ホンのつまみぐい

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ホテルニューアカオと熱海銀座劇場に行った

 栗鳥巣さんの出ている熱海銀座劇場のついでに、ホテルニューアカオでやっているキュレーション展「Standing Ovation 四肢の向かう先」を見に行った。

 「ATAMI ART GRANT(アタミアートグラント)」という、市内観光と一体化したアートフェスティバルの一環だ。

 ホテルニューアカオのことはこの展示が話題になったことで初めて知った。

 日本に金があった時代に作られた豪奢なホテルだが、11月に営業を終えたらしい。「使われなくなった〇〇」を展示会場にするのはよくあることだが、アカオでの展示はその豪華な内外装が注目され、SNSでバズった。

 熱海駅に降りて、ホテルが出している直通バスに乗り込むと、30席ほどの小さなバスは展示目当ての客でいっぱいだった。

 運転手が「ホテルニューアカオにお越しの皆様、誠にありがとうございます」とやわらかい口調でアナウンス。こういう、ホテルに行くでもない客ってありがたいんだろうか? 「どうせ利用しない連中だし」なんて思わないのだろうか。それとも、「自慢の建物だし、使われないままよりたくさんの人に見てもらった方がいい」という思いなのだろうか。

 10分ほど走り、バスは坂の上に着いた。

 降りて左手を見ると、熱海の海が見えた。その海のあまりの近さに、坂の上というより、崖の上に建物があるのがわかり、少しゾクッとした。潮風が攻撃的と言えるくらい強く、小型犬なら吹き飛ばされそうだ。

 前評判を聞きつけた人が集まってきていて、入場待ち列ができていた。坂に沿った列に並ぶと、1時間半待ちとのこと。日射しが痛い。前に並んでいる5歳くらいの女の子は、疲れて両親の手の中で眠っている。

 ホテルマンらしき人々がお客を裁くのを見ながらしばらく経って、やっと中に入れた。

 入り口にあたるホテルウイングは今後も営業中とのことで、宿泊客も歩いていた。

 奥に進むと、電気が消えて少し薄暗くなったホテルニューアカオが現れる。

 あらゆる場所が豪華で、特にダンスホールにある、大理石の柱には目を見張った。1本何百万、ひょっとしたら数千万かと思わせる太くて美しい柱。シャンデリア。木彫りの時計。バーカウンター……。それらが海の見渡せるすばらしい採光のダンスホールの中にある。圧巻だった。

 建物を歩きながら、「これは、今の日本には作れないな」と、何度も思った。

 あまりに存在感のある建物の中で、現代アートはすっかり影を潜めていて、いったい何のため、何を表現するためのアートなのだろうとしらけた気分になった。

 美しい植物が描かれた床を歩いていると、なんだかいい声が聴こえる。聞き覚えのある声……と思ったら、チャラン・ポ・ランタンだった。何曲か流れていたが、中に『さよなら遊園地』という曲があった。

今日でおしまいさこの遊園地

別れを惜しんで客押し寄せて

今まで見向きもしなかったのに

この日だけは昔のように

 という歌詞。わかりやすい。豪華な椅子に座りながら、わかりやすい歌詞を味わった。ちょっとあざといのではという気持ちと、「このくらい」がいいのかもしれないという気持ちが混ざって、少し複雑な気分。『さよなら遊園地』はもともとある歌で、特にこのために書き下ろしたわけではないようだ。見向きもしなかったのに、別れを惜しんで駆け付けたことに対する罪悪感は、特に浮かばなかった。

 訪れる客の中には、やはりアート好きの人が多い。アート好きな人の中には、こじゃれの結果としてマンガチックな服装になる人がちょいちょいいて、そういう人たちのコスプレっぽさとホテルの豪奢さは似合っているような、いないようなところがあった。

 アカオを出て、熱海駅へ戻り、熱海銀座劇場へ。古い街並みの中、時折誰が泊まるのだろうかという古い旅館があり、タイムスリップ気分を味わった。

 街中には行列のできるスイーツの店がいくつかあり、販売されているものの脈絡のなさに首を傾げた。今はこういう形で観光客から金を巻き上げる時代なのか。

 街並みをきょろきょろ見ながら歩いていると、熱海銀座劇場の看板が見えた。居酒屋やお土産屋と同じように表通りに軒を連ねていて少し驚く。

 この少し前に「温泉むすめ」という温泉PRの萌え系キャラクターが、その設定があまりに性的すぎると批判を受けていたことを思いだした。そこから、かつては温泉地の産業そのものが性風俗によって支えられていたを知ったのだった。かつての歴史を振り返ると、対して意外性のあることではないのかもしれない。

 しかし、こういう状況をどう考えていいのかはちょっと迷ってしまう。コンビニのエロ本撤去に賛成した立場から言うと、「これはどうなの」と問われる光景でもあるわけで……。

 熱海銀座劇場は一見すると何が行われているかわからない。外に貼られているポスターもとても穏健なものだから、表通りにあってもおかしくはないと思う。というか、かつてはともかく、今となってはそこが性的なことを行う場所だというのが、外観だけで察せられる劇場はない。だけど、それだけでは劇場が表通りにあることに納得しない人もいるだろう。

