午前中、スポーツジムで走ったりダンベルを上げ下げしてりしてから新宿へ。
家を出る直前まで、眠いので遠出はやめて横浜でのスタンディングに参加するか迷っていたのだけど、汗をかいたら元気が出たので新宿へ向かう。
13時ごろに新宿に着くと、南口NEWOMAN前には特設ステージができていた。ステージにはアーティストが提供したというさまざまな装飾。「NOWAR」「戦争反対」「平和」「нет войне」。
スタッフは皆、赤の背景に白字で「NOWAR」という文字を抜いた布を身に着けて歩いている。集まった人たちは手すり沿いに列を作っていて、それぞれがプラカードを持ったり、ただ立っていたり。
こういうデモにしては若い人が多く、20代、30代の人が目に付いた。小さい子供を連れてくる人も、老境に差し掛かった親を連れてくる人もいる。
少し離れたところでは、国土交通省の人やJRのスタッフが見守っている。足早に通り過ぎる通行人もたくさんいる。赤旗の記者は少し離れたところでメモを取っている。
ステージの反対側の道端には、ひとりで黄色い「NOWAR」のプラカードを掲げている青年もいた。
個別の演奏やMCがどうというわけじゃないけど、全体的にナイーブでウェットな雰囲気で、ちょっと遠く感じてしまった。こんなに悲しいことが起きて、ウェットにならないはずがないので、そりゃそうなんだけど。湿度が高くなると同質性が求められたり、慰撫的な共感が流行ってしまったりするので、少し距離を取りたくなる。
お腹が空いていたのでいったん昼食をとるためにBERGに向かう。20代くらいの男女がステージを見て、女の子の方が「ああデモだね。国会前とかでやるのは許可が大変らしくて」と話していた。「もう21世紀なのにさあ!」という声も少し遠くから聞こえて、それもウクライナのことだろうかと思った。でも、侵略自体は世界中で行われているし、人権侵害は日本で絶え間なく起こっていることだし……とも思う。
改装したタワーレコードに寄ろうかと一瞬思ったけれど、小さくなった姿を見ると悲しくなりそうなので止めた。東南口では東京管理職ユニオンが内部告発者を締め上げようとする会社のやり口について演説していた。立派なことをしていると思ったけれど、立ち止まる人はいなかった。今思うと私が声をかけるべきだったのかもしれない。
久々のBERG。最近自宅でも食べ始めたレンズ豆が、スープと付け合わせの野菜に入っていた。初めて来たときはソーセージやパテなど、肉料理に心を奪われたけど、この日はレンズ豆・ピーマン・ディル・たまねぎが入ったつけあわせの新鮮な味わいや、じゃがいもの甘みに感心した。
BERG通信という手作りの新聞には、断腸の思いでコーヒーの定価を値上げしたことや、新商品を増やしすぎて物販のアイスコーヒーがあまってしまったので、特価で売っていることなどが書いてあった。
御茶ノ水に移動して米沢嘉博記念図書館の『樹村みのり展』へ。駅を降りるとすぐに原発再稼働反対運動の演説が行われていて、デモ日和なのかと思う。
『樹村みのり展』は4期に分かれており、壁の展示物が会期ごとに代わるそう。今回は第1回目。
初期の絵を見ると、いわさきちひろを思い出す。優しい色彩と飾り気のない絵柄から「戦後民主主義」という言葉が連想されるからか。子どもを見守る優しい目が絵のうちから伝わってくる、
写真撮影可のため、行けない人のためと思い、写真を撮りまくった。
外に出ると赤背景に白地で「NO」と書かれた看板があり、「NOWAR」かと思ったら「NOPARKING」だった。
まだ閉まっていたが、ロシア料理の店の前を通った。問題なく営業できているだろうか。
家に帰ってからSNSを見ると、音楽オタクの李氏氏が以下のようなことを書いていた。
GEZANの志の高さをリスペクトしつつ、はたしてあの行動が渦中の当事者との連帯に繋がるのかどうかはちょっと正直判断つかないな。
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) 2022年3月5日
彼は以前社会運動について、「ハッシュタグでの声明はやってる感を出すだけで役に立たないし、ちゃんとロビイングをしている人の方が偉い」という気持ちをツイートしていたので、らしい言葉だ。ハッシュタグでの表明がただの自己満足に見えてしまうのはよくあることだろうけど、実際のところ、生活環境が制限されていて、「それしかできない人」もたくさんいるだろう。とてもバカにする気にはなれず、彼の言い分にはいまいち共感できなかった。
今はハッシュタグポリティクスに身を投じて社会運動をやってる(つもりの)不特定多数の人々よりも、地道に立法行政に働きかけてロビイングに徹している運動家ないしは団体の方がよっぽど現状をよく見てるしリベラルとしてまともだなと思うようになってきた。
— 李氏 (@BLUEPANOPTICON) 2022年2月15日
頭の回転の速い若者ほど、役に立つこと、成果の出ることばかりを価値としてしまうところがあるけれど、実際のところ私たちがウクライナに、そしてロシアについてできることなど、ほとんどないのだと思う。
デモで示せるのは、せいぜい「平和を願っているのはあなただけではない」という意志表示くらい。
そこで生じる成果は、「もしかしたら『孤独ではない』と感じてくれる人がいるかもしれない」というくらいのものだろう。
しかし、連帯というのはそもそもその程度のものではないか。そして、孤独というのは、人間を極めて危険なところに追い込む、もっとも残酷な状態の一つだ。
本国には届かずとも、日本にいるウクライナやロシアの人や、かかわりのある人には届くだろう。
華々しい成果はなくとも、自己満足ってことはないんじゃないだろうか。7iLtlGg
追記:NENEのインスタグラムの言葉、いいな。
https://twitter.com/BLUEPANOPTICON/status/1500032147549474817?s=20&t=z07UoQm-b30_Fpq7iLtlGg