りがあるかを理解しているかで物語の印象がまったく違ってくる。誰一人として作り手に見捨てられていない。当たり前であったほしいけれど、そんな物語はなかなかない。
ストライキに敗れた炭鉱夫たちが、最後にビリーへの別れの意を込めながら再び炭鉱に消えていく場面で歌われるのが「それでも尊厳を捨てない」というテーマの歌であることに涙しないわけにはいかない。レ・ミゼラブルの民衆の歌とか、蜘蛛女のキスのその次の日とか思い出す。あの、ステージのみんながこっち向いて尊厳を歌い上げるって最高なんだよ。私の好きなミュージカルっぽさ……。
ほかにも途中から白鳥の湖ミクスチャーロックリミックスになるElectricity(面白すぎてちょっと笑ってしまった)とか、中吊りで空を舞うビリーの身体能力の高さへの驚きや、その舞踊の美しさとか、バレエ教室の女の子たちがキャーキャーするところのかわいらしさとか、言いたいことはいくらでもあるのだけど、とりあえず一言「行ける人は行って!」。
そう、今では見る影がないけれど、私は中学の頃に友人から劇団四季のCDを借りて毎日「オペラ座の怪人」(市村正親版)を聴いており、歌詞もすっかり覚えていたというミュージカル大好き人間だったのだ……。金がなくてあまり現場に行けなかったから、オタクとは名乗れないし、CDを聴きすぎて楽しみにしていた舞台に乗れなかったなんて経験もあり、実際にこの目で観たステージの数はたかが知れているけれど。ミュージカルって、けっこう社会的で現代的なテーマを扱ってるのでそこが好き。
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