ホンのつまみぐい

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思わず「本当に?」とつぶやいてしまう『ど根性ガエルの娘』

あだち勉物語』には出てこないが、当時のマンガ界のキーパーソンのひとりとして、吉沢やすみの名前も各所で見かけたので、そういえばと思ってまんがparkで『ど根性ガエルの娘』を最後まで読んだ。

ど根性ガエルの作者は人気絶頂期に家族を捨てて失踪していた!」という事実を娘の大月の側から描いた本作。

当初は父が家族のもとへ戻るところで終わらせる予定だったというが、掲載媒体を変えて新しく始まった連載で大月は、父、母、大月自身、夫と、それぞれが家族にDVを行っていた事実をつまびらかにしていく。

丁寧なDV描写の再現によって機能不全家族の実態が明かされ、「一体どうなってしまうんだ」と不安な気持ちで読んでいたが、最後は大月が現状を整理してくれる良いカウンセラーと出会い、努力の末に家族が再生するというラストだった。

マンガの通りならとてもすばらしいけれど、「本当に?」と問いかけたくなるような終わり方で、少し混乱した。他の人の感想を探したところ、以下のブログに出会い、思わずうなずいてしまった。

 

rts3.exblog.jp

大月悠祐子のこれまで受けてきた事は作品を大団円にすることでチャラにできる程度のものだったのか?
所詮他家の不幸話を楽しんでいたオイラ自身としてはあまりエラそうには言えないが、本作の作者のような目にあったら親兄弟夫婦関係全てを罵倒して、肉親を憎むということを肯定してもいいのだ、というメッセージを密かに期待していた。
この作者の描いた家族関係をそのまま信じるならこの肉親全てが最悪な人間性を持った者たちにしか感じられなかった。
いや、そういう告発の作品であるべきだったと思う。

父親である吉沢やすみが言ったと思われる本作は「本当の漫画じゃあない」という言葉を描いたことで、娘が父親に能無しの漫画家として引導を渡す、あるいは「父よだからあなたは時代に取り残されたのだ」ということを宣言したのだと感じた。

オイラはこの最終巻の"後日談"は父親と娘の和解ではなく、娘の父親に対する復讐の成就と思いたい。

※単行本描き下ろしでは後日譚が追加で収録されており、吉沢が「ど根性ガエルの娘は本当の漫画じゃあない」と言う場面があるらしい。

 

まんがparkのコメント欄にあった「お前は弱いんだよという父の思想が形を変えて作者の中に生きている気がする」という指摘を踏まえると、「強く生きることで立ち直り、家族を再生させることができた」という描写を、父そして社会に出すことに意味があったのかもしれないなどとも思う。

しかし、読者の「こんな家族は捨てていいのに」「強さにこだわりすぎ」という指摘のほうが、真に社会に必要なメッセージであろう。魂を込めて描かれているし、意味のない作品ではないと思うが……。

個人的には、認知の歪みに関する細かな描写のおかげで、私自身の認知の歪みを自覚出来て、そこはありがたかった。