 でも、この場で働いている人、ここで行われる芸を楽しみに来ている人(自分もその一人だ)がいて、それを否定することはできないし、巷で使われる浄化という言葉には抗わなくてはいけない。

 ちょうど先日、小田原を歩いた時のことも思い出した。

 久々の小田原は、駅前の通りが安居酒屋とからあげ屋と変なパン屋に浸食されていて、ところどころに昭和からやっているような古いお店の残る街並みとあっていなかった。

 「出店する店を商店街で規制すればいいのに……」と勝手なことを思ったが、それは「性風俗なんかこの街に存在してほしくない」という気持ちと変わらない、排除の発想なのだろう。

 しかし、行政が地域の在り方を規定しなくてはいけない局面というのはある。そして、そうした状況で性風俗は排除の対象だ。この性風俗はアリで、あの性風俗はナシという線を、いったいどこで引けばいいのか。

 ちょっとうまく答えが出なかった。

 性的なものに対し、ゾーニングすればいいという考え方がある。多くの場合はその通りだと思う。しかし、ゾーニングの結果として、「見えなくなること」「なかったことになること」の危うさを、この日は考えもした。

 ニューアカオで見かけた、コスプレっぽい服装のカップルが劇場の前で写真を撮っていて、「入れ~~」と念を送ったが、そのまま通り過ぎていった。

 公演が始まるまであたりを見回したり、喫茶店や居酒屋で時間をつぶしたりする。

 洋菓子店モンブランはしっかりした甘さのケーキが懐かしい味でよかったが、夕ご飯に選んだ熱海銀座おさかな食堂はなれは「ステキなお客様ご来店です」とかいうコールに耳を奪われ、味がよくわからなかった。ゲストハウスに併設されたカフェのおつまみはまあまあ。こういう街で店を選ぶのは難しい。

 公演の時間になり、入り口から入ろうとすると、「ファンの方?」と聞かれる。一人でするっと入ろうと一見客は少ないのだろう。検温と消毒をし、熱海銀座劇場に入ると、楽日ということもあってかすでにかぶり席が埋まっていた。

 真剣な顔でステージを待つストリップ好きと、一見っぽいお客さんが混ざっている。

 一見さんはだいたい、2~3人で来て固まっているけど、不思議なことにストリップ好きは知り合い同士で話をしていても、ひとりずつ座っているように見える。

 少しすると栗鳥巣さんがあらわれた。「今日は花火大会があるので、それまでに終わらせます」「今のうちに携帯触ってください」「そろそろ始めようと思うんですが、気持ち大丈夫ですか」というアナウンスで、お客さんをほぐしていく。

 下ネタの曲から始まるダンスが終わると、おマン画コーナー。

 「1回目で帰る人から描きましょう」という提案で、どんどんおマン画を完成させ、そのたびに初めて見る人からため息と驚きの声が漏れる。

 色紙を手にしながら、「どうやって描いたか、知らない人に聞いてもわからないよね」という一見さん。そうでしょう。そうでしょう。

 会社の同僚同士で来たという男性3人をまとめて1枚の色紙に描いた時は「社名入れます?」と言って笑いを取っていた。

 この日は熱海の花火大会があり、「終わったらみんなで観に行きますからね」ということで、急いで進行。

 最後はチンコチンコビーンが繰り返される曲に合わせて皆で踊って終了。

 60前後と思われるマダムが、「熱海に住んで長いけど初めて来た。姪に連れてこられたんだけど、こんなに楽しいと思わなかった」と、栗さんと従業員さんに繰り返し語っていた。

 劇場に貴重品以外の荷物を置いて花火大会へ。

 花火は思いのほか本格的なもので、それなのに自分の心の中はなんだかごっこ遊びをしているような気持でいて、不思議な気分だった。

 劇場から花火の会場まで、人々を先導する栗さんの「好きなことをやりながら内輪にしないバランス感覚」を見ていたのも、そう感じた理由の一端かもしれない。

 2回目は野球拳仕立ての演目。ジャンケンに勝つと、股間につけたヒモが鳴らせる。ヒモがさい銭箱のところにある鈴を模していているのだ。赤と白で彩られた衣装もあわせてなんか景気がいい。

 しかしこの日は2人しかジャンケンに勝った人がおらず、栗さんはなかなか脱げないで難儀していた。

 2回目のおマン画の時間は、顔をしっかり見て描くためにステージに上がった女性が「お姉さんかわいいですね」を連発していた。

 2回目で帰るという人のためにサクサク進行してくれて、おかげでオープンショーを見てから帰ることができた。

 熱海のおマン画は「おまんこで習字をする女性はおりますが、おまんこで似顔絵が描けるのは私だけでございです」という言葉で〆られる。

 栗さんの芸を見て満足しない人はいないだろう。劇場の仕組みを知らない人が、別の日に来て「アレ?」と思わないかどうかだけが心配だけど……。

 帰路、行先の同じ女性二人と、おしゃべりしながら帰れたのも楽しかった。二人は「花火大会ではいちゃいちゃしているカップルが常に視界に入って大変だった」という話をしていた。

※写真は後程載せる予定。